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課題:上層部と接触

「不意の予期しえぬ状況。武装も作戦も無く、そんな状況で貴様等がどういった行動を取るのか……いわゆる抜き打ちテストのようなものだ。油断しきった夏休み中が良いと思っての事だ」

 エミリアは涼しい顔でそう告げる。先日の大変な揉め事の渦中に居た、エイダを初めとする四人は殺風景なミーティングルームに召集されるや否や、彼女のそういった説明を聞かされていた。そうして各々が思惟するような仕草を見せ、内二人がそうだったのかと手を叩いた。

「やっぱりね、トキがあんなに強いのはおかしいと思ったのよ。まともに訓練に出てないんだから」

「いやお前トキをバカにすんな。でも確かにありゃ出来すぎてた。アイツは演技が下手だな」

 それぞれ口にし、二人は笑顔のまま頷き納得する。残る二人は疑問を残したまま、だがエミリアに何かを問う事無く彼女の言葉に耳を傾ける。

「しかし今回は敵役行動が過剰だった為、評価には加算しないでおいてやる。気を緩めすぎるな、と言う事だ」

 そういう彼女は心の中で一際大きい溜息をついた。

 ――もちろん、こんな報告は真赤な嘘であり、そもそも彼等が適正者に絡まれたなんて話は衛士からの電話によって初めて知ったのだ。こんな事があったからなんとか口裏合わせして誤魔化してくれと電話先で懇願され、一応彼の実力自体が隠蔽要因であるために、仕方なく赴いたのだ。

 久しぶりの休息の二日目。確かに呼び出されればここに来ることもやぶさかではないし、衛士の話ならば四人の中でも二人は話を信じ、一人は半信半疑で、残る一人は確実に信じないというものだった。そして実際、彼女がその場をざっと見る限りでは彼の言う通りだったのだが、その場に衛士は居なかった。

 さらに彼の後押しによって九割近くを、隠蔽不可だと思われた事柄を隠し通す事が出来るはずだった。

 しかし彼が居ない理由が今回の適正者同士の喧嘩であるために止めようが無く、彼女は大きな嘆息の後に、彼が既に失せた寮へとやってきたのだ。

 最も、呼ばれた理由などは建前に過ぎない。重要なのは呼んだ人物だ。彼女も、最後に”それ”と相対したのは三月下旬――時衛士が憲兵に殺されかけた事があった際、彼が任務の為に地下空間ジオフロントを出ている間に訪問したのが最後だった。

 その時のことはあまり思い出したくは無いが、そのお陰で”彼等”にとって時衛士という存在が実力、素質以前に、その個体だけでも十分に重要な人間なのだと理解できた。何を企んでいるのか分からない。単純に、時間回帰に敏感だからなのかもしれないが、それでもあまりにも行き過ぎた期待だということは良く分かった。

 恐らく、そもそもの副産物に対する資質が高いから特異点に近いだろうと、それ故に大切に育て上げているのかもしれない。だから無理にでも任務に追いやって幾度もの死線を越える事によって人間として、そして適正者として成長させているのかもしれない。

 彼女はそう考えて、雑談をし始める少年少女を静めるために手を打った。

「九月には仕上げだ。決して怠惰せず、自身を高めるよう健闘しろ」

 そう口にすると、それぞれがまた返事をする。彼女の役割はそこで終え、ようやく解放される。呼び出されたのが午後四時で、現在は午後六時だ。時衛士が呼び出されて二時間以上が経過しているからそろそろ戻る頃だろうとは思うが、待つにも暇だし、彼ならば状況を見ただけで上手くやれた事を理解してくれるはずだ。

 彼女はそう確信して学校の教室のような構造であるそこを後にする。それからややあって同じようにミーティングルームを辞して――膝丈のワンピースに黒のカーディガン姿のエイダは、彼等が自室へ向かうのとは別方向、エミリアが向かった方向へと駆け出して、間も無くその後姿を捉えた。

