表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/35

七月三○日

 時衛士は緊急の助っ人として起用されるようになっていた。

 故に、病欠や怪我によって突然任務に出られなくなった人間の代わりに任務に出ることが多くなる。最も、ある程度の任務難易度の中でも低めのものから優先される為に、前回のようになんとか達成できるという際どい戦闘はなかった。

 だが、だからといって悠々自適に任務を行うという事は無いが、少なくとも、徐々に余裕を持ち始めることは出来ていた。

 そんな事が増え始めてから、彼の『訓練兵』という肩書きは半ば機能しなくなってきており、街を歩けば多くの同僚に声を掛けられるようになっていた。

 しかし未だ訓練兵気分の彼には、そんな状況は冗談ではなかったのだ。

「あぁ、畜生! アンタ何やってんの!」

 額に滲む汗を拭いながら、物陰に隠れて短機関銃の弾倉を交換する。傍らの黒人の戦友はにかっと楽しげに笑いながら手榴弾の安全ピンを抜いて、間髪おかずに放り投げる。

 手榴弾は素早く背にする塹壕を飛び越えて弧を描き、塹壕の手前で着地する。直後に凄まじい爆発が巻き起こり、衝撃が彼等の頭上に砂を散らした。

 ――敵の中には個人が特殊能力を持つ特異点……否、『付焼刃スケアクロウ』が存在している。

 故に、時衛士はただの一般兵に混じって、その対処の専門家である適正者として派遣されていたのだ。

 だだっ広い荒地に、塹壕、衛士の視線の奥には立派なトーチカが点在するも、心強い装甲戦闘車両や砲台も無い。ただの歩兵だけが周囲に散り、敵との攻防の熾烈を極めていた。

 息苦しく、砂煙が激しく目も開けられない。だが構わず塹壕から身を乗り出して土嚢の壁から敵を燻りだすように射撃する。それに続くように、周囲の壁、塹壕の中から身体を出して同様の行動をする者たちが増え始めた。

 ここは広い道路のような場所だ。両脇には廃屋が並び、間隔が広すぎて隠れるには良いだろう。だが、相手の連中がそこを利用している気配は無い。またその道路に存在する塹壕の数々は、既に使い古されているようだった。

「あの野郎共ケツ穴に鉛弾ぶっこんでやるぜ!」

 黒人の彼は肌の色とは対照的な白い歯を見せて笑みを浮かべ、肩を並べて射撃する。先ほどの調子に乗った無意味な行動は既に反省を通り越して忘れているらしかった。

「やつらを動かすな」

 胸のポケットに突っ込んである無線機で部隊長に連絡を入れると、間も無く『調子に乗りすぎるなよ』と冗談っぽい返事が返ってくる。衛士は了解、と短く返事をしてから、傍らの男へと声を掛けた。

「おいマイク、来るか?」

「何するつもりだ?」

「陣中に突っ込んでカカシを燻りだす。んなモン程度で牽制してるつもりか? ってな」

「へっ、イカれてんな、アンタ!」

 マイクは軽く笑って強く背を叩く。衛士は頷いてから身を屈めて、横に連なる塹壕へと素早く移動して徐々に前方へと進行した。扇状に展開される其処では、ただ塹壕を移動するだけでも確かに前へ進むことが出来るのだ。が――。

「うわぁっ!」

 男は驚いたように声を上げて、転びそうになる身体を衛士の背にしがみ付く事によって辛うじて耐えた。転びそうになる体勢を整え必死に踏ん張ってから衛士は何事かと思って振り返ると、頭部が弾き跳んだ、見たことも無い服装の男が其処に横たわっていた。

「敵の死体か」

「んだよコンチクショウめ!」

「静かにしてくれ」

「でもお前が来てから一気に状況が良くなったんだ。騒ぎたくもなるさ」

 ――この戦闘での目的は分からない。だが、相手が軍人では無いことくらいは容易に理解が追いついた。まず正規兵でないその格好は、長袖の黒い薄手シャツに防弾チョッキ、それに加えて口元を覆う布はどうやらインナーから伸びているらしく、黒いバンダナを頭に巻く。武装はカラシニコフの自動小銃に、対戦車用榴弾。人数はざっとみて小隊規模であり、応援は無い。

