(4)ぎりぎりの攻防
無事に追っ手を撒いて探索エリアに着いたテミス号は、いつものように資源調査を始めた。
街の喧騒から離れて単調な作業を繰り返すだけだが、今のカケルにとっては落ち着ける時間でもある。
勿論、ヘルカオスが出たり資源を見逃したりしないようにモニターを見ていたりと、それなりに忙しかったりはする。
それでもカケルにとってはその単調な作業が好きなため、精神的には気楽に過ごせるのだ。
そんなわけで、調査を開始した翌日には、カケルはいつもの調子を取り戻していた。
そして、調査をひと段落させてクロエが昼食の準備をしている最中に、カケルは周辺にヘルカオスが出ていないかを確認しつつ、とある資料を見ていた。
何の資料かといえば、タラサナウスが載っているカタログのような物だ。
タラサナウスレースで賞金を手にしたカケルは、機能の拡張も含めて、次のタラサナウスを手に入れるべく、検討を行っていたのだ。
ただし、資料を眺めているカケルの表情は、あまり喜ばしいといえるものではなかった。
準備を終えて戻って来たクロエは、カケルの顔を見てある程度状況を察した。
「……あまりよさそうな機体はありませんでしたか」
「ああ、クロエ。お疲れ様。……まあ、そうだな。はっきり言えば、今すぐに交換する意味はないな」
カタログを見る限りでは、今のテミス号と比較した場合、小型機はほとんど性能が変わらないために交換する意味がなく、中型機以上になると賞金が入った程度では手が出る値段ではない。
あと二、三回ほど希少資源を取れば買うことはできるが、借金などの無理をする必要性も感じられないのだ。
カケルから説明を聞いたクロエは、考え込むように頷いた。
「そうですか。バリエーションが少ないのでしょうか?」
どこと比べてなのかは言うまでもない。
「どうだろうな。既製品を買うよりも、オーダーするのが普通なのかもしれないからな」
「確かにそのほうが好きな機体に乗れるかもしれませんが……それだと、いつまでたっても新しい機体を手に入れられないのでは?」
当たり前だが、既製品を買うよりも自分好みのオーダーで発注すれば、その分機体の値段は高くなる。
それを考えれば、冒険者になったばかりの者が乗ることが多い小型機は、安価な既製品の機体に流れるはずだ。
それにもかかわらず機体の幅が少ないのは、初心者が乗る機体はこれ、というような固定観念があるのかもしれない。
カケルがYTSを選んだとき、ギルドの受付嬢に驚かれたことを考えれば、そういう考えがあると思ってもおかしくはない。
「……というわけで、小型機に関してはバリエーションが少ないのかもしれないな」
「そうかもしれませんね。……それはともかく、お昼にしませんか?」
「そうだね。そうしようか」
とにかく、今のカケルたちにとっては、新しい機体を手に入れるよりも中型機以上が買えるまで資金をためたほうがいい。
そう結論づけたカケルは、クロエの申し出に悩むことなくすんなりと頷いた。
今すぐに新しい機体を手に入れるのはきっぱりと諦めたカケルだが、完全に諦めたわけではない。
資金が足りないのであれば、その分を稼げばいいだけだ。
そんなわけで、張り切って資源調査をしていたテミス号だったが、ある日機体を操作していたクロエが緊張した声で注意を促してきた。
「……カケル様。いるようです」
何がいるのかは言うまでもない。
いかに広大なカオスタラサといえど、いると表現されるような存在は、ひとつしかない。
クロエの注意を受けてモニターを注視したカケルは、そこにヘルカオスがいることを確認した。
今回見つけたヘルカオスは、今までのものと違って、それらのヘルカオスよりも格上だ。
いまのテミス号では下手な操作をすると見つかってしまう可能性のほうが高い。
そのことがわかっているクロエが、静かにカケルを見てきた。
今までのように静かに近付いて行って一撃必殺を狙うか、それともヘルカオスがいる場所を避けたうえで、大回りをして探索を続けるか、決断を下すのはカケルの仕事になる。
