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第4話 戯曲

「恋愛にハッピーエンドなどない。何故なら恋愛においてエンドはハッピーではないからだ」


 今から150年ほど前に我が国で名を馳せた歌劇作家、アンドリュー・C・クロヴィッツの言葉だ。

 彼は約40年もの長きに渡り歌劇作家として第一線で活躍し続け、その生涯を終えるまでに400本を越える作品を世に送り出した。

 そして、そのことごとくが結ばれぬ男女を描いた悲恋の物語だった。


 身分の差、貧富の差、家の事情、村の掟、戦争、病、天災、犯罪、種族差、年齢差、呪い、魔物、陰謀、夢……ありとあらゆる理由を用いて、彼は恋する二人の仲を引き裂いた。

 晩年はマンネリズムに()したという声も多かったそうだが、それでも彼は執拗(しつよう)に別れを描き続けた。

 実らない恋愛劇のことを指して「クロヴィッツもの」と呼ぶのは、多少演劇に詳しいものなら誰でも知っている常識となっているほどだ。

 そんな彼の偏った恋愛観の是非については置いておくとして、そこまで自分を貫き通したというのは、ある種の達成と呼んでしかるべきものだろう。

 その証拠にいくつかの作品は150年の時を経ても高く評価され、今でも街にある劇場に足を運べば彼の手による題目を目にすることも少なくない。


 ……ただ。


「グス……、あなたさまぁ。グス……、どうして彼女達は、ここまで酷い目に合わなくて、は、ならないの、でじょうが……」


 我が家に住み着いているエルフにはあまり受けがよくないようだが。


「それはそういう話なんだから仕方ないよ。選択を間違えたとしか」


 僕はいつもの書斎机の前でリカの淹れたお茶を飲みながら、古い戯曲を手にして床に座り込んでいる彼女を苦笑いで見下ろしていた。


「ぞれは、ぞうかもしれませんけどぉ……」


 彼女の涙を目にしたのは僕が旧友と酒を飲んで帰ってきた日が初めてだった。

 あの日のことを思い出すと今でも妙に胸がざわつくのだが、案外このエルフの娘は涙もろいのかもしれないなと最近になって思うようになった。

 折角の綺麗な碧眼の白目が充血して、なんとも言えない色合いになっている。


「クロヴィッツの作品はだいたい悲劇ばかりだよ。もっと明るい喜劇なんかを読んだほうがいいかもね」


 実を言えば、リカはつい最近まで文字を読むことが出来なかった。

 エルフ文字はもちろん、人間の言葉も、話すことは出来ても読み書きは出来なかったのだ。

 もしこのまま人間社会で生活していくのなら、文字は読めたほうが都合がいい。

 昨今では労働者階級においても教育の機会が与えられるべきだ、という下院の方針から、昔に比べると官位を持たない市民の間でも識字率は上昇してきているらしい。

 

「ですが……グスッ、出来ればここにあるものは、全部読んでみたいのです」


「そんな無茶な……」


 僕はリカに人間の言葉を教えるにあたり、売るほどもある亡父の戯曲コレクションを教科書に選んだ。

 そのほうが楽しく学べるし、人間の文化もある程度把握出来るのではないかとひらめいたからだ。

 僕のその試みは当たり、彼女は驚くべき速度で人間の文字を吸収していった。

 エルフが聡明な種族というのはどうやら本当のことらしい。

 だが、亡き父がかき集めた戯曲は今の家主である僕も把握しきてれないぐらいの量がある。

 全部読むのにどれほどかかるのか見当も付かない。


「ここにあるのは名作ばかりじゃないよ。言葉づかいだって古いものも多いし。現に、一冊読むのにだって苦労してるじゃないか」


 父のコレクションは、量はあっても質はそれほどと思わない。僕自身も昔は手近な暇つぶしとして読みふけった時期があったが、何故こんなものを買い求めたのだろうと思ってしまうほどつまらない作品に当たったことも一度や二度じゃない。


「そう、かもしれませんが、貴方様の父上は全てお読みになられたのでしょう?」


「うーん、読んだんじゃないか、とは思うけどね」


 蒐集家(しゅうしゅうか)というのは業が深い生き物で、集めることそのものが目的であり実際には使用しない、という者も少なからず居る。

 ただ、父がそうだったのかと問われると首を縦に振ることは出来ない。

 生きていた頃は確かに時間があれば本を読んでいたぐらいの読書家ではあった。

 だが、さしもの父も買い集めた戯曲を全部読んでいたのかどうかは少々怪しいとも思う。

 僕が大学の寮に入っていた頃のことはよくわからないし、ちょうどその時期に母ともども流行り病にかかってしまったので、晩年は戯曲を読むどころではなかったのではないだろうか。


