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第15話 クロキの風景②

「――え?クロキ様はお茶が苦手なの?」


「熱いものはあまり得意じゃないのでね。ミルクで充分だよ」


 この屋敷の客間は幾分古びてガタが来ているが、なかなかに趣味は良い、といつも思う。

 年季の入った音を立てる柱時計に、食堂のものより少し小さいが、品のある装飾の施された暖炉。

 その暖炉の上には、東方ものであろう陶磁器なぞが飾られている。

 花の刺繍が入った絨毯は発色があざやかで、踏んでしまうのがもったいないぐらいだ。

 座り心地の柔らかいソファに、ぴかぴかに磨かれた白いローテーブルの上には手編みらしいレースのクロスが掛けられ目を楽しませてくれていた。

 ただ、壁に並んでいる、恐らく歴代の当主であろう厳めしい顔をした連中の肖像画だけは私の好みから外れるが。


「リカの淹れるお茶は美味しいのに、もったいないわ。うちの使用人が淹れるのよりずっと美味しいのよっ。葉が違うのかしら?」


 ティアの声に、しずしずと奥方が答える。


「甘い風味のものを選びましたので、お気に召して頂けたなら良かったです」


 客間のテーブルに着いた我々は、何とも珍妙なお茶会を開いていた。

 客人であるティアは、いかにも貴族のお嬢様と言った風で、堂に入った優雅な仕草でティーカップを手にしている。

 その横ではメイド姿のエルフがにこにこと控えているが、本来彼女はこの家の使用人ではないのに、ご苦労なことである。

 私は私で、人型のソファからではテーブルに届かないため、不作法ながらテーブルの上に上がらせてもらって、小さな皿からミルクを頂いていた。

 そして、私と同じようにテーブルの上にいるペイルは、私に対する警戒心と好奇心の間で揺れ動きながら、頬いっぱいにエサを詰め込んでいる。


「……まるで絵本の挿絵にでもありそうな光景だな」


 ウサギと帽子屋でもいればもっと雰囲気が出たかも知れない。


「あら?クロキ様もご本をお読みになられるの?」


 私の戯れ言に、嫌味なところなど微塵も感じられない無邪気な口ぶりでティアは問いかけてきた。

 

