第一の試練:快楽殺人者
――以前の試練で家族を殺したのが祝英雄だろうと、殺人鬼だろうと、今の衛士にとってはどちらでも大した問題ではない。
以前まではそう思っていた。
フェイカーも確かな情報を掴んでいないように見える。だから、その点に関しての違和感、不安、疑念は未だ解けていない。
あの時には既に惨殺が行われた後で、駆けつけたイワイはその報われぬ怒り、悲しみ、憎しみを自身で晴らさせようとしていたのかもしれない。だが実際に、彼が殺していたのかもしれない。
目の前にそういった”因子”が出現する辺り前者を信じたいところだったが、そんな後出しジャンケン的に知らされる新情報に彼は困惑を隠せない。
もしかしたらそうなのかもしれないと思っていた。それでも、その事を聞くことは出来なかった。
彼は実際に、イワイを殺したからである。最も、その後に何らかの手段で蘇生したのだが――ソレでも、一度築いたその関係を、容易に切り崩し親しくなれるはずも無かった。
「複雑だなぁ」
衛士は後頭部をナイフの柄尻で掻いてから、ようやく十数メートルの距離へと近づいた相手を見据え、嘆息した。
いつまでも冷静でいたと思っていたのに、実際にこの目の前の男が全ての元凶かと考えてみると、不思議と怒りが湧いてきた。
深い憎悪が背中を後押ししてくれる。不条理だとはき捨てる悲しみが、血液に乗って全身に広がり力となった。
結局のところ、どちらが家族を殺したなんてのは分からない。
だが目の前のソレは可能性の一つとして、最も高いものを持っていた。
――だから殺す。
理由はそれだけではないものの、ナイフを握る手に籠る力は格段に上がっていた。
どう攻めるか考える頭は働いていた。
拳銃を使えば容易だろう。だがこの状況で、全ての因果を踏まえ考えてみればそうする事が”正しいこと”ではないと言うのはよく分かる。ナイフで、そのままの意味で、この手で殺してやらなければならない。
また、決別とはこういう意味だったのだろうかと考えて、衛士は腰を落とした。
「武具、馬具、武具馬具、三武具馬具――」
やがて数メートルの距離で男は立ち止まる。外郎売を口ずさむ彼であるが、それが何であるのか、衛士には理解できない。
彼は動かない男を見て仕方なく歩みを進めると――不意に弾けた様に突き出された刀の切先が、胸元を目掛けて飛来する。衛士は踏み込む一歩で強く大地を踏みしめると、そのまま身体をそらして、流れるように左手の掌底で刃の腹を弾く。
が、その瞬間に再び閃く刀は掌底に刃を向けて、振り抜かれる。しかし衛士は咄嗟に同時に躍らせるナイフを鉤爪のように刀身に引っ掛け、行動を制した。
衛士はそのままナイフを振るって刀を弾き返すと、大きく息を吸い込んで肉薄する。男は血糊に濡れる刃を一度振り払うと飛び退くように後退し、刀身を大地と並行に、そして腰の位置に落として――再び突きの構えをとった。
「あの長押の長薙刀は誰が長薙刀ぞ」
「ちくしょう、意味がわからん!」
再び刃が煌めき衛士に襲い掛かる。衛士は構わず特攻し、その寸での所で身体を反らして脇を通過させ、そうしてまた、刃は反転するようにして衛士の腹へと目掛けて振るわれた。
「あれこそ本の真胡麻殻っ!」
刃は衛士の腹を斬り――裂かず、強く閉まる脇に挟まれる。男の虚ろな瞳には、僅かな焦燥が伺えた。
脇に挟んだ刀身を強引に引くと、それに釣られて男が近づく。衛士はその顔面目掛けて力一杯に腕を、その拳を、息をつく暇もなく抜き、突き刺した。
拳に鈍い感触を覚え、男は鼻から血を噴出してそのままよろける。
衛士の顔からは余裕が失せ、怒りの感情が露になっていた。
