老兵は死なず、ただ教えるのみ
連れだされた場所は、つい数カ月前までは汗水垂らして走り回っていた屋外訓練場だった。男の後につく衛士は終始背後からの殺気を受けながら、さらに船坂と先程の無反動砲を撃ち放った男を追従している。といっても勝手についてくる彼らは、おそらくこのハーガイムの護衛役という訳なのだろう。
土で固められた大地のだいたい真ん中辺りで立ち止まると、着いて来ていた二人は素早くその空間の両端へと別れた。振り返るハーガイムは、相も変わらず朝昼夜もない青空天井からの強い熱射を受けて、その額に汗をにじませている。
――残してきたナルミや他の訓練兵連中が少しばかり心配になったが、衛士の存在を知りまた好意的に接してくれる一般兵も数人、割合的には一割程度だが、警ら係の中に含まれていた。分かりにくい目配せだっただろうが、それでも彼らは分かってくれるだろう。衛士は思い直して、短く息を吐いた。
「まずは情報から。貴様は一般に言われる”特異能力”とは一体何だと理解している?」
声は不意に衛士の胸を射ぬく。彼はそれだけで驚いたように身を萎縮させ、それからどうにも思考がザルのようにこぼれ落ちてしまう頭で必死に考えて、それでも答えが纏まらないからと、思惟しながら口にした。
「本来持つ人間の能力を凌駕した、超常現象。それを操る能力だって事って」
「概ねその通りだと首肯しよう」
言うと共に男は頷く。衛士は腰を曲げて膝に手を付く姿勢で、見上げるように彼を見ていた。
尋常ではないほど溢れ出る汗は垂れて大地を潤し、また全身の包帯を不快になるほど湿らせる。衛士はこの原因不明の発熱の理由をうっすらと理解し始めながら、さらに続く男の声を聞いた。
「ならばその超常現象がなぜコレほどまで任意的に起こせるのかは説明できるか?」
男の問いが終わるよりも早く、衛士の首は横に振られる。
ソレを見て、どこか呆れた風にため息を漏らした男は、大きく息を吸い込んだ。
「おおい、腹がへった。誰かフライドチキンを買ってきてくれないか!」
不意にそう叫ぶ声に、どちらかと言えば大通りに近い方向に立っていた、衛士によって薬指を吹き飛ばされた男が声を荒らげて言葉を返す。
「この時間だとファストフードしか開いてませんが?」
言われて、そう言えば既に日を跨ぐ時間帯なのだと衛士は思い出した。
外の世界では夜は暗く静かで冷えたものだが、やはりこの地下空間は静かでありながらも日が照り、うんざりするほど時間音痴になってしまう。
「構わん! 腿の部位だけでな!」
「あー、了解」
面倒そうに舌を打つ男は、それから急ぐでもなく近くのフェンスに付いている南京錠の掛かった扉の鍵を破壊して、外へと緩慢な足取りで出て行った。
ハーガイムはそれを気にした様子もなく、今度は船坂の方へと顔を向ける。
「恐らくこの時間帯なら寝呆けているだろうが、あの白豚を起こしてきてくれないか」
「了解」
「得物はいらんぞ」
「んな物騒なもん、命令でも持ってきません」
船坂は立場の差を感じさせぬ物言いでそう返すと、先程の男同様にさして急ぐ様子もないままその場を後にした。
男はこれで周囲の人払いを終えると、一仕事終えたように清々しく深く息を吐いた。こちらまで気分が一転してしまいそうな、どこか豪気のあるソレだった。
彼は腰に手を当てながら「さて」と漏らし、両手を伸ばして全身を解すような、簡単な体操をする。ジャケットの下に着こむワイシャツのボタンを胸元まで外して、どこか妖しげな笑みを浮かべた。
「まず副産物。そいつは一見普通の武器ばかりだろう。弾丸にナイフ、手袋。特に数も多く目立つのが耐時スーツだが、こいつはどちらかと言えば強化補助装備的な役割だな」
ポケットから出した箱を開け、その中から一本の紙巻たばこを引きぬき、口に咥える。さらに箱の中に入っていたであろう使い捨てライターで火をつけ、胸いっぱいに煙を吸ってから、白い吐息をまき散らした。ハーガイムは紫煙をくゆらせながら、どこか楽しげに口元を歪めて続ける。
