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第三の試練:救援

 大気を喰らって膨長する高熱を孕む炎の塊は、それでも容易に鋭い一閃に両断された。

 轟と唸るソレはすぐ脇を通り過ぎて、フェイカーの背後に左右に分かれて着弾。燃料が無くとも燻る事無く燃え上がるそれは、徐々に勢いを殺していくが――それを見送る時間もおかず、フェイカーは強く地面を蹴り飛ばす跳躍じみた行動で、一瞬にして敵へと距離を縮めた。

 男はその息をつく暇も無い速度に筋肉を緊張させ、動きを鈍らせる。フェイカーはその隙を狙い、一閃。その手に握る太刀の峰が鋭く男の脇腹に喰らいつき、鈍い打撃音が武器から手へ、そして身体へと染み込むように音が響く。

 彼はその場に崩れると共に呻き――さらにトドメを刺されるように、その首元に優しくも殺気の籠る冷たい刃を突きつけられた。同時に腰を折り、地面に突き刺した太刀を支えにして口を男の耳元まで持っていくフェイカーは、何の感情も込めずに淡々と言葉を口にした。

「死にたくなければ頷いてくれ。当分は僕らに近寄るな、とね」

「お、俺としちゃあ山々なんだけどな……腐っても、俺たちも組織だ。俺の判断なんて、毛ほども参考にしてくれない」

 色も熱も無かった声は、そんな返答の後に突如として落胆の溜息を漏らした。

 酷く冷たく怖気がするほどの凄惨さが、その未来を垣間見せるようなソレは――その直後に太刀を煌めかせ、素早く滑らかに、その日の光に照る刀身を鞘の中へと飲み込ませた。

「お前を殺すのは僕の仕事じゃない。ただ火の粉を払っただけさ。ただ、出来るだけ言ったとおりにして欲しいな。目的は分からないけど……無駄に死ぬなんて、とてもバカらしいことだろう?」

 フェイカーは鞘から伸びる下緒さげおと呼ばれる紐を手に取り、それを鍔と鞘とを結びつけるように固定して、太刀を肩に掛ける。それから返事の無い男を一瞥してから、徐々に周囲から迫る人の気配が強くなるのを感じて、ヘルメットのバイザーを落としてその場――路地の奥にある用途不明の開けた空間から退場した。


「こんなツマラナイ事で本当に特異点への道が開けると思っているんですか」

 懲りずにかかってきた電話に応答するフェイカーは、飽きずに”ゼクト”へと声を荒げず口調を乱した。

 空はまだ白くかすむ早朝四時。夏季であるからこそ、そんな時間帯でも外は明るく、まだ汗一つかくことが出来ぬ気温を保っている。人通りはやはりそんな時間であるからこそ皆無であり、フェイカーはまたそこから、駅付近にある美容整形クリニックへと足を向けた。

『第三の試練……未だ継続中のようだ。先の”焼夷しょういの能力”はそれだけでも十分強力だったようだが……』

「相手が驕っている内はどんな能力も”脅し”にしかなりませんよ。確かにあんな風に自由に特殊能力を扱えるのは、正直ちょっと羨ましいですけど」

 ヘルメットを被っている間はわざわざ端末を手にする必要が無い。そしてまたヘルメットを被っているが為に声量に気にかける必要も無いのだが、フェイカーの声は自然と小さく、適量に絞られた。

「そもそも試練とか、どうやって分かるんですか?」

『面倒な説明になる』

「構いませんよ」

『わたしが嫌だと言っているんだ』

 耳元で息が掛かるようなノイズが聞こえる。そんなタイミングにあわせて、フェイカーもふーっと息を吹きかけた。自身が感じる不快さを相手にも与えてやろうと言う幼稚な魂胆だった。