衛士が再び腕を振り上げると、同時に引き上げた男の足が彼の腹部を力一杯蹴飛ばして、再び距離が開き――その最中に振るわれた刃が、衛士の頬の薄皮を切り裂いた。
男は鼻筋を抑えるが、垂れる血は乾いたコンクリートの大地に幾つモノ点を作り出す。それから咳き込み、睨むように衛士を見据えた。
「ケーサツか? コーアンか?」
「てめぇの為に公安が動くかよ馬鹿が」
唾でも吐くように、男は粘土の高い血を吐き捨てる。その中に俄かに白い何かが見えて、どうやら歯が折れたらしいことを知る。
衛士は頬から流れた一筋の流血を手の甲で拭い、大きく息を吐いた。
「喋れんなら、最初ッからそうしろよクズ野郎!」
「は、へへ。いいねぇ、お前の方が、殺し甲斐がありそうだ――本気で、行く!」
大地を蹴り飛ばし、男は特攻する。刀は背後に引き、やや前屈姿勢での走行は速度を高める為のように見え、衛士はナイフを構え――不意なる何かが、衛士の腹部を殴り抜けた。
強い衝撃。耐時スーツを容易にすり抜けるその打撃は、思わず彼の動きを鈍くさせる。
男は歯を剥き口角を吊り上げ、肉薄。薙ぎ払う八○センチ近い、もはや太刀と呼ぶべきそれは衛士の首筋に飛来し、甲高い金属音を掻き鳴らす。
その直前で振りぬかれたナイフは鋭い刀身と衝突し攻撃を寸でで止めるも、再び拳で殴られたような衝撃が頬を穿ち――袈裟に落とされる太刀は、刃を押し込むようにして衛士の肩から下腹部に掛けて深い裂傷を作り出した。
肉を絶つ感触に男が微笑み、切り裂かれる感覚に衛士が喘ぐ。鋭い痛みに呼吸が止まり、燃えるような熱さに呼吸を乱す。傷口から血がはじけ、男は太刀を振り付着した血液を払うと、甲高い笑い声を上げた。
「あひゃひゃひゃひゃひゃッ!」
「くそっ……垂れ!」
搾り出すような悪態をつき、衛士は胸を押さえて体勢を整える。それから耐時スーツの機能が未だ現役であるのを確認してから、尋常ではない男の腕力に舌打ちをした。
耐時スーツには高い防刃性能が付随する。だというのに目の前の男は、それを簡単に切り裂いて衛士の身体に傷を作ったのだ。
刀の鋭さもさることながら、男の強引な力も侮れない。
しかし実際のところは腕力などではないのかもしれない。
衛士はナイフに力を込めて、思わず足を一歩背後に退かせた。
「武具、馬具、武具馬具、三武具馬具」
男が呟く。
衛士はただそれを見据え、胸を抱く――瞬間。
再び飛来する抜き身の衝撃が、衛士の顎を殴り上げた。
凄まじい力が脳を揺らがせ、視界が暗転する。胸にこみ上げる吐き気が抑えようともしない喉元から迫上がり、身体を折る衛士の口から一挙にして吐き出された。
さらに後頭部へと襲い掛かる強い打撃。吐しゃ物の中に顔を突っ込み、
「そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ」
頬に触れる、冷たい何かを感じた。
つんと鼻に突く耐え難い酸っぱい汚臭、それが嗚咽を促す。衛士は理解の範疇に収まらぬこの戦闘を経て――自身の過剰な自信や、腑抜けた考えに、どうしようもなく腹が立った。
侮ることなどは決してしてはならない。例え相手が仇だろうと格下だろうと、命を賭けているのには変わりが無いのだ。
それを、そいつを遊び半分で奪ってやろうなんてのは言語道断。ただのチンピラ他ならない。
――何が、シャワーを浴びたい、だ。腹は減っていないだ。クソッタレめ。このゆるゆるにぬかるんだ精神では、もうただの警備兵にすら勝つことは出来ないだろう。
自分がどうにかしてしまったように思えた。
