学校探索②
彼女より身長が低い僕は窓から入るのに少し苦労したけど、先に入っていた彼女に引っ張りあげてもらうことで、なんとか侵入を果たした。
女子トイレといっても、小便器がないのと個室の扉が多い以外、ほとんど男子トイレと違いはない。
それなのに、やけに背徳感が背筋を襲った。
「ガキ君、あっさり女子トイレに入ったね」
「どうせ抵抗したら、常識がどうとかいうんでしょ」
「ガキ君もすっかりあたしに染まってきたようで、なにより」
「⋯⋯⋯別に、そういうわけじゃないです」
満足げに、彼女が歩きだす。
こんな場所に長居したいとは思わなかった。彼女の後を追うように、早足で出口の方へと向かう。
「警備員にバレたら面倒だから、足音と喋り声は最小限にしよう」
「わかりました」
夜の廊下は足音が目立つ。
警備員が近づいてくるときは気がつくことができるだろうが、逆にこちらが気づかれないよう、注意を払う必要があった。
「ガキ君、何組なの?」
「1-Aですけど、なにもありませんよ?教室も閉まってると思いますし」
「いくあてもないし、とりあえず行ってみようよ」
彼女は教室の場所がわからないというので、渋々僕が案内することになった。
一年生の教室は校舎の二階にあるので、ここからそれほど遠くない。
コツ、コツと、二人分の小さな足音が辺りに響く。
昼間なら喧騒に溢れているこの場も、夜になると嘘みたいに静かになる。
見慣れ建物のはずなのに、全然別の建物みたいだ。
警備員がいないか細心の注意を払いながら、僕たちは1-Cの教室にたどり着いた。
「ここです」
「ふーん。鍵はっと───まあ、閉まってるか」
僕が学校に通っていた頃も、最後に教室をでた人が鍵を閉めることになっていたので、当然教室の扉には施錠がしっかりされていた。
「窓まで閉まってるじゃん、つまんないな」
「それが普通ですから、これまでがうまくいきすぎなだけで───」
「あ、開いた」
「ええ……」
彼女が屈んで、窓の更に下にある小さな戸に手をかけると、その戸はガラガラと音を立てて開いた。
「この扉、なんであるんだろうね」
彼女はそんな疑問を飛ばしながら、四つん這いになってその戸をくぐった。
いつまでも一人廊下に突っ立っているわけにもいかず、僕を同じくその戸をくぐる。
立って教室全体を望むと、やけに懐かしい思いが胸に込み上がってきた。
「ガキ君の席はどこ?」
「窓際の、後ろから二番目です」
「いい席じゃん」
彼女は僕がいった席に歩み寄り、慈しむように机を撫でた。
「ガキ君はさ、どうして学校に行かなくなったの?」
「⋯⋯⋯⋯別に、大した理由はないです」
「大した理由じゃなくても、教えてよ」
窓の向こうの中庭からは、月明かりが差し込んでいる。
そのおかげで電気がなくとも、視界を充分に確保することができた。
「⋯⋯⋯⋯なんか急に、しんどくなっちゃったんです。他人と一緒にいることが」
「うん」
「勉強は、そこそこできる方でした。友達も、それなりにはいる方だったと思います。でも、誰かといる時の自分への、違和感みたいなものが拭えなくて……」
別に、きっかけなんてものはなかったと思う。
ただある日、いつものように制服に腕を通して、玄関にいって、外に出ようとしたとき。
脚が固まったように、その場から動けなかった。
靴まで履いて、後は学校に向かうだけだったのに、そこで僕の身体は動けなくなってしまった。
「一度学校を休んだら、もうダメでした。どんどん脚が重くなって、制服も着れなくなって、行こうとすら思わなくなって……」
気がついたら、僕は学校に行かなくなっていた。一人でいる時間は、ほんの少し心が軽かったから。
一人でいるときだけは、少しだけ自由になれた気がした。
「結局、僕の心が弱かったんだと思います」
吐き出した言葉は止まらない。
ダムが決壊したみたいに、どんどんと僕の口から溢れてきた。
「腹の底に何かを抱えているなんて、みんなだと思うから。それなのに、僕は普通の日常から逃げ出してしまいました」
彼女は、いつになく真剣な顔で僕の話を聞いていた。
そして彼女が口を開いて、言葉を紡ぎかけたとき───
コン、コン。
僕の後方、廊下の方から、足音が聞こえてきた。
僕は咄嗟に隠れる場所を見つけようとするけど、教室にそううまく隠れられる場所なんてない。
僕たちの姿は、廊下側の窓から丸見えだ。
「ガキ君、こっち!」
迷っている暇はない。
僕は彼女に手を引かれて、黒板前の教卓の下に潜り込んだ。
「誰かいるのかあ〜?」
中年くらいの、おじさんの声が聞こえた。
ドタバタと慌てて隠れたものだから、もしかすると物音が警備員さんの耳に入ったのかもしれない。
足音から察するに、警備員さんはもう教室の前辺りまできているようだ。
「っ……!」
一方僕はというと、非常に辛い姿勢を強いられていた。
教卓の中はとても狭くて、二人分の体積を詰め込むと、余裕なんてまったくない。
彼女が奥で僕が手前という配置なのだが、僕は彼女に体重を預けて仕舞わぬよう、両腕で体重を支える必要があった。
「いいよ」
耳元で、彼女が囁く。
「ガキ君はずっと、我慢しすぎなんだよ。昨日いったじゃん、遠慮はいらないって」
「でもっ…!」
今彼女に体重を預ければ、僕は彼女の柔らかい身体に、飛び込んでしまうことになる。
狭いスペースだし、あまり触れちゃいけないところにも触れてしまうかもしれない。
それは、ダメなことだ。
「ここかあ〜?」
また、警備員さんの声が響いた。
明らかに、何者かの存在を怪しんでいる。
ガンガンと、扉を開こうとする音が響く。
扉の鍵が正常に閉まっているか、チャックしているみたいだった。
「『もう、魔法の中』」
「あっ───」
不意打ちで囁かれたその言葉で、否応なしに身体の力が抜けてしまう。
両腕からだらりと力が抜けて、僕は彼女の身体に飛び込んでしまった。
彼女はそのまま僕の肩に手を回して、あやすように、肩をポンポンと叩いた。
「難しいことなんて、考えなくていいから」
その言葉に、脳を蕩かされる。
全身から感じる柔らかい感触と鼻腔をくすぐる甘い匂いに、なにも考えられなくなってしまう。
彼女が胸を上下させる度に、僕の身体が揺れる。桜色の唇がすぐそばにあって、胸の鼓動が鳴り止まない。
この鼓動の音は、彼女に聞こえてはいないだろうか。
加速していく鼓動を悟られたくなくて身を捩るけど、肩に回された手で僕はいとも簡単に拘束されてしまっていた。
「ドキドキしてるね」
すぐそばでそう囁かれて、また鼓動が跳ねた。
息が荒くなっていっているような気がする。
心なしか、上下する彼女の胸の動きも大きくなっているような──────
呼吸が混ざりあって、いよいよ脳が蕩けきった頃。
気がつくと、周囲から音はしなくなっていた。