「あの、エミリアさん!」

 声を掛けるまでも無く彼女の足は止まり、振り向く最中であったのだが、ついて出てしまう声音は止めようが無く紡がれる。相変わらずのタンクトップ姿の彼女は涼しい顔でエイダを見ると、やや表情を曇らせて短く息を吐いた。

「なんだ、私の課題は一切無いはずだが」

「誤魔化さないで下さい。あれで上手く隠したつもりですか?」

 ――同年代の女性に敬語を遣われるのは、思っていたより斬新だった。

 年季キャリアと立場以外では何ら変わらぬ年頃の娘はエミリアと同い年である。それを知るのはエミリアだけなのだが、彼女は恐らくこの娘には年上に見られているのだろうと思って少しばかり、勝手にショックを受けていた。

 本来ならば保健医以上に気軽に話し合える関係になれるはずだ。男性の適正者の年代は幅広いが、どうにも女性のそれは少ない。殊この年齢付近は特にそうだった。

 年齢相応の風貌に、落ち着きを持つ彼女ははやる気持ちを抑えるようにして一拍置いて、それから声を絞り出す。

「彼の実力はなぜ隠されているのでしょうか? 私には少なくともアレが嘘だとは思えないし、信じるつもりもありません」

「……いや、貴様がどう思っていようと関係ないが、一つ良いか?」

 気まずげに、というよりは複雑そうに顔をしかめて頬を指先で掻いてから、彼女の首肯に応じて頷き返す。下手な緊張のせいで浅くなっている呼吸から大きく深呼吸をして、飽くまで静かに言葉を紡いだ。

「実力実力と言うが、時衛士の実力が一体何なのか理解出来ているのか? 奴の力も速さもそう秀でたものではない。誰もがたどり着ける境地だ」

「実力……彼が備えているその能力。私は考えたのですが――やはり、良く分からないんです。相手に畏怖しない? 冷静でいられる? 自分の力を過信する事? しかしそれでは昨日の活躍をする事が出来ない……」

 彼女は自身の不甲斐なさを嘆くように俯き、エミリアはそれを鬱陶しそうに息を吐いた。

 衛士が居ない際に限って良く話題の中心となる彼は人気者なのかと思われるが、実際にはただ良く分からない存在だから気になるだけであった。彼女はそれを理解し、なにやら可哀想な男だと苦笑交じりに、やや間を空けてから自身が考える衛士が持つただ一つの強みを答えてやった。

「深い思考だ。それによって生まれる洞察眼」

 相手と自身を計り、そこで相手が生み出す隙や力を利用する。彼が自身を強いと考えていても潜在化では未だ弱小だと考えるが故に、半ば自然にそういった行動を取ってしまう。だから彼は一見強く圧倒するようにも見えるが、正々堂々と挑み掛かる人間が相手ならば勝利する確率は極端なまでに低くなってしまう。

 いわば奇襲ゲリラ専用だ。細心の注意を払い、一切の隙も見せずに戦う完璧主義者が相手の場合などは眼も当てられぬ結果になってしまうだろう。

「それ、だけ……ですか?」

「ふむ。貴様がそれをそう思えるのならば、貴様の将来は有望だな」

「いえ、私は決して……」

 格下が相手ならば無駄な事を考えずに相手をすることが出来る。だが格上、自身より実力が上が相手なら、いくら戦闘に慣れようとも慎重になってしまう。どちらも油断などは決して出来ぬが、必要な余裕が持てなくなってしまうのだ。

 それ故に心を落ち着かせることが出来ず、本来ならこなせる技術にも不備が出る。そこを相手に見抜かれ逆手に取られてしまえばあっけなく倒されてしまうのだ。

 時衛士の場合は誰が相手でも酷く慎重に対峙する。その為に格下、格上に関わらず誰が相手でも意気込みや心持ち等に差は無いのだ。だから慢心も油断も無く、溢れる緊張も恐怖もある一定に保たれる。

