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第3話 友人

「悪いことは言わん。(そで)の下なら俺が用意してやってもいい」


「……お前酔ってるだろう。声がデカいぞ」


「ああ、酔ってるとも。これが酔わずにいられるかっ。同窓がこんな(つつ)ましい生活を送っていると知って黙って見てられるほど、スタインボルグ家は落ちぶれていない!」


 ――やれやれ。全く。

 事の起こりは、久しぶりにアルウィンと再会した所から始まった。

 アルウィンは大学の同期で、同じ貴族の出だ。

 だが、同じと言っても僕のようなうらぶれた没落貴族とはワケが違う。

 貴族院の中でも最大派閥と言っていいスタインボルグ派のトップ、ガリアン・スタインボルグ議員の息子で、自身も若手の貴族院議員として売り出し中の、れっきとした政治家なのだ。

 

「なあ、お前も登院しろ。資格は問題ない。もっと良い官職にだって付けるぞ」


「僕が政治に向いていると思うか?」


「お前より向いていない議員が貴族院には山ほど居るよ。既得権益にしがみつく老人どもは憲章だってロクに憶えちゃいない。これからは俺たちの時代だ」


 そういってアルウィンは高価な妖精の果実酒を麦酒のように豪快に飲み干す。


「まるで資本家みたいだな」


「ああそうだ。俺たち貴族は資本家になるべきなんだ。下院の連中にこれ以上好きにさせない為にも実力が要る。実力とは何か?経済力のことさ。昔のように魔物から土地を守ってやるだけでは民衆はついてこない。金が必要なんだよ」


 久しぶりに会った友人は昔とは随分変わっていて、最初会った時は誰だかすぐには思い出せなかった。

 学生時代にはボサボサだった赤髪は香油で整えられ、立派なあごひげまで生やしている。若干太った気もするが、その分風格が出てきたようにも思える。順調に新進気鋭の政治家としての道を歩み始めているのだろう。

 僕は目の前の皿にある()った木の実をひとつつまんだ。


「そうは言うが、その金はどこから出てくるのさ」


 今の時代、資本家のように莫大な資産を持つ貴族なんてほとんどいない。

 時代の流れに逆らえず領地を手放してしまった多くの貴族達は、形骸化した官位制度によって国から支給されているささやかな俸給で生活している者が多い。

 僕なんかも亡父から引き継いだ名ばかりの官位のおかげで、翻訳の仕事がなくともなんとか暮らしていけているのだ。

 だが、没落貴族救済の側面を持つ官位俸給も、国庫を圧迫しているのではないかと下院から何度も指摘を受けているらしい。


「ああ、それは問題ない。あまり大きな声では言えないが、上の連中は今、ゴブリンの植民地を増やす計画を立てている。次の議会で可決されるはずさ」


 そういってアルウィンは彫り飾りの入ったメシャム・パイプに火をつける。

 これも学生時代には無かった風習だ。


「……またか。これで何度目だ」


 僕は血なまぐさい話に少し眉をひそめる。

 植民地を増やす、ということは結局は戦争をすると言うことなのだ。


「いいか?俺たち貴族は元を辿ればほとんどが騎士階級なんだ。魔物から民を守って地位と名声を築き上げてきたんだ。……だがな、そうやって魔物を討ち続けた結果がどうだ。世の中から脅威が減るごとに守るべき民はわがままになり、俺たちは用無しになっていった。昔の詩にもあるように、竜が空を飛びまわっていた時代は良かっただろうさ。今や竜は絶滅が心配されてるもんな。……つまりだ。植民地を増やすことは冨を増やすだけじゃない。民衆に俺たち貴族のあるべき姿を思い出させることにも繋がるのさ」


 アルウィンはパイプを指し棒のようにして僕の顔を指す。

 高級そうな煙の香りが鼻先をくすぐる。


「ゴブリンを退治して土地を開拓すれば冨が生まれる。その冨を資本家連中にかすめ取られないように法を整備する。もちろん、冨は貴族を通して民に再分配される。金は世を巡ってこそだからな。そうやってまた、俺たちは黄金時代を取り戻すんだよ」


