邂逅
キャロラインが立ち去った後、ショウは激痛の走る腹部を押さえながら、よろよろと通路を進んで脱出を試みる。
例の隠し部屋から、他へと続く通路らしきものはないようだ。
となれば、選択肢はこの部屋へと彼らを導いた隠し通路のみ。もしも今、この通路に【インビジリアン】が雪崩れ込んでくれば、退路を断たれたショウの命はここで尽きるだろう。
それが分かっているから、彼は激痛を噛み殺しつつ通路を進む。
片手で穴の開いた腹部を押さえ、もう片方の手を壁について体を支えながら。
時折、傷を押さえる手を左右交代させるため、今のショウの両手は血塗れだ。
ライフルは隠し部屋に放置してきた。腹部のこの怪我では、反動の強いバトル・ライフルは撃てそうもないからだ。
今や最後の命綱とも言うべきは、予備武器の拳銃とナイフのみ。
もっとも、その拳銃とナイフでさえまともに操れる保証はないのだが。
血塗れの手で壁に触れるため、壁には赤黒い筋が不規則に刻まれていく。
よたりよたり、と覚束ない足取りで。それでも必死にショウは前へと進む。
時折、【インビジリアン】の咆哮と銃声らしきものが聞こえてくるが、もしかすると逃走したキャロラインが連中と戦っているのかもしれない。
それとも、他の発掘者たちが近くにいるのか。
現実逃避ぎみにそんなことを考えながら、ショウは必死に前へと進む。
一応、簡易的な治療キットは持っているが、現状ではそれを使っている余裕はない。
せめて、少しの時間でも安全な状況が確保できれば、治療キットで止血ぐらいはできるのだが。
彼は腹に穿たれた銃創の痛みに歯を食いしばりながら、必死に足を動かす。
やがて、通路の先に開いたままの扉が見えた。この隠し通路への入り口である扉だ。
痛みのために途切れようとする意識を必死に繋ぎ止め、彼はその扉を目指して歩を進める。
そして。
扉の前までようやくたどり着いた時、彼の──ショウの意識は、とうとうそこで途切れた。
ずるり、と壁についていた手が滑り壁に斑な縞模様を残しながら、彼はその場に崩れ落ちた。
だから、通路内の壁の一部──赤黒い斑模様が刻まれた箇所──から響いた小さなその声を、彼が聞くことはなかった。
──感知パネルに、遺伝子情報の接触を確認。
登録No.3 Sho Arisawa の遺伝子情報と一致。
《ジョカ・シリーズ》起動シークエンス開始。
《ジョカ・シリーズ タイプ:イィ》、《タイプ:アァル》、《タイプ:サン》、起動中…………
……起動成功。
《ジョカ・シリーズ》起動完了。
◆◆◆
完全な暗闇の中に、ぽ、と光が灯った。
最初は一つだけだった小さな光は徐々にその数を増やし、やがてその空間を完全に満たした。
そして、光が満ちた空間に、圧縮された空気が抜ける音が響く。
壁際に設置された三つのカプセルのような容器が、解放された音だ。
開け放たれたそのカプセルから、三人の人間──いや、人間そっくりに造られたモノが、ゆっくりと歩み出た。
「《アァル》、《サン》。ボディやシステムに問題はない?」
「ああ、私は問題ないぞ、《イィ》」
「はい、姉さま。ボクも問題ありませーん」
それらは、人間の女性の姿によく似ていた。
背中まで伸びた金のロングウェーブの髪と赤い瞳を持つモノ。
ショートの黒髪と黒い双眸を持つモノ。
ライトブラウンでミディアムな内巻ワンカールの髪と、同じ色彩の目をしたモノ。
タイプは違えども、三体が三体とも目を惹く容姿をしていた。もちろん、三体はそのように設計されているからだ。
それらは自分自身の体に異常がないことを確かめた後、改めて状況を確認する。
「わたくしたちの主となられる方が、近くまで来ておられるようですね」
「そのようだ。だが、この部屋にいないということは……」
「部屋の外に設置されている、感知パネルに触れたんでしょうねー」