「まあね。人間の国を旅するにあたって、それなりに勉強したものさ」


 よく人型の連中に驚かれるが、我々は本を読むことが出来る。指など無くても爪を上手く使えばページをめくるぐらい造作もないことだ。


「まあ、努力家ですのねっ。ティアも最近は大人向けの小説を読むようになったのよ」


 まるで褒めて欲しがっている子供のように小さな胸を張るティア。

 その様子が微笑ましく、思わずヒゲがゆるんでしまう。


「ほう。どのようなものを読むのかね?」


「最近はねぇ、ロマンス小説が面白いの!ちょうど、リカみたいなメイドとその旦那様が苦難の末に結ばれるお話とか、凄く良いわ!」


「……ふぇっ!?」


 突然自分の名前が出てきて驚く奥方である。わかりやすい。

 いくらなんでも過剰に反応し過ぎな気もするが、まあ彼女の事情からして仕方の無いことであろう。


「クロキ様は知ってる?リカも旦那様のことが大好きみたいなのよ」


「ティ、ティア様!と、突然なにをおっしゃるのですっ!」


「だって、さっき聞いたら、『お慕いしております』って言ってたじゃない」


「そそそれはですね、あの、あくまでご主人様としてですね」


「クックック」


 このエルフの女性はしょっちゅう顔を赤くしている。

 肌が一角獣のように白いため余計に目立つが、こうも顔に出るようでは言い訳も意味をなさないのではなかろうか。


「あの、その……、私なんかがご主人様に恋慕するなど恐れ多いことです」


 リカの小さな声に、栗色の巻き髪を揺らして反発するティア。


「ええーっ。いいじゃない。今どき身分違いの恋を気にするなんて時代遅れだわ。むしろそっちのほうが燃えるんじゃないかしら」


「…………」


 身分違い、か。

 私は知っている。

 この家に住む二人が本当に違うのは、身分ではない。


 先ほどから頬いっぱいにパイのかけらを詰め込んでいるペイルを見る。

 ――ラタトスクの眷属。

 リス、というのは人間達の呼び方だ。

 ラタトスクとは、エルフの国にある世界樹という途方も無く大きな樹木に住むとされる伝説上の獣の名である。

 その世界樹の名が付いた革命によってエルフの千年王は玉座を追われた。

 ほどなく共和制に移行したエルフ国は、人間の国からの干渉に反発し、以来両国は危うい関係を続けている。現在では行き来することさえ難しいそうだ。

 外交上の問題に他国の者が口を出すべきではないが、主殿と奥方を見ていると、少々歯がゆい気持ちにもなる。


「私もね、最初は歳の離れた夫に嫁ぐなんて嫌だったの。頭の固い貴族の親同士が勝手に決めた結婚なんて古臭いじゃない。もっとこう、お芝居や小説に出てくるような情熱的な恋愛がしてみたかったのね」


 ジャムの入ったパイを上品に匙で割りながら、ティアの話は止まらない。


「結婚前はすごおく憂鬱だったわ。社交界にも出てみたかったし、パイプ臭いおじ様なんて趣味じゃないわーって。でもね、実際に暮らしてみるとアルウィン様ってとっても優しいのよ!」


