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第16話 真夜中の書斎

『――エルフ国の千年王、ルキウシオン・イルアリ・フレイの、文字通り千年続いた王政が崩壊した原因について、今でも多くの説が散見される。

 当コラムでも何度か取り上げてきた、晩年の彼の暴政は何故起こったのか。生きることに()んだ王の気まぐれとも、王朝の寿命というものはそもそも千年程度だとも、神が彼を見放したからだと言う幾分宗教的な意見まで様々な見解があろう。

 しかし、筆者は単純に、エルフ国が近代化の波に乗り遅れたせいだと考える。

 大陸諸国の三大列強と言われる、人間国、エルフ国、ドワーフ国において、人間国とドワーフ国は技術的・経済的にめざましい進歩を遂げた。

 そして、その二国はお互いに知識を交換し合い共に歩んできた。

 だが、エルフ国だけはいつまでも古い慣習に囚われ、新しい波を良しとしなかった。その点こそがそもそもの問題であろう。

 彼らが森の中で長大な詩を書き続けている間に、ドワーフ国は工場を造り、人間国は植民地を増やしてきた。

 伸び悩んだエルフ国がそれでも列強に名を連ねるために、ルキウス千年王は多くの税を必要としたのである。

 国民の支持を失うのは当然の結果と言えるのではないだろうか。

 つまりは誰が王であれ、この結末は起こるべくして起こったとも考えられる。

 そのような意味では、筆者はルキウス王に同情の念を禁じ得ない。

 しかし、この流れこそが、エルフ国を大陸最初の革命へと導いたのだから歴史とは皮肉なものである。

 革命後、出来て間もないエルフ新政府に対し、我が国が強硬な姿勢を示したのは当然のことだろう。

 大陸に数多ある国家の中でも類を見ない形で誕生した政権を、警戒せざるを得なかった当時の我が国の立場は、推して知るべしである。

 しかしながら、我が国も〝穏便な革命〟を経験した今、いつまでも扉を閉ざし続けているわけにはいかないのではないだろうか。

 ゴブリンやオークの住む未開の地も有限であり、いつまでも植民地政策を採り続けるには限界がある。

 エルフの森は宝の山だと言う学者も少なくない。

 彼の国と安定した貿易を営むことが出来れば、我が国のさらなる発展に利することはもはや疑いようのない事実であると筆者は考える。

 政府には1日も早い方針の転換が求められているのではないだろうか――』



 そこまで読んでから、バサリ、と新聞をたたみ、小さくため息をつく。


「やっぱり新聞には大した事は載ってないな」


 書斎机の上に置かれた年代物のランプがぼんやりと暗い室内を照らしていた。

 窓の外は明るいぐらいに雪が降り続いていたが、ストーブのおかげであまり寒くはない。


「新しい情報が届くのを待つしかないか……」


 新聞の裏面にある、メイドの求人を読むでもなく、ぼうっとながめる。

 先日、友人で貴族院の議員でもあるアルウィンから聞いた話は、それなりの収穫があった。

 今、エルフ国で起こっているいざこざについて。

 革命の折り、千年王の皇太子がダークエルフの里に亡命したこと。

 皇太子がダークエルフの娘を娶ったこと。

 現エルフ政府の評判があまりよくないこと。

 千年王の威光を懐かしむエルフ国民が多いこと。

 その千年王のご子息がダークエルフと結ばれたことを快く思っていない連中が多いことも。

 強硬派がダークエルフと揉めていることや、またエルフ達も一枚岩ではなく、様々な派閥に別れていて国内が荒れつつあること等、まず新聞には載ってないような貴重な情報の数々を教えてもらった。


