第11話 女学生②
会場に案内され、まず驚いたのは、そのステージだった。
昔の宮廷もかくやというほどの広さのフロアの中央に置かれた巨大な舞台で、雇われたのであろう人魚の踊り子が三人、優雅に踊っている。
招待された貴族達は、内心では品が無い演出だと思っている者も居るようだが、それでもこの舞台を用意するのにどれだけ金がかかっているかを考えれば、難癖を付けることも出来ないだろう。
踊りはもちろん素晴らしい。
人魚達はそれぞれ美しく煌びやかな衣装を身にまとっているが、そのパフォーマンスは男の劣情を煽るような類のものではなく、ともすれば芸術的とも言っていいほどのものだった。
だが、何より驚くべきところは、彼女達が踊っているそのステージだ。人魚達が自在に泳ぎ回ることが出来るほどの大きさのある水槽など、万国博覧会でもなければまず見られない。
巨大な一枚板のガラスは普通のものではないだろう。近年の工業化でそこかしこに見られるようになった安価なものではおそらくその大量の水の重さに耐えられない。
ドワーフ最新の高温炉を使ってアルケニーの糸を混ぜ溶かす高い技術を駆使することによって、透明度も堅さも失わず、さらに非常に割れにくいガラスが出来上がると聞いたことがあったが、この大きさでそんなガラスを使っているとしたら一体いくらかかるのか見当もつかない。
貴族達はやっかみを込めて資本家達の趣向を「成金の道楽」と馬鹿にする向きがあるが、わざわざこの舞台を作るためだけにこの水槽を用意したのだとしたら、まさに道楽ここに極まれりと言ったところだろう。
「お飲み物のおかわりはいかがですか?」
「え、ええ、お願いします」
黒い礼服に身を包んだ使用人が、所在なく立ち尽くしている僕のグラスに高価な酒を注いだ。
甘くとろみがあり、僕が普段口にするような酒とは同じ飲み物とは思えないほど芳醇な香りのするそれは、神話で知られるネクタル酒を現代の技術で再現したものなのだそうだ。
フロアの端に陣取る小さな楽団が奏でる上品な室内楽を耳にしながらこの酒を飲んでいる自分が、なんだか信じられない。
「はぁ……。場違いもいいとこだよなぁ」
僕の稼ぎではとても口に出来ないような料理の数々を目の前にして、思わずため息がでる。
今や絶滅が危惧され貴重なワイバーンの焼き物から、「王のスープ」の別名で名高いアスピドケロンのスープ、猛毒を持つため許可を得た一流の料理人しか扱えないバジリスクのキモの煮込み、これを食べると他の魚料理は食べられないとまで言われるレモラのムニエル、教会と諸侯の間で戦争が起こる遠因となったカラドリウスのローストまで、ありとあらゆる山海の珍味が白いテーブルクロスの上に所狭しと並べられている。
「リカを連れてきたら、どんな顔をしただろうな……」
小さくつぶやいて、丁寧にカットされたサンドイッチを一つ手に取った。
きつね色の焦げ目のついたパンの間にバターとマスタードが塗られ、パリッとした葉野菜と柔らかい燻製肉が挟まっている。いわゆる貴族好みのものではなく、遠方の開拓者の間で流行っていると言われるタイプのものだ。
こういう庶民向けの食べ物のほうが安心して食べられる自分が少し情けない。
「こういったものをちゃんと用意しているあたりも隙がないよな」
ただ貴族の夜会を模倣するのではなく、新しい風を取り入れていく若い姿勢は、今や時代の先端を行く資本家ならではのものだろう。
昔の学友で、貴族院の議員でもあるアルウィンがこの場にいたら、きっと歯がみして悔しがるに違いない。
今の人間社会は、広大な領地と伝統的な権力を武器にしてきた貴族階級から、最新の技術と莫大な経済資本を武器にする資本家階級の時代へと移り変わろうとしている。
多くの貴族はその波に飲み込まれ、没落し、アルウィンのような力を持つ貴族達はその流れを何とかして食い止めようと躍起になっている。
しかし、時代の流れに逆らうと言うのはそう簡単なことではないだろう。いつの日か、貴族という階級そのものが無くなってしまう日だって来るかもしれない。
「……ま、僕みたいなのには関係ないけど」