「これは単体ではそれらの、弾丸、ナイフ、手袋としての役割しか持たない。だが支給されている端末が人工衛星を介してリリスの支援を受ければ、途端に遅延の、空間断絶の、生命体の時間停止の特異能力を得る……ソレは、それぞれが共通した”ある特殊な構造”……いや、素材か? それらを持っているからだ」
「……訳が、わかりませんが」
「携帯電話を知っているだろう? 副産物が能力を得る過程は、通話に似ている。支援があって初めて、携帯電話はその役割を果すことが出来るということだな」
衛士がそれに対する返答を思惟する。だがハーガイムは口を挟む事を許さぬように、すかさず次いだ。
「『重力子』というモノがある。四番目の力と呼ばれる事も多いソレだ。素粒子物理学、だったか、そいつを知っていればもう少し分かりやすく説明できるんだろうが……如何せん興味がない。あの英国人なら良く説明してくれるだろうから、気になれば教えを乞えばいいだろう」
「重力子……?」
「いわば重力を司る素粒子といった所か。実際は違うかもわからんが、わたしはそう理解している。聞くだけで特殊なモノだろう? 実際、世間ではこいつは未だ発見されては居ない事になっている……話は外れるが、なぜこのリリスという組織がコレほどまで大々的な活動をしていて尚保有する技術を隠蔽することが出来ているのかわかるか?」
「……なんで、そんな事をオレに――」
「知るべきだからだ。特に貴様はな」
呼吸が苦しくなる。頭から被る強い日差しに、衛士はいよいよ地に膝をついてしまった。
男の言葉は、それなのに随分とすんなり耳に入ってくる。もっとまともな体調で良く聴きたいと思えるほど、非常に興味をそそられるものばかりだった。
そんな衛士を見下ろし、ハーガイムは二本目のたばこに火をつけながら、足元に捨てたソレの火種をつま先で踏みにじった。
「ただの民間企業でも裏から政府を操れる時代だが、ここは違う。殆ど『国際連合』、つまり国際的な機関としての活動が黙認されているのだ。この全世界で……その底知れ得ぬ財源と凌駕せずとも全てと対等に渡り合える軍事的能力を以てな」
「……国際、機関……?」
ここに来た当初は『抑圧組織リリス』と聞いた。
いったいいつの間に、ソレほどまで大規模になってしまっているのだろうか。
衛士がその言葉を理解した瞬間に願ったのは、単なる噂の流布によるデマであって欲しいという、酷く間抜けな神頼みだった。
「名付けるならば『世界抑圧機関』だと言っていたな。あの愉快な肥満男は」
「ッ、でか過ぎる……!」
このまま生きていれば、否、このまま生きてこの組織を潰そうと思った。せめて日本のリリスだけでも。そう再び決意を固めた途端にコレだ。
国際機関? ならば、もうこの組織単体を攻撃するとなれば世界を敵に回す、そんな次元の話になってしまうではないか。
冗談ではない。
――本当に、冗談にすら出来ない事実だった。
「あぁデカい。わたしもお陰で、引き抜かれる事なく米軍に居座ることが出来たしな。最も、特異点となっては人間扱いされたものではなかったが……一人では兵器にすら成り得ない、ポンコツだと言われたよ。そのクセ兵隊一人以上の力を持つのだ。厄介な事この上なしだろう――そう、つくづく思う」
話を戻そう。男は口からいっぱいの煙を吐き出しながらそう言った。
衛士は頷き、傾聴する。
「重力子。つまりそれでリリスは『時間操作』を可能にした。いわゆるタイムリープだな。時間旅行レベルではないが……最大で一年の時間遡行を行えると聞いた。最も、その際に使用する電力量が尋常ではないために、実際に行われた事は無いとの事だったが」
重力を操作する事が実現したと考えて良いのだろう。リリスはそれを利用し強力な重力場を形成、のちに時空間を大きく歪めることに成功した。実験は進み、元から持ち合わせていた、それこそ超常現象的な技術を駆使して時間操作を持つことが出来たという事だった。
