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最後の試練:『始まりの終わり』の終わり

 時衞士の目は現行の時間を感じ、視ている。だがそれと同時に一秒だけ未来が記憶として与えられていた。それは砂時計と同じ原理で、体験せずとも体験したかのように未来を知るだけの――結局は単なる予知だった。

 焦げ付いた壁を背に、衛士は静かに目をつむって座り込む。その膝の上には同様に目を閉じ穏やかに眠りに付く、理恵の頭が抱かれていた。

 ――遠くから近づいてくる足音は、やがて目の前に止まる。強い気配は、その影が屈むことによってさらに顔に近づいた。

 呼吸が顔に掛かる。まぶたを落としていても見えてしまうその、自身の頭頂よりやや背後からの景色には、まだ幼い少女が昨晩と同じ服装でぼろ布のように座り込む姿が確認できた。

「とき、えいじ……私たちの、罪は深い。これまでのしたことで」

 舌っ足らずな日本語で彼女が告げるのは懺悔の言葉だった。

 衛士は空虚になる胸でそれを受け止めようとするが、言葉は胸に届かない。どこまでも頑強な分厚い胸板によって阻まれてしまうように、ただこもったように聞こえる声を、その言葉を言葉として理解するだけだった。

「許さなくていい。クロセ・ハヅキはいけないし、あの連中も昂っていた。私たちの想定外」

 なら失せろと吐き捨てたかったが、喉はからからに乾いて言葉を紡ぐことを許さない。また唇は張り付いたように、力の失せた筋力では開くことが出来なかった。

 思考が止まる。

 彼女の、今にも泣き出してしまいそうに震える声は、衛士にとっては背景の一部となっていた。

 ――気配が増える。影は、気がつくとミリィの背後に立っていた。

「ついに実験は成功に至れりってわけかい。ま、捨てろったって捨てられねぇよなぁ。あの世界じゃ。自分を唯一守ってくれる副産物どうぐだし」

 晴れ渡り始める、抜ける青空の下。まだそう暑くはないものの暑くなりつつある気温の中で、グレーのロングコートを着こむ男は、まるで最初からそこにいて会話に加わっていたかのような自然さで発言した。

 男はどこか懐かしそうな目で衛士を見下ろし、それから肩をすくめて両手で天秤を作る。

 言葉は続いた。

「この結果に導いた”奴ら”が許せないだろう。なら俺ん所に来い。待遇は比にならないくらい良いぞ」

「……あ゛、……や、っぱり、てめぇだったか」

 言葉をだそうとすればやはり喉がつまり発音が鈍くなる。衛士はそれから尽力して言葉を紡ぐと、ようやく声は台詞となった。

 が、反応が鈍い。どういう意味なのかわからないのか、またわからない不利をしているのか、男はまた肩をすくめて首を傾けた。ついに泣き出してしまった少女を足元に置く男はそのまま白を切ったから、衛士は胸いっぱいに息を吸い込んだ。

「”ホロウ・ナガレ”。こっちじゃ、有名な名前だ。なにせ絶対数の少ない特異点でありながら……、はぁ、機関リリスを抜け出し、その上世界中で特異点じみた、能力ちからを持つ奴らを創ってんだからな……」

「ははぁ、口が達者じゃねぇか。なぁ? まぁその方が話が早くていい。いいだろう。ミリィをつけてやるから来い」

「死ね、クズ」

 せっかく命を燃やして返した長い台詞は、期待を外して噛みあうことはない。

「なぁに、俺はクズじゃない。どうしようもなく人間としても能力者としても価値がなくクズで価値のない奴らはあの量産能力で調子づく阿呆共さ」

 喋ってみれば、ただでさえ尽きかけていた体力は真っ赤に燃え上がり、呼吸をするだけでも消えてなくなってしまうのではないのかという程にまで低下した。

 首をがくりと落として理恵の頭に顔をうずめると、またナガレの嘆息が耳に届いた。

「ったく。勧誘の時間すら無いか……ま、お前が特異点になった時点で運命に束縛されたんだ。縁がある。またいつか、近いうちに会う事があるだろうな。んじゃ、またな。時衛士クン」