「――何がですか?」
「っと」
独り言のつもりがどうやら聞かれていたらしい。
振り返るとそこには僕がこの場にいる理由を作った女生徒がいた。
「挨拶が遅れて申し訳ありません教官」
優雅な仕草でカテーシーをするセリエは、普段教室で見るような地味な服装ではなく、それこそ貴族かと見紛うような裾の長い豪華なドレスに身を包んでいた。
白を基調としたその装いは彼女の赤髪が映えるように合わせてあって、いつもの知的な印象とはまた違う、華やかな魅力が引き出されていた。
恐らくこういう場に慣れているのだろう。豪華なドレスや装飾品に決して負けることなく自然と振る舞うその様は、僕と彼女どちらが貴族かわからないぐらいだ。
「いやいや、こちらこそ。本来なら真っ先に伺わなければならないところを、申し訳ない」
僕も彼女に頭を下げる。
「いかがですか?楽しんでいただけてますでしょうか?」
「あ、ああ。僕みたいなのには勿体ないぐらいの趣向で、恐縮しきりだよ」
「そんなご謙遜を。本当なら教官の好みをお聞きしておもてなししたかったのですけれど、何しろ私達だけのパーティでは無いので、ままなりませんわ」
おいおい。本気で残念そうな顔で言うのはやめてくれ。
フェアウェル家が僕のために催しを用意するなんて、冗談にしても笑えない。
「ですが、折角教官に来て頂けたんですもの。今夜は精一杯楽しみましょっ」
僕よりも幾分背の低いセリエは、こちらを見上げるように屈託無く微笑んだ。
胸元の大きく開いたドレスは、上から見下ろす格好だとどうにも目のやり場に困ってしまう。
普段の地味な衣装では気付かなかったけれど、彼女はかなり良いスタイルをしている。
おそらくリカよりも……と、これ以上は考えるのはよそう。
僕は目を逸らしながら、前から気になっていたことを質問してみた。
「ところで、どうして僕を招待したんだい?」
正直言って、何故彼女が僕に目をかけているのか、未だにわからない。
僕はただ、彼女にエルフ語を教えているだけなのだ。
「あら、生徒がお世話になっている教官をパーティにご招待するのがそんなにおかしなことかしら?」
「そういうわけじゃないけれど……」
「あっ、そうそう、紹介したい人がいるんだったわ。おーい!おっ父様ーっ!」
「えっ」
突然、この場には似合わない無邪気な声を上げてセリエが呼び止めたその人は。
「――――いつもセリエがお世話になっております。先生」
「いえそんな、セリエ君はとても熱心な生徒で、僕のほうが触発される事も多く……」
いったい何なのだこの展開は。
セリエの声に応じていそいそとやってきた「お父様」は、びっくりするくらい物腰が柔らかい紳士だった。
「そう言っていただけると親としても有り難い限りです。最初は女が大学に行くなどと反対したものですが、やっぱり私どもの頃とは時代が違うんでしょうなあ」
整えられた口ひげと上品な仕立ての礼服以外、どこにでもいるような風貌の中年男性は、白いものが混じり始めた頭をかいて控えめにはにかんだ。
これが「人魚達の生活を変えた」とまで言われるフェアウェル家の当主、ドレムス・フェアウェルか。
もっといかにもやり手な新進気鋭の資本家像を想像していた僕としては、戸惑いを隠せない。
「そうですね。最近では女性を受け入れる教育機関も増えてきておりますし、セリエ君のように男子よりも優秀な成績の生徒もいますから、これからは学問の分野で躍進する女性も増えてくるでしょうね」
ドレムス氏は娘と同じ琥珀色の瞳を大きく見開いて僕に詰め寄ってきた。
「おお、セリエはそれほどまでに優秀ですかっ」
それなりに飲んでいるのだろう。酒の臭いが鼻につく。
「え、ええ。僕の講義に参加している生徒のなかでは一番でしょう」
と言っても、僕の講義に来ている生徒なんて20人足らずのものなのだが、そこまで説明する必要はないだろう。それに、僕の目から見てセリエがずば抜けて優秀だという事実に変わりは無い。
「いやー、子供の頃から亜人の本ばかり読んでいて、どんな娘に育つのか心配でしたが、先生にそこまで言って貰えるのなら、私も鼻が高いというものですなぁ」