詳細な実験内容やその原理を、さすがにハーガイムは理解出来ていない。
いや、この国際機関と成り得た組織で、その全てを把握し理解しているものが果たして何人居るのだろうか。
仮に知ることが許されていたとしても、完全に認識するまでにどれほど咀嚼すれば良いのか。衛士には、恐らく顎が疲れるなんてレベルじゃない、途方も無い時間が必要に思えて仕方がなかった。
日常的に使っていた携帯電話やゲーム機器の構造すらもわからないのに、時間をどうこうする装置や原理をどうして理解できようか。
「量子コンピュータ、縮退炉……そんなレベルの話じゃないですね、これ」
思わず漏れた、畏怖しきった台詞に男は思わず鼻を鳴らす様に笑った。
「確かに途方も無い技術だ。そこに自分が居るのが不思議だ――そう思っていられるのが幸せだったのは、貴様の立場である時だ」
「……は?」
「付焼刃がなぜアレほどの完璧に研ぎ澄まされた特異能力を持つのに、未だに付焼刃などと呼ばれているか……我らが特異点と呼ばれる力を持つ経緯を理解すれば、追って理解できよう」
「……説明、頼みます」
真剣な眼差しに、今度は微笑むように男は返す。
衛士の顔からは既に汗が引いていて、だというのに熱は一層全身を煮えたぎらせていた。
「貴様は携帯端末を手放して尚、副産物が副産物たる働きをした経験があるか?」
「……耐時スーツも含まれるのか?」
「試作型のように完全に肉体に依存する型では無ければな」
「……なら、ある。あとオレの記憶が正しければ、端末も無いのに位置を知られていたり。この地下空間の中だけど」
そして致命傷たる弾痕を、綺麗サッパリ治された。
今思えば何故”あの時の事”を今まですっかり忘れてしまっていたのかが、本当に不思議だった。
「ふん。やはりそうだな、貴様は」
「なにが、どうなんですか?」
「貴様は特異点に導かれる条件を知っているか?」
「……いえ。興味も無かったんで、聞きもしなかったです」
「まず一つに激しい昂り。まず一つに命の灯火の明滅。まず一つに特異能力の取り込み……つまり死に体で激しく興奮し、その上で副産物が体内に存在している状況。またそれであっても適正が無ければ、そのまま死に至るというわけだ」
彼はそう簡単に告げて、フィルター近くまで火種が移動したたばこを投げ捨てて、それまでと同様に火を消した。もうニコチンは十分に摂取したのか、手持ち無沙汰になった空の手をポケットに突っ込んで、やや仰け反るような体勢になって魅せる。
「聞いた話では貴様の怪我は本来、受けた時点で即死レベルのモノがあったらしいな」
「……自覚はないですけど」
言われてみれば、殆どの攻撃が鈍い痛みを伴う”激しい衝撃”だけだったような気がする。が、人の記憶というものほど曖昧なものはないからと、衛士は飽くまで適当な参考替わりに頷いた。
「ある時点で半特異点状態だったという訳だ。特異点に導かれた人間は簡単には死ねない……今は、特にその筈だ」
――ハーガイムの、してやったりという様な鋭い視線に思わず胸が高鳴った。
何故知っていると、心の中を見透かされた気がして衛士の眼が大きく見開いた。
そうして、その反応が予想通りだったのか、抑えるように彼はくつくつと肩を震わせて笑う。
「やはり見たのだな。貴様も、『至上の幻想』を」
「……至上の幻想……?」
「あぁ。これはわたしが勝手に名付けたものだが――自分の命が尽きかける瞬間に見える、この世で最上であろう幻覚。わたしはその時、既にこの世には居なかった最愛の恋人が視えた……そして、今でもこの胸に」
「……オレは死ねない状況と、最悪の状況も合わさってましたけど……確かに視ましたよ。心の底から大切だった姉を。今でもオレの後ろで見守ってくれてます」
言葉と共に思い返すのはやはりあの時の事だったが、涙は出ずに、さらに瞳は乾ききっていた。