 ナガレがミリィの肩を叩くと、彼女はハンカチに押し付けていた顔をゆっくりと引き剥がして彼を見上げる。父性を持って優しく伸ばした手に、促されるように返した手を重ねるミリィは、それから歩き出す彼へと付いて行って、

「さよなら、えいじ」

 別れを告げて、その場を後にした。


 衛士の前方が眩い閃光によって塗りつぶされて――彼女らが失せてからそう時間もおかずに、巨大な、大樹が如き男は現れた。

「久方ぶりと言った所か」

 地響きのように低く唸る声は頭上から降り注ぐ。男は、静かに呼吸を繰り返す衛士に構わず――背負う身の丈程の大剣を抜いて、まるで重さも感じさせぬ軽い捌きでその剣尖きっさきを衛士の頬の寸でで止めた。

 西洋甲冑を着こむ男は、だが兜だけはかぶらずに頭を剥き出しにしている。プレートを繋ぎあわせたような鎧は、仮に拳銃があってもその弾丸が弾かれてしまいそうな幻想を抱くほど強靭に見え、またその下の筋骨の逞しさを知るからこそ、もはや抗うつもりなどは毛頭無かった。

「単刀直入に訊こう。時衛士……お前は”逃走者”なのか?」

 男――船坂ふなさかは殺気籠る声でそう尋ねた。それだけで、彼が一体どういった理由でここに来たのか、衛士には理解することが出来た。

 つまりは、特異点としての能力に覚醒に関する確認と、また仮に衛士に反抗する力が残されていた場合に絶対的な力で連れ戻す為だ。単純な物理的破壊力が甚大な彼が選ばれたのは、主に後者の理由が大きいだろう。

「……沈黙は肯定と受け取るぞ、時衛士ッ!」

 誰が見ても身動きひとつ取ることすら不可能であることがわかるのに、船坂は叫び、力強く切っ先を押し付ける。

 全裸に近いその肢体も重度の火傷のお陰で表面は黒く焦げて原型が不鮮明になっている。既に死に絶えていてもなんらおかしくはない外傷を負って尚息が続いているのは、褒め称える以前に異常なまでに異常だと思えるものだった。

 ――そんな彼の言葉は、既に時衛士には分厚いフィルターがかかってその殆どが届いていなかった。

 精神は既に磨り減り消え失せようとしている。魂は、その肉体を辞そうとしていた。

 その刹那に、見下ろす視界の眼前に再び閃光が瞬いた。光はあるはずもない網膜に焼き付いていくらか視覚を麻痺させるも、やがて消え去りすぐに落ち着く。また誰かが転送されて来たのだろうかと零れ落ちる思考を留めてなんとか考えてみるが、彼が感じる筈の気配はそこにはなかった。

 だというのに、静かな、覚えのある息遣いが聞こえた。

 声は、酷く優しく、頭の中から湧き出るかのように彼へと語りかけてきた。

「あんたはそうして、いつまで姉ちゃんにすがってんのよ」

 淡い色相。透けてもしっかりとその姿を確認できる姉が、目の前には居る。服は身につけておらず、ゆえに目のやりどころに少し戸惑ったが、揺らぐことすら出来ぬ視界内で衛士はどうやって、どうすれば彼女を見つめられるのかと思いながら景色の一部として、その一箇所に注目するようにして理恵を捉えた。

「あんたを後ろから見守るのは私の役目。あんたはその目で……って、ないね。目」

『零れ落ちたよ。腐ってたんだ』

 頭の中で考えた言葉は、まるで自然に言葉となって彼女に伝わる。が、それは肉体から発されるものではなく一つの思念のようなものだと思われた。

「腐ってんのはあんたの性根。私の目をあげるから頑張んなさい。ここぞって時に、それこそヒーローみたく手を貸してあげるわ」

『身体だって筋肉も切れて骨だってぐちゃぐちゃだ。ここで生き残ったって……』

 弱音を吐くと、理恵は怒るでもなく呆れたように肩を落としてため息をついた。

「死んだ私が励まして、生きてるあんたが死にたがりってのも皮肉な話よねぇ……冗談じゃない。あんたには何がなんでも生きてもらうわよ」

『だけど、姉さんが……もうオレは生きていても意味なんか、ないんだ』

「あんたの、そのどうしようもなく逞しいシスコン魂で大好きなお姉ちゃんが生きて欲しいって言ってんのよ。黙って生きて。目的、意味なんて二の次でいいのよ、そんなのあるだけで贅沢品なんだから。ほしがりません、死ぬまでは!」

