130.ゲイリーのリクエスト
これから俺は日本に戻る。
この部屋にいるのは送還の準備をする俺と、それを甲斐甲斐しく手伝ってくれるクララ様の二人だけだ。
「チェックリストは持ったの?」
「ええ。ポケットに入れてありますよ。クララ様には美味しいガトーショコラをお土産に買ってきますからね」
そう言うとクララ様は恥ずかしそうに頷いた。
もう以前のようには遠慮しなくなってくれているのが嬉しい。
俺の住んでいる四谷三丁目から歩いていける場所にガトーショコラのすごく美味しい店があるとグルメ吉岡が教えてくれたのだ。
すでに予約も入れておいてくれたらしい。
常温ならチョコレートテリーヌのように、軽く温めればフォンダンショコラに、冷やして食べれば生チョコのような味わいがあるそうだ。
なんだか聞いただけでも美味しそうだよね。
コーヒーと一緒に食べてもいいし、ブランデーにも合いそうだ。
クララ様と甘い大人な時間を過ごしてしまおうかな……。
「気遣いは嬉しいのだが、私への土産よりもダンジョン探索の準備を抜かりないようにな」
クララ様は心配そうだ。
俺の実力を考えれば不安が残るのは仕方がないだろう。
俺にはゲイリーのような防御力も吉岡のような攻撃力もないからな。
いっそ日本で狩猟免許をとってしまおうか……。
案外悪くない考えかもしれない。
いきなり威力の高いライフルを持つことは無理らしいけど、散弾銃なら比較的所持はしやすいと聞いている。
もしくは非移民ビザを取ってアメリカに行くという手もある。
ハンティングライセンスを持っていれば非移民ビザでも銃は買えるそうだ。
州によって違うけどハンティングライセンスはインターネットで購入可能なところもあるらしい。
さすがは世界で一番銃を購入しやすい国だ。
とはいえダンジョン突入は10日後だから、日本での狩猟免許獲得もアメリカのビザ申請もとても間に合わない。
「クララ様、そんなに心配そうな顔をしないでください。自分なりに考えて最善を尽くしますから」
「うん、わかってはいるのだ……。せめて私が同行できれば、これほど気を揉むこともないのにな」
クララ様は自嘲するように笑った。
もっと強くならないといけないな。
俺は力というものにあまり興味はないんだけど、せめてこの人に心配をかけないくらいにはなりたい。
遠慮がちに一歩近づいたクララ様を抱きしめた。
「大丈夫ですよ。貴方の召喚獣らしく――」
ドンドン!
力強くドアがノックされた。
俺たちはすぐに互いの体を離す。
「コウタぁ~、いる~?」
やってきたのはゲイリーだった。
ゲイリーは俺とクララ様が一緒にいるのを見てバツの悪そうな顔になった。
「ああ、ゴメン! バッドタイミングで来てしまったようだね……」
大きな体を小さくして謝る姿が可愛くもある。
ゲイリーは何をやってもどこか憎めない奴なんだよね。
「気にされることはない。よくいらして下さいましたゲイリー殿」
クララ様も気分を害された風もなくゲイリーに微笑みかけていた。
「そうだぞ。それよりもどうした?」
ゲイリーは済まなさそうに頭を掻きながらメモを渡してきた。
「実は大事な物をメモに書くのを忘れちゃってさ。ルーベン・サンドの材料を買ってきて欲しいんだよ」
なんだそりゃ?
「よくわからないけどサンドイッチの材料だね」
ゲイリーはものすごく驚いた顔をした。
「ええっ!? コウタはルーベン・サンドを知らないのかい!?」
だって俺、日本人だもん。
卵サンド、ツナサンド、野菜サンドが三大サンドイッチだよ。
BLTも市民権を得てるけど。
「聞いたこともないよ」
ルーベン・サンドはアメリカでは非常にポピュラーな食べ物だそうだ。
ライムギパンにコーンビーフ、ザワークラウト、スイスチーズ、ロシアンドレッシングで味付けしてグリルしたホットサンドだということだ。
グルメ吉岡がいれば問題ないのだが、今はリアのレベルアップの為にダンジョンの浅い部分で特訓の真っ最中で不在だ。
だから日本に帰るのは俺だけなのだ。
「コーンビーフは缶詰を近所のスーパーで売っていたな」
メモを見ながら呟くとゲイリーが全力で否定してきた。
「違う、違う! 缶詰じゃないよ。あれはフレーク状だろう? コーンビーフは塩漬けの牛肉でブロック状のものをハムみたいに薄く切って使うんだよ」
そんなもん日本で売っているのか?