 統率は取れている。だが正規軍と比べれば戦闘能力はやや劣るだろう。しかし全体をざっと見れば圧倒的に物量が足りない衛士らの方が圧され、その上現在では四分の一ほど死人を出していて不利に思われた。

 さらに相手の”能力者”の力は未だ不明。適正者一人だけのこの状況、初期配置十五人で現在十人前後で二十人近くを相手にし、その中に五人の『付焼刃スケアクロウ』が現存すると思われている現在では、一発逆転の賭博に出なければ事態は一転せず、ジリ貧のまま消耗を続けて死に到るだけだ。

 そんな事は許されない。紛争未満の、ただのテロ組織の過剰暴力テロに屈するわけには行かなかった。

 リリスの憲兵とて何人が配備され、現地の軍事力がこの場に何人居るのか把握できない。だがリリスからの支援は衛士を含めても極めて少なかった。その上で、時衛士は戦場での総指揮を執れる権利を有していたが――。

「隊長。繰り返すが、アンタ達はいつも通りに動いてくれ。オレを数に入れるなよ。憲兵はくれてやるがな」

『わーってる。誰も――心配す……な』

 ノイズ雑じりの返答。衛士は二度ほどマイクを叩いてから交信を終了する。

 姿勢を低くして塹壕を行くとやがて道はそこで途切れて、数メートルほど離れた位置に敵が隠れる土嚢の壁が存在していた。

 マイクはそれを見てからようやく弾倉を入れ替え、腰のポケットから紙巻の煙草を一本取り出した。

「硝煙は臭くて困んぜ」

「オレはお前の行動に困るぜ」

 やれやれと肩をすくめるマイクは構わずライターを取り出そうとするが、所定のポケットには無いようだった。それから全身に手を這わせて金属製のオイルライターを探すが、やはり見つからなかった。

 彼は舌打ち悪態を付いてから煙草を投げ捨て、踏み躙って衛士の背に近づく。

「よく映画であんだろ? 発砲して先端に火ぃ付けるの」

日本ジャパニーズアニメーションですら中々見ねぇよ、そんなの」

「絶対ェー、煙草吹っ飛ぶ。そのせいでエライ目にあった」

「やったのか、バカだなお前」

 はっと一息分の笑いを漏らし、マイクはそれから塹壕に座り込んで壁を背にした。衛士は敵の様子を伺いながら、今か今かと敵の陣中に潜入する機会タイミングを伺う。

 ――恐らく敵には防御陣シールドを張るような能力者が居てまず間違いないだろう。それを裏付ける理由としては、弾幕が空中で弾けたり、敵の頭部を打ち抜いたのにも関わらず、相手は驚いたように身を隠したのをこの眼で見たからだ。

 見間違いなどではない。こんな劣勢で、そんな幻想を現実だと思い込めるほどこの頭は能天気ではなかった。

 ある程度の発砲音が止み始めたのを理解して、衛士は腰を上げる。マイクは促されるように、塹壕の上に積まれる土嚢に手を掛け飛び出る準備をする。

 その直後に、ノイズを置いて、連絡が届いた。

非正規兵イレギュラー諸君――敵の頭が飛び出した。いかがかな?』

「よくもやってくれたな!」

 顔を上げ地上を覗くと、その陣地の中心辺りから飛び出る複数の陰を捉えた。

 ――まるで戦争ごっこだ。この前線とて塹壕の距離が近すぎて、どちらも近くに隠れ家を持つ。だから決して長期戦にはもつれ込まないが、それ故に、瞬間風速が強い方が圧倒的に有利になる。

 相手はまともな作戦も立てぬ力押しの連中だ。それを考えて、ここに誘い込んだのかもしれない。

 衛士は腰を上げ塹壕から飛び出ると、わざと弾丸の再装填リロードで作ったわなを縫って肉薄する敵は、既に半分ほどを撃墜させていた。

 駆けると目の前にすぐさま塹壕の土嚢が、そしてその脇に作られた土嚢とレンガの壁が迫る。その壁に張り付くようにしてから、さらに向こう側へと回り込もうとすると、マイクはそれを手で制してから、既に握っていた手榴弾を見せびらかした。

