八月十四日
「及第点、と言ったところかな」
傷だらけの机の上で、男はフライドチキンを鷲掴みして貪りついていた。
「貴様は予知の能力だな? 視えた先に視線が動く癖がある……良い癖だ。こいつを逆手にとって、貴様は視えた未来のさらに先を考えるべきだ」
「さらに先……」
「そそ、見えないモノを見ようとするんじゃなくて、視えているモノから見えるべき未来を想像するのがパーペキでふ」
両手にチキンを握りしめた男は、油に塗れぬ手の甲でずれたメガネを押し上げた。シャツは持ち前の贅肉によって今にも裂けてしまいそうな程にぴちぴちで、大きな尻が乗るパイプ椅子は今にも崩壊するのではないかと悲鳴を上げていた。
その彼は、ハーガイムがこの日本に来る際に”米軍に残しておくのは癪だから”と引き抜いてきたただ一人の部下だった。この、彼こそ巨漢と形容すべき見事な太っちょは、ハーガイムの説明によれば『天才的な才能を持つ凄腕ハッカー』らしい。
衛士はその言葉を聞いて、確かにいかにもな人だなと胸に留めるだけだったのだが――さらに加えて『盗撮が趣味で、一度もバレたことがないらしい』との情報が追加された辺りで、衛士は言葉を失った。
どう反応すれば良いのかという訳ではない。こんな、純粋な危険人物を寄越して衛士は心の底から心配だったのだ。
――瓦礫や木屑が散乱する食堂で悪態を付いたのはハーガイムだけで、予想通りに、その太っちょは”ボクの部屋のほうがキレイだけど、ここもそうでもないね”と言って特に気にした様子も無かった。
「トーキくんの体術は、まぁ合うものを育てればある程度のレベルに到達するみたいだけど。でも見えた未来だけで勝負するのは無謀だよね。だってプロって大抵、トーキくんが視てる未来よりさらに何手も先を読んでるんだし。でも射撃の腕がいいらしいから、そっちを重点的に伸ばしたほうがいいよね。予知も十分、それを補助できるし――だから明日っからボクが教えてあげまふね」
「……はぁ?」
「くはは! まぁコイツはこんなナリだが狙撃の腕は専門家だ。盗撮の技術は狙撃に活かされている」
「ぶっちゃけ透明人間になれる特殊能力があれば効率もっと上がるんだけどねー」
「アンタはなんの効率上げるつもりだよ」
恐らく年上であろう男だが、衛士には尊敬するつもりは勿論、敬語さえも使うつもりは毛頭なかった。
そしてこの男もそれを気にした様子もなく、豪快に肉を食い散らかすように骨から引き剥がして、口の周りを油でベトベトにしながら咀嚼した。
「伸ばせば一般人レベル、それから達人レベルになるならそうした方が良いけど。でもどうせなら既に伸びてる部分をさらに伸ばしたほうが良いのは周知の事実」
「ま、そこいらは全てお前に任せるが……ところで、お前がここに住むに当たって仕事をすることになるのは勿論分かっているよな」
「へあっ?! ちょ、何いってんの?」
「働かざるもの食うべからず。年下でさえも死に物狂いで働いているというのに」
ハーガイムは言いながらナプキンで油にまみれた指を拭き、それから紙コップに注がれる炭酸飲料を一気に飲み干した。苦痛を堪えるような顔のあと、彼は一つゲップを吐き出した。
「ガイムさん、あんたは?」
「わたしは特異点として招かれているんだ。そちらの方面での研究に協力するという事でやってきたのだ」
「と、トーキくんは?」
「オレは一応訓練兵だけど……ま、任務も結構頼まれるし」
男はうろたえ、やがてその顔面が蒼白に染まりつつあるのを衛士は感じていた。
どこまで働くのが嫌なのか、およそ衛士には想像がつかない。そもそも働くという事に何を想像しているのかすら判然としない、明らかに大げさすぎる反応だった。両手に握る骨だけになったチキンをテーブルに落とした彼は、それから立ち上がるでもなく、身を乗り出す様に両手をテーブルに叩きつけて背筋を伸ばした。