もう涙腺は渇き果ててしまったのだろうか。もしそうなら、少しばかり悲しい物だった。
「我らは、少なくとも特異点と呼ばれる能力を得たこの個体は、既に人類を逸しているのだと思う。……言ってみれば、新人類か」
「人類を逸して、新人類に進化したって事ですか? たかが、特殊な能力を扱える、超能力者になっただけで?」
「貴様は今発熱している筈だ……その原因は?」
「こんなの、ただの風邪ですよ」
堪えるように歯を噛み締めて答えると、眼を細めて、いかにも哀れだと言うように衛士を見下ろすハーガイムの姿があった。
それをみて衛士は、細かな表情が豊かだと思うばかりで――。
「一度細胞が死滅し遺伝子情報が重力子を元にして書き換えられていく。肉体自体が携帯端末の役割を果たし、また支援無くとも装置が如く能力の発現を可能とするのだ。そしてそれを乗り越えた時点で、貴様は完全なる特異点になる」
そんな台詞に、言葉を失うばかりだった。
「なぜそのレベルの高熱に耐えられるか分かるか? なぜ即死レベルの傷を、最終的には癒やせたか分かるか? それは根本から貴様という個体の耐久度が遙かに上昇しているからだ。身体能力が、耐時スーツまでとはいかないが強化されている。そしてそれが標準になる……怪我に於いては恐らくそれが貴様の能力なのだろう。貴様自身の力で完治させた筈だ」
「そ、んな筈、無い……!」
「機関の時間回帰によって怪我が”無かった事”にされたならば、傷跡もすっかり無い筈だ。貴様の時間操作に関する能力が未だ未熟であるために、傷を塞ぐ、骨を元に戻す、それが精一杯だった……最も、十分すぎる話だがな」
しかしそれでも、無意識の内に発動した効果だから意識的にそうすることは今は不可能だろう。だが本来はそれほどまでの特異能力を有していることを忘れるな。
ハーガイムはそういった意味の言葉を投げると、付焼刃の説明を簡単に済ませることにした。
「奴らは何の支援もナシに特異点レベルの能力を持ち駆使する。これは現段階で有力とされているのが”可能性を限りなく高める選択をする”事によって、特異能力を所有する事が出来ているとされている」
「か、可能性を……?」
駄目だ。頭がそろそろパンクしそうになる。
衛士が思うと同時に、ハーガイムも些か説明が面倒になったように、ため息混じりに後頭部を軽く掻いて、言葉に詰まったような所作を見せた。
「あー。トンネル効果ってあるだろう。ごく低確率だが、何度も壁を叩いて居ればいつかは穴を空けることなく腕を向こう側に貫けることが出来る……正確には壁にぶつかった粒子が壁の中を高速で伝播して向こう側にその粒子を発生させる……あー、どうでもいい話だ。つまりそうする事が”あり得る”、”実現させることが出来る”という、その”可能性”を”高める”能力だ」
「たとえば――瞬間移動できる可能性を高める。そしてそれを実際に起こす、能力」
「その通り。手のひらから火焔が出るかも知れない。その可能性を実現させる、その選択肢を無意識で選び起こす。そしてそのそれぞれが持つ能力の傾向は、潜在意識にあると言われている。言わば本能という物だな。それ故に個体が持つ能力は一つと言うのが定説だが、今のところ、理論ではそれ以上を持つ事も不可能ではないという話だ」
「その理論は」
「超心理学、量子力学が関係している。説明は省く……わたし自身、頭の痛い話ばかりでな」
「は、はは。同意です」
衛士が引きつった笑顔でそう返すと、ハーガイムも似たように笑い返した。
――青年の背筋が凍えるほど冷え切って表情が失われたのは、目の前の男が次の瞬間に、殺気籠る視線で衛士の瞳を射ぬいた刹那だった。
「――次は能力の使い方だ。手始めに、わたしを殺すつもりで掛かってこい……でなければ死ぬ羽目になるぞ?」
「な、なんで……っ?」
「貴様の実力を測る。中途半端な特異点は生きる価値なし。ならばわたしの手で始末するのが然るべき……そう思ってな。そうそう軽く無いのだよ――特異点と云う存在はァッ!」