 空からの眩しい熱光線が頭頂を焼く。長く呆然と立っていれば脳みそが沸騰しそうな暑さで、既に服は汗でビショビショに濡れていた。マイクはそれも構わず仄かな笑みを浮かべたまま安全ピンを抜き、一拍置いてから塹壕に放り込む。

 直後に爆発。鈍い衝撃が地を揺らす。

 男たちの悲鳴がつんざき、壁の脇から飛び出る無数の敵を衛士が知覚して――掃射。

 数秒の発射炎の後、三人の男たちはそれぞれ腕、足、腹を押さえて横たわった。

「バカ、奇襲がバレたじゃねーか」

「まどろっこしいのは嫌いなの!」

 その直後に、爆発によって衛士らの存在に気付く全ての歩兵たちは銃を構え、塹壕から、あるいは壁から彼等を捉え――衛士は短く唸ってから、9mm機関拳銃を抱くようにして男たちが飛び出てきた方向へと走り、壁の裏側、その敵陣中へと飛び込んだ。

 瞬間。

 視界に飛び込んでくるのは凄まじい速度で宙を滑空する巨大な榴弾。衛士はそれを知覚すると同時に必要以上の俊敏さで背を反らせて膝を折り、限界一杯にまで身を低く仰け反らせると、眼前を、その顔面スレスレを榴弾は飛び去っていった。

 衛士はそれから転がるようにして近場の塹壕に飛び込むと、その直後にレンガの壁に抵触し、凄まじい爆発と共にソレを破壊する衝撃が、その破片が周囲に飛び散った。

 ほっと息を付く暇も無い。衛士へと肉薄する五人の影がすぐ其処にまで迫っているのだ。

「あぁ、うざいっ!」

 塹壕の上を走る影に対応するように塹壕の中を抜ける。その最中の銃撃、無数の射線は衛士の前方から彼へと瞬く間に迫り、彼はタイミングを見極めて塹壕に手を掛けて飛び越えると、その直ぐ後に、別方向からの射撃が並ぶ男の一人の腹に幾つかの銃弾を喰らわせた。

 衛士はそれがマイクの仕業なのだと理解すると同時に、彼の無事に安堵する。

 飛び交う悲鳴。背後からの歓喜の声。衛士は地に伏せるような体勢のまま引き金を絞り、残る四人に掃射した――が。

 数十もの弾丸が、彼等の数十センチ手前で、まるで透明の防弾ガラスにでもめり込んだかのように動きを止めて、それからパラパラと砂地に身を落とす。衛士は乱れる呼吸をそのままに、激しく上下する肩を抑えて再び銃撃を開始しようと試みるも、それを遮るように目の前の四人から、そして背後、右側のそれぞれ三人からの弾丸の嵐を受けて、再び塹壕へと身を投げる。

 交わらぬ銃弾は交差して近場の大地を打撃し砂を巻き上げる。より一層濃くなる砂煙の中、衛士はこれ幸いと煙の中に姿を隠して――四人へと、腰を落とす低態勢で肉薄した。

 退避ひくわけがない。衛士は狂気じみた、しかし実際にはただの笑顔を見せてレッグホルスターから9mm拳銃を引き抜く。と、すぐさま立ち上がって、男が転がるすぐ傍の、周囲を伺って衛士の姿を探す敵の頭を撃ちぬく。9mmの弾丸では頭部を弾き飛ばすことは出来なかったが、それでも彼は後頭部から弾丸を貫かれて即死に到っていた。

 その発砲音で、近くに居た残る三人は動揺し、声を荒げる。

 何を言っているか分からないのは衛士がこれまでの訓練で英語以外の言語を習得していなかったからだ。スワヒリ語などを知るはずもないし、多分これからも学ぼうとすることも無い。

