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目先の終焉

 傍らに置くバックパックの中には総量十キロ近い弾倉が詰め込まれていた。単純な弾数で言えば六○○発以上であり、しかし衛士の武装という武装はソレ以外には無かった。愛銃であった9mm拳銃はフェイカーの転送に巻き込まれて持って行かれてしまったために、四つほどの弾倉は既に無駄になっていたし、他の武器と言えばただの十五センチ程の刃を持つサバイバルナイフに、全体的な作り自体が大きな次元刀ククリナイフは中距離武器として鎖を装備している。

 敵から奪ったAK-47も少しばかり整備をしてやらねばこれからの戦いには心許ないし――何よりも、左肩と右腹の耐時スーツが剥げてしまっているのがやはり気がかりだ。

 時衛士はそんな事を考えながら、診察室の寝台に腰掛けながらフェイカーが残して入った菓子パンやおにぎりの数々を咀嚼し、胃に詰め込んでいた。

 長い間まともな食事をしていなかった彼にとってはその量、否、まずは食べ物自体が受付なかったが、一つ二つ口にする中で吐き気の臨界点ピークは簡単に乗り越えられて、まるで無尽蔵のように彼はそれらを食べつくしていた。

「おい坊主、朝になってからでも俺は構わないが」

 一仕事終えたのか、衛士に背を向けてパソコンに向かっていた白衣姿の男は椅子を回転させて彼に向き直ると、なんとはなしにそう口にする。そんなジェリコは既にフェイカーが負傷し回収されたと説明してあるために、特にこれといった不満や不安な様子を見せては居なかった。器具も十分ではないこの場所で大怪我の治療をするより、彼女が所属している組織でまともな治療を受けたほうが絶対的に良いのだと彼自身が分かっているためだろう。

 時刻は午後十一時。

 あの戦闘から既に五時間近くが経過していた。

 決して無傷という訳ではなかったが、全ては擦り傷、あるいは軽い火傷だけであって、ジェリコからの簡単な応急処置で衛士は再び包帯を全身に巻いていた。だからこそ、日が出ぬ内に出て行くと主張する彼にせめて夜が明けてから、と心配していたのだ。

 出て行く予定としては試練の五日目が開始したと同時だ。十日間を予定している試練の丁度折り返し地点となる日だが――まだ半分だというのにコレほどまで追い詰められていては、この先が思いやられる。だからといって逃げるわけにも、ここに引きこもるわけにもいかないのだが。

 そうはいっても、ここに戻ってきてからすぐに就寝したために疲れは大分抜けている。体調は万全と言ったところだった。

「いや、さすがにこれ以上迷惑はかけらんないしさ。ヘタすりゃここに襲撃かけてくるかもわからんし」

「あぁ、そいつは迷惑だな……っと、そういえば一つ、お前に伝えておく事があったんだ。お前、この街が地元だろ?」

「ん? まぁ、正確には隣町だけど……少なくとも高校上がってからはこの街だな」

「おう。それで、この間どこぞの精神異常者が警官数人を惨殺した事件あったろ? お前が殺したアイツの事件」

 その言葉の後に、ジェリコは気抜けしたように腹の音を鳴らす。それから彼は気まずそうに苦笑を浮かべると、衛士はそんな雰囲気に思わず表情を緩ませて、適当なおにぎりを数個見繕って彼へと投げた。

 ジェリコはそれらを机に置いてから適当な一つの包装をちぎって一口頬張り、咀嚼し飲み込んでから言葉を続ける。

「来週の夏祭り、あの十四日の日曜のヤツがな、どうにも街がそいつで落ち込み気味だっとかで早まったらしい。今日が準備で十日の火曜日。つまり明後日の午後七時からが夏祭りだ。学園から徒歩十分くらいの神社に屋台が並ぶし、花火も打ち上げられる」

「あぁ、なんとも――んっとーに、タイミングが悪い」

 これから戦闘がさらに熾烈を極めるかも知れない。そんな時に多くの一般人が街に集まるのだ。下手な戦いも出来ないから場所が限られるし、状況次第では武器の使用も出来なくなるかも知れない。

 最も、あの組織ならばわざわざ人だかりの中で血なまぐさい事はしないとは思うが――またいつかのように一般人を使った戦術がなされればどうになるかはわからない。

 あの見掛け倒しの十人の兵隊がいったい何者だったのかはわからないが、アレらが居るより百人の人間が攻めて来る方がよっぽど辛い戦いになる。そういった手段に出られては衛士としても厳しいのだ。

