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一呼吸

「君は、ほんとにバカだな」

 意識が覚醒したとき、気がつくとその目はすでに見開かれていた。視線の先には純白の壁があって――それが天井だと理解できたのは、すぐ横で、そんな言葉を漏らす影があったからだ。

 柔らかで暖かな布団が彼を包み、その右腕の肘の内側から伸びる管からはブドウ糖が流れ与えられる。彼にこれといった外傷は無かったが、この地上に来てからまともな食事はせずに水のみを摂取してきたその肉体はひどく衰弱していた。

 その顔にはどう頑張っても健康が伺えず、病的な青白さをもつ。頬はこけ、汗や脂にまみれる髪はボサボサになりながら逆立っていて、胸の☓印の傷は、その傷口を壊死させていた。まともな治療も、包帯の交換すらも行わなかったのだから仕方のないことだろう。

 右肩の銃創は比較的傷の進行がゆるく、されど喜べる状況では、少なくともなかった。このまま放置しておけば確実に右腕を動かすことが出来なくなるであろう傷である。

 この時衛士の状況を見れば、そんな言葉が漏れるのはごく自然に思われた。

「よく聞いておけクソ坊主」

 首を転がすようにまわすと、純白のワンピースを纏う、少女が如き様相のフェイカーが直立している。その傍らにはジェリコを名乗る医師が白衣を羽織り、彼女の一歩前に出るようにして口を開いた。

 短い金髪を、まるで剣山のように突き立て、その鋭い眼差しは歴戦の勇姿と言うよりは戦場上がりの殺し屋といった風貌で、衛士は思わずその姿にすくみあがってしまう。

 そこから不意に伸びた腕が、その無骨な手のひらが強引なまでにその前頭部を掴んで、徐々に痛みを与えるように、少しづつ力を込め始めた。

「お前がどれだけ俺の居城に居座るか知らんが、提供してやる。だがな、坊主――その代わりお前は当分安静にせにゃならん。動きまわって、このクソ平和な日本で銃創なんぞがなんで出来るか知らんが、その分だけお前の傷は悪化するし、そうしたらお前の本来の戦闘能力は発揮されない……だろう? こいつはお前の為でもあるんだ」

 てっきり怒鳴りつけられるものとばかり思っていた衛士には、その台詞はあまりにも意外すぎた。今までに出会ったことのない対応。それ故に彼がにわかに紳士的に見えてしまったし、その為に、このジェリコを非常に理性的で論理に富んだ人間なのだと認識することが、この少年には出来てしまった。

 だから彼は、手が離された後に小刻みに首を縦に震わせて、それから体を起こそうとして、それを静止するジェリコの所作を見てやめた。

 弱っているときほど、こういった自分のことを心配してくれる人間に弱い。衛士はそれを理解しつつも、彼にそういった認識を持つのは間違いだと理解しながらも、今だけはと、ひとまずの信頼を置くことにした。

「そ……ごほん。それで、今は何日目で、何時だ?」

 しゃがれる声を咳払い一つで拭い去り、もとの調子で声音を響かせる。と、今度は立ち替わる少女はひざ丈のワンピースを翻して前に出た。

「君を見つけたのが三日目、いや、四日目のちょうど午前○時。その間に、君の状況を見るに襲来は無かったらしい。ひどく無防備な姿だったけど武器は無事だし、君は右腕を耐時スーツに通したままで寝ていた」

「質問にだけ答えろよ。んな事、誰が訊いたんだ」

「聞かせてるんだよ。君の行動が、いかに愚かなものだったかってね。それで話は戻るけど――現在は四日目、八月八日の十三時……」

 彼女は口ごもり、壁にかかっているであろう時計を目指して体をひねる。だが背後には目的のものがなく、周囲を伺っても時計はおろか、時間を教えてくれる物品の存在は皆無だった。仕方なく机上の事務パソコンへと目を向けるも、右端のタスクバーに表示されている時刻を視認できるほどの視力を、彼女は持ちあわせてはいなかった。

 嘆息混じりに腕時計へと視線を落とすジェリコは、それから続けるように口を開く。

「十二分。つまり、その試練の四日目のとやらが始まってから、十三時間と十三分が経過したわけだな。ごくろーさん」

「あぁ、そう。その間にも、”彼ら”の襲撃はなかった。無論、君が”監視”していた付近は今もどうやら無事らしい」

 彼らと形容するのは、おそらく付焼刃スケアクロウの事。試練だの何日目だのという情報開示はその真意を知らなければ理解できぬ故に可能なのだが、そういった造語の固有名詞は抑えられているのだろう。彼女がこのジェリコを信用しているだとか言った話とは全く別に、どこの誰がこの会話を聞いているともわからぬ状況だから――というのが想定されていて、だからこそ禁止されているのだ。