 屈託のない笑顔が眩しかった。

 その笑顔の後ろで控えているメイドが、ほんの少しだけ羨望の色を見せたことに、ティアは当然気付かない。


「結婚とはそんなに良いものかね」


「ええ!先日もお土産にオルゴールを頂いたの!とっても素晴らしい音色なのよっ。クロキ様にも聞いてみて欲しいぐらい」


 若いな、と素直に思う。

 若いまま何の障害もなく結婚し、幸せな日々を満喫しているのだろう。

 それはそれで素晴らしいことだ。

 皮肉でもなんでもなく。

 このような幸せな者達がいるのならこの世の中も捨てたものではないと、そう思うことも出来るだろう。世間にはいくらでも不幸な話が転がっているのだから。


「実を言えばこのドレスだって、アルウィン様が『君には淡い青が似合う』って、見立ててくれたの!どうかしら?悪くないと思うのだけれど」


「ほほう。それは素晴らしい」


 どうやら主殿の友人は結構な色男であるようだ。

 自分の好みを女性に勧めて着飾ってもらう、ということを上手く出来る男はそう多くない。

 下手にやれば押しつけがましくなるし、趣味の良さも問われると言うものだ。

 しかし、それを怖がって好みを一切主張しないというのも困りもので、どちらかと言えばこの家の主はそちらに分類されるだろう。

 女性の意見を尊重すると言えば聞こえはいいが、結局のところ、自分というものをさらけ出して否定される可能性に怯えているだけなのだ。

 それでは奥方も不安になってしまうのではなかろうか。


「リカだってメイドにしておくのは惜しいぐらい綺麗なんだから、もっと着飾ってみればいいのよ」


「ええっ?そんな恐れ多いですっ」


 慌てて両手を左右に振る奥方。


「その頭巾はちょっともったいないと思うなあ。せっかく綺麗な金髪なんだから。私なんて中途半端な茶色だからリカが羨ましいわ」


 耳を隠すための大きな頭巾からこぼれる髪は、ケット・シーから見ても美しい白金色で、確かにもったいないという意見には賛成だ。


「そんな、羨ましいだなんて……」


 恐縮しきりの奥方である。

 私の居ない間もこのような調子でこの無邪気な娘に押され続けていたのだろうか。

 本来ならば、友人の嫁同士、遠慮することのない間柄になれていたかも知れぬのに。

 ……ふむ。

 なんだかむくむくと悪戯心が湧いてきたぞ。


「このメイドは自分に自信がないのだよ。さっきも主殿が容姿を褒めてくれぬとさんざん愚痴っていたからな」


 後ろ足で耳の付け根をかきながら、何でもないことのように言葉を続ける。


「収穫祭の夜に主殿に抱きしめられたのをもう忘れたのかね?」


 その言葉を聞いた二人の顔は、まさに見物だった。


「――っ!?ク、クロキ様!!」

「ええーっ!?やっぱりそういう関係なんじゃないっ!!」


 ほぼ同時に、二人の女性から甲高い声があがる。

 驚いたペイルが慌ててティーポットの影に隠れるほどである。


「いや、あの、その、それはですね、――クロキ様ぁ……」


「ククク……、まあいいじゃあないかね。のろけ話ばかり聞かされていたんだから、こちらものろけ返してみるというのも一興だろう」


 この家の二人が簡単に結ばれぬことは私とて理解している。

 少なくとも公の場で祝福されることは、今の両国の関係では難しいだろう。

 だからこそ、この仮初めの衣をまとっている時ぐらい、思う存分、色恋の話に花を咲かせてみればいいのだ。

 エルフとしてではなく、主人との関係に心を焦がす使用人として。


「ねえねえ!リカ!どうなの?」


「ど、どうと言われましても……」


 少女の問いにうろたえながらの恨めしげな視線が、私の黒い毛並みを射貫く。

 が、私としては我関せずである。

 うむ。このミルクはなかなかに新鮮だ。この厳しい冬場にこれほど新鮮なミルクが手に入るというのは、間違い無く人間社会の素晴らしい側面であろう。

 

「そんなに隠したがるのは、やっぱり身分の差を気にしているの?大丈夫よ、アルウィン様にバラしたりしないわ。女同士の約束よっ」


 若い娘ほど他人の恋愛沙汰に興味を持つ者もいない。

 普段から遠慮ばかりの奥方には、これくらい勢いのある呼び水が必要だろう。

 と、そう思っていたのだが。


「いえ、その、だって、ご主人様が私のことを想っていて下さるかどうかもわからないので……」


「へ?」


 これには私も驚いた。

 

「いや、普段の主殿を見ていれば、わかりそうなものだろう?」


「で、でも、きちんとお言葉を頂いたこともありませんから……。そもそも私のように出自もよくわからないような者が、誰かを想う、など、正しい事では……」


「リカ……?」


 奥方の途切れがちな言葉に、さすがのティアも勢いを失ったようであった。

 

 ……ふむ。なるほど。

 ティアは恐らく勘違いをしているだろう。

 人間社会における階級というのは、その生まれで全てが決まると言ってよい。

 だから「出自もよくわからないような」と言われれば、それは身分のことを言っていると思うのが普通であろう。

 しかし、奥方は違う。

 奥方は本当の意味で、自分の生まれがわからないのだ。


「……そうか、やはり、まるで自分に自信が無いのは()()が原因なのだね」


 私は、じっと奥方の碧眼を見上げ、自分のくだらない悪戯心を悔やんだ。

 宝石のようなその瞳は、不安に揺らいでいる。


 己の不明を恥じるとはこのことだ。

 彼女には昔の記憶が無い。信じるべき自分が無い。頼るべき基準が無い。

 自分に自信があるはずが無いだろう。

 自分の判断が、感情が、正しいのかどうかすら分からないのだ。


 例えば。

 赤子が親を慕うのは当然だ。それが初めて一緒に暮らす他人なのだから。それ以外の世界を知らないのだから。

 それと同じ事が自分の身に起きてはいないと言い切ることがどうして出来ようか。


 例えば。

 ある日ふと、記憶を失う前の自分はどういう人物だったのだろうと想像の翼を広げることだってあるだろう。

 自分の知らない過去に、それこそ身を焦がすような恋の経験が無かったと言い切ることがどうして出来ようか。

 