「USAだったら真空パック入りのもあるし、ママが作るコーンビーフは最高なんだけどな……」
自分でも作ることができるのか。
だったらレシピと材料を揃えて作るという手もある。
「で、ロシアンドレッシングってなに?」
「ロシアンドレッシングはロシアンドレッシングだよ……」
何が入っているかはゲイリーにも説明できないようだ。
俺だってサウザンアイランドドレッシングは知っていても、中に何が入っているかはわからない。
常識が常識でないというのがカルチャーギャップだよな。
ネットで調べてみるか……。
「で、スイスチーズって?」
「ほら、穴の開いているチーズ。知らない?」
ゲイリーはとても心配そうだが、それならわかる気がする。
「トムとジェリーに出てくるチーズ?」
「その通り!」
エメンタールチーズなのかな?
これもネットで調べてみるか。
「いっそアメリカに行った方が早そうだな……」
ゲイリーの目が光った。
「行ってくれるの!? だったらママの手作りルーベン・サンドが食べたいよ! 久しぶりにアップルパイもいいなぁ」
お袋の味か……。
俺もしばらく山形に帰ってない。
玉こんにゃくが食べたくなってきた。
「出発まで10日あるから行ってもいいよ」
「本当かい! だったらママとシンディーに手紙と仕送りも持って行ってよ」
空間収納があるからそれくらいはお安い御用だ。
「……どうせアメリカに行くんなら、ついでに銃を買えたらダンジョンでも少しは安心なんだけどね」
愚痴ってみたところでビザ申請の時間はない。
「ん? コウタは銃が欲しいの?」
「ほら、魔物相手に俺の麻痺魔法や棒術だけじゃちょっと心許ないだろう」
「まあ、コウタのことは僕が絶対守るけど、銃が欲しいのなら僕のをあげるよ?」
「What? なんですと?」
ゲイリーはニコニコしている。
「ママが処分してなければ僕の部屋に何丁かあるはずだよ。ハンドガンにライフルにショットガンとか。さすがに自動小銃は持ってないけど」
吉岡が聞いたら喜びで発狂しそうだな。
「貰ってもいいの?」
「うん。コウタなら空間収納があるから空港でも問題ないだろう?」
それはそうだ。
「弾薬が足りないようならシンディーに買ってもらえばいいさ。アイツも持っているからね」
知っている。
実際に銃口を向けられました。
俺はクララ様に向き直った。
「ゲイリーのおかげで強力な武器を手に入れられそうです。これで私の生存率も少しは上がると思いますよ」
本当は銃なんて恐ろしいから持ちたくないのだが、魔物を相手にする場合はそんなことも言っていられない。
「武器に頼りすぎることのないようにな……」
クララ様はまだ心配そうだった。
確かにクララ様の言う通りだ。
銃はあくまでも護身用で、俺は俺のできることでゲイリーたちのバックアップをするつもりだ。
18日ぶりに日本へ帰ってきた。
迷宮封鎖作戦からずっと、あまりに忙しくて帰っている暇がなかったのだ。
スマートフォンの電源を入れるとメールと不在通知が何件か入っていた。
母親やかつての同僚から近況を問うメールがいくつかきている。
親にはしばらくアメリカに行くと話してあった。
さすがに異世界へ行くとは言いにくい。
図らずも今回は本当にアメリカに行くことになったな。
絵美からも共同貯金の半分を俺の口座に入金したという知らせもきていた。
今は特に必要ないから、しばらくはそのままにしておくつもりだ。
それからシンディーからも遊びにおいでよというメールが入っていた。
丁度良かった。
東京は午前11時だからユタ州は夜の7時くらいだ。
この時間なら連絡を取っても問題ないだろう。
さっそく通信アプリを起動してメッセージを送った。
――やあ、シンディー。今から通話しても大丈夫かな?
間を置かずにすぐにスマートフォンのコール音が鳴った。
「コウタ! 久しぶりね、元気にしていた?」
「うん。俺もアキトもゲイリーもみんな楽しくやっているよ」
「よかった。家は兄さんからもらったお金でリフォームしたのよ。コウタもぜひ見に来てよ。私の部屋もゴージャスになったから特別に見せてあげるわ」
きっとヒーローもののオタクグッズがぎっしりとディスプレイされているのだろう。
「ありがとう。実はゲイリーに頼まれてそっちに行くつもりなんだけど、ママとシンディーの都合を聞いておこうと思って連絡したんだ」
「ほんとに? ママぁ! コウタがこっちに来るってぇ」
「(まあ、いつ? いつ来てくれるの? アキトは?)」
後ろでママの声が聞こえる。
飛行機の空席状況を見ながら俺とシンディーは予定を合わせた。
うまい具合に明日の出発便で空席がある。
シンディーにはルーベン・サンドの用意と銃のことも話しておいた。
「わかったわ。弾薬とメンテナンスキットも用意しておくわね。ママもアップルパイを作るって張り切っているわ。夜は家でディナーを食べてもらうからお腹を空かせてきてよ!」
きっとUSAサイズのディナーなのだろう。
ゲイリーのママだから更に量は多いかもしれない。
間食はしないようにしておこう。