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最後の試練:四面楚歌 ②

 呼吸がままならない。

 一度綺麗に炎が消え去った大地は沸騰するような熱を帯びていて平均気温を摂氏五○度程にまで引き上げている。さらに、その炎さえも、完全に消えてはいなかった。

 大気を吸い込めば肺が燃えるように熱くなり、焼け焦げた肉体は、滾るように熱を下げる事も出来ぬまま、体温をさらに上昇させる。

 そんな時衛士の体力は、既に限界を超えて間もなくの状況にまで至っていた。

「てめぇはここで殺すッ! てめぇのお仲間とは違って容赦しねぇぜ!」

 既に特攻服を脱ぎ捨てた男が、右手から肘まで伸びる革製の手袋をあらわにしたタンクトップ姿で拳を脇に引き上げる。すると再び、間もなく拳骨の直ぐ前に手のひら程はあろうかという火炎球が作り出され――。

「そう、容赦は無い。暴走族バカならまだしも、仲間を殺したのは許せないからねッ!」

 朦朧とモヤが掛かる眼前に現れた影が果敢に衞士から取り上げたナイフを鋭く突き出した。未だ少女の面影を残す彼女はしかしその攻撃を完遂することが出来ず、流れるようにナイフは彼の脇を通り抜け、そして振りあがる衛士の裏拳で顎を叩き上げられる。

 女性の意識は僅かな間だけ闇に落ち、されどそのたかが数秒はその息の根を止めるには十分すぎる時間だった、が。

 瞬間的に背後に現れた気配は、瞬時にして衛士の後頭部を金属の棒で殴りつける。

 満身創痍も甚だしい衛士にとって、たとえ健常時でも致命傷となりえるその打撃は、意識もろともその生命を手放すにはあまりにも十分すぎる衝撃で、まるで脳を直接嬲るかのような激痛を与えていた。

「……だが、なぁっ!」

 崩れそうになる膝に力を込めて固定。関節はそのまま真鍮を流し込まれて固められたかのように身体を支え、衛士はそのまま上半身を捻って接近武器としては彼にとって割合に大きめであるククリナイフを薙ぎ振るう。

 思い手応えと共に、衛士に鮮血が返り血となって振りかかる。目の前の光景は、切り離された手が鉄パイプを持って地面へと落ちていくものだった。

 耳につんざく悲鳴が響く。

 だがその瞬間、衛士には追撃も許されぬまま側頭部を金属バットで見事なまでに撃ちぬかれ、足が掬われ、横方向に吹き飛ばされる。半メートルほど、まるで転ぶようにして地面に叩きつけられた衛士はこみ上げたように咳き込み、吐血する。そんな衛士にさらに畳み掛けるように襲いかかる三人が同時に角材を叩きつけた。

 その上で、ダメ押しとばかりに天上から劫火とも思える獄炎が彼を容易に飲み込む巨大な球状となって降り注ぎ――。

「やれやれ、コイツは見せたくなかったんだがな」

 声は、すぐ傍らでまるで囁くように耳に届いた。

 炎が全ての音を掻き消してしまうその中で、不意に凍えてしまう程の冷気を衛士は肌に感じていて――事実、衛士を中心とする半径二メートル程の狭い円を作るような分厚い氷の雪洞が彼を、そして傍らにて直立する男を包んでいた。

 やがて火炎は半球状のそれらにぶつかり、飲み込まんとする。表面は超高熱を持つ灼熱によっていとも容易く溶け始めてしまうのだが、氷が水に変質した瞬間、水は再びその原子を結合、凝固させて氷の形を取り戻す。

 炎はある一定以上――といってもそれは数ミリ程度――まで表面を溶かしてみるも、溶けた先から凍りつく氷塊をくり抜いたようなドームを完全に消し去る事は出来ず、火力を弱め、中火に、そして弱火になって消えて行った。

 それとほぼ同時に溶けた氷は冷たいまま、集中豪雨というよりはバケツの水をかけられたかのように衛士を濡らす。全身の深い傷にその冷たさが染み、また焦げる程に熱された肌に痺れるくらいの冷気が走る。痛みに喘ぐと、小さな、押し殺すようなため息が聞こえた。

