(1)パスワード
ペルニアの屋敷にある掲示板で依頼を受けるようになって数カ月が経っていた。
今のところ失敗はなく、全て完遂していることから、手間がかかっていても各所からは高評価をもらっているようだった。
もっとも、カケルには屋敷での依頼システムが失敗したところで、大きな痛手にはならない。
それよりも、普段掲示板を管理している女性たちが、臨時収入が入ると喜んでいる姿を見て喜んでいたりするくらいだ。
不思議なことに、それに関して、クロエやミーケからお小言をもらったりをすることはない。
ギルドの受付嬢と同じような存在だと考えているのと、カケルが色恋沙汰方面での意識をまったくしていないことを、きっちりと把握しているからなのだろう。
そんなある日、掲示板を見ていたカケルは、不思議な依頼を見つけて首を傾げた。
「なんだ、これは?」
思わず手に取ったその依頼には、当然ながら依頼人と依頼内容が書かれている。
依頼人がナウスリーゼ神国の教主であるカリーネなのは、まだいい。
この掲示板には、しれっと各国の王名での依頼がされていたりするからだ。
それよりも問題なのは、依頼内容だった。
『直接の連絡をお願いいたします』
簡素にそう書かれた依頼は、直接話したいということだということはわかる。
それだけならまだ納得できる。
だが、問題は続けて書かれていた数字とアルファベットの組み合わせだった。
数字はともかく、アルファベットはこの世界には存在していない。
それに加えて、見覚えのあるその組み合わせに、その依頼が何を意味しているのか、カケルにはすぐに理解できた。
その依頼を見ながら固まっているカケルを見て、クロエが不思議そうな顔で見て来た。
「カケル様? どうされましたか?」
「ああ、いや。この依頼がね……」
さすがにこの場で言えるようなことではない。
そう考えてのカケルの言葉だったが、クロエとミーケは別の意味で受け取ったようだった。
「ああ。あの方もなかなか頑張りますね」
「しつこい女は嫌われるにゃ」
完全にただの連絡手段を欲していると勘違いしている二人に、カケルは首を左右に振った。
「ああ、いや。これはそういうことじゃないんだよね……」
そう答えたカケルに、クロエとミーケは首を傾げた。
不思議そうな顔をしているクロエとミーケを置き去りにして、カケルはその依頼を受付へと持って行った。
そこでも不思議そうな顔を向けられたカケルだったが、無言のまま手続きを進めるように手で促した。
受付嬢は、慌てて処理を進めていたが、カケルがこの場で言えることは何もない。
処理を終えた受付票をもらったカケルは、クロエとミーケを引き連れて、防諜が完備されている部屋へと向かった。
ペルニアの屋敷には、『天翔』が用意した盗聴その他が無いとお墨付きの部屋がある。
その部屋に入ったカケルは、先ほど受け取った依頼票をひらひらさせながらクロエとミーケに言った。
「どうやら、あのお方がお呼びのようだ」
カケルがそう言うと、クロエとミーケがはっきりと顔色を変えた。
正確に言えば、今までの若干呆れが混ざったような表情から、きりっと真面目なものに変わった。
カケルは既に、クロエとミーケには神国の中央で何があったのかを話してある。
まさか世界を作ったと言われているナウスリーゼ神に直接謁見したとはと驚いていたが、カケルを疑うようなことはしていなかった。
そもそも、クロエやミーケもこの世界に来たばかりの頃に、直接ナウスリーゼの声を聞いたことがあるので、神の実在を疑問に思うことはない。
それに加えて、カケルがそんなことで嘘を吐くはずがないという考えもある。
むやみやたらにカケルのいう事を絶対だと考えているわけではないが、少なくとも神国での件に関しては、嘘ではないとその場で判断したのである。
そういうわけで、クロエとミーケは、今回の依頼に関しても本来誰からの依頼であるかというのかが、すぐに理解できていた。
ただし、頭からその依頼が本物であると信じたわけではない。
「なぜそれが、あの方からの依頼だと思われたのです?」
そう聞いたクロエは、もう一度依頼票を見た。
クロエは、依頼内容に書かれている数字とアルファベットの組み合わせが何を意味しているかまでは、分からないのだ。
その当然の疑問に、カケルは頷きながら答えた。
「これはね。あっちの世界に入るために使っていたパスワードなんだ」
カケルのその説明に、クロエとミーケは納得の表情を浮かべた。
二人は、この世界に来る前の世界が、カケルにとってはゲームで造られたものだということをきちんと知っている。
それを知っても二人にとっては、ふーんという感想しか浮かんでいなかった。
たとえそれがゲームの世界であっても、自分たちにとっては、紛れもなく現実の世界だったのだ。
それが「神(運営)」によって作られた世界だと言われても、「それが?」という感想しか持てないのは、ある意味で当然なのかもしれない。
それはともかく、カケルが依頼を受けた理由が分かったクロエとミーケは、それぞれ頷きながら言った。
「なるほど。そういうことでしたか」
「それなら納得にゃ」
ゲームのパスワードなど、この世界の者どころか、『天翔』にいる者たちも知らないだろう。
長い間続いたゲームだけに、パスワード自体は何度か変えている。
それでも、思い入れの深いゲームであっただけに、パスワードを忘れるようなことはなかった。
もしかしたらまた復活してくれるかもしれないと、カケルが僅かな希望を抱いていたということもある。
そんなわけで、依頼の事を信用した理由に納得できたクロエとミーケに、カケルが続けた。
「さすがに、あの方からの依頼となると、無視するわけにはいかないからな。……話の内容が怖い気もするが」
最近カケルがやっている「この世界のレベルを上げること」というのが、ナウスリーゼ的に何か引っかかることでもあったのかもしれない。
そう考えると、突然の呼び出しも理解できる。
ただカケルとしては、これまでのナウスリーゼの態度を見ている限りでは、そんなことで呼び出しをして来るとも考えていないのも確かだった。
結局、ナウスリーゼに直接会ってみないことには、なんの話があるのかは分からないのだ。
カケルの言葉に深く頷いたクロエは、真面目な顔のまま言った。
「この場合、私たちはご一緒しなくてもよろしいのでしょうか?」
「そうにゃ! 依頼はカケル様に向けてにゃ!」
あからさまに逃げ腰になっているクロエとミーケに、カケルはニコリと微笑んだ。
「それは駄目。少なくとも、前と同じように、神国の中央までは一緒に行ってもらうから」
今回の依頼で、あの不思議な場所に二人が入れるかどうかはカケルには分からない。
それでもギリギリまでは着いて来てもらうと宣言したカケルに、クロエとミーケはガクリと肩を落とすのであった。