赤ら顔で、無邪気で人なつっこい笑みを見せるドレムス氏。
この人当たりのよさが、成功の秘訣なのかも知れない。
「そうでしたか。ではセリエ君の優秀さは子供の好きな分野を伸ばしてあげた教育の賜物ということですね」
「はっは。お世辞が上手い方だ。わたしゃ何もしとりませんよ。まあ、何しろ海運業の家の娘ですから、幼い頃から海に生きる者ばかり目にして来て、森の民であるエルフ達が物珍しいんでしょう。なあ」
そう言って、ドレムス氏は隣にいる娘の赤毛をくしゃくしゃと撫でた。
セリエはそんな父親の行動に嫌がるそぶりも見せず、くすぐったそうにして、「もう、お父様ったら」と笑顔のままだ。
商売を生業とする人々というのは、その笑顔の裏に何を隠しているかわかったものではない。
しかし、このフランクな親子を見ていると裏も表も無いような気がしてくるから逆に怖い。
「そう言えば先生は何でも、翻訳家をなさってらっしゃるとか」
「え?ええまあ。よくご存じで。売れない詩集ばかり訳しているような身ですが」
さすがはフェアウェル家の当主。僕みたいなのの職業まで把握しているのか、
……と思ったのだが。
「娘が先生の大ファンでしてね~。この人の訳す詩は良いっ!と何度も聞かされたものですから――」
「へ?」
その時だった。
僕がドレムス氏の何気ない発言に虚を突かれた途端、
「あーっ!!ダメーッ!!!」
突然のセリエの甲高い声に、会場の視線がこちらに集まる。
「お父様、それは秘密でしたのにぃーっ!」
「おや?そうだったのかい?」
「そうだよう、もう!これじゃまるで私が憧れの人とお近づきになりたくてここに誘ったみたいに思われちゃうじゃないっ!!はしたない女だって教官に嫌われちゃうわっ!」
セリエが顔を真っ赤にして父親に抗議する。
普段の大人びた雰囲気からは想像も出来ない彼女の口ぶりに唖然としてしまう。
「え、あ、いや、そ、そんなことは……」
「こういうのはもっとこう、自然な流れで恋仲になって殿方からのお誘いを待つのが作法なのにぃ!貴族の女性はその気があっても自分から誘ったりしないって本に書いてあったのにぃっ!!」
恋仲って……。
それに、その資料はちょっと古い本だと先生は思うな。
「せっかく、教官と生徒って自然なかたちでお誘いすることが出来たのにぃ!もうっ!!」
完全に気が動転しているセリエは両手をわたわたとさせながら、声を荒げる。
「セ、セリエ、ちょっと落ち着きなさい」
さしものドレムス氏も、娘の発言に狼狽を隠せない。
「そ、そうだよセリエ君。周りの目もあるんだから」
広いフロアは好奇の目と沈黙に満ちていた。
気付けば、水槽の中の人魚達すら、何事かと興味深そうにこちらを見ている。
「……あ」
「………………」
我関せずと自らの楽器に没頭する楽団だけが、押しつけがましくない室内楽を奏で続けていた。
「きょ、きょきょきょ教官。ば、ばば場所を変えましょうっ」
我に返ったセリエが目を潤ませながらなんとか絞り出した提案に、僕はどぎまぎしながらも同意した。
◆◇◆◇◆
「――先ほどは取り乱して申し訳ありませんでしたっ!」
広く上品なバルコニーの上でセリエが必死に頭を下げる。
この時期、さすがに夜のバルコニーというのは寒い。
おまけにこのあたりは海が近く、どことなく潮のにおいのする風が僕達をなでていた。
が、酒や先ほどのドタバタで火照った身体には、その風もむしろ心地よく感じられる。
「い、いや、気にしてないから。それにしても驚いたよ。君が僕の翻訳を読んでいたなんて」
か細い声で、彼女はぽつりぽつりと種明かしを始めた。
「……数年前のことです。教官の訳された詩集を読んだのは。昔からエルフ詩は、ときどきつまんで読む程度だったのですが、あれは衝撃でした」
フロアから漏れてくる灯りが、彼女を照らす。
その赤毛は風にあおられ、先ほどのなごりが残る目の周りは少しだけ腫れていた。
「もちろん作品自体も素晴らしいのは間違いありません。ですが、ひとつひとつの言葉使いが、とても個人的な、という言い方はおかしいのかもしれませんが、他の翻訳物にはない、自然な暖かみみたいなものが感じられて……」