クロエに見られたカケルは、数秒ほど目を閉じて考えたあとに宣言した。
「……倒そう」
この先のことを考えれば、常に格下の相手が出てくるとは限らない。
カオスタラサの深部に行けば行くほど、強力なヘルカオスが出てくる。
それらすべてのヘルカオスから逃げ切ることなど不可能なのだ。
それであれば、一体しか出てきていない今のうちにぎりぎりの戦いに慣れておく必要がある。
そう考えたうえでの決断だった。
相手が今までと違ったレベルの相手であっても基本的にやることは変わらない。
ただし、当然ながら船の操縦に関しては、細心の注意を払うことになる。
今まで以上に繊細に操作を行い、より注意深く、より静かに相手に近付いて行く。
モニター越しにヘルカオスの動きを確認していたカケルは、手のひらにじっとりと汗が出てくるのを自覚した。
既に何度もヘルカオスと対峙してきたが、こんな状態になるのは初めてのことだ。
ここにきてようやく、同等以上の相手と対峙することによって、ヘルカオスが一瞬で自分たちの命を刈り取ることができるのだと本能の部分で認識しているようだった。
カケルの変化に気付いたのか、クロエが心配そうに視線を向けてきた。
彼女の視線を受けたカケルは、安心させるように首を振った。
これは虚勢でもなんでもなく、クロエの顔を見た瞬間に、それまで高まっていたカケルの中にあった緊張が丁度いいころ合いにまで静まっていた。
ゲーム内とはいえ、これまで何度も同じような経験をしてきたのだと、クロエの顔を見ることで認識することができたのだ。
クロエもカケルの最後の変化に気付いたのか、ホッとしたようにまたモニターに視線を向けた。
お互いに声を出すことができていないが、そこには確かに長いときをかけて作ってきた信頼というものがあった。
カケルとクロエの絆が再確認できたのはいいとして、船は確実に慎重にヘルカオスに近付いて行っていた。
一瞬のミスでもあれば、そこでおじゃんになる。
モニターに映るヘルカオスの変化をほんのわずかも見逃さないように、カケルは注意深く画面を見ていた。
船の操縦を請け負っているクロエもさすがに緊張しているようで、その顔は真剣そのものだった。
そして、あとほんの僅かで一撃必殺の攻撃圏内に近付けるところまで近づいたときに、それは起こった。
アンコウ型をしているヘルカオスの触手がわずかに動いたことにカケルが気付いた。
「っ! 速攻っ!」
気づかれたと思った瞬間、カケルはそれまでの作戦を一瞬で切り替えて、クロエに指示を出す。
静かに進むことを重視していたそれまでの作戦を切り替えて、より早く相手に近付くことにしたのだ。
クロエはカケルからの指示に従って、素早く操縦を切り替えて最短距離でヘルカオスめがけて船のスピードを上げる。
ただし、スピードを上げるといっても、テミス号とヘルカオスの距離は既に十分すぎるほどに近付いているので、最高速度になるほど出るわけではない。
このときには完全にヘルカオスもテミス号に気付いていて、攻撃をするための触手を伸ばそうとしていた。
ただし、それまで気付かれないように距離を稼げていたお陰で、テミス号の攻撃態勢は十分に整っている。
あとは、ヘルカオスが攻撃をしてくるぎりぎりを見極めて、より近づいたところで攻撃をするのである。
そのほうがより致命傷に近いダメージを相手に与えることができる。
攻撃を食らわないような距離から攻撃しても、テミス号の持つ攻撃力ではほとんどダメージを与えることはできないのだ。
「っ! いけっ!!」
攻撃をした瞬間、思わず声を上げてしまったカケルだったが、これだけで相手が倒れてくれるなんてことは欠片も考えていない。
現にヘルカオスから触手の攻撃が、テミス号に向かって繰り出されてきた。
ただ、その攻撃は本来の力強さも鋭さもなく、船の操縦を担当しているクロエは、多少の余裕を持って躱すことができた。
そして、ヘルカオスが出す攻撃の合間を縫ってカケルがさらに攻撃を重ねて行き、最初から数えて五度の攻撃でヘルカオスを倒すことができたのであった。