「だが、外部の感知パネルで起動用遺伝子情報が確認されたということは……」
「《アァル》の推測通りでしょう。急いだ方がいいわ」
「ああ。我らがマスターは怪我をしている可能性が高い」
「うんうん、急ぎましょう、姉さまたち」
三体は……いや、彼女たちは互いに頷き合うと、部屋から外部へと続く通路の扉を開けた。
◆◆◆
ショウが意識を取り戻した時、目の前に見知らぬ女性の顔があった。
恋人の……いや、恋人だったキャロラインではない。幼い頃から一緒に育ったアイナでもない。その他の知り合いや顔見知りの女性たちでもない。
過去に一度も会ったことのない、正真正銘初対面の女性だ。
「気がつかれましたか、我らが主様」
ショウを覗き込んでいたその女性が、にっこりと微笑む。
「主様が所持されていた医療キットを用いて治療を施しましたが、怪我の具合はいかがでしょうか?」
「治療……? そ、そうか、俺はキャロルに撃たれて……」
ようやく記憶が蘇り、ショウは改めて自分の体を見る。
装備していた防弾防刃ジャケットやその下に着ていた防弾ツナギは脱がされていて、身に着けているのはアンダーウエアのみ。
おそらくは、腹部の治療のために装備を外したのだろう。断熱シートのような物の上に寝かされていたショウのすぐ近くに、彼の装備が綺麗に畳んで置いてあった。
怪我の方も適切な処置が施されているようで、応急処置としては申し分ない。もちろん、カワサキ・シェルターに戻ったら本格的な治療をする必要はあるだろう。
そしてショウは、この時になって改めて近くにいる女性を──いや、女性たちを見た。
彼を覗き込んでいた長い金髪の女性の他に、黒髪とライトブラウンの髪の女性もいたのだ。
そして。
「…………えっ!?」
ショウの傍にいる三人の女性たち。なぜか、彼女たちは全裸だった。
女性の裸を見ても慌てるような年齢でもないし、キャロライン相手に「そっち方面」もそれなりに経験がある。
全裸の女性が傍にいることに、驚きこそすれ必要以上に照れたり恥ずかしがったりすることもない。
それでも、あまり彼女たちを凝視するのも失礼だと思い、三人を極力視界に入れないようにしながらショウは問う。
「…………どうして、三人とも全裸なんだ?」
「それは我々も起動したばかりだからだ、マスター」
「お見苦しい姿で申し訳ありません、ご主人様ー」
「わたくしたちが着られる物がないか、検索してみましょう」
全裸でいることに恥じる様子を見せることもなく、平然としている三人の女性たち。
そんな女性たちの言葉の中に、非常に気にかかる部分があった。
「さっきから主様とかご主人様とか、もしかして俺のことか?」
「その通りだ、マスター」
「ご主人様は、『ショウ・アリサワ』様ですよね?」
黒髪で一番長身の女性が答え、ライトブラウンで一番童顔な女性が確認するように聞いてきた。
「あ、ああ、確かに俺はアリサワ・ショウだが……」
「登録されてきた起動用遺伝子情報が一致した以上、主様が『ショウ・アリサワ』様であることは疑う余地がありません」
どこからかツナギのような服を三着分見つけてきた金髪の女性が、穏やかに微笑みながらそう告げた。
「遺伝子情報……? どういうわけか、このビルのシステムに俺の指紋情報が登録されていたが、遺伝子情報まで登録されていたってわけか? って、起動用……? 起動用って何が起動したって言うんだ?」
首を傾げながらショウが呟けば、ツナギを着込んだ三人が改めて彼の前に整列し、その場で片膝をついて深々と頭を下げた。
「わたくしたち《ジョカ・シリーズ》三体、設定されたプログラムに従い、今日この時よりこの体が朽ち果てるまで、ショウ・アリサワ様にお仕え致します」
◆◆◆
「…………つまり君たち三人は、いわゆるアンドロイドって奴なのか?」
「はい。そう認識していただいて構いません」