「怒りに身を任せるからこうなるのだ。貴様は前だけを見て突っ走るタイプではないし、思考を殺すことなど論外だ。……ふっ、それが理解できれば、あるいは勝機を見いだせるやもな」

 屈み込むようにして言葉を与え、男はそうしてから顔に付ける仮面を少しばかり押さえて立ち上がる。衛士に背を見せる男の姿はやはり、この地上に来てからやたらと縁のある”刹那”のものだった。

 彼はそれから胸いっぱいに息を吸い込むと、それから空間が割れんばかりの大声音で周囲の注視に応えてみせた。

「命令違反だな、貴様等! 貴様等より歳の小さい少年一人の心すら揺るがせず、この人数が居て、あれほどの時間がありながらも一般人を手始めに皆殺され、さらに未だ命を奪えていないとはな! お里が知れる……」

 一息にまくし立て、彼はまた息継ぎをする。罵倒する言葉からどう見ても彼がこの連中よりも立場が上だという事が理解できたが、その彼がなぜ自身の命を救ってくれたのか、衛士には理解できなかった。

「能力は確かに特殊だ。異常だとも言え、戦闘にては確かな実力となる。だが強くなる、強くなった、最強だというわけではない。弱点や相性の話ではない。能力は、万能などではないッ! ただそれが扱えるだけで一般人より”珍しい”だけだ! のぼせ上がるなよ、小僧共がァッ! 我らは貴様等の自己満足の為に能力ちからを与えたわけでは決して無い!」

「わ、私たちはそんな事なんて……」

「そう言えるならなぜ甚振いたぶった?」

「……、え?」

「貴様を含め瞬間移動の能力者の数は過半数を超える。さらに貴様程度のレベルが殆どだとしても、この便所ほど狭い空間では有用すぎる能力のはずだ。なぜソレを持ちながら敢えてその手に持つ武器を振るうのだ? 拘束すれば話は早い。さらに既に死に体だ。気力だけで動いているのは誰の目にも明らかであるはずなのに、なぜ必要以上の暴力で嬲る? そいつを貴様はどう言い訳してくれる? この、我が頭でも納得出来る説明が欲しい所だが――」

 今にも手が出てしまうと声だけで分かるほど、彼がイラついているのが伝わってくる。今にも八つ当たりが来そうで衛士は精一杯の力で起き上がり膝立ちの状態まで立ち直ったが、暫く横になってしまったお陰か、身体を動かすのが随分と面倒になってしまった。

 衛士がただ起き上がるだけの行動に四苦八苦している間にも事は進み、刹那の言葉を不意に遮る声はまた新たな登場人物となって、彼の傍ら、すなわち衛士のすぐ目の前に現れた。

「刹那さん、言っても無駄ですよ」

 穏やかな言葉は、相対的に今まで衛士と戦闘を繰り広げた能力者を切り捨てるような意味合いを持っていた。言っても無駄なのは、言う必要がないということだ。必要がないということはつまり、伝えるに値しない、ある程度の価値すら失せた木偶人形を意味している。

 また顔が笑っていないのも、それを視覚的に彼らに伝えていた。

 辛辣な言葉だと衛士は人事に――実際にそうなのだが――考えながら、流石に機能が失せオモリにしかならない、四肢しかない耐時スーツを脱ぎ捨てながら、やっと軽くなった身体で立ち上がる。が、やはりいつも以上に感じる身体の重さは拭えず、どう動ことう緩慢な動作には変わりがなかった。

「所詮、ただ規格のあったボルトを使ってるだけですから。オイル流してもすぐに劣化するような粗悪品じゃこの程度でしょ」

 以前――気配だけを感じたこの男は、確かに衛士が前に会ったことがある彼だった。

 姿は見たことがない。それは、対面してもその存在が視覚的にかき消されていたからである。そんな彼は、ミリィと共に行動をし、鋭いワイヤーのようなモノで衛士の首を締めた彼だった。