 しかし。

 肝心の、リカがどうしてエルフ国から逃げ出さなければいけなかったのか、そもそもリカは何者なのかについての手がかりは何一つ得られなかった。

 当たり前と言えば当たり前だ。

 一個人の、しかも何者かもわからない女性に関する情報がそうそう耳に入るわけがない。

 何人か、エルフの国でも有識者と目される人物が人間の国へ亡命して来たという話はあったが、どれもリカのような若い娘ではないようだった。

 だいいち、僕はアルウィンにリカのことを隠したままなのだ。

 ティアーナ婦人を連れ添って遊びに来た時も、彼女を見て「こりゃあまた随分と綺麗なメイドを雇ったもんだな」と驚いていたぐらいで、全く怪しんでいないようだった。

 僕がエルフ国の現状について知りたがるのも、翻訳業に関することだろうと信じ込んでくれているようで、少しだけ後ろめたい気持ちにならないわけではない。


「新しい情報が入ったら教えてやるとは言ってたが……、あいつもエルフ外交に直接携わっているわけじゃあないしなぁ」


 大きく伸びをして一人呟いた。

 もうかなり遅い時間のはずだ。デミノ・マガジン用の原稿の締め切りが明日なのだが、前日の夜まで仕上がらなかったのは久しぶりだった。

 最近は大学の講義や家庭教師や来客などでバタバタしていて、なかなか手が付けられなかったのだ。

 自然とあくびが漏れる。目の上あたりを強く押さえてやると、気持ちよくて涙が出るくらいだ。疲れているなというのが自分でも認識できた。

 リカももう寝てしまっただろうか。

 ……と、そう思った時だった。

 タイミングよく書斎のドアがノックされたのは。


「――――貴方様?まだ起きてらっしゃるのですか?」


「ん?ああ。もうすぐ寝る予定だけど、どうかしたかい?」


 ガチャリと重たい木の扉が開き、カンテラを手にした白い顔が浮かび上がる。


「いえ、寝室に行った様子が無かったので、もしやこちらで寝てしまったのではないかと……。あまりご無理をなさいますとお身体に障りますよ」


 そういうリカもまだエプロン姿のままだ。

 彼女は心配げな顔を隠そうともせず、こちらに近寄ってきた。


「少し調べ物があってね。リカこそこんな時間まで起きてて大丈夫かい?何かあったの?」


 僕らは寝室が別なので、彼女が寝ているところをあまり見たことがない。

 朝に弱いタイプでは無さそうだが、いくら長寿で身体の強いエルフと言っても、夜更かしが過ぎるのはあまり良いことと言えないのではないか。


「私は大丈夫ですが……。明日、ヘレナ様が来られるでしょう?それで、火を落とす前にソースを煮てしまおうと思いまして、こんな時間に」


 そう言われればなんだか甘い香りがするな、と気付く。

 明日ヘレナが来るのは仕事としてなのだけれど、相変わらず二人は仲がいいようだ。

 リカとしても自分を偽る必要の無い相手なので気が楽なのだろう。

 そういえば最近はメイドのふりばかりさせていて、何だか申し訳ない気持ちになる。


「そっちこそあまり無理はしないようにね。エルフの身体のことは、僕もよくわからないんだから」


 倒れられでもしたら一大事である。医者に診せるわけにもいかない。

 家事というものは結構大変なものだ。独りで暮らしている時に嫌というほど学んだのだが、小さな屋敷を一つ維持するだけでも、かなりの労力が要る。

 当たり前のようにこなしている彼女も意外と疲れが溜まっているのではないだろうか。


「――ええ、ありがとうございます」


 そんな僕の心配をよそに、にっこりと微笑んで首を傾ける彼女は、ふと、視線を書斎机の上に投げ出してある新聞のほうへ向ける。


「何か気になる記事でもありましたか?」


 僕は小さく首を横に振った。


「いや、むしろ何かあればいいんだけどね。他国の最新情報はそうそう新聞なんかには載せてくれないらしいね」


 手の甲で紙面を叩くと、パシッと軽い音が響く。


「エルフの情報が載っていたとしても、みんな知ってるような古い話ばかりさ。後はどこかの貴族の領地が買い取られて工場に変わるだの、絹織物の値段が上がってるだの、僕には関係ない記事がずらりと」