なにせ、今までとは大きく精神構造が変化してしまっているのだ。下手をすれば、というか恐らく確実に、三月時点での自分より弱くなっているかもしれない。技術的には確かに成長しているかもしれないが、その成長性に反比例するように、心は脆弱化していた。
力に頼る事によって、今まで保っていた、心の中に強く伸びていた一本の鉄芯は、いつしかこんにゃくのようにへにゃへにゃになってしまっている。
勝つ事が当然で、自動的。だからこそこの精神は弱くなってしまった。
それに気付かせてくれたこの殺人鬼には感謝しなければならないだろうか――衛士は冗談めかしく考えてから、身体を起こした。頬を撫でる太刀の切先は、そうするだけで動かない。恐らくもっと”楽しみたい”のだろう。
ようは心の在り方、持ち方なのだ。
強くなるならないはソレに委ねられている。力を持ちたいのなら鍛えればいい。だが戦闘は? 殺し方は? その全ては頭の中に在る。心がまともに機能していなければ、どれほどまで強靭に鍛え上げられた肉体もただのでくの坊だ。
「もう終わりか?」
男が問う。衛士は顔に染み付くような汚臭を腕で拭ってから、はっと一息分笑って、腕を前に突き出し、横に構えた。
「いいや、これからが始まりだよ。オレの本気を見せてやる」
今更、ただの見かた、捉え方を変えただけで元に戻れるとは思わない。だが少なくともマシにはなるだろう。
衛士は考えてから、さらに脳の回転速度を上げる。
そしてそれに応じるように、衛士の目つきは徐々に鋭さを増していった。
――考えるのは、まずなぜ物理的な攻撃が行われていないのにも関わらず、生身ならば骨くらいは折れているであろう打撃のような衝撃を受けたのか。
これはもう思考する時間が惜しい程に答えが簡単だ。この男は『付焼刃』である。
普通に考えればそうだ。わざわざリリスが、精神的成長の為に欠伸が出るほど容易な戦闘を用意するはずが無い。恐らく、まるで先導でもされるかのように、これからも数多の能力者が衛士に殺到するだろう。
時衛士は全ての因果律を持つと言った。だからこそ、この程度の事はもはや当たり前なのかもしれない。
リリスに言わせれば、衛士が全ての原因なのだ。だから極端な話、地球に隕石が落ちてきても”衛士のせい”になってしまう。
そこのところが彼にはよく分からなかったが――今はまだ、関係の無い話だった。
「どうしたァ? 臆したか、こぞーぅ?」
人気は未だ無いその場所。二車線の道路のど真ん中を占有して行われる戦闘。太陽から降り注ぐ熱射は肌を焼き、再び全身から汗を噴出させる。そして胸に作られた深い傷が衛士の行動時間を制限させて、そう長くはもたないことを教えてくれる。
血は身体を這って流れて、足元に血溜まりを作ろうとしているその最中であった。
しかし、脈拍のたびに、鼓動が一度打ち鳴らすたびに爆発的に膨れ上がる痛みが、かえって衛士の集中力を高めてくれていた。
「タネさえ分かれば、どーってことねぇのよ」
粋がってそう吐き捨てて見るも、男の能力は未だ分からない。
やはりどこぞの間抜けと同様で『肉体の一部を瞬間移動』させる能力かと思われたが、その肉体強化を行ったかのような腕力の説明はつかない。ならば一体――衛士が思考を展開している最中に、男は奇声を高らかに上げて駆け出した。
右腕に握られる太刀が大きく弧を描く。衛士から見て左下から右上へ、袈裟へと虚空を切り裂き肉薄する鋭い刃は閃き、やがて踏み込む勢いが乗り、剣劇の速度はより高まった。
その全ての情報を少しでも多く取り入れようと、衛士の瞳孔が俄かに広がる。同時にナイフは、甲高い音を上げて刃に添い、鍔迫り合いを開始していた。
が――衝撃が衛士の手元を撃ち、刃がナイフを弾いて腕を切り裂かんとするも、即座に刃を掴む左手がそれを制止し、間髪置かず右腕を胸に引きつけ、衛士の脇を通り過ぎようとする男の顔面に猿臂を叩き込む。