 その彼の言葉に短い舌打ちを鳴らす刹那は、それから歯切れが悪く唸ってから、言葉を紡ぐ。

「ふん、だが能力の扱いだけは割合に優秀だった分惜しまれるな……これほどの休憩を与えればヤツの頭も冷えるだろう」

「へぇ……このまま続けばどっちが勝つか、賭けてみます?」

「くっ、趣味の悪い……”このまま続けば”結果は火を見るより明らかだろう。どちらにせよ、我はどの状況でもどの人数でも、時衛士が居る方へと賭けるがな」

「はは、それじゃ賭けになりませんよ。でもま、元々こいつらが使えない事前提だったんで、僕のこれからの行動は予定内ですけど」

 まるで喫茶店で談笑するかのような軽い口調が、この場では妙に浮いて目立っていた。

 くすぶる火種が煙を撒いて、また血生臭さが交じり、その上で奇妙なまでに静まり返るこの空間で、まさか笑い声が聞けるとは誰も思っても見なかっただろう。だからこそ、その奥底で酷く凄惨な未来を想像する青年のその歪む笑い声は、腹の底が冷えるほどの恐怖を覚えさせていた。

「なら刹那さん、心配は無いと思いますけど……時衛士の身柄、お願いしますね」

「あぁ。だがあまり気の進まぬ作戦だがな……卑劣で下衆だ」

「だけど結局は一人、多くて三人の命です」

 男の言葉に、刹那は殺気籠る視線を投げる。すると彼はふと黙り込んだ後、やや置いてから「すみません」と陳謝した。

 ――その会話だけでも、どれほど疲弊して思考を止めてただの動く凶器となり得た衛士であろうとも、彼らが何をどうするつもりか容易に推察することが出来た。

 つまりは精神的攻撃。具体的には――身内の殺害。

 それを理解した瞬間には既に、半ば死に浸っていた肉体はこれでもかと言わんばかりに活発に、そして素早く駆動し見る間に男の背後を陣取っていた。

「やらせるわけねぇだろうがっ!」

 両手で構える大型のナイフを、そのまま倒れかかるように体重を上乗せして腰を突き刺す。時衛士の中ではそれで完結したはずの行動は、されど切っ先が男に触れるよりも早く、素早く巻かれた頑丈な糸が鋭い刃による殺傷を停止させていた。

 ナイフはそのまま固定されるように動かず、前のめりになった身体は止まることなく柔らかに背中にぶつかった。男はいささか目を見開いて彼を視認してから、短く息を吐いて刹那を一瞥する。

「言った先からコレですよ。ったく、ホントに怖い。ミリィがその場で能力を解析されたんですよ、僕だって、今が万全なら確実にバレてました」

 能力が一体どういった効果を持つものなのかが露呈されれば、必然的に対処法が見つかってしまう。すなわちソレが弱点となり、不確かであることが強みである特異能力が極端に弱体化してしまう可能性すらあるのだ。能力に頼る戦い方を主としたり、能力準拠の作戦などでは死に直結するものとなってしまう。

 そういった理由もあって、男はどこか冗談めかしく、だが心の底からこの青年が死にかけでよかったと胸を撫で下ろしていた。

 彼が続けて、衛士の濡れたままの体を見てさらに糸で縛りつけようとするよりも早く、刹那の素早い柔術が彼を組み伏せ、衛士は再び大地を抱擁する羽目となる。腰に膝を押し付けられ、両手を後ろで組まされる衛士はそれでも見上げるようにして男を睨み続けていて、彼はそれを流し見て、深いため息を付いた。

「訂正するよ。あの時『けが人に多勢で挑むほど卑怯じゃない』と言ったけど、どうやら僕たちはそれより酷く残酷で卑怯なようだ」

「てめぇらの体系なんてどうでもいい……、オレ以外に手を出してみろ。どこに逃げようと恐ろしく残酷な方法でぶち殺してやる……っ!」

「その時、僕にその気があったらこの場で殺されてやってもいいんだがね」

 そのふざけたような台詞がまた癪に触って、衛士はまた男を切り刻もうと腕を振るう。だが力強く掴まれた手はまるで壁の中に飲み込まれてしまったかの如くびくともせず、また力強く握っていたはずの次元刀も、気がつけばその手の中には存在していなかった。