「か、帰る! ボクのSVDは?」
「SVD?」
衛士の問いに、男はレンズの奥の小さな眼を釣り上げるようにして睨んだ。
「スナイパースカヤ・ビントブカ・ドラグノフ! 愛銃だよ!」
「あぁ、あれは船坂に預けてある」
「んだよもう! 仕事ったって、あいつらどうせ超長距離精密射撃とか要請してくんだろ? ざっけんなよもう! ドラグノフはどっちかってーと連射機能重視だし、精密狙撃はM70って決めてんのにさぁ!」
言葉から、それが恐らくウィンチェスターM70である事が分かる。どうやら何かのこだわりを持っているらしい発言で、いかにもプロが素人に対して憤慨しているサマであったが――どうにも声帯が贅肉に押しつぶされているのか、鈍いような低く篭った声には威厳はおろか迫力すら持つことは出来ていなかった。
それと同時に、いかに彼がそれまでリリスという機関にコキ使われていたかが良く分かった。米軍に所属していたという両者だが、話の流れからすると殆ど軍自体が機関の一部と化しているらしい。日本は自衛隊であるために、動かしにくいからそういった事がないのだろう。
そういった所にやはり国際的な差異を感じて些かの衝撃を受けながらも、衛士は特にリアクションも取らずに自身に割り当てられている紙コップに口をつけた。
「自重しろ、ヤコブ」
「……でもさー、能力者っておかしくない? 人がどんだけくっせー泥被ったりギリースーツの上に落とし穴の隠蔽みたく草木被ったり、狙撃銃だってガムテ巻いて光沢消して色同調させたりしてんのに、四○○メートルの距離ですら外れるんだよ。それ何人も。デブじゃなくても死ぬよ、過労で死ぬよ」
「おいおい、誰も暗殺の仕事をしろって訳じゃあないぞ?」
「……ん?」
「懐かしいだろう。歩兵として動け」
「ちょ――人を、殺す気で? この身体じゃいい的でふ!」
「はは。死ぬ気で動けば痩せるんじゃないですか?」
「……おいトーキくん、夜道を歩くときは気を付けろよ」
「――ところで、ヤコブって名前も珍しいですね。どこの人なんですか?」
ごく自然な話題転換。
いくらかヤコブの対応も飽きたのか、面倒そうな顔をしていたハーガイムが衛士の問いに気づいたように視線を流した。
それから思い出すように顎に手をやり、短く唸ってから、苦笑と共に彼は結局ヤコブに訊き直していた。
巨漢の男はそうして、衛士へと向き直る。
「イスラエル。といっても生まれがそっちなだけで、育ちは純正アメリカンだけどね。パソコンはお父さんに習ったし、銃は海兵隊で覚えた」
「そういえばハッカーって言ってましたけど」
「うん、実家の書斎にプログラムを組むための歩き方的な本があってね。それで興味が湧いて、気がついたらFBIにハッキングしてた」
「き、気がついたらって……」
「もうそれから当分はビビって家から出られなかったね。結局バレ無かったけど、バレなかったから誰も信じてくれなかったし」
いつしか心穏やかに語り始めたヤコブは、それから大きくため息をひとつついて、同様に注がれていた炭酸飲料を一気に飲み下した。
「さて、ボクはもう眠いし、部屋に戻るよ。ってか、ここから結構離れてるんだよねー」
「ホテルだろ? わたしと同じ場所の筈だ。ならついでに一緒に戻るか」
「あぁ、そうですか。お疲れです」
――時刻的に夜も更け始めたところで、その妙な会合は解散となった。
深夜二時になってようやく自室の前までやってくるものの、入り口は大きな穴を空けた扉で、しかし施錠できぬまま閉ざされていた。
衛士はその光景に大きくため息を付いて――それでも、もう恐らくこの寮に来ることはないだろうと漠然と考えて、まぁ良いかと納得した。