 濃い砂塵の中では数メートルの距離に迫ってようやく影が見える程度だ。敵の陣中ならばそれが仲間か否かの判別も付かない筈だった。

 ――射撃。

 すぐさま目の前の一人が絶命して地面に倒れる。だが延々と続く連続する射撃音と、身を掠める弾丸のせいでその音が耳に届くことは無かった。

 衛士はさらに前へ進むと直後に、先ほどの射撃で衛士を認識し、こちらへ突進するように走ってくる敵影を捉える。迷わず発砲――後に、それが当たり前のように、足をもつれさせるようにして倒れた。

「マイク! マイク! 何処に居る!?」

 既に残る一人は姿を消したように、周囲に敵影を発見することは出来ない。衛士は再び塹壕へと身を滑り込ませてから――目の前に、現れた敵の影を知覚した。

 酷く機械的なマスクは無数のチューブを身体にまとわり付かせるその姿は異形といえば異形だが、どちらかといえば異様が正しいだろう。奇妙と言い換えることも可能だが、やはり不気味がしっくりくると衛士は頷き――敵が銃を構えるよりも早く、むき出しになる顔面、その片目に銃口を突きつけた。

防御陣シールド出せよ? 防いでみろよ、ほら! 早く!」

 いきり立つと、指に込める力が爆発的に増幅して、まだ引く予定の無い引き金は簡単に引かれて、乾いた発砲音を響かせる。だがそれは戦場に飛び交うそれらの一つと化して、誰もが衛士が放つソレだとは理解できなかった。

 飛び散る鮮血は衛士の顔を濡らし、原形を留めぬ顔面はそのままに男は塹壕に寄りかかる。静かな動作は酷く死者らしかったが、こうして安息できるのも羨ましい。そうに冗談っぽく思ってから、口にする、その奇妙なマスクを引き剥がす。ゴムの蛇腹のチューブも、その先の”何か”も一緒に回収をしたいところだったが、そのチューブはどうやら肉体に埋め込まれているらしく、現状では死体ごと回収する意外に手段は無かった。

「呼んだか、坊主?」

 背後から黒い影が迫る。しかしそれは影ではなく、マイクの姿だった。

「遅ぇよ。もう付焼刃スケアクロウを一人始末しちまった」

 ――矯正装置は如実に進化している。以前までは、化学防護服のような外観で、さらに空気をちょっと操作する程度だった。しかし今はどうだろう。至近距離の弾幕を容易に受け止めたのだ。

 どういう原理で、何をどうしてこうなったのかは分からない。空間を歪めたのか、また即座に物質を精製して防弾壁としたのか。様々な憶測が飛び交うが、今はそれが出来る暇は無い。

「やるなぁ!」

 どこかでまた、RPG―7の発射音、そして次ぐ爆発が近くで巻き起こる。どうやら他の仲間達も敵陣中内での戦闘が原因で乱れた隊形を利用して前進してきたらしかった。

 下手をすれば、付焼刃スケアクロウは既に何人か死んでいるのかもしれない。

 そう考えてから、衛士はそうだと手を打った。

 その可能性をすっかり忘れていたのだ。

 特殊能力を持っているからといっても万能ではない。今の敵のように油断すればすぐさま隙を取られるし、完全な力でないから零距離での発砲にやられてしまう。防御系の能力でなければ尚更だろう。

 それに、能力とは人を殺す力ではない。少しでも長く生きながらえる為の力だ。それを知らず粋がって居るだけでは、到底、ただの兵隊にさえ叶うはずも無い。

 そして、この集団は個人個人の腕は酷く未熟だから――。

「さて」

 もう数分も経てば、大きく立場が変わる。勿論こちらにとっては良い意味で。

 衛士はそれをそこはかとなく感じながら、腰の専用ホルスターに付けられる唯一の『副産物』である砂時計を、慣れた手つきで反転させた。

「宴もたけなわだ、派手に行くぞ!」



 時衛士が弾薬と手榴弾を無駄にしつつ、三十人近い敵を単独で二十人以下に減らし、また付焼刃スケアクロウと呼ばれる、リリス内で定義される個人が能力を持つ『特異点』とは異なる種類の能力者の一人を始末し終えた頃。