 衛士が、フェイカーの発した”監視”の言葉に思わず眉を弾ませると、彼女はそれから申し訳なさそうに眉尻を下げて続けた。

「君の行動を確認するために、さっきもちょっと確認してきたんだよ」

「はん、”監視”ねぇ。そいつが本来の、お前の仕事だっつーのに」

 そんな彼女は敵と対峙して大怪我をした。体中に無数の短刀を突き刺されたのだ。応急処置が迅速で治療も早かったから大事には至らなかったとはいえ、そのワンピースの下には未だ痛々しい傷が残っているだろうし、包帯も巻かれているはずだった。

 だからか、彼が最後に見たその胸は、その時のような豊満さで衣服を持ち上げてはいなかった。というところで、衛士はふと気がついた。

 そういえば今まで彼女のことを男だと思っていて、その上で、彼女は自分を男のように振舞っていたということに。

 別にそれがどうとかいう訳ではないのだが――実は彼女が目覚めたときに、少しばかりの気まずさがあると考えていた彼である。思いのほか、いつもどおりに接してくれる彼女に、衛士は今更ながらに胸をなで下ろすように息を吐いた。

 ――そんな彼は、彼女の心情を察しきることが出来ていなかった。

 その実、彼女がそんな肌の露出が多いはしたない服装を、死にたくなるほど恥じていることを彼は知らない。

 その実、彼女が衛士に命を助けられた際に感じたある種の吊り橋効果か、またある種の刷り込みか、衛士に女性として心を惹かれていた事を彼は知らない。

 その実、彼女が衛士を見るたびに、その視線が交わされる度に胸を高鳴らせ、頬が紅潮していくのを彼は知らない。

 今まで女性だからと舐められてきた。だからこそ男を装っていたのに――今まさに、そう行った、戦場では男として生きるという決心が揺らぎそうに、否、崩壊しかけている事を、衛士は知ることができなかった。

 彼女は自分を、他の戦場に出る女性たちのように強くなれないと思い込んでいる。そしてまた同時に、自身を女性として認識しながらの戦闘はほとんど不可能になっていた。今までずっと男として人を殺し、男として血を浴び傷ついてきた彼女だからだ。

 だからもう誰にも守らないし、逆に誰かを助けられる技術を身につけた。

 ヘンな目で見られるくらいならひとりの方がましだと思っていて、後は人が寄ってこないようにするだけだったのに、今となっては、自分から近づきたいと思っていた。

 衛士があのまま朝を迎えて放置され昼頃に熱中症によって死を垣間見る羽目にならなかったのは、一概に、彼女の衛士に対する心情が興味から好意へと変異したおかげだった。

「まぁ、そうだけど……君のために働いたんだ。賞賛くらいは欲しかったね」

「……お前ってあれだよな。褒められて伸びるタイプか? 飯を用意しただの、助けただの……まぁいい。助かったのは事実だし――ありがとよ、フェイカー」

「ふふ、どういたしまして」

 溢れ出る笑みを抑えるように口元に手をやって、それから声を漏らすようにして返答する。

 それから衛士は細々と息を吐きながら全身に走る鈍い痛みを耐え、それから上半身をようやくといった風に起こすと、不意に、彼女の頭の位置が以前とは変わって随分と下がってしまっていることに気がついた。

 そういえば、彼女の素顔をまともに見るのは初めてだ。これまではずっとヘルメットを被っていたし――おそらく、そのブーツもかなりの厚底だったのだろう。衛士にほど近いはずだった身長は、今では見る影もない。およそ二十センチくらいは縮んでしまっているであろう顔の近さだった。

「……チビ」

「くっ……な、何をいまさら。い、言っておくけどね、今まで君が見ていた僕は、ある意味嘘なんだよ」

「まぁ、すげー軟弱な男みたいだったからな。やっぱお前は女が妥当な所だったか」

「お、女だけどさぁ……君は、そーゆーので差別しないだろ? 女だから容赦するとか、しないだろ?」

「んん、どうだろ。まぁそうだな、この前も無反動砲を容赦なく撃ってきたバカが女だったけど、構わず半殺しにしたしな」

 会話に興味をなくしたのか、はたまた気を使っているのか。ジェリコはその場から静かに辞して、部屋を後にした。残されたフェイカーは事務机から椅子を引っ張って腰をかけ、それから衛士を軽く見上げるようにして、そのふくれっ面を見せつけた。

