113.帰還にむけて
ザクセンス王国とポルタンド王国との間に三年間の休戦協定が結ばれた。
ザクセンスとしてはこの間にローマンブルクの街を復興し、国境の防備を固めなくてはならない。
戦争の終結に伴い俺とクララ様は無事にドレイスデンへと戻れることになった。
このたびの戦功でクララ様は男爵に昇爵されて新しい領地をいただくことになっている。
そうなれば俺も男爵の権限により騎士に任命してもらうことができるそうだ。
だけど、これだと家臣になってしまうのでクララ様との婚姻はできない。
やっぱり商売で儲けて金で爵位を買うか、武芸大会でそれなりの順位にでもならなければだめだな。
特別医療部隊は解体された。
だけど、レオ・シュナイダー伍長は裏で手をまわしてクララ様お付きの下士官にしてもらうことができた。
レオは文武共に有能で優秀な人材だったからヘッドハンティングしたのだ。
これからクララ様は王都警備隊ではなく近衛連隊への編入が決まっているのだが、レオはそこでも役に立ってくれると思う。
もちろん引き抜きをする前にいくつかのテストはしている。
「レオ、これから言うことに正直に答えてくれ」
そう言って、スキル「虚実の判定」をアクティブにする。
「戦争以外で人を殺した経験はあるかい?」
「ないです」
「金品を盗んだり強奪したことは?」
「ありません」
「女を犯したことはあるかい?」
「ないです」
「男を犯したことは?」
「ないです。男はちょっと……」
どうやら「殺す」「盗む」「強姦」の三悪は犯していないようだ。
「じゃあ、俺やクララ様のことはどう思う」
「アンスバッハ様は公正な方だと思います。貴族にしては珍しく自分を厳しく律している印象がありますね。でも正直に言えばちょっと怖いです」
レオからはそう見えるのか? 可愛いところも多分にあるのだが……。いや、俺にとってはむしろ可愛さの権化だぞ。
「曹長のことは今更じゃないですか。上官として尊敬していますし信頼できる人だとも思っていますよ」
数日だが一緒に仕事をして濃密な時間を共有しているお陰かな。レオの言葉に偽りはなかった。
「ありがとう。そこでなんだが、クララ様と共にドレイスデンへいってみないか?」
おそらくこのままだとレオはローマンブルク駐留部隊としてここに残ることになるだろう。
古参兵としてそれなりの役職に就けるかもしれない。
戦闘もしばらくはなさそうだし、期限付きとはいえ安全でそこそこの収入が約束されている。
元からあまり期待はしていなかったが、男爵となるクララ様には有能な部下が必要なのだ。
領地もエッバベルクと隣接する場所ではなく飛び地になるだろう。
ポータルで行き来はできるが信頼のおける部下を常駐させたいのだ。
「俺はヒポクラテス様に命を救われました。ヒポクラテス様を召喚されたアンスバッハ様にも恩義を感じています。その恩を返すというのもあるのですが、それ以上に新男爵の下で自分の力量が試せるというのはわくわくしますね」
兵士でいれば平民出ではよほどの英雄でなければ中隊長が限界だろう。
だが、新興貴族の下で能力が認められれば騎士の位を授かることも可能だ。
「ぜひ私をお供に加えてください」
ここにレオ・シュナイダーが新たな仲間として加わった。
これで正式にクララ様の部下は日野春公太、吉岡秋人、フィーネ、レオ・シュナイダーの四人になった。
夜、クララ様の部屋で今後の予定を話し合った。
二人並んでソファーに腰掛けるのは久しぶりだ。
ドレイスデンを発って以来のイチャイチャタイムを少し楽しむ。
「やはりレオにポータルを見せるのはまだ早いか?」
「はい。信用していないわけではありませんが時期尚早かと」
レオに能力を開示していくのはもう少し時間をおいてからだな。
当面は急ぎの用事もない。
二週間後にクララ様の男爵叙任の儀が控えているくらいだ。
「本当は王都までの旅を二人で楽しみたかったのだがな……」
クララ様がわずかに身体を預けてくる。
レオがいなかったらのんびりと二人旅の予定だったもんな。
ここのところ緊張の続く毎日だったから、旅の間は思いっきりクララ様を甘やかしてあげたかった。
「お疲れではありませんか?」
「これくらいのことでは疲れんよ」
クララ様は本当にタフだから、実際のところはあまり疲れてないのだろう。
「私としましてはもう少し頼っていただいた方が嬉しいのですが」
「えっ? そ、そうか……。だが疲れているのはコウタの方じゃないのか?」
そう言ってクララ様は俺の頭を抱き寄せる。
本当のことを言うと疲れはほとんどない。
数千人もの患者を治療しているうちに神の指先がまた進化して、ついに自分へのマッサージが可能になったのだ。
これはヤバいわ。
自分で自分に疲労回復のマッサージをかけてみたけど意識が飛びそうになるくらい気持ちが良かった。
だけど今こうしてクララ様に抱き寄せられていると神の指先では得られない充足感が心を満たしていく。
癒されているって実感できるんだよね。
こんな風に頭を撫でられているとこのまま犬になってしまってもいいような気持ちすらしてくる。
「クララ様」
「どうした?」
「幸せです」
少し痛いくらいにギュッとされた。
いよいよ明日はドレイスデンに向けて出発という日になってゲイリーが俺の部屋を訪ねてきた。
遊びに来るのはいつものことなのだが今日は普段と雰囲気が違う。
「どうしたんだよ、なんか悩みか?」
「うん……。実はコウタに頼みがあるんだ」
ゲイリーとは既に仲良くなっているし、俺たちのことをいろいろ気にかけてくれている。
できることなら何でも頼まれるつもりだがどうしたのだろう?