 それでも我慢ならずに肉体を必死にのたうち回すが、既に耐時スーツを失ったこの青年に、抗う術などはただの一つも残されては居なかった。

「くそっ! 離せよクソ共がぁっ!」

「ったく、よくコレほど喚けるものだ。頭を冷やせと――言っているだろうがッ!」

 身体を捻り蠢くものの、やはり身体は動かない。

 そんな衛士の頭上から振りかかるどこか感心したような言葉は、同時に刹那の掌底を後頭部に触れさせていた。

 浮き上がっていた顎はそのまま押し付けられるように地面に叩きつけられ、さらに擦れて今度は顔面が力強く路上で打撃する。

 その凄まじい衝撃は鉄パイプで殴られるものとは比にならぬほど、透き通るように脳みそを揺さぶっていた。

 ――言葉が出ない。見つからないのではなく、喉が震えない。

 暗がりに落ちた。目は開いているのか、閉じているのかわからない。その瞳孔が目の前の光景を捉えていたとして、衛士にはそれがなんなのか理解するほどの思考を持ちあわせては居なかった。

 わずかな刹那だと思っていたこの時間が、あまりにも長い。

 一秒だと思われたこの暗黒が、何がどうなってか、二秒になっているようだった。

 二秒が十秒になる。気がつけば、十秒はすでに一時間を超えているような……酷く、理解に苦しむ時間の流れ。停滞しているのか、遅延しているのかが判然としない。薄く長く、まるでチューイングガムを噛んで指で引き伸ばし続けるような感覚。

 終わらない闇。始まらない光。

 時衛士の中で、思考の失せた単なる木偶となり得た青年の中で、その虚しい時間は何時間ともなく連続していた。


 瞬間的にトんだ意識は、時衛士にとって数時間にも感じられる虚無を与えていた。

 そして現実世界では――五秒が経ち、十秒が経過する。それでも反応がない衛士の頬を叩き、また焦げた肌を握って脈拍を確認してからようやく、刹那は彼がただ単に気絶しているだけだという結論を導き出した。

「さすがに限界だったか」

「みたいですね。だけど、気を失ってちゃ効果がない」

「あぁ。だがいや、まさか――また特異点が増えるやも知れぬとなるのに”奴”が止めぬのも不思議な話だな」

「はは、確かに。始めてこいつを見てここまでを見事に見抜いたのに、やっぱり同郷のよしみですかね?」

「なら随分と残酷な事を思いつくと思うがな」

「えぇ、確かに。本当にね」

 いささか不幸な青年を見下ろす二人は、それから全員が特攻服を、そして武器を投げ捨てて路上に整列する光景を見て、また短くため息を付いた。

 総数は四二名。五○人居た暴走族は皆殺されていて、そして潜ませていた能力者は八名が命を落としていた。あの猛攻の中でそれだけの人数を殺せただけでも十分な評価に値するが、それでも彼らが期待する戦闘能力には明らかなまでに匹敵していなかった。

 それは、彼らが想定する戦闘方法出なかったからでもあったし、また状況が状況だけに、冷静になれなかったこともあっただろう。

 そんな事を考えながら、刹那は立ち上がり、足元に転がした衛士を眺めながら彼らに「待機」の命を下した。そうするとほっと息を吐くようにして休めの形を取る彼らは、それからぼそぼそと、そよ風のように小さな囁きじみた雑談だけをしはじめた。

 二人はそれからまた顔を見合わせ、沈黙を置いてから、どちらからとも無く口を開く。

「こいつが目覚めるまで暫し休憩か」

 腰に携える、衛士の次元刀の柄を軽く握りながら刹那が言った。

「目覚めてアレなんて、随分と酷な話だと思いませんか?」

「――何がコクだってぇ?」

 気がつけば、刹那の顔面には拳が降り注いでいた。

 仮面の上からであろうとも強い打撃はそのまま伝わり、彼はそのまま仰け反るようにして後退してしまう。

 声が無ければ気配の一切もない衛士は、さらに流れるように男の顔面目掛けて槍を穿つ勢いで後ろ回し蹴りを撃ち込んだ。反応が遅れる男はそのまま堅いブーツの底で頬を穿たれ、思わず膝を崩して倒れかかる。

