(3)懐かしの帰艦(その2)
ベルダンディ号の艦橋には、十数人がいた。
最大乗員数を乗せるときにはもっと多くの人員がいることもあるが、いまは最小限で動かしているのでそれだけでも十分なのだ。
5000メートル級のタラサナウスを動かすのには極小といってもいい人数だが、ベルダンディ号が少ない人数で運用できるのにはきちんとした理由がある。
ベルダンディ号の運用を司っている疑似精霊はベルダンディだが、それ以外にも三つの疑似精霊が備わっているのだ。
そのため、巨大な艦船を動かしているにもかかわらず、より効率的な運用ができるのである。
ちなみに、複数の疑似精霊をひとつの船で効率的に利用するためには、技術の発展が必要になる。
ゲームのときには第三世代の技術を必要としていたが、この世界では拙いながらも巨大な船を運用する際には、複数の疑似精霊を使っている。
『天翔』の持つ技術レベルからすれば、画像のやり取りもできないただの文字だけのやり取りをしているインターネットのような技術だが、それでも今後はその分野も発展していくことは見えている。
もし複数の疑似精霊を使って円滑に運用できるようになれば、効率的に運用できる巨大艦船がどんどん増えて行くだろう。
勿論、巨大艦船を運用するために必ずしも複数の疑似精霊が必要というわけではないので、どちらを選ぶかはその船の持ち主次第である。
ベルダンディ号が複数の疑似精霊を使っているのは、単に運用が少人数で済むからというだけではなく、いざというときには四つの船に分けて運用できるからだ。
もとはバラバラで運用していた船をひとつにまとめて運用しているのが、いまのベルダンディ号なのである。
ベルダンディと乗組員と短く挨拶を交わしたカケルは、早速『天翔』の本拠地へ向かうように指示を出した。
そして、カケル自身は船長席へと腰かけた。
「んー。やっぱりここは落ち着くな」
しみじみと呟かれたカケルのその言葉に、隣に座っていたクロエが笑みをこぼした。
「そこはカケル様の座るべき場所ですから」
言葉にしてそう返してきたのはクロエだけだったが、他の面々も同じようなことを考えていることは表情を見ればわかる。
特に、クロエとは反対側に座っているカイザルは、忙しそうに指示を出しながら何度も大きく頷いていた。
以前とは違って感情豊かな乗組員たちにちょっとした違和感を覚えつつも、それが非常に嬉しく感じられるカケルであった。
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カケルとクロエを乗せたベルダンディ号は、一路『天翔』の本部がある場所を目指していた。
テミス号よりもはるかに大きいベルダンディ号だが、ゲームで培った『天翔』の技術力は、いまカケルたちがいる世界のものと比べて遥かに上になる。
そのため、その大きさにも関わらず、テミス号よりも早く進んだベルダンディ号は、合流したときと同じ日数をかけて五つのルートを超えた先のカオスタラサに出現していた。
女神に請われてこの世界に出現した『天翔』だが、それは組織だけではなく、ゲーム内で開発していたカオスタラサもそっくりそのまま再現されている。
そのため、カケルにとっても今いる場所は、庭といっていいところなのだ。
目的地に向けて最後のルートを抜けたベルダンティ号は、寄り道をせずにまっすぐに進んでいた。
すでに今いるところは、隙間なく探索/調査を終えているので、細かく調べる必要はない。
さらにいえば、いまベルダンディ号を操縦しているのは艦橋にいる乗組員で、カケルは指示を出すだけで直接操縦することはほとんどない。
勿論、動かしたら駄目ということではないが、よほどのことが無い限りは艦橋の乗組員任せになる。
ベルダンディ号におけるカケルの役目は、あくまでも行動の方針を決めることなのである。
本部にある程度近づいたところで、唐突にカケルがベルダンティに直接指示を出した。
「ベルダンティ。すまないが、正面を可視窓に変えてくれないか」
「かしこまりました」
カケルの言葉にベルダンティはすぐに頷いたが、周囲にいた者たち訝し気な表情になった。
可視窓とは、その名の通り艦橋から周囲の様子を直接目で見ることができるようになる窓のことだ。
普段の艦橋は、可視窓ではなくヘルカオスなどの攻撃に備えて、より頑丈な装甲でおおわれている。
だが、場合によっては、直接目で確認できるようにすることも可能なのだ。
とはいえ、船が大きくなればなるほど、直接目で周囲を確認する意味はなくなる。
周囲の状況を確認するのも、基本的には装置で確認したほうが早いのだ。
周囲からの視線に気付いたカケルは、少しだけ笑みを見せてから彼らの反応に応えた。
「随分と久しぶりだから自分の目で本部を見ようと思ってね」
そのカケルの言葉に、訝し気な気配のほとんどが無くなった。
カケルの目的を知って、艦橋の雰囲気が今度は楽し気な好ましいものに変わった。
ベルダンディ号が進むにつれて、いよいよ『天翔』の本部の姿が見えて来た。
「……ああ」
万感の思いを込めたカケルの呟きは非常に小さなものだったので、隣にいたクロエとカイザルにだけ届いた。
ふたりはちらりとカケルに視線を向けただけで、なにも言わずに視線を座席のモニターに移した。
いまのカケルの目には、ふたりの姿はなく、迫りくる本部だけが映っていた。
大小さまざまなタラサナウスが行き交い、それが途切れることなくスムーズに出入りができる超巨大移動要塞。
それが『天翔』の移動式本部である。
久しぶりに目にするその姿をカケルは様々な思いを込めてみていた。
カケルにとって『天翔』の本部は、組織の者たちが生活するだけの場ではない。
ゲームを始めたときからクロエとともに、一緒に成長してきた存在でもある。
「ウルス、調子はどうだい?」
『勿論順調よ。マスター』
カケルが呼びかけると、すぐに相手から返事が返ってきた。
『天翔』の本部である移動要塞の中央を管制している疑似精霊のウルスからだった。
ウルス号には、四十万人ほどのナウスゼマリーデが生活している。
まさしく『天翔』の中心であり、すべての始まりの場所なのだ。
ウルスは、カケルがゲーム内で初めて手にした疑似精霊であり、クロエとともに最初期の頃から一緒に成長してきた存在でもある。
多くの船の飲み込んでいるその姿は過去の面影など全くないのだが、小型船から始めたときのことははっきりと覚えている。
だからこそカケルにとっては、『帰ってきた』という思いが強く感じることができるのだ。
艦長席からウルス号を見ているカケルに、クロエが話しかけて来た。
「以前とはあまり変わっていないと思いますが、いかがですか?」
カケルがこの世界に来るまでに十年という月日が経っている。
その間、その姿があまり大きく変化していないのは、『天翔』自体が変わっていないということもあるが、カケルが来るまで姿を変えないようにという意見が取り入れられたためだ。
女神との約束で新しく取り入れられたナウスゼマリーゼもいるのだが、彼らは本部ではなく別の場所でそれぞれ生活をしている。
「そうだね。まあ、ウルス号自体が大きすぎて、ちょっとした変化では変わらないように見えるというのもあるだろうけれどね」
「それは、確かに」
カケルのおどけたような表情での台詞に、クロエも笑みを浮かべて答える。
当初の予定では、カケルはウルス号をここまで大きくするつもりはなかったのだ。
それが今ではこうなっているのは、『天翔』という組織がカケルの想定を超えて大きくなったためなのだ。
そうした経緯を最初からきちんと知っている者は、『天翔』では限られた人数しかいない。
そのため、ベルダンディ号の艦橋にいたメンバーのほとんどは、カケルとクロエが笑いあっていることに、首を傾げるのであった。
次回更新は、9月17日