『どちらにせよ、君の判断には個人的に酷く残念だがな』

「今のトキ君の状態を見れば、とても”まともな”判断でしょうよ。試練前の疲れもあるし、今日はもう起きないだろうし」

『まともなやり方で特異点に目覚められれば、適正者はみな特異点だな』

「力の為に命を落とすのが馬鹿らしいって思ってます。僕は」

『それは貴様の考え方だろう? 最低でも十日……あと四日以内に近き位置へ昇華していなければ、時衛士は自身に後悔することになる。今は己が命を大切に抱いてしまっているからな』

「命を捨てれば良いんですか?」

『……貴様の頭脳あたまは思ったよりも女性的なようで残念だよ。死ねばいいという話を、わたしが何時いつした? ようは思考の違いだ。奴が裏世界アンダーワールドへ来たときの修羅を取り戻すことさえ出来れば、特異点への道は開かれる。何よりも、この状況での目覚めが大切だという話だ』

 静かな怒気を孕む声が、いつになく苛ついた言葉遣いがフェイカーの頭から被った。それからフェイカーは大きく息を吸い込んで、彼に言われた通り確かに熱を帯びていた感情を覚ますように深呼吸をしてから、肩の力を抜く。柄を握る手は汗ばんでいて、その為に太刀を持ち替えてから返答する。

「僕は男です」

『はは、君がそう言うならわたしは構わないがね』

「好きに想像してください。僕はアナタが何処まで視えているのかわかりませんが、その冷徹な判断でトキ君を導こうとしている事くらいは判別わかります。なら、その結果だけでも教えてください。僕は、そうでなきゃ今のアナタの言葉を信じることはおろか、聞く事も出来ない。一衛生兵として、あんな怪我人を動かすという理性が働かないですよ」

 その声は私憤を孕んでいる様子は無く、こればかりはどうにかならないものかと切実に頼み込むような熱がスピーカー越しにゼクトへと伝わる。

 だからこそ、本来ならばそんな頼みごと等は間髪おかずに切り捨てるのだが、フェイカーの立場と性格、そしてその心情を踏まえたからこそ彼は言いよどんでしまった。

 言葉に詰まる。それは僅か数秒のことであったが、フェイカーにとってはおよそ体感せぬ時間の冗長化を覚えていた。感覚的に十秒近くにまで引き伸ばされた時間に焦らされ、思わず急かす様に声を荒げようとしたところで、耳元で咳払いの音声がやかましく響き、声が続いた。

『我々が視ている未来は飽くまで”予測”に過ぎない。経験則や数多の要因、そして可能性や状況、天候すらもそれらに関わっている。そしてその予測できた未来を予測通りに流すためには完全な傍観が必要だ。それをそう易々と現場に居る、未来を変異させられる君に情報を与えられる筈も無い』

「ぼ、僕は何もしません。ただ、知っている事で覚悟が出来るから……」

『言葉で人を拘束出来るなら我々も苦労はせん』

 彼はそれからまた大きく一つ息を吐く。フェイカーもそれと同じタイミングで足を止めて、やれやれと肩をすぼめて息を吐いた。

 肩に乗せる太刀を下ろし、紐を解く。そしてフェイカーは何よりも深い溜息をついて、白刃を煌めかせた。

「ふむ。まさかとは思っていたが、奴が居ないとはな」

 鞘を投げ捨てると、それは背後で乾いた音を立てて転がる。ソレと共に、ゼクトは無駄なことは口にせずそのまま通話を切って沈黙した。

 リリスの耐字スーツに良く似た戦闘服姿の男は、さらに顔には石膏のような色気の無い仮面マスクを装着する。手には刃がやや短い、一般に『忍刀』と呼ばれるそれを逆手で握り、重心を低く取る。

 さらに目を引いたのは、腰から干物のように連なって下がる幾本もの刀の存在である。それは数センチ間隔で並び身体の側面にまで並び、また完全に固定されているわけではないのか、少しの動作でそれらが揺れて軽い音を立てる。どうやって装着されているかはわからないそれらだが、公園とは装備が違うらしいところを見ると本格的な戦闘を所望しているらしかった。