眼帯下の蒼い鬼火はもう消え失せて、だけれど全身に帯びる高熱は未だ引く様子を見せない。熱自体には慣れたものの、この上なく強い疲弊と怠さが身体中につきまとっていた。今はとにかく眠りたい。衛士はそう思って、穴に指を通し、力任せに扉を開けた。
「……お前なぁ」
もうその部屋は心すら休ませられる場所ではなくなっていた。
「だ、だって返しそびれたし……答え、聞いてないし」
ナルミ・リトヴャクは横にしていた身体を起こして、膝の上に置いたままだった9mm拳銃と懐中時計のような外観のペンダントを手にとった。ついで立ち上がると、とたとたとまるで寝起きのような心許ない足取りで、空間内に入り込んだところで立ち止まっている衛士の前へとやってきた。
「あぁ、これか。持っててくれてありがとな」
「ううん、逆に、こっちに持ってきちゃっててごめんって感じ」
渡されたロケットペンダントを受け取る。側面の突起を指の腹で押すと、それの丁度半分辺りに綺麗な筋が入って、そして貝殻が開くように開かれた。
――中には、それまで無かった筈の時計がキレイに収まっていた。秒針が一定の感覚で動いて時を刻み、そして蓋の裏側にはお馴染みである旧友二人のイニシャルが刻まれている。それらの確認の直後に衛士の動きが停止したのを見て、ナルミは慌てたように深く頭を下げ、声を震わし謝罪した。
「ご、ごめん。懐中時計だと思って、でも時計が無いから、入れといてあげようと思って……勝手にして、迷惑だった、かな」
「あぁ、いや。ありがとう、助かったよ。なにせ、これの時計だけを捜すってのも面倒だからな。むしろよく後付で付けられたと思う」
――家族の写真は、別にいいか。
もうそんな事を、実際に物として残っている事に固執する必要など無いのだ。
心はここにある。意思は継いだ。眼を介して、いつも繋がっている……それでもう十分だった。
「そう? ほ、ほんとに?」
「本当だよ。試練の時も、ナルミのお陰で随分と助かったし」
「ヘヘヘ、なら良かった」
今にも泣き出しそうだったその顔は、もう周囲を明るく照らすような笑顔に変わっていた。
これほどまで表情が豊かな彼女を見るのは初めてだった衛士はそれに少しばかり意表を突かれたが、動じることなく、今度は交換するように借りた拳銃を返し、そして受け取った。
「あと一、二発残ってるから気を付けろよ?」
「うん。そっちは全弾補填しといたから」
「よし――寝るから帰ってくれ」
意気込むように大きく息を吐くと、衛士はそのまま靴を脱ぎ、半裸のまま寝台に寝転がった。
服もないから些か気分は楽だが、それでも発熱のせいで体調は最悪なままだった。あれほど嬉々として、これから随分と世話になるであろう二人と会話できたのが、今では不思議なくらいである。
「だ、か、ら! 今夜は一緒に寝るって」
「……んじゃ、ちょっと散歩でもしてくるか」
「夜でも外は昼だから暑くて死ねるよ?」
「死んでも結構コケコッコー」
「あ、エイジくん!」
そのまま寝台に乗りかかろうとする彼女の脇を縫う様にすり抜ける。
衛士は冗談めかしくそう残して、彼女の制止を振りきって素早く寮の外へと逃げ出した。
「ったく。あいつにも困ったもんだな。もうちょっとマトモかと思ってたが」
――外は以前変わらぬ日中夜。体調不良には厳しいというより最早刑罰が如き日射が降り注ぐが、やはり時間を置かなければ彼女も自室に戻ってはくれないだろう。
「おいトキ」
凄まじい熱に、頭がクラクラしてきそうだ。
意識が朦朧としているのか、いよいよ幻聴の症状も出てきた。
「おい、ふらふらと……死にたいのか」
肩を掴まれる力を覚える。するとすぐさま、後ろへと強く引かれて、衛士は回転するコマのようにくるりと簡単に振り返った。
背後には影。衛士が幻覚症状だと思っていた声は、どうやらこの白髪頭で、対照的に褐色の肌を持つ女性から発されたものらしい。