しかしそれさえも肘の一点に与えられた強烈な力が弾いて、構えなおした男の太刀の柄尻が、油断無く衛士の水月に撃ち込まれた。
流れるように、太刀を両手で構えなおす男は衛士の懐で右足を軸に、回転するが如く刃を翻し――衛士の胸を左下から右上へと袈裟に、再び押し込まれるような斬撃が切り裂いた。
「う……ぐぁッ!」
悲鳴を上げる。聞くに堪えぬ、ひり出すようなソレだった。
「もっとだ、もっと啼け!」
男は手元で太刀を反転させて、峰打ちを衛士へ向ける。それから弾けるように薙ぐ峰は鋭く衛士の首筋を抉るように打ち込まれ、同時に刃の中心を叩く衝撃が付加し、衛士の身体を浮かせる。
次ぐ衝撃が連続し、衛士の側頭部、腹、四肢をそれぞれ打ち砕くと、肉体は勢いを孕み、横方向へと吹き飛んだ。
衝撃は止まず、やがて衛士の肉体は固く閉じられるアルミシャッターに叩きつけられ、ついに動きを止める。シャッターはひしゃげて耳障りな音を鳴らし、衛士は大地に足をつけると、激しく咳き込み噴出すように血を吐き出して、力の入らぬ四肢をそのままに道路へと伏した。
血にまみれているのか、液体が弾ける音を鳴らす。大地に広がり自身を浸す血が薄れて見えるのは、その視界が朧であるからだろうか。
――まだ足りない。
心の中で、底冷えするような呟きが響いていた。
まだ足りない。
認識を変えただけでは何も変わらない。勝つことなんてのは到底無理だ。
なら何をすべきか? 相手の能力は今のでおおよそ理解できたが、ソレに対抗しうる手段を持っているのか?
持っている。ソレにようやく今、気がついた。
いや、正確にはただ気付かぬ振りをしていただけかもしれない。
”こいつ”を使う事を本心では嫌がっていたのだから。
そもそもココ最近、与えられても使用しなかった。出来なかったという言い方も出来るだろう。
ただ一つ、唯一勝利へと導ける道具を使わぬ理由としては単に、恐怖に喰われてしまったというものである。
これを使うには死ぬ覚悟が必要だ。だからこそ、今となっては、ただそれを手にするだけでも手が震えてしまう。何よりも、痛いのは嫌だった――が、ここまでどうしようもなくボロ雑巾のようにされた今では、痛い怖いなど感じる精神は麻痺してしまっていた。
だから衛士は、両手でコンクリートの大地を掴み、半身を起こす。それだけでも尋常ならぬ体力を要し、呼吸が乱れる。身体が重く、また動かせば肉を抉られるような痛みが襲い掛かる。
しかし構うものかと、衛士は力を振り絞って、やがて二本の足で立ち上がった。あれほどまでやられて骨が折れていないのは、やはり耐時スーツのお陰であろうか。
「おーおー、やるねぇ。でも、今のがほんきぃ? 冗っ談、だろぅ?」
視界がぼやける。立ち上がったというのに、直立できず、垂れる両手が地面に擦れるか否か程の前屈姿勢が背一杯だった。
だが、しかし。
――これからが時衛士の本当の戦いであり、本来彼が得意とする戦い方であった。
身体に力が入らない。だが無理に身体を動かした。
太腿のホルスターから拳銃を抜き、薬室に弾丸を込める。衛士の様子を見る男との距離は五メートル弱であるものの、この状況で狙いを定め発砲した弾丸を男に当てる自信は無かったし、今はそういった使い方をするつもりは無かった。
衛士はそれを構えて、我武者羅に引き金を引く。ただそれだけの反動で腕がぶれるのは、耐時スーツがすでにまともな機能を持っていないことを教えてくれる。だが、この命が未だ永らえているのはそのお陰でもあった。