 確かに彼の弁舌は見事なものだ。

 声は良く通り、表情は豊かで真剣味があり、聞いている者を引き込ませる何かがある。

 他人を説得することになれているのだろう。

 だが、「貴族の地位を取り戻す」と熱弁する彼が戦地に(おもむ)くことはない。

 実際に血を流すのは貴族院の議員達ではないのだ。


「……立派だと思うよ、アル。僕の友達にはもったいないぐらいにね」


 その言葉を聞いて彼は煙混じりのため息をつく。

 僕はパイプをやらないが、こうして他人が吸っているのを見ると便利そうにも見える。

 煙を吐き出すことによって、言わなくていいことを吐き出さずに済むのだろう。


「…………済まない。少し興奮していたようだ」


 彼は小さくかぶりを振った。


「お前みたいな友人は俺には貴重なんだ。お前は俺に何も求めない。何も期待しない。かといって俺を甘やかそうともしない。友達ってのは本来そうあるべきなんだよな」


 僕はそれに答えず、この店で一番安い麦酒をすする。

 この酒を頼んだところからこの話は始まったのだ。

 久しぶりに会って一杯やろうとなって、僕が頼んだものが庶民が飲むような薄い麦酒だったことが、彼には我慢ならないことだったらしい。

 大学まで出た官位持ちが何故そんな貧しい飲み物を頼むのだと。俺たちはもう学生じゃないんだと。


「お前が翻訳家の道を選んだこと自体にケチを付けているわけじゃない。ただ、仮にも貴族階級の人間が、それも俺の親友が一杯の酒の値段にも気を遣うような暮らしをしているのが耐えられなかったんだ」


「僕は酒に強くないからね。薄い麦酒だって悪いもんじゃない」


「そうか。……ならもうこれ以上はよそう。ただ、忘れないで欲しい。お前がその気になれば俺は舞台を用意してやれる。エルフ語に長けていることだって立派な武器だぞ。あの何を考えているかわからない耳長連中との外交は骨が折れるからな」


 そう言われて、ふと頭にリカの顔が浮かんだ。

 彼女の出自は今のところ一切わからない。多少なりとも知っているであろう恩師ハイマンは国外を飛び回っていてまともに連絡が取れない。

 今、人間とエルフは微妙な関係にある。国交を断絶しているわけではないが、親密とも言えない距離感だ。理由はいくつかあるが、少なくともお互いの国を自由に行き来出来る状況ではない。

 もし僕が公的にエルフ達と交渉出来るような立場になれば、彼女の出生を探る手がかりも見つけられるかも知れない。


「……?どうした?何か考えごとか?」


「いや、なんでもないよ。もう少し飲むか?」


「ああ、そうだな。おーい!済まないが同じものをもう一杯貰えるか?――――ところで、俺たちが学生の頃を憶えているか」


 給仕を呼び止め、グラスを渡したアルウィンは突然話題を変えた。


「ん?ああ、寮を抜け出したアルのせいで同部屋だった僕がよく寮監に怒られたことなら」


「はっは。そんなこともあったな。じゃあ俺が恋文の代筆を頼んだこともか」


「ああ、あれは傑作だったな。昔の貴族のようにエルフ詩から引用して一筆頼むって言われた時は、こいつの頭は大丈夫かと思ったよ」


「言ってくれるじゃないか。懐かしいな。確かその時は意中の娘がエルフ詩に熱をあげているらしいという噂があったんだよ。結局上手くいかなかったが、まあ今にして思えばいい思い出だ。お前の文章は素晴らしかったしな」


「実はエルフ詩と言うのは引用しただけで名文に見せかける効用があるのさ」


 そう言うとアルウィンはニヤリといたずらっぽく笑って見せた。

 その顔だけは学生時代のままだった。

 そして旧友はその笑顔のまま、なんでもないことのようにポツリとつぶやいた。


「――――実はな、今度結婚することになったんだ」


 僕は思わず大きく目を見開いた。


「そうか!それはおめでとう!相手はどこの娘さんだ?」


「パストール家の次女。先日14歳になったばかりだそうだ」


「パストール家と言えば、確か……」


「代々法務を司る伝統ある家柄さ。まあ、よくある貴族同士の結婚だな」


 若い給仕がアルウィンの目の前に竜角を加工したグラスを置いた。

 この辺りではまだ木のジョッキが普通だが、どうやらこの店では高い酒を頼むと竜角のグラスで出てくるらしい。恐らく資本家相手のかなり箔を付けた価格で売られているのだろう。