 それを実戦でやって見せるのは、考えるよりも比較的難しいことだった。

 だがそれだけだ。歴戦の勇士ならばその程度のことは容易いし、それ故に、衛士が強いとは一概に言いきれることではなかった。

 ただ年齢、経験の割にはやる。彼はそう見られているだけである。

「人に向ける関心を少しでも自身に向けられれば良いのだがな」

 それはこの訓練校に居る多くの訓練兵に言えることだった。

 彼女はそう言われてはっと自身のはしたなさに気付いたように苦笑し、それから徐々に頬を上気させるように紅潮させる。エミリアはもう用は済んだだろうと見限って、彼女に背を向けた。

「ともかく立場は貴様と変わらん。今までと同じように接してやれ」



 目隠しをされ、後ろで組んだ手には手錠をかけられ、腕は革製の拘束具で巻かれ身動きが取れない。幸い下半身には鉄のパンツでも穿かされたような違和感しかなく不自由は無いのだが、両脇に入る屈強な男たちが酷く厄介だった。

 先日のチンピラなどは屁でもないほどの威圧を持ち、そして一切の油断も慢心も持たぬ戦士の気配。これでは隙も見出せず、まともな戦闘しか行えない。だから逃げ出そうとして、仮に戦う羽目となってしまった場合――死を覚悟しなければならないだろう。

 だがどちらにせよ逃げるつもりなどは毛頭無い。ようやくこれから会いたいと思っていた人間に会えるのだ。それを自ら断ることなど、今の衛士に出来るはずも無かった。が、彼が考える全ては憶測に他ならない。なにせ、情報などは一切与えられていないからだ。

 衛士はなんでこんな事になったんだと嘆きたくなるも、そうすることさえも不自由で仕方なくこの車に乗る直前の事を思い出す。

 彼は寮の前でエミリアを待っていた。そうしていた筈なのに、突然現れた装甲車が彼の前に止まって、息をつく暇も無く肉薄した男達に一瞬にして囲まれ、痛烈な一撃のもとに意識を失ったのだ。

 目を覚ませばエンジンの駆動音が耳に届き、車の振動が身体に感じる。さらに加わるのは男たちの、ほんの些細な息遣いだった。

 会話などは一切無く、拘束を無理に外そうとすれば首筋に冷たい何かが優しく触れる。だから衛士はただ大人しく、その堅苦しいシートの上で静かに目的地に到着するのを待っていたのだ。

 が――瞬く間に胃の内壁を溶かすような凄まじい緊張によるストレスが、思わず衛士を口走らせる、その直前に彼の首筋にはまた鋭い冷たさが静かに触れた。

「トイレ休憩はまだですか?」

 滑稽な一言だった。彼はそうした後に、刃物が押し付けられる力が緩やかに抜けていくのを感じて、ほっと胸を撫で下ろす。だが当然のように答えは返ってこない、そう思われたが、ややあってから、低い重低音のような声音が彼の耳に届く。

「垂れ流せ。襁褓むつきを穿かせてある」

「む、むつ……?」

「おむつだよ。ま、ズボンの上からだから意味はないけど」

 疑問を呈すると気軽な声が反対方向から返ってくる。衛士はなるほどと頷くと、首の手前で待機していたらしい刃の腹が俄かに顎に触れてしまった。

 彼は驚いたように肩を弾ませると、籠るような咳払いの後、その付近からの気配が失せた。少しばかりの配慮のお陰だろうと思い、それから、彼の一言から、場の重苦しい雰囲気が僅かに晴れたような気がした。

「ミスタ・エイジ。先に言っておくが俺たちゃ何の情報も持って無い。ただ上からお前を連れて来いと言われただけだ。だからお前が何をしでかしたのかは分からない。そもそも大事だったらこんな事する前に処刑されてるからな」

 陽気な男の言葉は流暢な日本語だったが、それでもやや癖のある発音や一文ずつ区切る喋り方で、日本人ではないことが察せられる。そして彼の言う事では、少なくとも衛士が何か悪さをしているようではない、と彼等が思っているらしかった。

