(2)懐かしの帰艦(その1)
カケルがベルダンディ号に向けて通信を行うと、すぐに答えが返ってきた。
『お帰りなさいませ。マスター』
「さっそくだけれど、テミス号を受け入れてもらえるかな?」
『勿論です。三番口を開けます』
「わかった。そっちに向かうよ」
ベルダンディ号は、多くの小型船を乗せられるようになっているため、いくつかの出入り口がある。
どこから入るのかはその時の船の状況によって変わってくるので、指示がないとわからないのだ。
ただし、一番口だけは通常使われることはない。
なぜなら、カケルの専用船であるスクルド号が占有して使うための出入り口に指定されているからである。
クロエが操縦するテミス号が三番口に近付くと、大きめの小型船が余裕で通れるくらいの乗降口がゆっくりと開いた。
クロエは、なんのためらいもなくその乗降口へテミス号を近づけて、そのままスッと流れるように中へ船を入れた。
そもそも牽引綱もなしに小型船が大型船の中に入るのは、簡単なことではない。
両者の位置関係をしっかりと把握したうえで、スピードとタイミングを合わせて乗降口の中に入らなければならないのだ。
牽引網の場合は、手動で入るよりも安全なのだが、機械的に作業を行っているために、どうしても手間がかかる。
急いで大型船の中に入るためには、クロエが行ったように手動が一番なのだが、牽引綱を使うよりも早く入るためにはかなりの技量が必要になるのだ。
もしこの様子を別のところから見ている者がいれば、感嘆の声を上げただろう。
テミス号が入ったときの速度から牽引綱を使っていないことは明らかで、さらには牽引綱を使っているときよりも滑らかに動いていた。
見る人が見れば、これぞお手本というべき動きだったのである。
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超一流というべき船の制御を見せたクロエだったが、特にそれを誇るでもなくカケルを見た。
「準備が整うまでお待ちください」
「……そんなに大げさにする必要はないんだけれどな」
僅かに躊躇って答えたカケルに、クロエは微笑してから首を振った。
「差し出口ですが、カケル様のそのお考えは好ましいものですが、万人に受け入れられるものではありません」
言外に、総統を名乗る以上、それにふさわしい態度が求められると言われれば、カケルとしてもそれ以上の反論はできなかった。
カケルとしては、なんとなくの言葉だったので、もともと敢えて強く主張するつもりもなかった。
カケルとクロエがテミス号の中で会話を交わしていると、ベルダンディ号からの通信が来た。
『――――お待たせしました。準備が整いました。お出でください』
「ああ、わかったよ」
カケルはそう返事を返すと、クロエに目配せをして席を立った。
既に乗降口は開けてあるので、あとはテミス号から降りるだけだ。
カケルが立ち上がって歩き始めると、クロエはそれに従って後ろについて歩き始めた。
カケルがクロエを伴って搭乗口に現れると、小型船停泊所に集まっていた五人の人物が頭を下げた。
「カケル総統のご帰還をお喜び申し上げます」
この船の副船長兼艦長代理であるカイザルが代表してそう声をかけて来た。
それを受けて、カケルも返事をした。
「ああ。ただいま戻った。詳しい話はあとで聞くとして、とりあえず変わりはなかったか?」
クロエと話をしている時と違って、カケルも口調を多少変えている。
個人的な対応をするときと、『天翔』の総統として話すとき、そしてこのベルダンディ号に乗っているときと、それぞれの立場によって使い分けているのだ。
もっとも、それが上手くいっているのかは、カケルにはよくわかっていないのだが。
まずは乗組員たちを気に掛けるカケルに、カイザルは唇の端をわずかに持ち上げて小さく笑みを浮かべた。
「ええ。問題ありません。皆、今か今かとカケル様のお帰りをお待ちしておりました」
「ハハ。ありがとう。まあ、せっかくだからやっておきたいこともあったからな。まあ、それもあとでゆっくり話そう」
「かしこまりました。では、とりあえず、艦橋ですか?」
「ああ、そうだな。まずは艦橋で指示をだそうか」
いま現在ベルダンディ号は、カケルを迎えるために運航がストップしている。
まずは、『天翔』の本拠地へ戻るために、指示を出さなくてはならない。
カケルの言葉を受けて動き出そうとした一同だったが、その当の本人がふと思い出したように、出迎えに来ていた五人のうちの一人に目を向けた。
「ああ、そうだ。グレゴリー」
「はっ!」
カケルの呼びかけに、筋骨隆々の少し小柄な壮年に見える男が答えた。
「テミス号の整備を頼む。念入りに頼むぞ」
含みを持たせて言ったカケルの言葉に、整備長のグレゴリーはにやりと笑みを浮かべて頷く。
「了解した」
テミス号は、もともとペルニアのギルドが管理していた船だ。
カケルの知らないところで、なにか仕掛けられている可能性もないわけではない。
特に、疑似精霊であるテミスそのものにそういったものがあれば、専門の道具で調べなければわからないのだ。
今回カケルがこのタイミングで『天翔』に戻ることにしたのも、そういった事情がある。
カケルから指示を受けたグレゴリーは、早速とばかりにカケルたちとは別の場所に歩き出した。
グレゴリーの部下である整備士たちがいる部屋は、艦橋とは別の場所にあるのだ。
テミス号のことはグレゴリーに任せて、カケルは艦橋に行く間に、今度はベルダンディへ直接指示を出した。
「ベルダンディ。私が艦橋に行くまでに、周辺の敵勢存在の探索とウルス号帰還へのルート検索を頼む」
『かしこまりました』
当然ながら船内の移動は徒歩になる。
三番口から環境まではそれなりの距離があるので、ベルダンディはその間に指示したことを終えているだろう。
そう考えたカケルは、自身の後ろを歩くカイザルへと視線を向けた。
「スクルド号の調子はどうなっている?」
「いつでも出港準備はできております」
スクルド号は、テミス号と同じく小型の探索船だ。
ゲームの時には、ベルダンディ号を母船にして遠くまで出向き、スクルド号で周辺探索を行うということを繰り返していた。
ウルス、ベルダンディ、スクルドは、ゲーム自体にカケルが手ずから育てた疑似精霊であり、『天翔』の中でカケルがもっとも利用している船の名でもある。
「そうか。……そのうちスクルド号で探索に行きたいが、残念ながら今回は乗れないだろうな」
これからのことを考えたカケルだったが、残念そうに首を左右に振った。
スクルド号で探索をするとなると、かなりの長期間ペルニアに姿を現さないことになる。
そうなると、色々と疑われる要素になるため、下手なことはできない。
ただし、このあとにペルニアに戻ってからの展開によっては、スクルド号で探索できるようになる。
全てはペルニア側の動き次第なのだ。
道すがらカイザルからベルダンディ号の調子を聞きながら、カケルは艦橋へと着いた。
カケルが艦橋の中に入ると、そこには数人の部下たちが立ってカケルを出迎えていた。
「「「カケル様、お帰りなさいませ」」」
「ああ、ただいま。ベルダンディもただいま」
頷きながら部下たちに呼びかけてからベルダンディに話しかけると、艦橋の中央にある投影盤から女性が姿を現した。
「お帰りなさいませ。カケル様」
完ぺきな配置の優し気な顔立ちで、優美な口は小ぶりで鮮やかな赤が浮かんでいる。
古代ローマを思わせるような服を着たその女性こそ、この船の疑似精霊であるベルダンディであった。
次回更新は一週挟んで9月10日になります。
申し訳ありません。(´・ω・`)