 地下空間ジオフロントにて育成される七人の適正者たちは食堂に募って、なにやら不穏な会議を開始していた。最も、揃うのは僅か五人。最年少の少女イリスと、最年長者である男性は欠席である。

 今回の会議第一回の主催者は『ステッキ・サラウンド』と言う名の、時衛士に良い印象を持たぬ少女だった。

 土曜の昼下がりに集められた面々は、それぞれ退屈そうな表情で長机に、彼女を中心にして腰掛けていた。

「私らは殆ど部隊チームのようなモノよ」

 初めの頃はわけも分からなかった彼女も、”自身の死”を理解し、そして”蘇らせてもらった新たな命”をこの組織で、礼代わりに活用してやろうと言う生き方を見つけ始めていた。そんな彼女が口にするのは、この訓練校で半ば運命共同体と化す同級生への強い仲間意識だった。

「表の世界では死んだ事になってる私たちも、こうして生きてる。それと同じ状況を味わった私達はもう仲間。同じ苦楽を味わった云々だからどうとか言う、ベッタベタな事を言うつもりは無いけど、そういったものって前提で話をしたいの。良い?」

 栗色の髪を揺らして、ステッキは早速熱弁をかます。正面の、毛先が黄色の長髪が特徴的な優男は、面倒そうに「へーへー」と返事をしてから背もたれに身体を預ける。

 そんな『なな文太ぶんた』の右側に座る、薄いブロンドの短髪を整える眼鏡をかけた青年は、興味も無さそうに腕を組んで俯いていた。閉じられる目は寝ているのか、何かを考えているのか伺えさせない。

 が、ステッキが何かを待つように、あるいは何を言うか考えるように沈黙していると、そんな傍らの彼――『エクス・バスター』は重い口を軽々しく開いた。

「何が言いたい。わざわざ貴重な休日の時間を遣うんだ。それなりの話なんだろ?」

「え? あ、まぁね。大まかなものとしてはコミュニケーションの話をするつもり」

「こ、コミュニケーションなら訓練でも、普通にやってるように思えるんですが……」

 文太の左側に座るまだ幼さが失せない少年は、やや目に掛かる程度の黒髪を軽く払ってから恐る恐る喋る。それが良い点だったのか、ステッキは指を鳴らして「グレイト」と口走った。

 少年の風貌を持つ『坂詰さかづめ保志名ほしな』はそれに肩を弾ませると、それを恥じるように顔を俯かせた。

「私達はチーム。コミュニケーションは欠かせないし、でもわざわざこんな事を話し合う必要が無いくらい、もうある程度の仲は築けているわ。私達はね」

 嫌味たらしく彼女は居もしない誰かを皮肉るように言ってみせる。それだけで、今回のこれが何の為に開かれたのかが良く分かった文太は大きな溜息を付いてから、彼女の続く言葉を聴いた。

「でも今ここに居ない人は違う」

「三人居ないけどどうなのよ」

 念のために聞いてみるが、彼女はきりっと文太を睨むように見てから首を振った。

「イリスちゃんとハンズさんはどう考えても違うわ」

「……エイジは?」

「今日は彼の話題よ」

「ふん、くだらん」

「ぼ、僕、帰っても良いですか?」

「ダメよ。まだ始まったばかりじゃない」

「俺も帰りたいんだが」

「話、聞きなさい」

 ステッキは力強く退席を許さぬと、坂詰は机の下で手を組んでうな垂れ、バスターは変わらぬ様子で腕を組んで目を閉じていた。 

 それに観念するように文太も頷き、椅子に浅く座って背もたれに体重をかける。ステッキの隣に座るピスタチオグリーンのセミロングを垂らす女性は、皆と同様の迷彩服に身を包んで、机の上で手を組み、ただ沈黙していた。

 二十台前後の風貌を持つ彼女がこの中では最年長であるものの、彼等と大きく歳が離れているわけでもない。最年少から最年長までの歳の差が八歳であり、彼女は最年長から三つほどしか離れていないのだ。