力に、自分に過信しすぎた結果が現在だ。だからこそ、そもそもこういった強化装備などは要らなかったのかもしれない。ただ――胸のポケットに入れておいた予備弾倉が致命傷を防いでくれていたのは、彼としては予想外だった。
「つまらんつまらん、テッポーは弱ぇんだよ」
男は微動だにせず、彼の周囲で火花を散らせ、同時に耳につんざく甲高い、ゴム同士の摩擦のような音が鳴り響く。そして弾丸は、見当違いの方向の大地に火花を散らせて食い込んだ。
「は、正確な操作だこと」
衛士は口元に無理矢理笑みを作り出してから、嘆息するように大きく息を吐いた。
最初は空気を高圧縮して放っているのかと思っていた。だがどうやらそれは違うらしい。今のでそれに確信を持てた。
何らかを操り、放出を可能としている。少なくとも弾丸の軌道を逸らせる何か――人体からであれば、炭素、カルシウム辺りであろうか。周囲の環境に欠損、例えば不自然に大地に穴が空いていたり、壁が削れていたりしていないのを見るに、やはり男の肉体の何かを消費しているのは明らかだった。
あるいは――やはり、何かを瞬間移動させているのだろうか。
耐時スーツの防御力をすり抜ける攻撃力。それを踏まえて考えれば、やはり思考した全てが違うことは容易に理解できた。
ならば一体なんなのだろうか。
衝撃を受けた際の、あの打撃ならざる痛みを思い出せば、直ぐに判然とした。
「圧縮された水は、ダイヤモンドも、斬っちまうからな」
最初は炭素を圧縮して放出しているのかと思っていた。しかしそれに気付かせてくれたのは――先ほどの乱発のお陰だろう。
血に濡れたから誤魔化せていると思っていたのか、はたまた理解されてもどうでも良かったのか。
そもそも、水を操作しているという事すらも半信半疑だ。もしかしたら水素を操っているのかもしれないし、酸素かもしれない。しかしどちらにせよ、問題の一つは解決したのだ。そういった能力だという事が分かれば、既に脅威などではなくなった。
「みずぅ? ま、んな所か」
男は退屈気に太刀の峰で肩を叩くと、それから再び衛士への肉薄を開始する。といってもそれは単なる歩行であり、衛士に残された力を見限ったことを現していた。
衛士はそんな彼に再び発砲。そして再度彼の周囲で火花が散り、音が鳴る。やがて指に籠る力が足りなくなって、引き金を引くことすらままならなくなった。
時衛士はそこで脱力するように肩から力を抜くと、そのまま腕を下ろし――腰の専用ホルスターに装備されている砂時計を、自然な動作で反転させた。
「さて、お前にオレが――殺せるか?」
男の刃が、既に衛士の首目掛けて薙がれる。その血に塗れる刀身は未だ命を欲するように、狡猾に大気を切り裂き肉薄した。衛士は頭を下げてそれを回避。次いで飛び退くように足に力を込めると、下半身は未だ生きている耐時スーツが行動を容易化させ、瞬間的に男の横方向への移動を可能とした。
その直後に、男は刃を弾かれたように両腕を天に振り上げる。短い舌打ちが耳に届き、衛士は男の横腹に銃を突きつけて引き金を引く、が、その直前に撃ち込まれる鋭い衝撃が銃身を襲い、手の中から零れ落ちた。
衝撃に腕が痺れ、そのまま男へと飛びついて体勢を崩させる。
「あぁ、うざい!」
振り下ろされた男の肘が頭頂に突き刺さる。衛士は痛みに喘ぎながら力を緩めると、そのまま蹴り飛ばされて引き剥がされ、武器を持たぬが故に、力が尽きたが故に、もはや抵抗する術など持てず――瞬時に突き出された刃が煌めき、衛士の胸元、その心臓を一突きし彼の生体活動を停止せしめて見せた。
時間は、時衛士が砂時計を反転させる直前にまで巻き戻った。
――久しぶりの感覚だった。