 アルウィンはその酒を惜しげもなく一気に半分ぐらい喉に入れる。


「……ふぅ。ま、学生時代は同期一の色男でならした俺も、とうとう年貢の納め時ってわけだ」


「悪い話じゃないんだろう?お前の仕事にとっても、お前自身にとっても」

 

 アルウィンは赤ら顔でパイプをくゆらす。

 その目は僕のほうを見ていない。彼はただじっとグラスを見つめていた。

 竜の角は特殊な加工をすることにより、まるで水晶のような輝きを見せる。

 しかし、旧友はそんな美しいグラスを目に入れながらも全く別の何かを見ているようでもあった。


「ああ、悪い話じゃない。全くもって悪い話じゃない」


 まるで自分に言い聞かせるように、彼は言葉を重ねる。


「一回だけ会って話したが、なかなか大人しい良い娘だったよ。オルゴールが好きらしくてな、今度、地底に行ってドワーフ産の最新のやつを買ってくると約束してきた」


「それはまた可愛らしい話だな。……もっとも、嫁と言うよりは娘のようだけど」


「違いない」


 そう言って僕と旧友は笑いあった。

 まるで失われてしまった何かを笑い飛ばすような豪快な笑い方だった。


「――で、どうだ。お前のほうは。浮いた話は何かないのか?」


「……僕には気ままな没落貴族が性に合ってるよ。嫁なんかもらうともっと稼がなきゃならない」


 上手くごまかすことが出来たかどうかは自信がなかった。

 僕は正式にリカを嫁に迎えたわけじゃない。

 そしてエルフと同居していることを周囲に知らせるのはやや躊躇(ためら)われる。


「お前みたいなヤツほど早く嫁を貰ったほうが良い気もするがな。相変わらず本の虫なんだろう?」


「ああ、そのうち山羊の角でも生えてくるんじゃないかと心配してるよ」


「そういう下らない冗談が好きなところは成長してないな。紙ばっかりじゃ飽きるだろう、カシミアにされたくなけりゃ今日はもっと美味いものを食え。飯代ぐらいは出させてくれるな?」


 僕は友人の提案に苦笑いで答えた。



 ◆◇◆◇◆



「――ただいま……」


 なるべく音を立てぬよう、古びて建て付けの悪くなったドアをそっと開ける。

 が、その努力もむなしく、まるで大トロルが歯ぎしりするような音がロビィに響いた。


「おかえりなさいませ」


 目の前には、カンテラを手にした彼女がいた。


「あ、ああ起きてたんだね」


「お帰りが遅いので心配していました」


 淡い光に照らされた彼女の顔は随分と白く見えた。

 いつからロビィで待っていたのだろう。


「ごめん。たまたま官庁で古い友人に会ってね」


「そうでしたか……。お酒を飲まれているのですね」


 どうやらかなり匂うらしい。

 当然だろう。アルウィンはかなりの酒豪だ。久しぶりにあいつとまともに付き合ってしまったが、普段の僕ならとっくに潰れていてもおかしくない。

 よく無事に家までたどり着けたものだ。


「飲み疲れておいででしょう。どうぞ、こちらへ」


 リカは僕に肩を貸そうとしてくる。

 普段ならためらってしまうところだが、酔いのせいか素直にそれに従った。

 彼女は女性にしては上背がある。エルフは男女関係無く長身が多いと言われている。

 

「先に寝ててくれてもよかったのに」


「そういうわけにもまいりませんよ」


 肩に手を回すと、ふわり、と彼女の身体から香草の香りが漂ってきた。

 庭の手入れが好きな彼女の身体にいつも染みついている香りだ。

 

「リカの匂いがする」


 そう呟いた瞬間、彼女の身体がビクンッと跳ねる。


「なっ、何を恥ずかしいことをおっしゃるのです……!エルフに体臭などありませんっ」


「そうなの?」


「はいっ」


「でも記憶が無いのになんでそんなこと知ってるの?」


「なんでもです!とにかく無いったら無いんですっ」


 彼女の長い耳が真っ赤になっている。

 身体を預けているので顔が近い。


「体臭というか香草の香りだよ。服に染み付いちゃってる」


「そ、そうならそうと言って下さいっ。……もう、洗濯し直さなくちゃ」


「気にしないでいいのに。僕だって酒臭いだろうに」


「気にしますっ……全く、しょうがない人ですね、ほんとに、水浴びもしなくちゃ、寒いのに」


 彼女は口を尖らせてブツブツと何か文句にならない文句を呟いている。

 顔は赤いままで、でも、身体は離そうとしない。しっかりと僕の腰に手を回して、支えていてくれる。

 それほど広くもないロビィから廊下へとゆっくりと二人で歩を進める。

 

