107.相思相愛
雨にもかかわらず行軍スピードはあまり落ちなかった。
昨夜、吉岡と協力して馬たちの疲労をとってやったのが功を奏している。
これまで部隊の足を引っ張ってきた馬たちが率先して頑張っていることも大きな要因だ。
張り切ってくれるのは嬉しいけどペース配分を間違えるなよ。
「お前たちの力が凄いのは知ってるんだよ。だからちゃんと余力を残したスピードで頼むぞ」
「ヒヒーン!(おう!)」
予想通りゲイリーと吉岡はすっかり仲が良くなっていた。
お互いのスマートフォンを見せ合いながら大盛り上がりしていてちょっぴり疎外感を覚えたほどだ。
二人とも久しぶりに共通の趣味の友人を得られて嬉しかったのだろう。
俺はといえばブリッツが不機嫌になっていて、それを宥めるのに大変だった。
他の馬を魔改造というか馬改造したことが気に入らなかったようだ。
「お前は元から最高のスペックを誇る駿馬じゃないか」と褒めてやってもぜんぜん機嫌が直らない。
結局、神の指先で全身マッサージと蹄のケアまでやらされてしまった。
ついつい甘やかしてしまうな。
日本はまだ年末だから、次のお土産は美味しい“ふじりんご”を買ってきてやることにしよう。
雨のせいで視界が悪く、俺の「犬の鼻」にも情報はあまり入ってこない。
予定では4時前には集積地に着く。
出来れば集積地で荷物を降ろしてそのままドレイスデンへ戻りたい気分だ。
前線近くに逗留するのはいやだし、どうせまた新しい荷物を積んで戻ってこなければならないのだ。
復路は積み荷が空になる分、負傷兵を乗せて帰ることになるらしい。
治療してやることもできるが余計なことかもしれないな。
せっかく帰還できる兵隊の邪魔をしてはまずいだろう。
怪我が治ればまた前線に逆戻りだ。
緊急の事態以外はそっとしておくことにしよう。
昼前に500ほどの騎兵が俺たちを追い越していった。
各地から集まってきた歩兵部隊も近くにいるようだ。
みんな集積地に向かうザクセンス軍の一行だった。
いよいよ戦地へ来たという実感が湧いてくる。
午後から神官のウド・ランメルツ助祭が俺の乗る馬車にやってきた。
この従軍神官は交代でいろんな馬車に乗り兵士たちの悩みを聞いたり、ノルド教の教えを説いたり、聖典から面白い話を聞かせたりしているようだ。
馬車はかなり揺れるので聖典を読むことはできないが、助祭が暗唱している部分をわかりやすく話してくれる。
俺も出版事業が控えているので聖典を読んだことはあるが非常に難解だった。
小説のような感じではないので原典は読むのにかなり苦労する。
その点助祭の語る話はドラマチックであったり寓話のようであったりして結構面白い。
傍で聞いている兵士たちも嬉しそうにしていた。
「聖典は難しいけどアンメルツ様のお話は分かりやすくて楽しいです」
「ランメルツです。そう言ってもらえると嬉しいですね。ヒノハル伍長殿は文字が読めるのですか。しかも聖典を持っていらっしゃる?」
「はい。最近は寝る前に必ず読むようにしています」
信仰からではなく商売の為なんだけどね。
でも、読み進めていくとけっこう楽しくなってくる。
「それは素晴らしいことです。しかし、難しい点が多くありませんか?」
その通りなんだよ。
聖典の中には結構な頻度で曖昧な表現が出てくる。
結局、その解釈の違いで宗派ができているんだろうね。
そしてセラフェイム様の依頼は、聖典を出版し多くの人を巻き込んで論争をさせろってものだ。
聖典の解釈をランメルツ助祭に教わりながら馬車を走らせた。
「伍長さん! 何時になったかねえ?」
小休止で背筋を伸ばしていると大きな声で呼ばれた。
見れば酒保を預かるマクダさんだった。
「そろそろ二時半になりますよ」
一般庶民は時計など持っていない。
代わりに携帯用の日時計でだいたいの時刻を知ることができるのだが、今日はあいにくと雨だ。
「予定より遅れているのかい?」
「この雨ですからね。仕方ないですよ」
いくら馬が元気になったと言ってもぬかるんだ道には敵わない。
荷車を引いているのだからなおさらだ。
「それにしても伍長さんはうちのシュネーに何をしたんだい? 今日は見違えるように元気になっちまったよ?」
シュネーは酒保の馬車馬だ。