「あぁ、エミリー」
「え、エミ……っ?! 貴様、易く呼んでくれるじゃあないか?」
紅玉が如く透き通るような美しい真紅の瞳が衛士を射ぬく。穏やかではない怒りの灯火が瞬く間に炎となって燃え上がり、今直ぐにでも衛士を焼き尽くさんとする勢いだった。
「酔っているのか?」
「いえ、ラムコークだったので」
「……酒飲みは好かんが」
「はは、いいですよ別に。想えば、失ったときにツラいですから」
自嘲気味に吐き出してみれば、途端にずんと重い沈黙が両の肩に圧し掛かる。
衛士はそれに少し苦笑して、わざとらしく後頭部を掻いた。
「それで、用件は?」
大きく深呼吸。
のちに目付きを変えて真剣味を取り戻すと、エミリアはどこかほっとしたように短く息を吐いた。
それでいい、とでも言いたそうな目配りで視線を合わせてから、彼女は一つ咳払い。
「ごほん」
いつも以上に真剣な表情の彼女はどこか気が重そうに口を開いた。
「今日付けで晴れて貴様も訓練兵を卒業だ。特に手続きもないから――飛び級と言うのかな――今日から上位互換として活動してもらう事になった。本来ならば適性者として一般兵には困難な任務に就くのが一般なのだが、既に任務には慣れているし、技術的には些か不安が残るが、特異点という特別な能力を有しているからとの結果だ」
「……特異点の受け皿がないから、とりあえずって事ですか」
「そういう事だろう……ったく。はぁ、まさか教え子だったお前が同僚になる日が来るとは思わなんだ」
「ははっ、じゃあ例に倣ってエミリーって呼んでも――」
言葉は最後まで許されず、貫手のように切迫した手が鋭くその口を塞ぐ。エミリアは不敵な笑みを浮かべて、そのまま身体を添わせるように近づいた。
「……聞いた通り、とんでもない熱だな。ところで、なぜ特異点の絶対数がここまで低いか知っているか?」
彼女の問いに、衛士は小刻みに首を震わせる。と、エミリアはそれから手を話して対峙した。やや上目遣いなのは、いくらか身長差がある為だろう。
「その熱によって精祖細胞が死滅し、子孫を残せないらしい。一節に――高等動物には死の恐怖が薄く、故に強者はただ一つ、頂点は一点のみで良いという事からという話があるが……」
「女性の特異点なら、話が違うんじゃないんですか?」
「そもそも女の肉体では適性者から特異点への進化段階に耐え切れずに死に至るケースが殆どで、事実、女の身で特異点の力を得た例は未だ無い」
「ま、どのみち縁の無い話ですし、どうでもいいけど」
「ははは、面白い冗談だな。現に今、リトヴャクに言い寄られて困っているというのに」
衛士は肩をすくめて、首を振ってため息を付いた。
そんなんじゃないと背を向けて道を歩くと、エミリアは自然にその傍らに並ぶ。
「あいつとは良い友だちになれそうなんですよ、なのに……。それに、気も無いのに振り回すのは人としてどうかと思うし」
「ほう、出会いも無ければ貴様よりさらに色恋沙汰に縁のないこの私に相談なぞ、いい度胸をしているな?」
「エミリーさんもこういうのに興味あるんですか」
「薄いがな。乙女……というのは、その、自分で言うのは酷く恥辱的な気もするが……だから、無い事もない」
「経験は?」
「……くそ、この歳で”そう”だと、やはり変なのだろうか……」
青年の言葉に、思わず立ち止まって肩を落とす彼女は、自己嫌悪に陥るようにぶつぶつと何かをつぶやいていた。呪いの言葉でもまき散らしているのかと衛士はにわかに不安になって一歩立ち退くと、それに反応するようにエミリアはがばっと顔を起こして、長い前髪で左目を隠したまま、それでも鋭く彼を睨みつけていた。