男が吠える――それだけで、心臓が止まりそうになった。
膝で身体を支える衛士の身体は容易に倒れそうになる。だと言うのに、腰のベルトに刺した小型の拳銃に伸ばす手は、無意識に彼の言葉に応えようとしていた。
「そうだ。さっさとその拳銃を構えろ。その程度では、到底わたしは殺せぬがな」
男がそう言って隙無く仁王立ちしてから、一体何時間が経過したのだろうか――。
わずか十数秒間の沈黙、その対峙に衛士の精神は予想以上のストレスを感じていた。
「抜け、と言っているだろう。それとももうそれすら出来ぬほどお疲れか?」
その言葉に衛士ははっと我に返ったように素早く腰に手を伸ばし、姿勢を低くしながら状況に即座対応出来るように足を開く。両手で握る拳銃は白髪頭の老人を狙うことなく、丁度肩幅に開いたその真ん中辺りに垂らされていた。
「なんで、いつもこんな……」
「貴様が特異点であるからだ。御託は良い、さっさと来い……時衛士!」
「たく。冗談じゃないよ、本当に!」
――ハーガイムは特異点だ。そして戦闘経験も恐らく豊富と来ている。能力自体も強力だと考えれば、下手に突っ込むのは得策ではない。これまでの幸運が、それまでのように続くような生やさしい相手では決して無い。
思考を殺して特に特化している訳でもない身体能力で勝てる敵は、もう居ない。
彼が測るのは衛士の特異点としての純粋な能力、加えてそれをどう活かすか、さらにそもそもの時衛士という個体としての戦闘能力だ。
ならば――衛士は思考が固まるよりも早く、既に頭の中に思い描かれている位置に腕を上げ銃を構え、引き金を引いた。
鈍い衝撃。つんざく発砲音。
何故だか妙に懐かしいような感覚を覚えながら、衛士の身体はすかさず右方向へとにじるように移動し始めていた。
心臓を狙って撃ち出された鉛弾は、的確に心臓で無くとも確実に致命傷を与える部位へと切迫する。わずか十メートルの距離であろうとも、凄まじい高熱の中で精度の高い射撃は幾分か目を見張るものがある。ハーガイムはそう感心しながら、自身の胸、その表面で自らの勢いによって平らに潰れる弾丸を見下ろした。
被弾。
されど損傷は、誰が見ても明らかなほど皆無だった。
「さすが、高い防弾ジャケットは質が違う。これなら十一ミリも怖くないな」
衛士が持つワルサーPPKの口径はそれでも七、六五ミリ。小型の拳銃としては割合に一般的な口径である筈で、いくら防弾ジャケットを着込んでいてもビクともしないのは、やはりこのハーガイムという老人自体が酷く頑強なのだろうか。
思わず漏れるため息を飲み込んで、衛士はさらに発砲を続ける。
一発、二発。
頭を狙えばそこに挙げられる腕に被弾し、弾丸はひしゃげて役割を果たせず終える。腹を狙えば、胸部同様に潰れて落ちた。
無駄弾がそうに続き、何も出来ぬまま残弾はいよいよ弾倉の半分以下となる。
「なるほど射撃の腕がいい……しかし生き残れたのは、それだけでは無いだろう!?」
――痺れを切らしたように、ハーガイムは何も無い虚空を掴むように五指に力を込めて、待ちきれぬと言った風に走りだした。
緩慢に見えた走り出し。だが次ぐ一歩で大地を弾き、その身はまるで低空飛行する迎撃ミサイルが如く加速した。
衛士が癖の様に手を伸ばした腰には、目的の武器は装備されていない。それで未だ寝ぼけてい居るような自分に短く舌打ちをして、前方から迫る男の、未来予知によって得た軌道を視線で追った。
だというのに――今いる位置から不意を付くように右に飛び出たという未来は書き換えられ、新たにそのまま直線的に突き抜けてくる予知が”記憶に刻まれた”。
立てた対策が全て水泡と化す。
衛士は構わず、歳を感じさせぬ俊敏な機動を取るハーガイムへと発砲し、その場で深く腰を落とした。
弾丸はやはり図太い腕によって薙ぎ払われるようにして弾かれた。