『……そう簡単に切り替えられないよ……、だけど』

 船坂が見下す衛士の目が開く。対となる瞼の奥にはされど右眼だけが何も無い眼窩へと変わり果てていて、その上まるで立体映像のような蒼い鬼火が燃えていた。

 唇が動き、歯を剥いた。

 言葉はようやく、その口を介して紡がれた。

「――元々死ぬ気なんて、なかったんだけどね」

 船坂の挙動が僅かに揺らぐ。衛士はそれから頭を背後の壁に叩きつける勢いで頭を引き、さらに後頭部をすりつぶすようにして剣尖きっさきから離れ、転がるようにして船坂から距離をとった。

 彼は静かに大剣を大地に突き刺したまま動じず、それから膝立ちになる衛士をただじっと静観する。そうする間に、衛士の左手は器用に可動領域を超えた方向にへし曲がっている指を使って、胸元の生首のまぶたを強引に開かせた。

 指が眼球の縁に滑りこみ、圧迫して形が僅かに潰れる。

 観るだけでもおぞましく凄惨で異様な光景を、船坂はただ見守ることしか出来なかった。

 やがてその無骨な指先が眼窩に沿ってやがて眼球の裏にまで到達する。予想以上の硬さを持つソレは、想像以上の柔軟さを以て状態を維持していた。指を曲げて掬うようにひっかけると、衛士はそのまま力任せに視神経から引きちぎって引き抜いた。

 殆ど流れてしまったがゆえに血はもう流れず、瞬く間に衛士の手の中に溢れるように零れ落ちた。

 思った以上に呆気無い過程に、されど衛士は何かを思うでもなくその眼球を、手のひらにのせたまま右の眼窩に押し付けた。

「なっ……何やってんだ、お前……ッ?!」

 何も無い窪みはまるでそれを待っていたかのように、瞳が濁っている眼球を飲み込んだ。すると今度は鬼火が眼の中に移動したように、オッドアイよろしく右目が青く輝いていた。

 ――だが、それでも視界が元のようにも戻る事はない。やはり頭上からの光景で消えることなくそれを見守っていた理恵は、まだまだと言わんばかりの笑顔で口を開いた。

「よくやったわね。抱きしめてあげるわ」

 透けた理恵の身体が、まるで綿毛のようにふわりと飛んだかと思うとそのまま急降下、さながら鳥の如き素早さで、路上のど真ん中で膝立ちになる衛士の背後に回りこんだ。

 しなやかに伸びる腕を右肩口から、さらに横腹から衛士を穏やかに抱擁する。

 暖かさが伝わる。

 感じるはずのない柔らかさを覚えた。

 吐息が耳にかかる気がした。

 虚無に染まる頭の中に、じんわりと色が滲み始めるのを衛士は感じていた。

「今は自分の眼で見て、自分で決めなさい……いい子だから、ね」

 身を乗り出す様にして、彼女は衛士の頬に口付ける。艶やかで艶めかしい感触をそこに与えて――間もなく、衛士の視界は強い引力によって引かれるようにして大地に向かう。

「じゃあねエージ」

『バイバイ……姉さん』

 臓腑が浮つくような落下感。吐き気を催すその激しい視界の揺れは、それからそう時間を要さずに衛士の中に飛び込んで――衛士の眼は、衛士の高さでその世界を捉えるようになっていた。

 ――鬼火が失せる。

 船坂はそれを確認した。

 ――本当は夢だったのかも知れない。ただの妄想だったのかも知れない。

 だが、それならそれで別に構わない。別れを言えたのだから、今はそれで満足だ。

 能力が失せようとも、一時的に発現できないのか知れない。しかしそれは酷く些末事に思えた。

 久しぶりに湧く感情が、この満ちに満ちた幸福感が、荒れ果てた未知の道を明るく照らしてくれている。もう姿が見えなくとも、声が聞こえなくとも胸の中に生きている理恵の意思が、総てを潤してくれた。