 衛士は続けざまに踵落としを試みるが、それ以上を許さぬ刹那が衛士の顎を肘で強打し、身体を浮かせる。衛士は仰向けのまま背中を地面に叩きつけられて――。

 二人は、してやられたとまた顔を見合わせた。

 が、今度はまだ安心するのが早すぎた。

 帳の落ちた空を見上げる衛士は、そのまま歯を食いしばって腕を振るう。その手には、大きめの刃が屈折した大型ナイフ――ククリナイフが構えられていて、虚空を切り裂くように薙げば、

「チィッ!」

 まるでその見えない斬撃が視えているかのように素早く後退するが、べろりとめくれるように衣服は胸に袈裟の形に一閃を加えられて切り裂かれていた。

「ッ! 手癖の悪い!」

 放熱を忘れた身体は一度濡れたものの、未だ高い熱を持ち続けている。いつか注入された毒はそんなものによって消滅してしまったのか、気分はいくらか晴れていた。

 衛士は勢い良く立ち上がる。だが、目の前には刹那の姿しか確認できない。

 慌てて周囲を探ると――すぐ近くの頭上で、窓ガラスを割るような甲高い音が響いていた。

「あん……にゃろうっ!」

 衛士が再び前方、刹那に対してナイフを振るい、背を向ける。されどその斬撃は避けるまでもなく彼を傷つける事はなく、不発に終わる。刹那は面倒だと心中独りごちながら腰に並べる鞘に収まった短刀の内の二本を抜いて素早く投擲。柄尻に施されたワイヤーは背中に括りつけるウインチに繋がっており――されど、そのワイヤーが伸びる独特の感覚が刹那の背中を刺激することはなかった。

 その鉄線で結われた糸は剥き出しになるすぐ近くから切り離されていて、それ故に、刹那の行動は単に刃物を投げただけに終わる。まさか、と思って背中に手を回せば、十本余りとなる全てのワイヤーが切断されていることが理解できた。

「本当に、手癖の悪い餓鬼がッ!」

 指でも鳴らしたかと思うほど鮮明で甲高い舌打ちは、瞬時に衛士の耳に届く。が、衛士は既に自宅の門をこじ開けて玄関の鍵を開けようとして――器用すぎる工作の結果、施錠の後に自宅に鍵を残す事が成功していたことを思い出して、ドアノブを力強く引きながら体重を掛けて扉を開けようとしていた。

 衛士がそうしている背に肉薄する影は、素早く首根っこを鷲掴むと勢い良く背後へと振り抜いて、身体はまたいとも簡単に宙に浮かび上がってしまう。

 あれほどまで必死になって開けて閉めた門を飛び越えて路上に叩きつけられる姿を、四十余名の能力者は言われるがままに眺めているだけで――衛士はそちらを一瞥してから、激痛すらも麻痺して感じなくなる身体を素早く起こして臨戦態勢へと移る。