威圧によってより巨漢に見える巨大な体躯が目の前に迫る。衛士は拳銃をベルトに差し、腰に引きつけた拳に力を込めた。
その丸太の様な腕で顔面を穿ち抜かれる。その未来が見えて、衛士の身体は半歩前に進むと同時に地を這う様に深く沈んだ。
――衝撃。
添わせるようにしてハーガイムの腹に当てた拳銃を、何の遠慮もなしに引き金を引く。と痺れるような強い衝撃が手に響く。同時に、この男自身もある程度のダメージを受けたことだろうと衛士は判断した。が――次の瞬間には、己が肉体はすぐ喉元にまで迫っていた膝によって顎を打ち上げられていた。その未来が刻まれた。
そしてそれを回避する手段を持たぬ衛士は、背筋を伸ばすようにして、空中に弾かれた。
されど無意識は肉体を防衛するように身体の前に腕を交差させ――ハーガイムの追撃は、その交差点に骨すらも砕く勢いの強打を撃ちこんだ。
強制的に大地にたたき落とされ、それでも対なる足で姿勢を保つ。大地を削るようにしてブレーキを掛けるも尚、吹き飛ばされるような勢いはそう簡単に殺せるものではなかった。
「衛士、構えろ!」
声は耳元でがなり、
「耐えろよ、衛士!」
抉るような鋭い激痛が、前面に構えた腕を掻い潜るようにして、横腹へと突き刺さった。
骨太で逞しい拳骨が筋肉で凝り固められた細い肉体を殴り飛ばす。横転する衛士はそのまま大地に全身をこすりつけ、新しいシャツは瞬く間にぼろ布へと変わってしまう。
距離は再び、元の立ち位置とほぼ同じ程度に保たれる。
今にも破裂してしまいそうになるほど高鳴る心臓を胸板の上から押さえつけ、既に服として機能しないシャツを衛士は脱ぎ捨てた。
「ちくしょうっ、窮屈だ!」
さらに引きちぎるようにして、全身に巻きつく包帯を外す。いくらかしてようやく肌を見せたその若者の肉体は、まるで歴戦の勇士、あるいは拷問を彷彿とさせる傷跡にまみれていて、特に目立つのが、袈裟に交差する深い斬撃の痕だった。
年齢にしては良く鍛えられている肉体。一般の世界なら、自衛隊員と間違えられても仕方がないソレを――ハーガイムは一笑して、嘲笑じみた笑顔を口元に忍ばせた。
「いい肉体だ……素人として、だがな」
「はぁ、今度は、精神攻撃か……?」
「まるでなっていないと云うのだ。鍛えたのだろうが、それは実戦の為に素人が急ごしらえで付けたような筋肉だ。戦闘に於いて、貴様の戦い方ならば発達しているであろう部位が未だ未熟。全般的に使う部位だけが適度に隆々としている程度……ボディービルダーでも目指しているのか? 貴様は」
ふん、と男はまた笑う。
先程の、殺気だけで心臓を握り潰そうとした目付きを残したまま彼は続けた。
「体術は如何せん、悪い意味で習った通り。そのままだな――それに」
ハーガイムはその場に言葉を残して、再び走りだした。
その巨体が大地を弾むごとに、鈍い衝撃が地中に響く。そしてその元気な老人は、口角をにわかに上げたまま、再び構えている衛士へと肉薄した。
「ぎこちなく、クソ下手糞だ」
ハーガイムの懐に、倒れこむように衛士は潜る。が、読まれていたかのようにその巨漢は軽やかに後退した。
振りあがる丸太が如き足がすかさず衛士の水月に踵を叩き込む。膝を伸ばすと、まるでバネの伸縮を利用したかのように強く弾き飛ばされた。
「そいつはエミリアのモノだろう。人から習うというのが苦手という訳ではないが――その戦い方は貴様には合わぬようだな」
「お、オレは」
「我流のほうが、存外に伸びるやもしれんな」
切迫。
為す術も無く、目の前に迫った男の拳が衛士の脳天に振り下ろされて――激しく反ると、つい刹那前に身体があった場所を、槌のような鉄拳が大地へと過ぎていくのを衛士は見た。
「ほう」
感心するような感嘆詞。
大ぶりの直後故に即時的な対応は不可能であると言うのに、男は飽くまでも余裕な態度を貫いていた。
――拳銃を抜き、引き金に指を掛ける。流れるように、それだけは鮮麗な動作で、ようやく男の確実な死を狙うことが出来た。