「私には、あまり思い出というものがありません」


 涙が引いたらしいリカは、唐突にこちらがどきりとしてしまうようなことを言ってのけた。


「いや、それは記憶が戻れば……」


「ですが、この家に来て、この場所に残っている多くの過去に触れることが出来ました。……このエプロンなどもそうです」


 彼女がいつも身に付けている若草色のエプロン。

 それは、この家に残されていたものだ。と言っても一昔前の貴族が装飾品として身に付けていたような豪華なものではない。どちらかと言えば実用に使われていたことを思い出す。

 母は貴族の嫁にしては働き者で、家のことをよくやっていた。


「あのお庭もそうですし、この家の中には貴方様の母上の影が多く残されています。そういうものに触れる度に、私は新しく思い出を見つけたような気持ちになれるのです」


 新しく思い出を見つける、か。

 それこそ古い戯曲か、エルフ詩に出てきそうな表現だ。

 しかし、彼女の言いたいことは見えてきた。


「ですから、貴方様の父上がどのようなものを好んで読んでおられたのか、それを知ることで、また新しい思い出を見つけられたらな、と思いまして……」


 そこまで言って彼女は読んでいた戯曲をパタリと閉じて少しうつむく。

 その所作はどことなく恥ずかしげでもあった。


「…………」


 僕は手元で冷めてしまったお茶を飲み干して、カップを机に置いた。

 リカが恥ずかしげな理由はなんとなくわかる。

 自分に過去がないから他人の過去に触れたい。それは確かにあるのかも知れない。

 僕は記憶喪失になったことがないのでその辺りの機微(きび)はよくわからないが、ありそうな話だ。

 ただ、それは一つの側面から見た場合、のこと。

 もう少し、彼女の言動を遠くから見ると。


 彼女は、僕の両親のことを知りたがっている。僕のルーツを知りたがっている。

 そう言うふうにも、とれる。

 自惚(うぬぼ)れた見方かも知れないが、そう思ってしまうとこっちまで顔が熱くなってきそうになる。


「ま、まあ、でもさ、最初から無理に合わないものを読むことはないよ。例えば、もっとリカが興味のあることとかさ、こういうものを読んでみたいってのはないかな?僕もある程度なら助言出来るし、別に具体的じゃなくていいんだ、動物が出てくるとか、お姫様の話だとか、適当なのでもかまわないよ」


 僕は自分が動揺していることをごまかす為に早口でまくし立てた。

 どうやらリカはその言葉をまともに受け止めてくれたようで、人には見えない妖精を目で追うような、あどけない思案顔になる。


「そう、ですね。……では、例えばエルフが出てくるもの、なんていうのもあるのでしょうか?」


 無邪気な瞳でこちらを見上げてくるリカ。

 心なしか両耳が少し上向いている。

 エルフというのは耳に感情が表れる種族なんだなあ、と僕は最近よく思う。

 もしかしたらリカだけなのかも知れないが、これぐらい分かりやすいと少々不安にさえなる。


「ある、と言えばあるけどねぇ」


 しかし、そんな彼女の期待に満ちた目と耳を前にしながら、僕は少し顔が引きつってしまうのを実感した。

 そう来たか。


「……?数が少ないのでしょうか?」


「いや、エルフと人間の関わりはかなりの歴史を持っているからね。それほど珍しい題材というわけじゃない」


「でしたら、それを読んでみたい、のですが」


 これではリカの耳のことは言えない。

 僕だって彼女が不審がるぐらいに顔に出てしまっているみたいだ。

 小さくため息をつく。


「いいかい。エルフと人間は長い間関わりを持ってきた。ただ、それはずっと友好の歴史だったわけじゃない。戦争だってしたことがある」


 遙かな昔、魔物が大きな力を持っていた時代、人間とエルフやドワーフや小トロルなどの亜人達はお互いを友として力を合わせていた。

 だが時が進み、共通の敵としての魔物の力が弱まっていくに連れ、その友情には亀裂が入り始めた。

 理由は様々あるが、当然と言えば当然のことだろう。

 人が集まれば争いは起きるものだ。同じ種族間ですら、いがみ合いは絶えない。


「今だって仲の良い国同士とは言いがたいしね。当然美しい話ばかりじゃない。……例えば、エルフが酷い悪役として人間の主人公に退治されめでたしめでたし、と言った話もある」


 リカは一瞬目を見開くが、すぐに気まずそうな顔で、耳の前にこぼれていた髪をかき上げる。


「私を不快にさせまいとする貴方様のお心づかいはとても嬉しく思いますが、私とて、それぐらいは仕方のないことだろうと言うのはわかります。――ですが、そうではない話もあるのではないでしょうか?ずっと争いを続けていたわけではないのでしょう?」


「うーん、まあ」


 それはもちろんそうだ。

 例えば、人間とエルフの男女が愛し合って子を成すような話も――、

 

 …………え?