「だいたい忙しすぎるんだ。お前はいいだろう。これからまともな任務かもしれないが、私はまだあと一ヶ月連中を仕上げなければならない。OBになるお前は手伝って然るべきなハズなんだが……何が特異点だ。ただ能力を持っただけだろう、今までと何が変わった? え? 言ってみろ、偉そうに!」
――まるでらしくない。
彼女は、それまでどれほど衛士が迷惑を掛けても声を、あるいは語気を荒くすることはなかった。だというのに、胸中の何かが爆発したように、衛士に気を許したからか、表情を歪めて喰らいついてきた。
怒りを伴う感情の暴走は同時に肢体を動かし、気がつけば衛士は両肩を力強く掴まれている。服を着ていれば、胸ぐらを掴み上げられていたのだろう。覇気は怒気に混じって肌を撫ぜ、だけどどこか本気ではない、妙な不自然な雰囲気が漂っていた。
なるほど、そういう事か――衛士はそう理解して、吹き出しそうになるのを抑えて息を吐いた。
「慣れない芝居にしちゃ良いんじゃないですか? 女優に向いてますよ」
いつものようにタンクトップによって露出される肩を軽く叩いてやる。と、衛士の肩を掴む力は途端に増幅し始めた。
「お、お前……こういう時は分かっていてもだなぁ……ッ!」
涙を滲ませる眼を見開いて、そしてその瞳と同じく頬を紅く染める。
つまり彼女は――無理をして、その特異点と言う立場を貶めて自身と肩を並ばせる事によって、今までとなにも変わらない。同じだから元気を出せと不器用に励ましてくれたのだ。
衛士の心情を、恐らくこう思っているはずだと想像が出来ねば難しい、色々とリスクの高い演技だったが、それは見事失敗に終わり、彼女はただ無邪気に辱めを受けただけになっていた。
「でも気は楽になりました。ありがとうございます」
「……そうか。本当ならミシェルの役目のハズなんだがな」
「ミシェルさん、か――」
思い返せばあの人が元凶だった――そう言えば聞こえは悪いが、だがあの人が居なければ少なくともこの機関に招かれる前に精神を損耗しすぎて自ら命を絶っていたかも知れない。
それまで平々凡々と何事も無く生きてきた一高校生に対するあの試練は、それほどに過酷すぎたのだ。
あれからまだ一年も経っていないというのが驚きだが、しかし経験的には既に一年と二ヶ月が過ぎている。たとえ実際には半年未満だとしても、内面は二十歳を超えていてもなんらおかしくはないのだ。
そしてそれまでに――衛士の目の前で命を落としていった者も居た。託す者も居た。
あの平和な世界で十年生きていても決して得られないものばかりを、わずか短期間で衛士は背負わされてきていたのだ。
世界一強くなると誓ったあの日。
そして決して死なぬと決めたあの日。
特にその背を支え押してくれた二人を、衛士は忘れることが出来なかった。
「オレに出来ること……いや、しなくちゃいけないことが――ようやく今、ここで、ここから出来るようになったんです。オレは、やっと立てたんですよ。あぐらをかいて喚いてたみたいな、あの頃とはもう違う」
空を仰ぐ。
偽物の、適当に綿のような雲が散らばった青空が広がっていた。
強い日差しが全身に突き刺さる。
思わず漏れたため息は、なんだか、全身から力を奪っていくようだった。
――ここから全てが始まる。
「そう、お前はここからだ」
今日が立脚点。
「やりますよ、オレは」
組織のためではない。
自分の、あるいは誰かのために――この能力を。
――時衛士がようやく始動する。
長かったようで短かったこの五ヶ月間で、良くも悪くもリリスを軸にして世界は大きく変動していた。
超能力者、適性者、特異点――主軸となるのは、正確にはこの三点の能力者。
その中で、時衛士の戦いが始まる。
過酷で熾烈で、そして儚い命を賭した戦いが。
これはそんな青年の、足掻く物語。
――今年の夏は、そうして緩やかに、様々な成長を乗せて、流れて、終えた。
おわり