 そう言いながら、さきほどの求人広告に目をやる。

 ……ふと、そこで小さな思いつきが頭に浮かんだ。


「いや、そっか。それもありだな」


 もしかしたら彼女の仕事を減らしてあげられるかもしれない。


「――リカ、正直に言って欲しいんだけど、家の事は負担じゃないかい?」


「え?いえ、別にそのような事は……」


「本当に?」


「突然どうされたのですか?私は、貴方様のお世話を負担になど思ったことなんて」


「あー、いやね。最近は大学や家庭教師のおかげで生活に余裕が出てきたし、いっそメイドの一人でも雇ってみるのはどうかなあって」


 そう言うと彼女の碧眼が大きく見開いた。


「ヘレナみたいに口が固くて信用のおける人が見つかれば、君の負担も減るし、良い話し相手にもなるんじゃないかなと――」


「嫌ですっ!」


 突然の強い口調に、今度はこちらの目が見開く番だ。


「あ……。申し訳ありません。ですが、どうかそんな事は言わないで下さい。私のお世話が不満なのでしたら、直しますから、どうか」


「え?い、いやいや、僕はリカに不満なんてないよ。ただ、もし家事が辛いようならと思っただけで――」


「そのような事はありません。私の居場所はここなのです。ここでやることが無くなってしまったら、私どうしたらいいか……」


 ストーブが小さく燃える音を立てていた。

 カンテラの光に、彼女の沈んだ顔が映し出される。


「リカ……」


 そして、その彼女の顔にほんの少しだけ赤みがさす。


「私は、貴方様のお世話をしていたいのです。それを、誰かに取られるなんて、……そんなの、嫌、です」


 ほんの少しだけ口を尖らせて言うその様子に、こっちも顔が熱くなる。


「…………ご、ごめん。今の言葉は忘れてくれ。僕が馬鹿だったよ」


 そっと、彼女の頭に手を乗せて、その髪を撫でる。

 リカは一瞬くすぐったそうに首をすくめた。

 そう。彼女にだって、独占したいものはあるのだ。


「ありがとうございます。……もうそんな事は言わないで下さいね?」


 この、困り眉の上目づかいをされると、僕はどうしようもなくなる。

 降参だ。


「わかったよ。もうこの話はおしまい。……さて、もう遅いし、明日に備えて寝ようか」


 そう言って僕は、机の上にあるランプのつまみをひねり、火を消した。

 書斎はリカの手にしているランタンの光と、ストーブのわずかな炎だけになる。


「はい。私もそろそろ寝ますね」


 そこで僕は、わずかな願望を交えた冗談を口にしたくなった。

 暗くなった書斎で、ふとわき出た、ほんの小さな出来心。


「そうだな。……たまには一緒のベッドで寝るかい?」


 その冗談の効力は、僕の予想を超えて強力だった。


「そそそそんな、突然言われましてもっ、さっきまでソースを煮ていましたので、身体を洗わないとっ、あ、そう、お、お風呂、お風呂を沸かさなきゃっ!でも、どうしましょう、暖炉の火はもう落としちゃったし、今からお湯を沸かすのは……、あ、そうだ、ストーブ!ストーブでどうにかして――」


「危ない!危ないったら、リカ!そんなにカンテラを振り回しちゃダメだよ!わー!冗談!冗談だから今のは!」


「……………………へ?冗談?」


 僕の言葉に一転してきょとんとしたリカは、みるみる顔を紅潮させる。

 そして、半分涙目になりながら、キッとこちらを睨む。


「貴方様はなんてことをおっしゃるのです……!そんな、急に、冗談なんて……、そんな!ああもう恥ずかしい!」


「……あー、いや、その、ごめん」


 揺れるカンテラの光に照らされた彼女を見ながら、僕は苦笑するしかなかった。

 そして、こんな日々が続けばいいな、と素直に思った。

 エルフ国のことも、リカが何者なのかも、関係無く。

 外では静かに雪が降り続いていた。


この奥さん、ほんのりヤンデレの素質があるよなあ、と前から思っているけれど、本編に反映させたりはしないつもり。

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