「待てよ……?」


 実は、リカにはあえて言わなかったことがある。

 僕の顔が引きつってしまったもう一つの理由。

 

 その昔、貴族の間でエルフの女性が高く買い求められていた時代があった。

 いわゆる(めかけ)として、彼女達を囲うことが流行ったことがあったのだ。

 エルフ詩を引用して恋文を書くなんて流行は、この辺りから来ているという説もある。

 人間とエルフの間には子が出来にくい。

 そして、妾腹(しょうふく)の子というのは厄介に思われることが多い。

 同じ種族の愛人よりも、都合が良いのだ。

 本妻よりもエルフの妾に入れあげて、ついに血筋を絶やしてしまった貴族の話は有名だ。


「どうかされましたか?」


 しかし。


 子は、〝出来にくい〟のであって、〝出来ない〟わけじゃない。


「ハーフエルフか。そうか、その可能性はあり得る」


 人間とエルフの間に出来た子は、その出生の事情により、多くの場合あまり歓迎されない。

 そして、混血であることを理由にエルフの国に帰ることも許されないらしい。


 つまり、帰る場所が無いのだ。


「ハーフ、エルフ……?」


「そうだよ、リカ、君はもしかしたらハーフエルフなんじゃないか?」


 僕はまだ床に座り込んでいるリカに近寄って、両肩に手を乗せる。

 ハーフエルフは、見た目エルフとあまり変わらない。

 最近とある医学者が親が子に似る理由を法則立てて概念化したという嘘か誠かわからない噂があるが、エルフとしての見た目は混血でも強く受け継がれるようだ。

 それこそ、人間の目では区別がつかないぐらいに。


「私が、ハーフ、エルフ」


「そう。人とエルフの混血のこと」


 それなら人間の言葉しか話せない理由は納得がいく。

 もともとエルフの言葉を知らなかったのだ。

 そして、ハイマン教授が僕に彼女を「嫁にしろ」と言ってきた理由も、彼女がハーフエルフであるが故にどこにも帰るあてがないからだとしたら説明がつく。


 リカはまだ少し()れが残っているまぶたを何度も上下させる。

 

「貴方様は、私がハーフエルフだと嬉しいのですか?」


「え?」


「いえ、貴方様が嬉しそうな顔をされているものですから……」


 そんな顔をしていたのだろうか。

 思いがけないひらめきにちょっと興奮気味だったのはあるけれど、そんなはっきりと顔に出るくらい僕は嬉しかったのか?

 何故?


「……あっ」


 その理由について自問自答した時、こんどこそ僕は顔が赤くなっていくのを感じた。


「ど、どうかされましたか?」


「いや、その……」


 あまり言うのはためらわれる。

 それは、僕が彼女を正式に嫁に迎える覚悟がない理由でもある。


「ハーフエルフは、純血のエルフと比べて寿命が短い、と言われているんだ、だから……」


 顔を背けたまま僕はなんとか白状する。

 ちょっと目を合わせるのも辛いぐらいだった。 


 エルフは、人間よりもはるかに長い時を生きる。

 クロヴィッツもので人とエルフの男女が出てくれば、だいたいは寿命の差が取り沙汰される。

 恋愛にハッピーエンドなどない。それはそうだろう。

 どれだけ仲の良い男女も死別だけは避けられない。

 あるいは寿命による死別を幸福に受け入れられる老夫婦もいるのかもしれないが、その寿命差があまりに長い場合はどうすればよいのか。

 例えば僕が死んだ後、リカはどうするのか?

 それを考えると、なまなかな気持ちで嫁に貰うわけにはいかない。


「あっ……」


 どうやら彼女も気付いたらしい。


 ハーフエルフは、純血と比べて寿命が短い、と言われている。

 数が少ない上、あまり表舞台に出てくることもないので正確にはわからないが、人間の寿命とそう変わらないと言う話もある。

 

 それを僕は無意識のうちに喜んでしまったのだ。

 彼女と同じ時を生きられるんじゃないかと言う可能性を。

 彼女を嫁にしても、大丈夫なんじゃないかと言う可能性を。


「…………」


 なんとも言えない沈黙が書斎を覆う。

 ここに鏡がないのが幸いだった。多分、人には見せられないぐらい赤くなっているはずだ。

 そして、その向かいに座りこんでいるリカも、うつむきがちに頬を染めている。


「あ、あのぅ……」


 先に口を開いたのは彼女だった。


「残念なのですが、私はハーフエルフでは無い、らしいです」


「……へ?」


 らしい?


「ここに来る前に、貴方様に私を紹介して下さったハイマン様が、おっしゃっていました」


 顔を少しうつむけたまま、ボソボソと彼女が口にした言葉は。


「――お前さんの旦那になる男は、お前さんをハーフエルフじゃないかと勘ぐって来るだろうが、それは大きな間違いだと言ってやれ、私は誇り高き純血のエルフなのだとな、と……」


 肩から力が抜けていく。


「あの爺さん……。全部お見通しか……」


 と言うか、そこまで予測していたのなら、もっと彼女に関する情報をくれてもいいだろうに。

 僕の顔に、自分に都合の良い勘違いをしていたことと、それを見透かされていた恥ずかしさが上乗せされる。


「……あ、あの、その、なんというか、申し訳ありません」


 伏し目がちに謝ってくる彼女も、やはり頬を染めたままだった。


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