(6)カケルとクロエの想い
秘密の部屋から自室に出たカケルは、さらに先にある執務室へと向かった。
そこでは、クロエを始めとした補佐室の者たちが、細々とした作業を行っていた。
勿論、カケルが部屋に来たからといって、わざわざ手を止めるような者はいない。
ただし、クロエはカケルが戻って来るなり席を立って、すぐ傍に寄ってきた。
クロエはカケルの傍にいるのが仕事であって、書類仕事は後回しになっても良いような体制を取っているのだ。
はっきりいえば、クロエが処理している書類仕事は、他の者たちでも作業できるようなものばかりである。
というよりも、補佐室のトップであるクロエは、ほとんどを口頭で指示するだけで、書類は他の者に作らせている。
それで不正が起きないのが不思議な所だが、チェックは複数で行っているので、不正は起きようがないというのが正しいかも知れない。
それはともかく、傍に近寄ってきたクロエは、カケルを見ながら聞いて来た。
「どちらかへ向かわれますか?」
「ああ、いや。そういうわけじゃない。カリーネとのことをきっちりと決めておこうかと思ってね」
カケルがそう答えると、執務室にいるメンバーが、一瞬動きを止めていた。
勿論クロエはそのことに気付いていたが、敢えてみなかったふりをしてからニコリと微笑んだ。
「そうですか。それはここで?」
「いや、こっちの部屋に来てくれるか?」
カケルがそう言いながら指したのは、自室だった。
カケルの自室は、完全にプライベートな部屋であるため、補佐室の面々でも入ることはほとんどない。
カケルがクロエを自室に招いたのは、当然のように理由がある。
それは、クロエとのことだけではなく、ナウスリーゼのことがあったためだ。
その話をするために、わざわざ自室へとクロエを招いたのだ。
「正直に言えば、あることが無ければ、カリーネの話は断るつもりだった」
そのカケルの言葉を聞いたクロエは、すぐに頭の中でその意味を考えた。
クロエの中では、カリーネとのことは、ある程度『天翔』にも利があると考えていたので、あの場では断らなかった。
だが、カケルが断ると言えば、なんの迷いもなくそれを受け入れただろう。
そのため、カケルが第一声でこの回りくどい言い方をしたのが、不思議だったのだ。
カケルが言う「あること」とは一体なんだろうと思考を巡らせるクロエに、その当人はあっさりとその事実を告白した。
「実は、先日の神国訪問で、ナウスリーゼ神からチャンネルの設置を提案された」
そのカケルの告白に、流石のクロエも驚きの顔になっていた。
カケルが神国の奥の部屋でナウスリーゼと会っていることは知っていたが、まさか『天翔』にも同じようなものが出来るとは想像もしていなかったのだ。
「チャンネルというと、やはり神国と同じものが……?」
「いや、どうだろう? まだ使ったことが無いから分からないが……とにかく、会話は出来るみたいだ」
ナウスリーゼから送られた手紙を思い出しながらカケルはそう答える。
クロエは、カケルがウルス号の中に、秘密の部屋を持っていることを知っている。
それらの部屋のひとつに、神国にあるようなあの場所を作ったのだとすぐにわかった。
そして同時に、先ほどの「断るつもりだった」という言葉の意味も理解できた。
「目くらまし……ですか?」
カケルは、別にナウスリーゼと直接話せる場所があることを表に出すつもりはない。
ナウスリーゼもそんなことをわざわざ広めるつもりはないだろう。
だが、万が一のことを考えて、ナウスリーゼとの繋がりを持っているという言い訳をするための駒を持っていたほうが良いのは確かだった。
カリーネのことを駒扱いにすることになるのは、カケルとしても眉を顰めなければならない事実ではあるが、当人は喜んでその役目を引き受けるだろう。
というよりも、いま現在も、そういう役目を担っている部分がある。
カケルが神国のあの部屋に入れるのは、カリーネがいるからだと思われているのだ。
カリーネを迎えれば、実際にはカケルがナウスリーゼから聞いた話を、彼女を通して聞いたということもできる。
カケルは、クロエに言葉に頷きながら続けた。
「そういうことだ。……なんだが、正直本当に良いのかという思いもある」
『天翔』の総統であるカケルが、悩みを部下の前で見せてもいいのかという葛藤もあったが、素直にそう告白していた。
そうすることで、カケルにとっては、誠意を見せているという勝手な考えを持っていたりもする。
そんなカケルの想いをきちんと理解したクロエは、ふわりとした笑みを浮かべながら言った。
「――すべてはカケル様の御心のままに」
それは、ゲームでクロエを迎えた時に最初に言った台詞そのままであった。
まさかクロエからその言葉を聞くと思っていなかったカケルは、思わず目をパチクリさせた。
そのカケルの様子を見て、もう一度クロエはクスリと笑った。
「覚えていないと思っていましたか? 私にとっては、とても大切な記憶です。忘れるはずがありません。――勿論、あの時に仰ってくださったカケル様の言葉も」
「……ああ」
クロエの言葉に頷いたカケルは、記憶の片隅に残っていたその言葉をもう一度言った。
「この後多くの仲間を迎えることになるだろう。だが、私が君を見捨てることはない。故に君も私を見捨てないでくれると嬉しい」
カケルがそう言うと、クロエは驚いたように両目を見開いた。
まさかカケルが、その言葉を覚えているとは考えてもいなかったという顔だ。
クロエのそんな顔を見るのは非常に珍しいことだったため、カケルはクスクスと笑い出した。
「なんだ。そこまで私は薄情だと思われていたのか? 一言一句正しいとは思っていないが、そんな感じのことを言ったことはちゃんと覚えているぞ?」
その言葉があって、クロエが事実その通りに行動してくれたからこそ、多くの仲間を集めて『天翔』というナウスゼマリーゼだけを集めた特殊な集団を作ることが出来たのだ。
あの時はゲームの中に出てくる補助役のひとりでしかなかったが、それでも最初の出会いは記憶の片隅に残っている。
まただからこそ、長い間ずっと腹心として使い続けてきたということもある。
カケルから思わぬことを言われたクロエは、心底から嬉しそうな顔になって笑った。
「そういうカケル様だからこそ、皆も後についてくるのだと思います」
「そうか。だが、それに甘えてばかりいても仕方ないな」
――いいえ。カケル様はもう少し私たちに甘えてもいいと思います。
そのクロエの想いは言葉になることはなく、ただ笑みを浮かべるだけにとどまるのであった。