「大丈夫。わかってる。オレだって馬鹿な事はしない」

「なら良いんだが……こんぶか。ツナマヨくれ」

「すまん、さっき喰ったし、カブリはないんだ」

「くく、そういやそうだったな。あいつ、ほっときゃ弁当まで全種類買っちまうからなぁ……そういやなんでフェイカーなんて呼んでんだ? 大分懐いてんだから、名前で呼べばもっと喜ぶだろうにな」

 素朴な疑問とばかりに、彼は足を組んで、仕方なくこんぶのおにぎりを口に含む。それから驚いたような顔をしておにぎりの断面を見つめてから、また大きく開けた口にそいつを詰め込み、味わうように噛み締める。

 衛士はそんなジェリコの問いに、そういえば彼女に名前を尋ねたのは出会った最初だけで、それ以降は訊こうとすらしなかったことを思い出す。確かに、ただ変装をしていただけで偽者フェイカーだと言うのはさすがに感情に流されすぎたとも思えたが、名前の意味、意図はどうであれ今ではフェイカーが最もしっくりと来るのだから仕方がないとも言えた。

 彼は少しばかり面倒そうにその説明をすると、心から愉快そうに満面の笑みで笑い、ひとしきり笑い終えたところで大きく息を吐いた。衛士が炭酸飲料の入ったペットボトルを投げると彼は上手にそれを受け取り、蓋を開けて一口で半分ほどを飲み下した。

「んじゃ、名前すら知らないのか?」

「まぁ、なぁ。あれじゃ、今更訊くのもアレだし……」

「へぇ。本気で男だと思ってたり、名前も知らなかったり。お前、結構バカじゃねぇ?」

「ばっ……くそぅ、否定できない。だ、だけどさぁ! 別にフェイカーも怒ったりしてないし、普通の友達みたいに接してたし、だったらそれでいいじゃねぇか」

「だから俺にとっては若干驚きなわけだ。あいつ結構人間不信な所があってな。今までは仕事だからお前についてたんだろうけど、命がけで他の奴らから守ったり、真剣に心配したりなんて、仕事じゃできない。つまりお前に気があったんだよ。良かったな、まだガキだけど、あいつは良い女になるぞ」

「知ーらーん。別にそーゆー目で見てないし」

 不意に襲われた羞恥心に、衛士は頬を紅潮させて、それを隠すようにお茶を口に含み、飲み干す。渋みが舌に染み付くように残るが、それがまた良い心地で少しばかり心が落ち着くようだった。

「にしても、ここまで話しててもお前が本当に戦場より酷な場所に居る人間には思えないな。ただの、気の良いガキそのものだ」

「んー、まぁ今回の試練ことはマジにもっとシビアになれたんだろうけど……フェイカーが居たし、アンタもいた。だからそんな気はすっかり削がれちまってんだ」

「良い傾向だよ。修羅になりきれないヤツは死にやすいからな。ならいっそ事、その位が丁度いい。長生きするぜ」

「ありがとよ」

 しかしフェイカーの本名を聞きそびれた衛士はどこか上の空で答えていて――それが見え見えであるがゆえに容易に見抜いたジェリコは、また押し殺すような笑いを漏らしてから、一つの深呼吸を置いた。

「ナルミ・リトヴャク。それがあいつの本名だ」

 そして衛士はその一言で全てを見透かされていたことを理解する。

 とても恥ずかしい。

 同時にとても情けない。

 そういった想いを胸に抱きながら、それがなんでもないように、だからどうしたという風を装って問いかけた。

「……ナルミって、日本名みたいだな」

「日本名だよ。両親も純ロシア人みたいなんだが、親日家でな。漢字で書くと美しく成るって書いて成美なるみだ。ま、名前負けはしてないみたいだ」

「へぇ、ってあー、そういやなんか言ってたな。まぁ……確かに美形だな。男だったらって思うとゾッとする。オレが見劣りするからな」

「はは、お前はもう気にする余地ないだろって突っ込みたいけど、ごく平凡だからな。いや、年齢としにしては男らしいから、年下には見た目好印象だろうけど」

「ざけんな。今昔にしてそういった意味で好意を持たれたことなんて……そんな、それが普通だよな?」

 丁度この間にかつてこの世界で時を共にした中村に思いを伝えられそうになったから強い好意、まさにこの話題にぴったりなものを抱かれていたと考えてよいだろうが、状況的に恐らく見た目は関係ない。

 だからこそ、少しばかり心が沈んだ。異性から人としてよく思われていても、異性として好意的に見られるかは別だという現実はいささか彼にとっては厳しいようだったが――そういった事で一喜一憂できるこの時間が、非常に幸せだと、彼は感じていた。


 久しぶりの入浴で全身の汗や血を流した衛士は、心機一転とばかりに全身をほぐすためにストレッチをし、それからまた包帯を巻き直して下着一枚のまま、また診察室の寝台に腰をかけた。