 それには幾らか助かったような気もするが、それでも念のために犯罪者同様の措置を取っている事には気が重くなってしまう。彼等がそう思っていなくとも、その上役とやらが違えば違うのだ。昨日の今日だからこそ、嫌な予感が脳裏にちらついて仕方が無い。

「あんたらは適正者なのか?」

「そいつは話せないな」

「そうか、残念だ」

 立場の違いで話せることと話せない事がある。警備……いわゆる一般兵には副産物関連の一切が機密事項であるが、適正者なら違う。ただ、鍛え抜かれた一般兵も適正者も、戦場での戦闘能力での差はそう大きくは無いという事を理解している為に、衛士がその一般兵を軽視しているわけではなかった。

 アフリカのテロ組織掃討作戦や、それ以前の幾つかの作戦で一般兵と肩を並べる機会があったが、単純な戦闘では彼等のほうが腕が立つというのが本当のところだった。だからといって彼等が衛士を毛嫌いした侮り侮蔑するという事はなく、そう威張り散らさず、且つ強くは無い彼とはよく親しい態度で接してくれたのだ。

 特殊部隊のような役割の彼等は、その実力だけならば副産物を持つ適正者とは引けを取らぬ強さを持つ。衛士はそれを確信していた。

「だが、お前の話は度々耳にする。何よりも、一部の一般兵には人気だしな」

「……でも、調子に乗ってる今のうちにぶっ殺そうぜーみたいな人達も居るんでしょ?」

「ま、一部にな。大部分は『期待のルーキー』って認識だな。少なくともお前の”活躍”は悪い印象ではないな。将来が有望な奴は良い。死人が少なくなるからな」

「期待に添えるよう尽力します」

 衛士が殊勝に答えると、陽気な男はからからと笑って肩を叩いた。片方の無口な男はそれを見て、「あまり話しすぎるな」と静かに制し、彼はいい加減な返事で了解した。

 そうして再び沈黙が訪れるとき、衛士はふと気付いてしまう。

 ただ漠然と、自身の活躍と、そして夏休みと言うタイミング的にリリスの上層部に呼び出されたのだと思い込んでいたのだが――もしかしたら、先日の男たちのお礼参りかもしれない。

 そう考えると彼の目の前に突如として現れ、手荒に連れ去ったのも頷けるし、そうでないのならば理由が分からない。あまりにも乱雑な扱いすぎやしないか、というものだ。わざわざ暴力で意識を奪わなくとも他の方法があるのは確実なのだ。

 だから、顎が震え歯が鳴るのを抑えながら、彼は恐る恐る口を開く。これだけでも途轍もない勇気が要るのには、彼自身、その可能性が大きいと理解しているからだった。

「あの、もしかしてオレいま拉致られてるとか無いですよね……?」

「ま、ある意味拉致ってるけどな」

 車の速度が落ちていくのを身体に感じる。それから間も無く車は停車し――衛士は再び、その腹部に痛烈な打撃を与えられ、呼吸もままならぬ激痛に喘ぎながら、身体を折り曲げて意識を失った。

 

 ――そうしてから意識は間も無く回復し、気がつくと身体は未だ拘束されたままだった。

 硬い椅子に座らせられ、背もたれを背中越しに抱くように腕を封じられ、足は椅子の脚に括りつけられている。衛士がそれらを確認するように身体を動かし始めると、近づく気配が素早く衛士のアイマスクを取り除いた。

 ぼやける視界の中で必死に辺りを見渡すと、そこは途轍もなく広い空間だ、というのが初めの印象だった。

 周囲は天井から壁までが暗く、点々と明かりを放つ小さな粒が広がる。壁と天井との境目は無く、それ故にその場所はプラネタリウムのような空間だと認識した。

 後ろを向けば扉は無く、というか周囲を見渡して存在するものなどは何も無い。あるのは、否、居るのは背後の、戦闘服姿のマスクを被る二人だけだった。

 だから、ここが広い空間というわけではないだろう。恐らくこれは実際にプラネタリウムのようなもので、この部屋の中に居る人間も衛士を含む三人だけ。

 彼がそう考えていると、不意に目の前に明かりが灯る。衛士はその何かが作動する反応に目を向けると、天井へと伸びる光の柱はやがて人の形を造り始めて、やがて間も無く、それはまるでその場に人間が立っているかのように、鮮明な人の姿を現した。