 だからか、彼女は落ち着きを持ち、全てを静観して見守っているようであった。

「彼、時衛士は真面目に訓練しないし、必要な時しか口を開かない。無愛想だし、とても協調性がある人だとは思えないわ。今日だって、いえ、最近はそもそも”病欠”だとかなんだとかで訓練に参加しない日も多いし」

 ――時衛士の人間関係が如実に悪くなるのには、彼が強制的に任務に就くにあたって、任務以外への配慮が一切なされない事も原因の一つであった。

 彼がある程度の実力を持ち、また現在では既に任務しごとを行う事になっているのは彼等は知らない。伝えられていないのだ。また、知る権利が無いと言う事もある。

 それは別に教官たちの意地が悪いからと言うわけではなく、上層部からの要望だった。バレてしまえば仕方が無いという話だが、極力情報の漏れを無くすようにする。そして訓練兵である彼が、訓練中でさえ真面目にならない彼が任務に就ける実力を持っているとはここに居る誰もが知らないし、もしかして、と考えることも無い。夢にも思っていないのだ。

 その上での、教官たちの雑な言い訳。そして同僚と接するような会話などによって衛士の、訓練兵仲間と接する時間は磨り減って、信頼を築く暇も無い。故に合わない日が続く事によって、ただでさえ悪い印象を持つステッキの想像は、さらに上塗りになるように極悪へ移行していった。

 最も、彼自身がそれを気にしない事も一つの要因であるとも言えるのだが。

「仮にこれから、まぁ、戦闘訓練はこの間始まったばっかなんだけど……もし、団体戦を行った場合、これでは支障がでる可能性が大きいわ。その上、仮にここを卒業できたとして、彼は他者と組んでもまともに連携が取れなくなって、足を引っ張る事があるかもしれない。だから、この時点で、現在彼が訓練校ここに居る間に、ある程度のコミュニケーション能力を取得できるよう矯正すべきだと思うのよ」

 まるで衛士の全てを見透かしたつもりになって舌が軽やか滑る彼女は其処で一つ息を吐く。

 文太は終わりかと思って息を吐くと、すぐさま次が来た。

「もちろん私たちも人に構っていられるほど余裕は無いけど、今を考えるとやはり彼をどうにかしないとって――」

「やはりくだらんな。お前の目は腐りすぎている。感性は酷く女性的で話は聞くに堪えない。陳腐だ。注目されて同意を求めたいだけだろう?」

 言葉を遮るように、傍らのバスターは口を開いた。目は開き、鋭い眼差しが彼女を貫くようにして投げられていた。言葉は厳しいものの、声には抑揚が無く、怒りも悲しみも、それらの感情全てが抜け落ちていた。一言で言えば、興味が無さそうな声である。

 なのになぜわざわざ油に火を注ぐようなことを言うのだろうか。文太は疑問に思いながらも、それを解消するために沈黙し、彼等のやりとりに注視する

「なっ!? ……アンタに何が分かるのよ。私はね、別にどーでもいいのよあんな奴。だけどね、アイツが真面目にやんないと私らが困るのよ」

「だから目が腐ってると言っているのんだ。目の前の現実を、感情と言うフィルターを通して見なければ何も映らんのか?」

「ど、どーゆー意味よ」

「真面目もクソも無い。その訓練にあわせた対応が出来ていれば問題がないだろうが。この間始まった模擬戦闘とて彼は然程参加が出来ていない状況だが、その数少ない模擬戦闘の訓練で彼は目立つような失敗をしてくれたか? 文句を言わなければ気がすまない程に邪魔になったか?」

 答えは否。

 バスターの記憶では確実に彼は難なくこなし、だが目立つような実力は見せなかった。だが初めての模擬訓練での成績がそれであるために、実質、この場に居る誰よりもその技術が長けていると言う事に誰も気付いていない。