「服を着ろ」

「暑いんだよ。ここは冷房が効いてて涼しいけど」

「あーったく、ここは仕事場兼自宅だぞ」

「寝床は地下だろ?」

「あそこは私物置場だ。ここで寝起きしてんだよ。他の従業員も知ってるから綺麗に使ってくれるし」

 汗か拭き残しか、ともかく濡れたその身体が替えたばかりらしい真新しい綺麗なスーツに染みを作る。ジェリコはそれがたまらなく嫌らしく、彼に片手で持ちあげるのも大変な耐時スーツを投げ、それからタオルを投げつけた。

「ったく。ただでさえお前のおかげで今週は休業なんだ。明日も明日で何故か祭りの準備で駆りだされるしな」

「なんだかんだで街全体の行事なんだ。神社だけじゃなくて、商店街も大通りも露天だらけになる。割と大掛かりなんだぜ」

「そりゃあ楽しみだ。女もいればもっと楽しいだろうにな」

「オレなんざ多分その間に死にかけるかもしれねぇんだ。いいだろ、まだそっちの方が」

 そんな台詞に「あー」と口ごもるジェリコを見て、衛士はしまったと思わず額を叩いた。

 別に嫌味を言いたいわけではなかったのだ。つい口走ってしまって、そしてそこからまた――これからの事がまったく予想がつかずにそわそわしている事が知られてしまって、衛士は失敗だと心のなかで嘆いて、立ち上がった。

 衛士はそこでわざとらしく、彼が口を開くよりも早く思い出したように話題を転換させる。

「そういやあのー、懐中時計みたいなヤツの薄い……ロケットペンダント知らないか? 大事なモノなんだ」

「ん? あぁ、アレなら確かナルミのヤツが大切に持ってた筈だが……はは、一緒に運ばれちまったか」

「マジか。愛銃にしろなんにしろ、いろいろ持っていかれちまってんな……でもフェイ……ナルミならちゃんと保管してくれるだろ」

「だろうな。アイツは喰いもんと他人の私物に関しては几帳面だから」

「なら安心できる。帰ったら、あんたの事もよろしく言っておくよ」

 オモリでも内蔵されているかのような重さの耐時スーツに足を通し、腕を通し、それから履き古されたブーツを履いて――バックパックを背負い、ストラップを付け直した小銃を肩から提げる。太ももの鞘にはサバイバルナイフ、そして腰に鎖が巻き付けられ、背面の腰には抜身の次元刀ククリナイフが装備されている。

 これが現在の彼が持つ全ての装備であり、よくよく考えて見れば長距離、中距離、短距離攻撃が行える武器は揃っている。最も十分ではないだろうが――祭りの時期が早まった。この事はつまり試練の終わりも前倒しになったという事ではないだろうか。

 夏祭りの日は偶然にも試練が終了する日時と重なっていた。これが仮に偶然でなくリリスが狙ってそうしたというものであれば、衛士の何らかの行動が影響を及ぼして現在に至っているのかも知れない。

 ”全ての因果は時衛士に収束する”と言われた言葉を想い出せば、それに対する信憑性は少なからずとも上がるだろう。最も、それを盲信し絶対的だと吹聴する事はありえないと断言できるが。

 だがどちらにしろ、残りの五日を待たずにこの世界を後にすることが出来る。どういった結果が待ち受けているかは全くもって想像が追いつかぬが、それでもようやく終えることが出来る。

 それが衛士には、少しばかり救いになった。見えないマラソンのゴールが見えた気がした。

 ――時刻は午前二時。いくらジェリコとていい加減睡魔に襲われても仕方がない時間帯だろう。ここ最近、まともに寝られていないとすれば尚更だ。

「んじゃ、そろそろ行くわ」

 衛士の立ち上がる様子には疲れも、また荷物に対する重さも見えなかった。動きは健康、万全そのもので、リュックも銃も無いような、まるで手ぶらのような身軽さで衛士はやがて扉の前にまで足を伸ばした。

「達者でな」

 まるで生まれてからずっと日本に居るかのような流暢な日本語で、日本人よろしくそう口にするジェリコに、衛士は思わず吹き出すように笑い、口角を釣り上げたまま軽く手を上げた。

「おう。今までありがとう。助かった……また、いつか」

「だな。縁があればまた。今度はプライベートで来な」

「わかってる。それじゃな」

「あぁ。がんばれよ」

 その言葉を背に受け、やがて彼はその部屋を、そしてその病院を後にする。

 そして――衛士は、これまでの中で精神的にも肉体的にも最も過酷と言える試練へと、知らず知らずの内に身を投じたのである。

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