「地球に残してきたママのことを見に行ってもらいたいんだ」
この世界には地球への未練が少ないものでなければ召喚することはできない。
ゲイリーもアメリカでの生活にはほとんど未練がなく、ザクセンスでの生活と自分の能力を楽しんでいる。
それでも残された肉親のことは気になるようだ。
「ママは妹と二人でユタ州のソルトレイクシティに住んでいるんだ。僕は急にいなくなってしまったから心配していると思うんだよね。それに……パパはもういないから決して裕福じゃない」
お母さんは53歳でガス会社の事務員をしているそうだ。
妹は看護師の勉強をしている最中だという。
「コウタさえよかったら様子を見に行ってもらって、僕からだと言ってお金を渡してきてほしいんだ」
「それくらいどうってことないよ。すぐに行ってきてやるさ」
「ありがとうコウタ! これで安心できるよ」
だけど突然俺が行っても変な日本人扱いされないかな?
いろいろ考えて二人一緒にビデオレターを撮影することにした。
スマートフォンを使えばいいもんね。
「ママ、シンディー、久しぶり。ゲイリーだよ。僕は今ものすごく遠い場所にいるんだ――」
ゲイリーは照れたような表情でカメラに向かって喋り続けた。
どうやら異世界転移という真実は伏せておくようだ。
そんなことを言っても気が狂っただけと思われるかもしれないもんね。
「――というわけで友達のコウタに30万ドルを託すよ。ママの生活費とシンディーの学費に使ってくれればいい。あとコウタに僕のコレクションを渡してくれ。あれは必要なものだからね。まさか、捨ててないよね? もし捨てていたら次の仕送りはずっと先にするよ! ははは、冗談さ。もうないのならそれでいい。そのことをコウタに話してくれ」
コレクションとは漫画や雑誌にフィギュアのことだ。
「ママ、体に気をつけてね。お酒は控えめに。シンディーはまだバートンと付き合っているの? うまくいくことを祈っているよ。それじゃあ」
ゲイリーは軽く手をあげて別れの挨拶をしめた。
「こんなもんかな?」
「ああ。これで俺も不審者扱いされないで済むと思うよ」
「ありがとうコウタ。悪いけどこの金をドルに両替してママに渡してくれ。それからこっちはコウタの旅費ね」
おいおい、大金貨じゃないか。300万マルケスあるぞ。
「多すぎだぞ。いくらアメリカでもここまではかからないって」
「ファーストクラスでも使ってよ。せめてもの感謝の気持ちだよ」
人生初ファーストクラスだな。
新婚旅行の時はビジネスクラスだった。
あの時はイタリアにいったんだよなぁ。
久しぶりに絵美のことを思い出したが心の痛みはほとんど伴わなかった。
こうして時間は流れていくということか。
ドレイスデンに到着したらクララ様からアメリカへ行くための休みをもらわなければならないな。
俺が送還されるということは吉岡もあちらの世界へ帰ることになるから、吉岡にも早めに事情を話しておいた方がいいだろう。
俺たちがいない間のアミダ商会のこともある。
地球での長期滞在を念頭にいろいろと考えを巡らせた。