俺が治療した七頭の内の一頭だ。
「整体ってやつですよ。あの馬は腰を悪くしてたんです。だからそれをマッサージで治したんですけどね」
本当は腰のせいで慢性的に一部の筋肉が炎症を起こしていた。
「へえ、お医者様みたいなことを言うじゃないか。ついでにあたしの肩こりも治るかねぇ?」
マクダさんが痛そうにぶっとい首を叩いている。
大柄な体で胸は巨大なスイカのようだ。あれなら肩がこってしまうだろう。
ついでに言うと腹回りにもみっしりと肉がついている。
全体的に固太りした人だ。
「ちょっとだけなら診てあげますよ」
マクダさんの肩に触れると筋肉でパンパンだった。
しょっちゅう重い荷物を上げ下ろししているからだろう。
「だいぶこっていますね……」
スキルレベル1で揉み解していく。
「はぁー、すごく気持ちがいいねぇ。あと15歳若かったら自分のヒモにしたいくらいだよ」
「そりゃあ光栄なお言葉で」
マクダさんはたくましくて生活力がありそうだもんな。
ヒモの一人くらい余裕で養っていけそうだ。
酒保は危険が伴う分だけ稼ぎもいいのだ。
特に前線の兵隊は他に楽しみも少ないのでついつい色々買っていくそうだ。
一番の売れ筋は当然酒だ。
ザクセンスの軍隊ではあまり酒に厳しくない。
これはザクセンスに限ったことではないようで敵国であるポルタンドでも事情は同じようだ。
へべれけになるほど酔わなければ、多少の酒は許されている。
時間にして5分くらいだがマクダさんの肩を揉みほぐしてあげた。
「おかげで随分と軽くなったよ。こんなにスッキリしてるのはいつ以来だろうね」
「これくらいならお安い御用ですよ」
マクダさんとはもうすぐお別れだ。
補給部隊は集積地で引き返すが、マクダさんとランメルツ助祭は最前線であるローマンブルクまで行くのだ。
二人とも非戦闘員扱いで、敵兵に見つかっても危害を加えられることはない。
だが、流れ矢や魔導砲の弾は非戦闘員にも容赦なく襲い掛かる。
「お礼にアクアビットでも飲むかい?」
アクアビットはザクセンスの焼酎だ。
「嬉しいけどやめときます。敵が来た時に上手く逃げられなくなりますから」
マクダさんはまじまじと俺の顔をみた。
そして笑い出す。
「よく言うよ。アンタは絶対に逃げないタイプだ」
「そんなことないです。実戦経験はほとんどないですしね」
「いんや。アンタがあのご主人様をほったらかして逃げるわけないだろう」
マクダさんがチラリと少し離れた場所にいるクララ様に視線を送る。
「そりゃあまあ……」
「知ってるよ。伍長さんは警備隊ではアンスバッハ様の忠犬っていう渾名が付いていたそうじゃないか」
それ、たまに言われたんだよね。
でも、言われるとちょっと嬉しかったりした……。
「確かにあれは男が命を懸けるに値する女だよ。だけどさぁ、所詮は身分違いの関係だろう? もっと身近な女を作った方がいいんじゃないかい?」
「例えばマクダさんですか?」
冗談めかして聞いてみる。
ぽかんとした顔をした後にマクダさんは大きな声で笑っていた。
「いやだよ伍長さんは。アタシは姪っ子を紹介しようと思っただけなんだけどね。なんだい、あたしを貰ってくれるのかい?」
俺は頭を掻くしかない。
「それは私の従者だ。コウタが欲しいなら私に話を通してもらわないと困るぞ」
しばらく前からマクダさんの後ろに来ていたクララ様が静かに微笑んでいた。
クララ様の声にびっくりしたマクダさんは心臓を掴まれたような顔をしている。
「と、と、とんでもない! あたしは死んだ亭主に操を立ててますからね。今更、他の男と暮らすなんて考えられませんよ」
「そうか。コウタも女が命を懸けるに値する男かもしれんぞ。……要らないのなら無理には勧めないが……」
命なんて懸けてほしくない。
俺はクララ様を「めっ!」という表情で見つめた。
こちらの意図が通じたらしく、クララ様は軽く肩をすくめた。
「ほんの戯言だ。そんなに怒るな」
「……そろそろ出立の時刻ですよ」
「うむ。全体に伝えてくれ」
去ってゆく二人の後ろ姿を見ながらマクダは呟いた。
「なんだい。相思相愛かい」
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