 ――彼は能力者スケアクロウじゃない。ならば畑は同じという事になる。

 それはつまりどういった事か、フェイカーには直ぐに理解できた。

 つまり彼には”驕り”がない。どんな強力な能力を持つものでも打ち勝てたのは、驕り故に存在していた油断を突いたからである。だからこそ、今回ばかりは正攻法で戦わねばならぬという事だろう。

 フェイカーはまた、嫌そうに胸の奥から息を吐いた。

 純粋な力を求めたであろう敵を前に、医療に浮気し手を染めたこの兵士に勝つ見込みはあるだろうか――そう考えて、もしかするとゼクトはこの展開を見越して何も伝えてくれなかったのだろうかと思った。

「……僕は死ぬのかね」

 戦わぬ内に絶望を与えないように。

 あるいはもしかしたら……。

 フェイカーは考えて、首を振った。

 そんな”女々しい”事などは考えることすら嫌だった。

「ならば治療中……死んでは居ないだろう。どちらにせよ今日は、不安要因を潰しに来ただけだが」

 そう漏らす男の表情は伺えない。だからこそ、より緊張が高まるのだろうか。

 胸の奥、腹の底が鋭い痛みを走らせる。胃がうわずって迫上がり、今朝食べたメロンパンの残骸が口の中に戻ってきそうだった。

 フェイカーは唾ごとそれを飲み下し、それから大きく息を吐いて、バイザーを上げた。

「僕に気付いていたのか」

「ふふん、我が鼻はやや利き過ぎるのが難点でな」

 ――女だと見られるほどのこの風貌は、割と嫌いじゃなかった。だがそれでも、男として真っ当に生きていたかった。

「ひへへ、”冗談じゃない”ってね。最近はこればっか言ってるよ」

「意味が分からんな。意思疎通を目的として顔を出したのではないのか」

 ――だからなのだろうか。男としてしっかりと見てくれる人は、とても大好きだ。

「試練って何の試練だろうな」

「……時間の無駄だ」

「うひひ、僕もそー思う」

 最早言葉は不要とばかりに男は口を閉ざし、彼はバイザーを下げて、声が籠るヘルメットの中で力一杯命令した。

「ステルス作動。付随効果作動。その他機能は全て排除し、肉体強化っ!」

 声と共にその身は瞬く間に男から見て彼に遮られる景色全てを浮かび上がらせ、その手に持っていた太刀と共に透明化した。そして直後に素早く跳躍して身を退くフェイカーは、頬を引き攣らせて微笑んで、嘆くように口にした。

「トキ君とはもっと仲良くなりたかったんだけどな。ま、そもそも監視役が出すぎてる時点でもう遅いか」

 男は胸の近くで刃を下に向け、空いた手は柄を握る手を包むように添えられる。穴の空いた仮面から覗く瞳は、その中で狡猾に、透過したフェイカーの存在を睨んでいた。

「だから言っているだろう。己が嗅覚は利きすぎるとな!」

 そして男は以前見せたような人間ならざらぬ跳躍力を以ってフェイカーに追従し、やがておよそ理解しえぬ速度で、フェイカーの着地点に空いた腕で放つ掌底での迫撃を試みた。

 ――鋭い衝撃が、身体の前で横にして構えた太刀の腹に襲い掛かる。それ故に整っていない態勢は大きく崩れ、踏みしめる暇も無い足はとたとたと心許ない足取りで後退。強い感触に手ごたえで眼前の存在をはっきりと知覚した男はまるで見えているかのように、身体を滑り込ませるようにフェイカーの懐にも潜り込み、忍刀を振り上げる。

 が、その刃は浅くその薄い素材を裂くだけに終わり、その柔な肌は露出される。その為に空間には僅か数ミリの肌が浮かび上がる光景が出来上がり、フェイカーはどちらにせよ、と短く舌打ちをして、男を真似るように掌底をその横腹に打ち抜こうとして、大袈裟に空振る。