 されどその瞬間、再び空から降り落ちる影が近く、大きくなって、

「え、エージ……!」

 堅い靴裏が静かに地面を叩く。その音が聞こえたと思ったのに、少女の押し殺したような悲鳴がなぜだか耳にまとわりついていた。

 ――背筋が凍える。だというのに、呼吸が荒くなって、心臓が蹴られて弾けるように強く鼓動を刻んでいた。

 身体が熱くなる。顔が真っ赤になるのを感じるのに、視界は曖昧で、鼻は焦げ付いた臭いがこびりついているせいで嗅覚が全く聞いていなかった。

 指先は同様に焦げ付いていて感覚がない。だが、こればかりは握りこぶしを作るが故に問題はなかった。

「エージ!」

 熱い吐息が耳に掛かる。

 柔らかな感触が、赤黒く焼けた肉を露出する肌に優しく触れた。

 伸びるしなやかな腕が脇を通り衛士を包む。

 甘い匂いが、焦げ臭さを忘れさせてくれた。

 安堵が。この、たった一つしか無い安息地が、時衛士に、戦場に居るということをにわかに忘れさせてくれていた。

「姉ちゃん……ごめん。オレ、守れなくて」

「ばかエージッ!」

 不甲斐なくなって、どうしようもなく自分の情けないところを吐露したくなって吐き出す、どうしようもなく状況に合わぬ弱音に返されるのは、勇ましく握られた拳による打撃だった。

 小さな拳骨が衛士の頬を殴り抜ける。彼はそのまま口の中を切ってそっぽを向くような形で硬直する。そうすると理恵は、今にも零れてしまいそうな涙を溜めながらも堪らえて、また胸を一度強く叩いた。

「なに、諦めてんのよ! 守るってあんたが決めたんでしょ? 私を守るって! あんたの意思で、自分で決めたんでしょ? 居るじゃない……私はまだ目の前に居る、なのになんで諦めてるの? あんたの中では、私はもう死んじゃったってことなの!?」

「そ、それは――」

「違うなら、自分の言葉を守りなさい! たとえ私を守りきれなくても、自分がその時自分が出来る精一杯が出来たかどうか……いつの日か後悔しないように、今を頑張るのよ! 諦める日なんて来ちゃだめ……その全部を、私が受け止めてあげるから……!」

 いつからか顔を覗かせた月の明かりに、零れた涙が清流のような清さ、鮮やかさを持って流れ始めた。

 そしてその瞬間から理恵の首には、くびれが現れた。それはその中心辺りに鋭く食い込む何かがあるからで、ソレがなんなのか、一度の経験がある衛士には理解できる。

 その正体は糸だった。

 それも、”水分”から作り出すものだ。水を水という形のまま固定して糸として扱う。全くもって原理もなにも訳がわからぬものだが、それが異能力というものだった。

 自身が思い描くモノをなんらかのエネルギーを介して現実に反映させる。あるいは、深層心理にある替わることのない何かを具現化する……能力者がどういった能力に目覚めるかは、そういった根底にある部分によって異なるのだ。そして未だ一人で一つ以上の能力を有する例を見ないところを見れば、一人に対して能力が一つだけというのはどうやら原則らしい。

 こんな状況でもそういったことを考えてしまう衛士は、そんな自分が酷く憎らしくなって――だけどそれを飲み込んで、衛士は深く頷いた。

 まだ姉は生きている。助ける余地は十分にある。諦めなければ、可能性は失せることを知らない。可能性はそうして力を与えてくれる。選択肢を、戦うための武器を見付け出してくれる。

 ――オレは積極的に自分を追い詰めていたのか。

 死ぬと決めたから。ここで死ぬと決めたから相手を殺すための、自分が生きるための道を見失ってしまったのか。

 なんとも、まぁ、オレらしいといえばそうかもしれない。

 頭を冷やせか――随分とこの状況に適した言葉だ。

 オレはこのどうしようもなく理不尽な姉を守らなければならない。いや、守ってやりたい。心の底からそう思える。

 ならどうすればいいか、オレにはわかるのか?

 いや、わからなければならない。

 わからないほうがおかしい。

 ならば、どうすればいい?

 そう、オレは――。

「あぁわかった。オレは姉ちゃんを守るし、姉ちゃんは大人しくオレに守られる。それで良いんだろ?」

「そう、それでいいの。エージ」

 あれほど死にそうだったのに、力がまだまだ底から湧いてくるような感覚に襲われた。

 まだ動ける。いや、これまで以上に動けるかもしれない。

 ならば、これ以上好き勝手にさせることを、防げるのだろうか?