 その時、僕は突然、男としての激しい衝動にかられた。

 酔っていたこともあるだろうし、身体を密着させていることもある。

 普段のエプロン姿を見る限りとても細身に見えるのに、直に触れていると意外と肉付きがいい。


 ――お前みたいなヤツほど早く嫁を貰ったほうが良い気もするがな。


 旧友の言葉が頭に響く。

 彼女を、嫁に貰う。

 つまりは、そういう関係になると言うことだ。

 エルフと人間の間には子は出来にくいと聞く。

 夜風で冷めかかっていた身体がにわかに熱くなる。

 多分、求めれば彼女は許してくれるだろう。なにしろ彼女は嫁になることを承諾(しょうだく)してここに居るのだ。

 

 ……けれど。


 だからこそ、わからない。


 そう。彼女の気持ちはわからないままだ。

 相手の顔も知らぬまま、他の種族の嫁になることを受け入れて、特に不満のようなことも言わずにこの家に居る。記憶を失っているからと言って、異種同士の婚姻に全く抵抗がないものだろうか。

 そもそも。

 

 ――彼女は、僕を、好いているのか?

 

 多分、僕が感じている違和感のようなものはそこに尽きる。

 もちろん戯曲の中じゃあるまいし、互いに好き合って夫婦になる男女はそう多くない。

 アルウィンの、どこか遠くを見るような目が思い出される。

 こんなことでためらってしまう僕がおかしいのかも知れない。


「あのさ、リカ……」


「…………」


 返事は無い。


「……リカ?――――ッ!」


 気になって彼女の顔を見た僕は、瞬間的に酔いも身体の熱さも忘れた。


「ど、どうしたの?何か気に(さわ)ることがあった?」


 彼女の目から、涙がこぼれていたのだ。


「あ、いえ、申し訳ありません」


 リカは涙をぬぐおうとするが、カンテラを持つ手では上手くいかないようだ。

 もう片方の手は僕の腰に回したままで、むしろその力は強くなっている。

 肩を貸してもらっているのに、まるでしがみつかれているようにさえ思える。


「……っ。自分でも、よくわからないのですが、凄くほっとしているのです。無事に帰ってきてくれて」


「そ、そんな大袈裟な」


 鼻に掛かる声でそんな言葉を言われただけで男としてはたまらないものがあるが、しかしどうにも彼女の様子は変だ。


「なんだか混乱しているみたいです。昔、こんなことがあった気がして」


 思わず、僕も肩に回していた手に力が入る。


「……まさか、記憶がっ!?」


「わかりません。けど、誰か……、誰かを遅くまで独りで待ち続けていたような……」


 僕の胸がにわかにざわつく。

 ただ、それについて考えている場合じゃない。


「無理はしないでいい。けど、出来るならよく思い出してみて。その人についてとか、どんな状況だったのか、とか」


「すみません。本当にわからないのです。ただ、今度は帰ってきてくれた、と……何故かそう思ったら気持ちが止まらなくなって」


 〝今度は〟

 何とも言えない言い方だ。少なくともあまり微笑ましい記憶ではなさそうな、そんな手触り。

 深く触れていい部分なのか、判断出来ない。


「そうか……」


 安物のカンテラの(にご)ったガラスの中で、ゆらゆらと炎が揺れている。


「…………」


 どっと身体が重くなったような気がした。

 先ほどまでの酔いも、衝動も、胸のざわつきも、全てひっくるめて身体の中に疲労として溜まってしまったような感覚だった。


「……済まないけれど、水を一杯もらえるかな」


「え?あ、はい。すぐに用意いたします」


「うん。もう大丈夫。一人で立てるから、離してくれていいよ」


 そういって、僕は肩に回していた手をゆっくりと離した。

 彼女も僕の腰に回していた手をそっと引っ込める。


「すみません。……あの、」


「うん。何も言わなくていい」


 頷いた彼女の目は、まだ少し赤いままだ。


「今日はもう、ゆっくり寝よう。夜も遅い」


 彼女はまた頷いた。


 明日は間違い無く酷い二日酔いだろう。

 そんな確信に満ちた予感がした。

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