 男は後退し、透明化を解除してヘルメットを投げ捨てるフェイカーとの距離を縮める事無く保って停止した。

「ったく、どうやって……」

 暑苦しいフェイスマスクを脱ぎ捨て、顔に張り付く栗色の肩まで伸びる髪を掻き揚げ振り払う。大きく息を吸い込んで、鋭角がごとき鋭い顎に丸みを持たせて、吐き出す。整ったその面構えは女と見紛うソレであり、華奢である肢体が女性への認識を加速させる。

 されど男はそれを気にした様子も無く、また先ほどと同様に忍刀を胸に構え、細々と息を吐き続けた。

「君は僕を殺すのかい」

「我が刃は人を殺す以外に振るわれた事は無い」

「残念だな。僕は君の仲間を殺さない事で徳を積んでたんだけど」

「ならばあの世で救済されるやも知れぬな」

「君は考えたくないことばかり考えさせてくれる」

女子おなごはそう逃げていればいい」

「あぁそうか。君はどうしても僕を本気にさせたいようだね……その見た目不相応な減らず口、二度と叩けないようにしてやるから立ってろ野郎!」

 フェイカーの中に居る、燃え続けるとある男を模して叫び、本来は存在しない肉体強化の機能は既存の機能を駆使して無理に融通が利くようになっている。だから彼の身体は本来よりやや俊敏程度に強化されており、それを最大限に利用するように右手を太刀ごと後方に下げ、鉄砲玉のようにその場から飛び出した。

 男はそれに動じずただ棒立ちをして――振りぬかれた白刃を、真っ向から受け止める。が、身体を斜めに構え直し、いなすように衝撃を逃してやると、フェイカーの身体は酷く素直に男の脇をすり抜けて行った。

 されど、フェイカーの攻撃はそれだけには終わらない。

 すり抜け、男の斜め後ろで強く踏ん張り勢いを殺すと、そのまま右足を軸に、鋭く左足を振り上げて背を向き合わせる男へと後ろ回し蹴りを撃ち抜く。しかしそれさえも、側頭部で待ち構えていた男の腕に遮られ、直接的なダメージにならない。

 その上で触れた面をすかさず掴む男は、身を引く様にしてフェイカーの足を引っ張ると――その身体は、まるで子が人形を振り回すかのように簡単に浮かび上がり、そして勢いづいたところで離されるとその肉体は宙を滑空した後に、道の両脇に聳え立つ壁へと叩きつけられた。

 強い衝撃が無造作に肺の中から全ての空気を吐き出させ、だがそれを痛いだとか苦しいだとか思う暇も無く、男は刃を煌めかせて肉薄する。フェイカーは想像以上の激痛に、眼に涙を浮かべながら狙いを定め、距離を測り、そしてタイミングを見極める。

 男が数瞬後に彼との距離を一メートル未満に縮めたところで、フェイカーは下から左上へと太刀を薙ぎ払う。しかしそれすらも眼前で立てて構える刃に触れて、甲高い音を立てて擦れるだけで男に傷を作ることはできない。

 また鍔迫り合いすることも出来ず、勢いが完全に失せたフェイカーは重力に引かれて壁から離れて足を着け――顎の下から迫る刃を、その瞬間に知覚した。

「うぅ、あぁっ!」

 腕を引き上げ、その間に咄嗟に首を捻る。と、刃は首筋から顎を反って頬を裂き左眼の直ぐ横を通り過ぎる。さらに横に振るわれようとしていた忍刀は、その刹那に鋭く放たれた突く攻撃を避けるために、鮮血を切先から尾を引かせるようにして引き剥がされた。