 大丈夫だ。もう、二度と挫けない。

「問おう。お前は逃走者か?」

 船坂の声が重く響く。ソレは、衛士の返答に一切の予測が出来ぬが故に走る緊張と、またあの肉体で未だ動いた事によって予断が許せぬ状況になった事が要因となっていた。

 青年は穏やかな笑みを浮かべ、そして左頬に薄いキスマークを残したまま、静かに立ち上がる。本来見えるはずのない右目から見える視界から巨大な体躯を捉え、男の眼を見据えた。

「断じて」

 首を振る。船坂の表情が俄に緩む。しかし、「が、」と続けると途端に眉間にシワが寄った。

「お前等の元には二度と戻らない。戻るつもりもない」

「その選択は、この瞬間にお前自身を逃走者に変える言葉だが」

「ったくやかましい。どうでもいいんだよ、そんな事」

「ならば俺は牙を剥くぞ……衛士ッ!」

「ほざく暇があるならさっさと来い!」

 ――船坂の腰がわずかに沈む。その瞬間、衛士の頭には彼が空高く跳び上がる未来までが刻まれていた。

「この世界はこんな事をする場所じゃないだろがっ!」

 衛士が跳び退く。瞬間、船坂は釣られるように――視た未来とは異なるように、前方へと地面を弾き飛び出した。速度はさながら最高速度に至るチーターが如き俊足で、瞬く間に距離を詰める。

 ただ数歩分下がったというだけの行動で、未来はこれほどまでに変異してしまうのか。衛士はそれを感じ、如実に自身の得た予知能力の生かし方を模索しながら、振り抜かれた大剣が刃を横に向けたまま沈ませた行動のその結果を予見した。

「綺麗事で済むわきゃねーだろーがッ!」

 が、それに対処できるか否かはまた別の問題が生じるために、

「がぁっ!」

 鉄塊が如き巨大な剣が衛士の顎を叩き上げる。鋭い衝撃によって衛士は空を仰ぐ様に大きく仰け反り、衝撃を上手く逃せずにそのまま尻餅を付いてしまう。

 だがまだ続けようと立ち上がることを試みるが、膝が震えて視界が歪む。

 到底、このまま戦闘を、否、動くことを持続させることは不可能だった。

「散々、この五ヶ月で理解してきただろうに……。その経験全てを台無しにするほど、逃走するほどの何かがお前にあったのか?」

「んだよ、殺さないのか」

「”更生の余地あり”の判断だ。いいから質問に答えろ」

「……大体、無条件でリリスに全てを託してるって前提を外せよ。そもそも強制的に連れてこられて、こんな何もかもを滅茶苦茶にされて、嫌にならないわけがないだろう。割り切れる筈がないんだよ!」

 大の字で横たわる衛士を見下ろす船坂。その構図はどう見ても前者の人間が萎縮して声すら発せぬ状況であるはずなのに、衛士は構わず声を荒らげて言葉を投げた。

 その台詞に船坂は暫し黙り込んで、顎をつまむようにして支えた。衛士はこれみよがしと追撃を試みる。

「誰が敵だろうとオレは諦めない」

 だが、体力の限界。そして見知る男の殺意なき視線も相まって、無意識が安堵してしまっていた。

 まぶたが重くなる。疲弊し果てた肉体は、睡眠を貪ろうと画策していた。

「オレは、この世界を……」

 世界が暗転する。共に失われた意識は、言葉を半ばで終わらせた。

 船坂は不意気味に気絶した衛士ににわかな嘆息を漏らしながら、そのまま手を伸ばして衛士を片脇に抱える。それから、近場に落ちている焦げ付いたバックパックと、なにやら銃身が歪んでいる突撃銃を拾いあげて、そのバックパックのポケットから通信端末を取り出した。

 簡単な操作の後、耳に当てると間もなく機会音声が彼を迎えた。

『転送開始。準備段階へ移行します。カウントダウン、十、九、八……』

 船坂はそれを確かに聞いた後、端末を耳に当てていた手を落として、また短く息を吐いた。

「……これが終わりなのか、あるいは始まりなのか――ったく。何かが起こりそうで、怖いな」

 ぼやく言葉はどこか弱々しくとも、表情に浮かぶのは誕生日を間近にする子どものような純粋な笑顔だった。

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