アンドロイド(android)。
高度な技術で人工的に造られたヒューマノイドを意味する言葉である。
今から50年ほど前には個人用通信端末のOSの一種も同じ言葉で呼ばれたが、本来は人造ヒューマノイドを示す言葉である。
三人の女性たち──彼女たち曰く、《ジョカ・シリーズ》という名称らしい──から説明を聞いたショウは、彼女たちが人間ではなく人造の存在であるアンドロイドであると判断した。
そして、改めて彼女たちを見る。
こうしてよく見ても、人間と全く見分けはつかない。先ほど彼女たちの体も見たわけだが、それも特に違和感は覚えなかった。
穏やかに微笑む金髪の女性。鋭利な表情で自分を見つめる黒髪の女性。そして、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべるライトブラウンの髪の女性。
いや、最後の人物──敢えて人物と呼ぶ──は、まだ少女と呼ぶべきか。
見た目の年齢は、金髪が20代半ばほど、黒髪が20歳前後、ライトブラウンが16,17歳ぐらいだろうか。
彼女たちは、それぞれ《タイプ:イィ》、《タイプ:アァル》、《タイプ:サン》と名乗った。
もっとも、それらは識別上の名称でしかなく、個体を示す名前ではないらしい。
「わたくし、《イィ》は情報収集とその分析、また、電子系の制御を担当しております」
「私、《アァル》は戦闘行為全般を受け持つ」
「はーい! ボク《サン》は、二輪車から航空機まであらゆる乗り物の操縦が得意でーす!」
そして、彼女たちはそれぞれ得意分野が異なり、各方面に専門家としての知識と技術をプログラミングされているという。
「ただ……」
《イィ》がちょっと言いづらそうに頬に手を添えた。
「わたくしたちはセクサロイドではありませんので、『そちら』のお相手を務める機能はございません。主様も年若い男性であり、当然『そちら』へのご興味もあるかと思いますが……」
「あ、あー、そ、そうか。分かったよ」
《イィ》の言いたいことを理解し、さすがにショウもちょっと言いよどむ。
「さて、そろそろここから脱出した方がいい。マスターの怪我の治療も完全ではない」
「確かにこの研究室はエアクリーナーで無菌状態が保たれているから、【インビジブル】に感染する危険性は極めて低いけど、ご主人様の手当てはあくまでも応急処置ですからねー」
「そうね。早く主様には本格的な治療を受けていただかないと。ここでは主様の体内に残っている弾丸の摘出もできませんし、早々に移動の準備をしましょう。主様、立てますか?」
《イィ》に手を引かれて、ショウは立ち上がる。その際、腹部から激痛が襲いかかったが、何とかそれに耐えることができた。
「ここでは主様に必要な治療を施すだけの設備も医薬品もありません。ですから、主様は決して無理はなさらないでください」
「大丈夫、ご主人様はボクたちがぜぇぇぇぇったいに守りますからー」
「ああ。安心するといい」
正直言えば、ショウは彼女たちを信用できなかった。当然といえば当然だろう。今日出会ったばかりの相手、しかも正体不明のアンドロイドを完全に信用できるわけがない。
だが、現状では彼女たちを頼るしかないのも事実である。
腹部に穿たれた銃創は、決して軽傷ではない。現状のショウは歩くことさえままならず、【インビジリアン】との戦闘など不可能だ。
仮に【インビジリアン】と遭遇すれば、間違いなく殺されるだろう。
だから、彼は覚悟を決めた。
とりあえず彼女たちを一時的に信じて、何とかカワサキ・シェルターに辿り着く。
アンドロイドたちのことや、キャロラインのことなど、あれこれと義父であるウイリアムと相談する必要もあるだろう。
その覚悟を決めたショウは、《イィ》の肩を借りて歩き出した。何としてでもカワサキ・シェルターへと帰り着くために。