 ――強い血の匂いが鼻につく。燃えるような熱さで左眼を開ける事が出来ない。

 フェイカーは肩を激しく上下させて空気を貪り、それから垂れ続ける生温かい血をそのままにして、太刀を正眼に構えた。

 脈拍ごとに激痛が走る。今すぐにでも痛いと喚いて倒れてしまいたいほどの痛みだったが、どう考えてもそれが許される状況などではなかった。

 戦闘が開始してからどれほど時間が経過しただろうか。既に、三○分以上は経っている気がする。

 されど空の様子は先ほどと変わらず、実際には五分と経っていないことを無情に理解させられた。

「ふむ。これは……なんとも、驚いた」

「ひへへ、弱くて、かい?」

 我は対戦相手を貶めぬ。

 彼は冷徹にそう吐き捨ててから、また「否だ」と口にして、刀を振るい刃を濡らす血を振り払った。血は線上に道路に跡を残し、赤黒く染まる。だがそれを見ても、男はなんの感慨も沸かさなかった。

「想定していたものより貴様が手強くてな。もう少し素直に弱いものとばかり考えていた」

「身に余る誉め言葉だよ。実際、これだけでもう死にそうなのに」

 可能ならば涙を流して逃げ出したい。しかし、男がそうすべきではないのは良く分かっていた。

 強い男はどんな状況でも決して諦めない。例え腕を失っても、足を失っても、殺すと決めた相手には力の限りを尽くすのだ。

 そして彼は、今目の前に居る男を殺すと決意している。また男は、フェイカーのそういった溢れる生命力に、俄かな敬意を表そうとしていた。

 つまりは――。

「ならば、我も本気にならねば失礼というものか」

 男はその腰にある忍刀よりやや短い刀に手を掛け、その一本を抜き、対になるように構える。それもまた逆手で構え、その姿はどことなくカマキリを連想させた。

「く――っそ……僕は、僕は……っ!」

 生きた心地がしない。

 全身に込める力が、恐怖によって全て零れ落ちてしまう感覚を覚えた。

 されど身体は、まるでそうすることが当たり前のように腰を落とし、全てに即座に反応できる体勢をとっていた。

「後生だ。楽に逝かせてやる」

 燃える激痛を、すべて動力に回す。顔面の痺れを全て忘れ、男の言葉の直後にフェイカーは駆け出した。

 また太刀を腕ごと投げるように後ろに下げ、特攻するような前屈姿勢で風を斬る。風になびく鮮血が薙がれて髪を、垂れて路上に彼の行動の軌跡を作る。

 男は瞬く間に距離を縮めるフェイカーを前にしても微動だにせず、忍刀を胸の前に、そして短刀をそのまま腕を下げて構えたままで彼を待ち――刹那。

 閃く白刃は横に薙がれて男に襲い掛かるが、やはりそれはそれまでと同様に火花を散らして接触し、甲高い音を鳴らして、

「む……?」

 太刀は流れずいなせず、刃を引っ掛けるように男に対して直角に持ち上がると、今度はその刀を切り落とすが如く下方へと力がこもる。そしてそれを打ち返そうとする間も無く、途端に爆発する凄まじい暴力が構えた刀を強制的に落とし、同時に下がる右腕はそれ故に彼に無防備を作り出した。

 男は僅かに動きを鈍くさせるも、待っていたかのようにもう一本の短刀を手の中で回転させて持ち直すと、そのまま一息にと彼の喉元にまで肉薄するが――それよりも僅かに早く仮面に触れたその拳が、男との距離を引き剥がすようにその態勢を横倒しにさせる。振りぬかれた短刀はその為にフェイカーから大きく離れた虚空を刺突せしめ、フェイカーは歯を食いしばり、追撃にとばかりに閃く刃の如き鋭い蹴りをその横腹に喰らわせた。

 男は呻きつつ、そのまま身体を大きく背後へ仰け反らせると大地を蹴り、後ろ向きに空中で一回転をしてみせて距離を取る。それからまた大きく息を吸うように胸を膨らませて、重心を低くした。

「女とは思えぬ豪力だ」

「僕は、男だ!」

 ふっと一つ息を吐き、身体を捻る。それと同時に振られた腕から投げられた短刀が、鋭くフェイカーの胸へと肉薄する。が、隙を見せぬ一閃が甲高い音と共に太刀が短刀を叩き落した。