自分が死に、そして時間が巻き戻る。それを幾度繰り返そうと世は事もなく、衛士に利だけが残される。
今の一度で、目の前の男の攻略法は十分に理解できたのだ。
どちらにせよさらに一度繰り返そうとは思えない。精神的にもこれが精一杯で、現状では最大限のリハビリであった。
「てめぇにオレが殺せるか?」
衛士は繰り返し、拳銃をホルスターに仕舞う。腕に力を込めてみるが、やはり耐時スーツは機能していなかった。
太陽光に鈍く照る刀身は鋭く衛士の首元へと迫り来る。衛士は前屈姿勢で頭上でやり過ごし、そのまま半歩分進んだところで動きを止め――直後に、水月より少し高い位置の胸に鋭い衝撃が襲い掛かる。
が、衛士は防具代わりになる予備弾倉のお陰で怯む事無く、それが終えたのを知覚してからすぐさま男へと飛びかかるようにタックルを試みる。両手で抱きつくような動作は果たして成功し、だがその直後に再び衝撃が、衛士の胸元を執拗に叩いていた。
衛士が下半身の踏ん張りだけで男を押すと、彼は簡単に後退して体勢を崩す。さらに押し込もうと力を込めるが、男が垂れ流す殺気が不意に背を貫くのを感じて、仕方なくそのままその足元を払い、両手を交わして頭上で構えたまま、腿を胸に引きつけ、腹を蹴飛ばした。
男は短い嗚咽を漏らし、だが諦めずに太刀を下ろす。鋭い刃は血糊によってその鋭さを鈍らせ、頭上に構える衛士の腕に食い込むも、切断する事は出来なかった。
彼は体勢を崩し、そのまま尻餅をつく。だが蹴られた勢いを殺せず、地面を擦るようにして衛士から距離を離し――衛士は息をつきながら、拳銃を抜き、構えた。
力が入る内に引き金を絞り、発砲。その直後に男の足に血が弾けて、言葉にならない悲鳴が耳に届いた。
続けて発砲。集中し、反動を最小限にする。男は転がり、痛みに喘ぐ。弾が切れる弾倉を入れ替え、また続ける。
そうする内に彼の肉体に作られた銃創は、既に十近くになっていた。
硝煙が鼻に突くほど漂い、空薬莢が血痕の目立つ道路に散らばる。まるで戦場のようなこの市街地を視界に収めて、衛士は腕を垂らし、短く息を吐いた。
「ああああぁぁぁっ! いってぇよぉぉぉぉぉっ!」
太刀は銃撃の最中に手放し、衛士は彼へと歩みを進める中で蹴飛ばし、さらに距離を開ける。だがどちらにせよ、もう能力すら使えない男を見れば要らぬ心配に思えた。
気だるく歩き、呼吸を乱し、垂れる血で軌跡を作り、また血の足跡を作る。激痛はいつしか失せて、身体の節々から感覚も失せていた。今こうして歩けるのも、半ば奇跡に近いのかもしれない。
やがて血に塗れて喚く男を見下ろす位置までやってくると、衛士の存在を知覚した男は叫ぶのを止めて空を仰ぎ、喘ぎながら言葉を紡いだ。
「な、なぁ……、最期に、いいか……?」
――ココまで来ると哀れに思える。同情の念すら過ぎるほどだった。
だから衛士は大きく息を吐くと、男の顔の近くで屈み、その額に銃口を突きつけて引き金を引いた。
弾丸は一瞬のうちに頭部を切開し、頭蓋骨を砕いて脳みそを掻き混ぜる。乾いた発砲音は、そうしたただの一度で彼の命を簡単に奪ってしまった。
赤黒く変異したグロテスクな肉塊は周囲に肉片を飛び散らせ、また衛士の顔や身体にもそれらが付着する。血や肉によって汚れる拳銃はこのまま使用すれば暴発を招くだろう。
衛士はそのあっけなく事切れた男を何の感慨も無く見下ろし、それから拳銃をホルスターに収める。
「散々殺してきて、都合よく行くわけねぇだろうが」
周囲は一挙に静寂に包まれて――視界がぼやけ、揺らぐ。頭が重くなって振り子のように揺れ、体が言う事を利かなくなる。
衛士はそうして次の瞬間、まるでテレビの電源でも落とすかのように、視界を暗転させていた。