 衛士は悟られぬように手首を捻り、ナイフを振るう。すると斬撃は間もなく彼女の首筋から伸びる糸を切り裂き――その糸は、再び結合した。その時間はわずか一秒足らず。

 さらに実験のように繰り返そうとする時、無論、一度切られた事に気づけぬわけではない男は糸を引いて理恵の肌を裂き首を締め付ける。ぷっつりと切れた肌から溢れる赤い鮮血はそのまま純白のキャミソールを朱色に染め上げた。痛々しく漏らす喘ぎ声は、ただそれだけで衛士の思考を活発に、そして発想をより鋭く豊かにさせてくれる。

「下手なマネは、キミのお姉ちゃんの命を短くするだけだよ」

「はっ! てめぇの軽口はてめぇの寿命を短くするだけだけどなぁっ!」

 時衛士は弾けるように前に飛び出すと同時にナイフを振るい、それと同時進行で理恵の身体を背後へと突き飛ばした。

 ナイフの距離を無視する斬撃は瞬間的に水の糸を切り裂き――切断面に侵入した衛士に、一度完全な液体に戻った糸が振りかかる。すると、男の短い舌打ちが聞こえて、

「刹那さん。手ぇ、出さないでくださいね」

 言葉が届くよりも早く、ナイフは再び糸によってがんじがらめにされて動かせなくなる。衛士はそれを知覚してから惜しげもなくナイフを投げ捨て、大地を蹴り飛ばし加速。

 男に肉薄すると見えるその表情は、明らかな焦りに満ちていて――衛士が慢心と同時に腕を振り上げたところで、それが完全な罠であったことに気がついた。

 拳を握り、その位置が頭頂を超える。その瞬間に、両足、また両手、足首手首に、首に巻きつく水の糸が、瞬く間に衛士の動きを封じ込めていた。

「あははっ! 女の子の言葉だけで相手に勝てれば、そりゃ苦労はしないだろうねぇ。そう思わないかい、時衛士くん?」

「あぁ確かにそうだ。そう思える――が、能力が知れりゃ、てめぇなんざ怖かねぇんだよ」

 水を固定して糸にする。ならばその糸はどこで固定しているのか、また糸となった水が水たる性質を残しているのか。それらは既に、理解が済んでいた。

 糸は周囲の電柱に引っ掛けられて最終的には男へと繋がっている。さらに水は、確かに水である性質を忘れては居ない。それを証明したのは、切り離されればすぐさま水の状態に戻ってしまう点であった。

 だから――ただでさえ焦げ付いた体である衛士だ。その体温は尋常ではなく、即効性の毒でさえも熱によって弱体化させたほどである。

 故に、水による糸の強度は、確かに下がりつつあった。

「そう。確かに能力の効果が露呈するのが怖かった。だけどキミのようなバカが相手なら恐れるに足らず。逆に何が怖いのか訊きたいくらいだけどね」

 男がさりげなく腕を引く。すると糸が締まり全身を締め付ける、が、そこはかとなく糸が軋んでいるような感じがする。それは勘違いかもしれないが、少なくとも衛士に勝機というものを見せていた。

「その慢心で自分が負けてしまうんじゃあないかって怖がってろよ、臆病者チキンが」

「ぷっ。それで僕を煽っているつもりかい? それで怒りを誘ってミスを誘発させる狙いかい?」

「あぁその通りだ。んで図星だから、力の加減がバカになってきてんだろ?」

 事実、糸は如実に衛士を絞め殺さんと、八つ裂かんとしている。それは、その行動はそのまま彼の心情を意味しているのだろう。衛士はそう判断して、苦しむ様子も見せずに頬を引き上げ笑みを作ってみせた。

「てめぇに誰も殺させねぇ」

「説得力がないよ、キミ」

 だけど、と今度はにやける男は、いつのまに回収したのか、衛士の次元刀を手に、鎖を解いて満面の笑みを浮かべていた。

「少し遊ぼうか。この武器、こうやって使うんだろ?」

 男はナイフの部分を垂らして、鎖を支える。それからグリップを聞かせるようにしてナイフをおもしに、鎖を大きく回転させ始めた。

「守れるものなら守ってみなよ。それまで、殺してやらないから」

 男の意地の悪い言葉が、どこまでも強く時衛士の癪を握りつぶしてくれていた。

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