「女でも容赦はせん」

 声はフェイカーの右方向から響き、また三本の短刀が大気を切り裂き迫り来る。

「だから……僕はッ!」

 先行するものはなく、並列して肉薄する複数の武器には対応のしようが無い。だから彼は身体を捻って横方向へ身体を向け、そのまま大地を蹴り皮一枚の所で避けようとした。が――また灼熱が腰よりやや高い位置に突き刺さり、

「お、つぅ……っ!?」

 呼吸が止まる。

 足が地に張り付いたかのように動かず、回避しきれぬ三本の短刀が、瞬く間に胸に、腹に、太腿に突き刺さる。さらに悲鳴を上げる間も無く、また三本の刃が、両腕に、そして無傷であった足を刺突した。

 燃えるような熱を持つ鮮血が身体中から溢れ出し――気がつくと倒れていたその肉体からは、傷を作った短刀が失せていた。

 その代わりとばかりに、視界を黒く染める影が覆い被さり、そこから伸びる冷たい刃は、首もとの――最初に開けられた耐時スーツの穴に引っ掛けられていて、

「意地を張るな。貴様はこれでも――」

 殺気が籠る刃が静かに肌に触れ、鋭くその布よりもやや固い素材を容易に裂いていく。滑らかに下がる刃はそのまま下に着用する衣服さえも切り裂いて、下腹部に到る頃に短刀は振りぬかれてフェイカーから引き剥がされた。

 ――強い抑止力となっていたコルセットはその拘束を無力化され、その内側にあった弾力を持つ豊満なバストが衣服を持ち上げた。柔らかにその反動で二度三度揺れて落ち着くも、一度露になったその強烈な存在感を、身体に張り付くような耐時スーツは隠せなかった。

「これでも男だと言い張るか。貴様はもう死ぬ……もう性がどうであっても、誰も責めはせん」

 腰に下がる幾本もの短刀はその柄尻にワイヤーを装着して、その回収を簡単にしてくれている。さらにまた違う装備法さえしていれば、射出さえも容易だった彼の装備を、フェイカーは知る由もなく、頬に深い裂傷を作った忍刀が喉元に触れるのを感じていた。

「やめろ、僕は男だ……男なんだよぉっ!」

 ――熱いものが胸の奥からこみ上げてくる。血などではないそれは、何よりも熱い感情だった。

 悲しい、悔しい等と言うそういった強い情念はフェイカーを満たし「死にたくない」という未練を作り出す。

 まだ何も出来て居ない。適正者と言う立場なんてどうでも良かった。強さなんてどうでも良かった。

 ただ――時衛士だけは、彼とだけは、もっと仲良くなりたかった。

 彼は本当に、良く分かっている奴だった。僕を男だと認めてくれた。しかも同年代での友達なんて初めてだったから、とても嬉しかった。

 なのに、こんなところで――。

「ふっ、哀れだな。小娘が……」

 柔い肌に紅く汚れた刃が突き刺さる。ぷつりと弾けた様に、そこから血が溢れ出し――その刀身の腹に火花が散り、握っていられるはずも無い強い衝撃が腕ごと弾いて吹き飛ばす。

 未だ閑静なその街に不似合いな銃声が響いたのは、そんな衝撃とほぼ同時であった。

「電話でも現場でもうるせーな。静かに出来ねぇのか? ご近所メーワクなんだよ」

 男が顔を上げ、知覚出来なかった殺気と気配を、その姿と同時に認識した。

 戦闘服のようなズボンを穿き、包帯だらけの上半身は衣服を纏わぬのに肌の露出が極めて低い。さらに右腕は肩から下がる布で固定され、先の弾丸を撃ち出したと思われる拳銃は左手で構えられていた。