 自己主張逞しくその身体から放つ光は、暗いこの部屋であるが故に目に痛かったが、それでも衛士はそれを注視する。

 少なくともお礼参りではなく、そして上層部に呼ばれたことが確実だと確信を持てた為に、心はある種の熱を帯びていた。だから決して感情が暴発しないように心を落ち着かせるために、まず初めの冷静な行動、思惟が大切だと彼は考えたのだ。

『良く来てくれた。感謝する』

 しわがれた声が外部スピーカーを介して、部屋の様々な箇所から大音量で言った。大きな音量ゆえにその後一秒程度が空間に響き、その為に、空間内は決して狭くは無いのだと教えてくれた。

 三次元映像ホログラムは等身大であり、距離は衛士から五、六メートル程はなれた位置にある。それが手を広げ、身体の前面に掛かるマントを翻すと、中には濃い茶系のスーツが映る。やや肥満体型のずんぐりとした体型であったが、声や格好からはそこはかとない威厳が伝わってくるようだった。

 顔には影が掛かり、分からない。衛士は男の声に答えず沈黙を守っていると、不意に武骨な手のひらが力任せに頭部を掴み、力を加える。頭部を圧迫するような強い力に衛士は顔をしかめながら、搾り出すように答えてやった。

「ど、どういたしまして……!」

 口を開けば素直に手は引き、残るのは激痛の余韻のみ。衛士はさする事も出来ない頭部に意識の大部分を持っていきながらも、自身の理不尽に怒りせざるを得なかった。

 元々は目の前の男が全ての主因と言っても差し支えないはずだ。家族を殺し、そして自身をこの世界へ招いた張本人の一人のはずだ。手に握るナイフを相手の胸に突き立てる事こそあれ、相手を敬いへつらって自分を殺し、挨拶などをしてやる義務などは無い。

 だというのにこの状況は、そして自身の不甲斐なさは――。

 強大な組織だという事は、任務を介してよく理解することが出来た。肌に感じたのだ。

 転送に、副産物。そして人材の育成はご覧の通りの見事さだ。そして地下にこれほどの空間を作り、街を構成する……どう考えても一人では、足掻くことが出来ても抵抗はおろか反乱する事が出来ない。それをした瞬間に、この首は肉体から切り離されていることだろう。あるいは頭部を弾き飛ばされているか。

 最も殺され方などは問題ではない。重要なのはその行動の早さだ。異常すぎるその速度で組織へ潜入し、すぐさま制圧する。巨大な施設を一人で吹き飛ばすような人間がこのリリスの中には無数に存在している。

 衛士は、以前までそんな常識破りな巨大すぎる軍事力をたった一人で潰そうと画策していた。この組織で育てられ、ある程度の実力を身につけその恩恵にあやかった所で、恩を仇で返すように中から破壊していく。そう考えていた。

 だが――ここで時を重ねれば重ねるほど「本当に一人で敵うだろうか」「いや敵うわけが無い」「無駄死にが精々だ」と思うようになっていた。圧倒的な力を自身が感じて、物怖じしていたのだ。

 三月ごろに流していた熱血はいつしか冷め、今ではいかに平和な生活を、そして自身を高められるかだけを考えていた。

 間違っても、いつ敵を欺きどこにあるかも分からぬ本部へ飛び込もうか等とは、露ほどにも思って居なかった。

 衛士は今の行動で自身の、逃げていた全てを思い出し、理解し、憤慨し、失望していた。

 どうしようもなく情けない。自分で自分を殴り、我武者羅に走り出して自身を痛めつけてやりたかったが、今では身動き一つ取ることが出来ない。まるで自分とリリスの関係を示しているようだった。