 衛士はすでに冗談を言い合えるような仲になっている彼女に、友人同士のようにいつもの調子で言葉を交わして、それから――伝えなければならない一つの情報を、その流れに沿って口にした。

「でもさ、僕は君が銃を持つより、素手のほうが怖い気がするな」

「へぇ、なんで?」

 言われて、彼女はどうしてそう思ったのだろうかと伸ばした人差し指で下唇を押し上げるようにして思惟すると、それから思いついたように、恐る恐るといった感じて答えてみせた。

「素手でも、殺そうとしそうだから……かな。普通敵を殺すなら銃や刀剣、そういった武器を使うだろう? 素手なら、さすがに行動不能にするくらいで十分だ。殺すなら最低でも鈍器を使おうとするけど、君は、素手でりそうだ」

「さすがにねーよ。手間が掛かるだけだろ」

 その上、この上ない恨みでもない限りは良心や理性が働いてとてもできるものではない。

 彼女はそうか、とどこかほっとしたように息を吐いて、肩から力を抜いた。衛士はその様子を見てから一つ気分でも入れ替えるように大きく深く息を吐いてから、それから――セツナに誘われた事を思い返した。

 彼の言葉がそのまま正しくて、そのまま飲み込むことが出来るのならば――。

「フェイカー、ここからは真剣な話だ。真面目に話すから、しっかり聞いてくれ」

 不意気味に神妙な沈んだ声を発すると、彼女は驚いたように肩を弾ませてから、衛士の心情を察するように表情を引き締め、顎を引いて静かに頷いた。

「よし。んじゃあ手始めに――お前を半殺しにした男に、こちらに来ないかと誘われた。これがどういった意味かわかるか?」

「んー、君が行かなければ、君は殺されるってことかい?」

「あぁ、そうだが、そいつは当分無いようだ。オレがあの公園で気を失う直前も奴らに襲われたが、殺せた状況で、生かされた。多分まだオレの心変わりを狙っていて、だからこそ、オレの命は保証されるみたいだ」

 衛士が首に巻かれる包帯を撫でると、その部分の傷を肉眼で捉えた彼女はその記憶を瞬時に回想させて、なるほどと手を打った。

「つまり、僕の命は無慈悲に奪われるというわけか。君を引き止めている一因として見られている、というわけかい」

「殺されるかは定かじゃない。お前、つまりフェイカーを生かして欲しくば、こちらにこいという交渉材料にされるかもな」

 少なくとも、これからさらに戦闘が激しく、あるいは狡猾になっていくのは明らかだ。

 直接的にではなく、周囲のものから奪われる可能性がある。また、あの小太りの幻影ホログラムの男、ゼクトが言っていたように”因果”の件もある。衛士自身がもたらす様々な害悪が、常に彼を蝕むのだ。

 なぜ付焼刃スケアクロウで構成される組織が衛士を狙うのか。その理由を彼が知ることはできない。知ろうとも思わない。こんな理不尽にいちいち理由を求めることなどは愚かなことだと、彼は理解できたからだ。

 理由を求める必要などなく、ただ抗うしかない。それが嫌なら従うしかない。どうするべきかは、自分で考えるしか無いのだ。

 今までやれと言われたことをやってきた彼にとってはいくらか過酷なものだが――むしろ丁度良いと、彼は歯を剥いて口角を釣り上げて笑みを浮かべた。

「ふん、楽しみかい。悪夢かもしれないのに……?」

 足を組み、腕を組む彼女はふんぞりかえって背もたれにその華奢な体を預けて問うた。

 衛士はそんなフェイカーを一瞥してから鼻で笑い、それから寝台の上で身体を滑らせ、点滴棒を支えにしてその二本の足で立ち上がった。

「楽しみなもんか。すげぇ嫌なんだよ。……こうやって、自分で自分を誤魔化さなきゃならねぇくらいな」

 自嘲するように吐く戯れ言に、彼女は立ち上がって点滴棒に手を沿わせてから衛士の手を引き剥がし、自身の手と組ませる。指を絡めるように彼の手を握り、今度は完全に見上げるようにして、彼女は微笑んだ。

「なら僕が支えてあげるよ。命を助けらた恩もあるし……」

 なによりも――。

 それを言おうとするも、彼女は口をつぐんで言いよどむ。

 明らかにいつもとは違う、確かな女性的な行動に、衛士はフェイカーの気持ちを肌で感じた――ような気がして、それでも彼は気づかぬふりで、彼女の手を振りほどいた。

 そんな時衛士が再び硝煙を嗅ぎ怒号に塗れるのは、それから数時間と経たぬ夕方の事だった。

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