 そしてそれから幾日も経つが、彼の成績は変わらず、だが他の訓練兵の実力は如実に上がるのだ。これを不自然と言わずになんと言おう。

 時衛士は力を抑えている。バスターはうっすらとそれを理解し始めていた。

「だ、だけどね……まともな会話すら出来ないで、コミュニケーションが……」

「必要最低限は交わしている。だがな、誰かのように必要なことが言えずに無駄口ばかり叩いて自尊心を保つ人間よりは遥かにまともであると思わないか? サラウンドさん」

「ぐ、ぐぬぬ……」

「言い返せないか。彼ならば口八丁で返しそうなものだがな……。くだらん」

 バスターは眉間にしわを作って椅子を引き立ち上がる。それから椅子を元に戻さずに食堂を後にしようと歩き始める中でふと足を止め、何かを思い出したかのように振り向いた。

「俺は別に時衛士を擁護しているわけではない。ただそれ以下の愚者がただ一つの隙を欠損だと触れて回る事に我慢がならなかっただけだからな」

「ぐ、ぐしゃ……」

「黙れ。口を開くな愚か者」

 最後に不要な捨て台詞を吐いて、やがてバスターはそそくさとその場を後にする。

 場の雰囲気はこの上なく重くなり始め、左側に座っていた坂詰少年はそれを察するように、逃げられなくなる前に素早くバスターの後を付いていった。

 確かに――見た目がある程度”かわいい”としても、これほどまでヒステリックな女性の相手は嫌なモノだ。しかも主張が正しいと信じてやまないのだから、聞かされる文太も頭を抱えたくなる。

 彼もそろそろおいとましようかと腰を上げると、不意に、手を組んで静観していた女性が、ステッキへと顔を向ける。彼女がそれに気付いて視線を向けてから、ゆっくりとした動作で口を開いた。

 優しそうな目元に、穏やかそうな表情はいつでもそうであったが、今回ばかりは優しくなだめるわけではないようだった。

「人には好き嫌いはあるのは仕方が無いこと。だけれどね、もう少し良く人を知ったほうがいいわ。貴女はまだ高校生だったかもしれないけれど、それが出来ない歳では無い筈よ」

「『エイダ』さん……でも、私、バスターがトキを認める理由が分からないんです」

「それはまだ貴女が未熟である証拠」

「エイダさんは分かるんですか?」

「努力しているかは分からないけれど、少なくとも、自分に高いプライドを持つバス君が認める理由は分かるわ。多分、貴女以外は」

 ――そこまで聞いて、どうにも自分が場違いなような気がしてくる文太は席を立ち、音を立てぬようにして素早く食堂を辞す。

 それからステッキは頭を抱えて、肘を付いた。

 自身の全てを否定されたような気がしたが、少なくともそれが思い上がりだと言う事は理解できていた。さらに、自分が間違ったことを言っていたのにも関わらず、あれほど自身有り気に口にしていた数々が、どうしようもなく情けなく、恥ずかしくなってきた。

 自分が馬鹿だという面を曝け出したようなものだ。もしこんな所を彼が見たらどう思うだろうか。

 やはり無関心を通すのだろうか。あの引き攣った笑顔で、あの興味の無い声で。

「でも私、トキの事……」

「好きになる必要はないわ。でも少なくとも、貴女が言ったように支障が出ないように接すればいいの。もしどうしようもなくなったら、私の部屋においでね?」

「……うん、ありがとうございます」

 やがてエイダまでもが食堂を後にして、そこには彼女以外は誰も居なくなる。

 何も考える事が出来なくなってきた。

 自分だけが、明かに甘い考えを持っていた。暮らしが違ったのだ。

 ――適正者候補生となる人間全てが、ここに来る前に副産物を渡されるわけではなく、また担当が必ず付くわけでもない。それが行われるのはごく限られた資質を見出された者のみであり、それ以外は”運命による死”によって命を失い、ここに来る。

 そして表の世界では彼女等は一般兵同様に”死んだ”事になっていて、存在自体が無かったことになるのは限定された一例のみであった。

 だがそれを知るのは、知る権利を持つ限られた人間のみ。

 ――この広い世界の中、とある島国の誰もが存在を知らない地下空間ジオフロントの中で、その物語は始まった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