 寝起きのようにツンツンと撥ねる髪は構わず総立ちしていて、またその表情には台詞には合わぬほど怒りに満ちていた。

 男は呑気に、怒髪天を衝くとはこういったものかと考えながら、覆い被さっているフェイカーから身体を起こして立ち上がり、それから吹き飛ばされた刀を痺れた右腕で拾い上げて、腰の短刀とは違って横に提がる鞘に収めて、直立した。

「助けに来たのか。その怪我で……昨日は嫌だと言っていたのに?」

 言葉が終えると共に銃口は火を吹く、が。その銃弾は先ほどのような精密機動を取らずに、男から大きく外れた右奥の道路に被弾した。

「お粗末な銃撃で。死にに来たとしか思えない」

 また発砲。今度は男の頭上を飛来し、空に同化して弾丸を見失う。

「無言の重圧プレッシャーは効かぬのだが……もういい、了解だ。我は小娘に手を下さず、この場から退く。それでいいな」

 なぜそういった結果を導くのかは判然とせぬ男は、衛士の返答も聞かずに背を向け、高く飛びあがり――再びすばやく、その場から姿を消した。

 衛士はそんな彼の背を見送るのもそこそこに、レッグホルスターに拳銃を収めてから歩調を速め、血溜まりの中に沈むフェイカーの傍らで跪いた。

「おい、しっかりしろ。お前の友達がもう直ぐ車で来るから、それまで耐えろ……オレが出来たんだ。お前に出来ない筈が無い」

 肩を揺さぶり、浅い呼吸を繰り返すフェイカーへ声を掛ける。傷を見る限りでは下手に斬撃を貰った衛士より重傷であり、その出血量も尋常ではない。恐らく内臓を狙われた攻撃なのだろうソレ故に、手早い治療を行わなければより深刻な状態に陥るのは火を見るより明らかだった。

 大きく開かれた胸元は、その為にバストの輪郭をそのまま見せてくれていたが――衛士はスーツを引っ張り胸元を隠してやってから、また声を掛け続けた。

「おい、フェイカー! しっかりしろって言ってんだよ! 意識を保てよ、オレの監視役なんだろ! おい……おいっ!」

『第三の試練は終了……どうやら無事のようだな』

 しわがれた声は、強制的に通話状態になった携帯端末から聞こえた。それはフェイカーの胸元にあり、また勝手にスピーカー状態になって響く声は、衛士がそこに居る事を知って居るのか、彼へと向けられていた。

「くそジジィ! てめぇ……そうだ、転送しろ! フェイカーを転送して、そっちで治療しろよ!」

『勝手な事を言うね、君は』

「出来ねぇなら外野はすっこんでろ! おい、フェイカーっ!」

 声を荒げ怒鳴り付ければ、端末は口ごもってぷつりと不通になる。衛士はさらに肩を叩いて声をかければ、早くも背後から車の駆動音が、それが揺らす道路の震動が伝わってくる。それと同時に薄く開いたフェイカーの眼に、彼は俄かな安堵を漏らした。

 だから彼は声を和らげ、顔を彼女の近くまで持っていくと、静かに言葉を掛けてやった。

「おいフェイカー、大丈夫……じゃねぇよな。寝ぼけてないか?」

 ――何を口にすれば良いか分からず血迷って口走るそれは、端から見れば酷く間抜けなものだったろう。そしてそれを伝えるようにフェイカーはふっと一息分笑うと、囁くような小ささで彼へと答えた。

「熱くて、痛くて、そんな余裕……全然、無いよ」

「あぁ、頭が冴えてるならそれでいい。そのまま起きてろよ」

「ひへへ、君の言うとおりにする……」

 表情を苦痛に塗り替え、額からとめどない汗を流す彼女はそうに力なく笑い、フェイカーは衛士へと手を伸ばす。彼はそれに応じるように差し出された手を強く握ると――白のワンボックスカーは、徐行して衛士の背後で停車した。

 ――空はようやく明るんできて、澄んだ蒼を見せている。

 太陽はまだ朝なのに鋭く肌に突き刺さる熱射を振り撒き――二日目の朝が始まった。

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