 自分の恋心すらただの刷り込みのようなものかも知れぬと。

 今のこの想いはまがい物かも知れぬと。

 そう、心のどこかで疑いながら、彼女はずっとここで暮らしてきたのだ。

 ティアのように無邪気に色恋の話にふけることなど出来るはずがない。


「すまなかったね。つい、要らぬ事を言ってしまった」


 奥方に向かって頭を下げると、興味深そうにペイルがこちらをのぞき込んでいるのが目に入った。

 小さく牙を見せ、あまり近寄るなとあしらうと、その獣は素早く飼い主のほうへ向かう。


「…………しかし、あの朴念仁は一度、爪で引っ掻いてやったほうがいいかも知れんな」


 自分と一緒に暮らしている女性が、どのような懊悩を抱えているのか一度理解すべきだ。

 群れの者が氷雨に濡れていれば、毛皮を合わせて暖めてやるぐらい獣だって出来る。

 それに気付かないのは、群れの主として失格だ。


「い、いえっ、そんなことはありませんっ。あの方は何も悪くないんですっ。とても良くして頂いて、私は今でも充分幸せ……、だと思います」


 その声色は、何かにすがりつくような響きを含んでいた。


「冗談だよ。――――だが、今のままでは、どこにもたどり着けないのではないかね?」


 二人が本当の意味で結ばれるためには、やはり記憶の回復が必要なのかも知れぬ。

 それがない限り、いつまでたっても奥方は心の底から主殿に身をゆだねることは出来ないだろう。

 恐らく奥方の記憶喪失の原因は、ミミから聞いたエルフの術とやらだ。

 だとしたら、エルフの国にはそれを解く術もあるのだろうか。

 

「……かも知れません。ですが、それでも今のままで、いいんです。この生活が続けられるのなら、それ以上は、望みません」


 何ということだ。

 奥方は記憶の回復を恐れてもいるのだ。

 失われた過去が、記憶が、自分達の現在を壊してしまう可能性を、恐れているのだ。


「…………。そうか。ならば私が口を出すことではないな」


 小さくため息をつくと、目の前のミルクの皿が穏やかな波を立てた。

 所詮は居候の身だ。冬が終わればここを出ていく立場なのだ。

 無責任に深く関わることなど出来ない。

 だが。


「ひとつだけ、言っておくよ」


 これくらいならば、許されるだろう。


「――過去を恐れるぐらい今が大事ならば、その想いは本物だとは言えないかね?」


 例えそれが刷り込みやまがい物に過ぎないとしても。

 それが正しくない事だと誰が言えよう。


「………………」


 奥方はじっと押し黙ったまま下を向いていた。


「ねえ、どうしたの、二人とも?」


 先ほどから我らのやりとりをよく分かっていない、若いご婦人は、あどけない顔で私と奥方を交互に見ている。

 それに釣られるように、ペイルもキョロキョロと周囲を見渡しているのが妙におかしかった。


「なんだかよく分からないけれど、リカはもっと自分に自信を持っていいと思うわ」


 口の端にパイのかけらを付けたティアは、堂々と胸を張り、高らかに宣言した。


「だって、そんな綺麗な金髪、貴族のお友達の中にだって居ないものっ!」


 思わず、ふきだしてしまった。

 貴族のお友達、ということは、それ以外のお友達も多いのだろうか。


「クックック……、ティア殿は良い妻になるな」


「な、何?私は今でも充分良い妻のつもりだわっ」


 戸惑いつつも口を尖らせる少女を見ながら、忍び笑いが聞こえてくるのがわかった。

 

「フフフ……」


 奥方もどうやら耐えきれなかったようだ。


「確かに、結婚も良いものかも知れぬな」


 いつか、国に帰る日が来たなら、まだミミが私を待っていたとしたら、その時は身を固めるのも悪くないなと、ふと思ったのだった。

もっとユルいお話にするつもりが、ちょっぴり重たくなってしまいました。やっぱりオチを決めずに見切り発車で書き出すと話がブレるなあ。

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