プロローグ(前編)
本日一話目(※二話目は14時投稿)
佐伯翔は現在、病床に臥していた。
毎年受けている会社の健康診断で、体の中を蝕むガンが見つかった。
発覚したときには手遅れ、受診した医者には既に手の施しようがないと言われてしまった。
翔にとって医者からの言葉は、覚悟を決めるためのものであり、納得するためのものでもあった。
最初のうちは「なぜ自分が」とか「納得できない」という感情もあった。
だが、時間が経つにつれて、そうした感情は小さくなっていった。
既に両親は亡くなっており、唯一の家族といえる妹もとうに結婚して二児の母である。
翔の年齢は、今年でちょうど五十歳。
会社の同僚や後輩たちは、まだ若いのにと言ってくれているが、翔としては中々いい人生だったと思えるようになっていた。
そして今、翔はその最後のときを迎えようとしていた。
心配そうな顔でこちらを見つめてくる妹の視線を感じながら、翔はこれまでのことを思い出していた。
といっても、翔には子供どころか嫁もいないので、家庭のことではない。
翔にとっての唯一の心残りといえるのは、ある時期にはまっていたゲームのことだった。
完全ダイブ型のVRMMOが世に出て来たころとほぼ同時期に、そのゲームも発売された。
ゲームタイトルは『ヘキサキャスタ』。
宇宙の中に浮かぶ星々のように、混沌の海の中にある世界や資源をプレイヤーが作った船で探していくというゲームだった。
その独特な世界観と高いやり込み度から発売当初はかなりの人気があった。
ゲームが発売されたのは、翔が丁度二十歳のときで、そこから実に二十年も続いたロングセラーのゲームだ。
ただし、いかに最初は人気作だったとはいえ、最後の五年ほどは新しい大型アップデートもなく、新規の参入者も全くといって良い程いなかった。
それでもその状態で五年もの間終わらずに済んでいたのは、一部の熱狂的なファンがいたためである。
かくいう翔もそのうちのひとりだったわけだ。
どんな時代でも新しく人気が出るものもあれば、古く廃れていくものもある。
採算の取れなくなったゲームは、当然のようにサービス終了となる。
翔は、そのことについてどうこういうつもりはない。
ただ、唯一の心残りとなっているのが、当時噂されていた大型アップデートのことだった。
正式に提供元から発表があったわけではなく、どうせ噂と鼻で笑うような風潮もあったが、それでも翔としてはいつか来るだろうと廃れたあとも待ち続けていた。
結局、大型アップデートは来ることなくサービス終了となったのだが。
できることなら、噂となっていた大型アップデートを遊びたかった。
それが、翔の唯一の心残りだった。
いずれにせよ、それはもう既に無理なのだが。
齢五十にもなって、しかも死に際に思うことがゲームのことというのが何とも言えない感じだが、そもそもそんなことを気にするような性格であればあれほどゲームにのめり込むなんてことはないだろう。
『ヘキサキャスタ』が終わってからも他のゲームをやってはいたが、同じようにのめり込むことは無かった。
年のせいかとも思っていたのだが、こんな状態になってもまだやりたいと願うということは、年は全く関係なかったらしい。
自分のことながら死に際に思うことがこんなことかと苦笑する思いだが、それはそれで良しとする。
『ヘキサキャスタ』の事さえ除けば、翔としてはおおむね満足できる人生だったのだ。
既に視界はぼやけてしまって、まともに見ることも出来ない。
そのくせ思考だけははっきりしていることに不思議に思いながら、翔は視線を横にずらした。
何となくぼんやりとしか見えないが、そこには連絡を受けて来たのであろう妹らしき影があるのが分かった。
もうその表情までははっきり見ることはできないが、何となく心配気にこちらを見ている気配を感じる。
他にも妹の旦那や甥姪もいた。
自分の意識があるうちに様子を見に来てくれただけでも嬉しかった。
これが最後になると分かって、ふと思い出したことがあった。
「・・・・・・チエ・・・・・・」
もうきちんとした声になっているかどうかも分からない。
それでもなにかを伝えようとしているのかが分かったのか、妹が顔を近づけてくるのが分かった。
「ツクエノ・・・・・・ヒキダシニアル・・・・・・テガミヲ・・・・・・」
その言葉が聞こえているのかどうかは分からないが、顔を動かしているのは理解できた。
それを感じたためか、全身に安堵が広がり今まで感じて来た緊張がフッと解けるのが分かった。
そして、これが最後なんだと理解した。
「ああ、出来うることならもう一度『ヘキサキャスタ』をプレイしたかった」
その言葉が表に出たかどうかは翔には分からない。
ただ、それが翔にとっての最後の言葉になった。
・・・・・・その、はずだった。
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そして現在、翔は目の前の状況に大いに戸惑っていた。
病室で妹に看取られて終わったと思った次の瞬間には、この場所に来ていた。
そしてすぐ視界に入った光景が、床の上に大きく広がるほど髪を伸ばした女性が土下座をしている姿だった。
いきなりこんな状況に置かれれば、表情に表わすかどうかはともかくとして、どんな人間でも戸惑うだろう。
「えーと、取りあえず顔を上げて説明してもらえますか?」
自分の口から出て来た声が、思ったよりも若かったことに驚きつつ、翔は女性に向けてそう言った。
とにかく説明してもらわないことには、いきなり土下座されても意味がわからない。
その翔の声を聞いて、ようやく女性がその顔を上に上げた。
「・・・・・・うわっ」
失礼だと分かっていながら、翔がその女性の顔を見て声を上げたのは、男として致し方のないことだっただろう。
やや細めの目は優し気な印象を与えるものであり、そこからすらりと伸びた鼻や小ぶりな口が、やや細面の顔に絶妙な位置で配置されている。
まごうことなく翔が人生で直接対面した女性の中では一番の美女であり、絶世のと言われてもおかしくはない美貌の持ち主だった。
その顔を見た瞬間、一瞬にして魅了された翔だったが、それと同時に記憶の底を刺激する何かがあった。
「・・・・・・あれ? えっと、どこかで見た気が・・・・・・」
思わず口から声が漏れてしまっていたが、翔にはその自覚はなかった。
そして、記憶の底にあった人物と目の前にいる女性の顔が一致した瞬間、翔は思わず大きな声を上げてしまった。
「あっ!? 『ヘキサキャスタ』の女神っ!?」
驚く翔を見て、その女性は笑みを浮かべて小さく頷いた。
「はい。ナウスリーゼと申します。初めまして、カケル様」
ナウスリーゼは、『ヘキサキャスタ』の世界では創世の女神として登場していた。
独特な世界観を持つ『ヘキサキャスタ』だったが、最初のオープニングに登場してくる女神が黒髪黒目で十二単を着ているというのもそれに一役買っていた。
女神という立場の為か、ゲームの中でも直接会える存在ではなかったが、プレイヤーたちの中では人気の高いキャラのひとりだった。
それもとある熱狂的な一部のユーザが、ナウスリーゼを支持していたためだったのだが、
「・・・・・・カケル様?」
ジトッとした視線をナウスリーゼから向けられて、翔は慌てて「その部分」から視線をそらした。
悲しい(一部の者たちにとっては嬉しい)ことに、そこには少しの丘も見当たらなかった。
「コ、コホン。そ、それで、女神様がこの私に一体何の用でしょうか?」
今のやり取りで、目の前に女神がいることの不可思議さは吹き飛んでしまっていた。
それが翔にとって良かったことなのか悪かったことなのか、それについて答えを出せる者はどこにもいなかった。
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今日の投稿は全部で三話になります。
プロローグは、前後編です。