 ――目が醒めるようだった。

 生温い湯に使っていた身体が、途端に極寒の雪原に放り出されたような気分だった。

 誰に好かれようと嫌われようと、リリスが実力を隠せと言おうがなんと言おうが、全ては関係が無かったのだ。

 オレはオレだ。全ての悪意を受け止めても、自身が悪意の権化になっても構わない。

 この命は、この肉体はこの組織を潰す為だけに存在している――。

 やがて、険しく眉間にしわを寄せ、歯を食いしばり、鋭い目つきで目の前のホログラムを睨む衛士に、再び声が降り注いだ。

『随分と、先とは目つきが変わってしまったな。わたしは先ほどの方が素直で好きなのだがね』

「オレに用事があるんだろ? だったらさっさと済ましてくれねぇか。オレはアンタに構ってるほど暇じゃあないんでね」

 背後で動く気配がある。衛士がそちらへ顔を向けようとすると、「やめろ」と重低音が行動を制した。

『君の言う通りにしよう。出来る内にね』

 その言葉の後にくすりと軽く笑う声があり、衛士がそれに怒声を散らそうとするよりも早く次が来た。

『トキ・エイジ。君はもう夏休みを満喫し始めているかな?』

「白々しい……昨日帰ったばかりで、まだ課題の紙すら目を通してないよ」

『なら君が望む通りの力を得る手助けをしよう、という提案はまだ知らないのだね』

「あ? どう言う事だ。紙面に――まさか、ミシェルもこの事を?」

 男の言葉から察して口を開くと、男は満足げな声で「もちのろんさ」と頷いた。

 ――彼の言う言葉から知れるのは、衛士を強くしてやろうと彼等が考えていること。そして紙面にそれが記されていて、その紙を用意したのがミシェルであると保健医が言っていたことから、彼女がこのことに関係しているのは明らかだった。

 まさか、これほどまでに裏に手を回されているとは思わなかった。というか、考えたことも無かったのだ。

 考えたくも無かったというのが正しいのだろうが、少なくとも、彼女の記憶が消されている時点でリリスの毒手に掛かってしまったと考えられるものだった。それを今ようやく理解できたのはやはり自身の精神的未熟さが隙となっていたと言う事である。

「てめぇ……っ!」

『はは。だがね、自分の力の真髄を見てみてからでも遅くないのではないのかね? 無論、君の企みを知らぬというほどわたしは気抜けではないが――協力をしようと言っているのだよ。この意味がわかるかね?』

「自信がある……いや、眼中に無ぇってのか? その上でオレを他同様に便利な道具として使うってんだ。酷ぇ話だよな」

『ふ。ま、及第点と言うところかな。君は良い、流石だと言いたくなる』

「実験体だ」

『驚いた……満点だ』

 男が手を叩く所作を見せると、その音が鼓膜を打撃するように振動して聞こえる。衛士が呼吸を乱し、拘束が解けぬともその無様な格好のままで暴れだそうと言う腹を決めた瞬間、彼は手を止め、すかさず口を開いた。

『わたしとの契約。この課題はクリアだ』

 男は愉快そうに笑って――瞬間的に姿が消える。

 空間は再び闇の中に蹴落とされ、光に慣れた視界は星を意味する光の粒を捉えられない。

 衛士が怒りの臨界点を突破して、我慢ならずに言葉に成らぬ咆哮を挙げようとした瞬間、今度は後ろから首筋を掴まれ、頚動脈を凄まじい力で圧迫される。次の瞬間には眼窩が縮み眼球が圧迫されたような苦痛が襲い、視界にノイズが走って、再び気絶した。

 それから――彼が拘束された格好で寮の前に道路に横たわっている所を発見されるのは、丁度エミリアがエイダからの相談から解放され、帰宅しようとした際の事であった。

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