第19話 雪解けの来客①
「――そうだねぇ。雪解けからしばらくは川が荒れるからな。もう少しの間はここにお邪魔させてもらってもいいかな?」
クロキ氏に、旅に戻る時期を聞いてみるとこんな答えが返ってきた。
「ええ、それはもちろん。確かに毎年この時期になると近くの川も水が暴れますからねえ」
雪解け水がいっせいに流れ込み、川が氾濫するこの時期は、川の民であるニンフすらも街に出稼ぎに来る姿が見られるぐらいで、猫と変わらない体格であるケット・シーは近づくことすら危険がともなうだろう。
「雪は積もり過ぎても厄介ですが、こうやって溶け出すとまた面倒なものですから。……よっと」
そう言って僕は庭に落ちている濡れた枯れ葉を麻袋に詰める。
雪解けの時期の庭園は掃除が大変なのだ。雪の中に隠されたゴミがあちこちにあふれ出して石畳の庭道の上を汚してしまう。土だって流れてしまうので庭師を雇っていない我が家では、この時期の庭の掃除はちょっとした重労働になる。
「仮にも貴族に名を連ねている者が庭の掃除などと情けない」と言う人もいるだろうが、これはこれで良い運動になるし、座り仕事の合間にはこれくらいの気晴らしが丁度いいのだ。
「あまり力になれなくて申し訳ないな」
さきほどから小さな枯れ枝なんかを口にくわえてトコトコと片付けを手伝うクロキ氏は、こう言ってはなんだが、なかなかにいじらしく見えるもので、むしろこっちが申し訳ないぐらいだ。
「あらお二人とも、こちらにおいででしたか」
庭の植物の痛み具合を調べていたリカが、僕らの話し声が聞こえたのかひょこりと茂みから顔を出した。
つばのついた頭巾をかぶり、汚れてもいいようにブカブカの古い作業着をまとったその姿はどうにもミスマッチで、どこか微笑ましくもある。
「そろそろ休憩にいたしませんか?だいぶ日も高くなってまいりましたし」
確かにもう昼も近いだろう。
空は雲ひとつない青空で、溶けた雪の湿気もあるせいか、まだ冬が抜けきっていない季節というのに少し暖かい。
「今日の昼食はなんだい?」
「魔女かぼちゃのパイを仕込んでおりますので、すぐに焼き上げますね」
「お、いいね。リカの作るパイは香ばしくて、…………ん?」
その時ふと、目の端に映るものがあった。
大して広くもない我が家の庭の、門のあたりに人影が見える。
「郵便か何かか?」
にしては随分と小さい。
うちに来る郵便配達夫はもう少し上背があったように思う。
門の前で所在なげに立つその姿はどう見ても子供だ。
頭まですっぽり覆うコートに身を包みキョロキョロと辺りを見回している。何かの使いかも知れない。
「……ちょっと見てこよう」
子供が小遣い稼ぎや親の手伝いでお使いに来るのは、たまにあることだ。
もしくは物乞いか。
こんな没落貴族の屋敷に来たってあげられるものはあまりないが、まあ、むげに追い返すわけにもいくまい。
「何か用かな?この屋敷の者だけど」
柵門を開いて、身をかがめて笑顔を作る。
ふだんあまり子供と接する機会が無いものだから、どうしてもわざとらしくなってしまうが、愛想良くすることにこしたことはないだろう。
本来ならばなめられぬよう、もっと貴族然として偉そうに接するべきなのかも知れない。けれど、元々が貧乏貴族のためにどうしてもそういう態度は苦手なのだ。
「ん?」
しかし、相手はそんな僕にビクッと怯えた態度を見せる。
暗い緑色のコートの頭巾部分を深く被っているためその顔は見えないが、華奢な体型から察するに女の子だろうか。
「怖がることはないよ。別に怒ったりはしないから」
「………………」
女の子は固まったまま声を出そうとしない。
まいったな。
何か我が家に用があるのは間違いないのだろうが、話してくれなければどうしようもない。
ポリポリと頭をかいて、辺りを見回してみる。
他に付き添いがいるわけでもなし、我が家の前の通りはがらんとしたものだった。
リカのほうが心を開いてくれるだろうか。けれど、エルフであることを隠しているリカに、あまり不用心な真似はさせたくない。子供というのは鋭いものだし、何をするかわからない所もあるので不安はある。
が、しかし。
「どうされましたか?」
振り返ればリカはそんな僕の逡巡を察したかのように、すぐ後ろまで様子を見に来ていた。
「いやね、どうにも怯えられちゃっ――――」
僕の言葉はその途中で遮られた。
突然のことに反応すら出来なかった。
それまで怯えていた子供が、いきなりリカに飛びついたのだ。
「ネーサマ!お久しぶりでゴザイマス!」
………………………………えっ?
「きゃっ!」
飛びつかれたリカはその勢いでふらついていて、顔には困惑の色が浮かんでいる。
しかし、そんな彼女を支えてやることすら忘れるぐらい、僕も混乱していた。
今、この女の子はなんて言った?
「ねえ、さま…………?」
リカは呆然として、その言葉を口の中で繰り返す。
「ああ、そうデシタ。リン、ついうっかりしてマシタ」
その子供は、ようやくリカから離れ、
「リンのこと忘れてしまっている、わかってマス」
ゆっくりと自分の名を告げる。
「リンネローテ・ヴルマルキンと申しマス」
たどたどしい人間語を使うその声は、少しだけハスキーで。
「ネーサマって……姉様?ええええええっ!?」
僕の叫び声に反応するそぶりすら見せず、彼女はそのコートの頭巾をとった。
その時の驚きを、僕はなんて表現したら良いのだろう。
例えるなら、リカが初めて我が家を訪れた時のような。
葉のような長い耳。
ミルクを少し混ぜたコーヒーのような褐色の肌。
長い耳の真横あたりに左右でくくられた髪は、輝くような銀色。
「リン、ネーサマに会いたくて来ちゃいマシタ」
リカのことを「ネーサマ」と呼ぶ、その娘は。
話に伝え聞く、ダークエルフそのものだった。
今回ちょっと短いですが、その分、次の話は早めにお届け出来るかと思います。