僕が言うのもあれだが、エルフ詩を翻訳するというのはとても難しい。
エルフ語自体が難解な上、詩というジャンルのため、どうしても翻訳では伝わりきらない部分が出てくる。もちろん言葉にしたときの美しさも重要だ。素直に訳すと作品の持つ雰囲気が削がれてしまうことだって多い。そのため、世の中の翻訳家達は、適切な表現を求めて苦心することになる。
もちろん僕も例外ではない。特に初期の頃は気負いもあり、一節の文章に何日もウンウンとうなっていた日々もあった。
セリエがそんな僕の翻訳を褒めてくれるのは嬉しい反面、複雑な気持ちもある。
翻訳家というのは自分が主役になってはいけない。
作品そのものを味わってもらうのが大事なのであって、あくまで僕達は媒介に過ぎないのだ。
「もちろん原文で読んだことがないのでわかりませんが、この人はとてもこの詩が好きなんだろうな、と思えて。そこまで好きでもなかったエルフ詩にのめりこむきっかけが、教官の本だったんです」
じっとバルコニーの向こうにある何かを見つめながら、セリエは続けた。
「もっとエルフ詩について学びたいと思って、周囲の反対を押し切って入った大学に、まさかそのきっかけを作った人が教えに来るなんて、最初は信じられませんでした。……運命、なんて言葉を気軽に使いたくはありませんが、この偶然にときめかないほど、私は大人じゃなかったんです」
「そうか……」
いくら僕でも、セリエの気持ちにはさすがに気付く。
というか、まあ、さっきのアレを聞いていれば当たり前のことなのだが。
「講義は、夢のような時間でした。憧れだった人が目の前でエルフ詩について熱く語っている、質問をしたら優しく答えてくれる。そういう営みを交わすうちに、もっとこの人のことが知りたい、お近づきになりたいと思うようになって」
彼女の熱心さは、意外なところにその源泉があったというわけだ。
その理由がまさか自分だとは思いもしなかったけれど。
ようやく落ち着いたのか、彼女は軽く伸びをしながら何気ない風を装いながら喋り続ける。
「これでもがんばって計画を練ったんですよう。貴族の方の交際の作法なんかを本で調べて。講義で何度も質問して、理由を作って、少しでも顔を覚えてもらえたらなあって。そして、今日のパーティをきっかけに良い仲に、なんて。……色々台無しですけれども」
……なんて不器用な娘なんだろう。
自分の想いを伝えるのに、わざわざ本を調べ、そこに書いてあることを鵜呑みにし、逆にそれに縛られてしまって妙な遠回りをして。
ちょっとした失敗に子供のかんしゃくのように我を忘れて涙まで浮かべてしまう危うさを持つ、うら若き女学生。
学生としてはとても優秀に見えた彼女も、まだまだ大人になりきれていない素の顔があったというわけだ。
「まあ、お父様に口止めしてなかった私がうっかりしてたんですけどね。家族に紹介してしまえば、なあんて下心がよくなかったのかしら」
自嘲ぎみの笑みを浮かべ、かわいらしく舌をだすセリエ。
もしリカがいなければ、僕は彼女の気持ちになんて答えたのだろうか。
それは若い乙女が抱きがちな、ほのかな憧れに過ぎないと目を覚まさせてやっただろうか。
それとも――。
小さく風が吹いた。
「――くしゅんっ!」
「ほらほら、そんな格好でいつまでも夜風に当たっていたら風邪をひいてしまうよ」
僕は自分の上着を脱ぎ、襟ぐりの大きく開いたドレスの肩にそっと被せた。
「……優しいんですね。この状況でそんな態度を取ったら、誤解されますよ」
琥珀色の瞳が、こちらを見上げてくる。
情けないことに、僕はその瞳から逃げるように目を逸らした。
「教え子の身体を気遣うのは当然のことだよ」
「もう。少しは気持ちの整理をつけさせて下さい。……その気もないくせに」
「え?」
「――だって、教官にはすでに思い人がいらっしゃるのでしょう?」
この年頃の娘というのは、いくつもの表情を持っているものだ。
彼女が見せたいたずらっぽい笑みは、幼子のように無邪気にも、ぞっとするほど妖艶にも見えたのだった。
またも次回に続きます。




