〈ギガンテス〉討伐戦3
それは、まるで津波のようだった。
炎に包まれ、完全に足を止めた〈ギガンテス〉。この巨大な【インビジリアン】も、このまま燃え尽きるだろう。
誰もがそう思った時、それは起こった。
〈ギガンテス〉の前方、扇状に目に見えない何かが発生し、周囲に乱立していた廃ビルなどがどんどん崩れていったのである。
◆◆◆
そんな崩壊の津波が生じる僅かに前。
「〈ギガンテス〉から僅かに振動が感知されました! 至急、回避行動を!」
「全員、〈ギガンテス〉へ接近だっ!! 全速力だぞっ!!」
これまでの何度かの偵察の結果、〈ギガンテス〉が放つ振動は発生器官を基点に、前方へコーン状に放たれることが判明している。
そのため、〈ギガンテス〉の足元付近には、振動の「死角」が生じるのだ。
ショウたちが何度も偵察を重ねた結果、〈ギガンテス〉の足元──根本と言った方が正確か──から前方約18メートルの位置まで、振動の「死角」が生じることが分かっていた。
また、〈ギガンテス〉はその巨大な体が災いして、地面近くには「知覚の隙間」もあるのだが、ショウを始めとしたカワサキ・シェルターの面々はそこまでは突き止めていない。
これまでに収集した戦闘データに基づき、粉砕振動発生の予兆を感知したイチカは、司令官であるカツトに報告、カツトもすぐに振動を回避するための指示を飛ばした。
回避指令を受けた各車両は、直ちに全速で〈ギガンテス〉へと可能な限り接近し、車両に乗っていない者たちも全力で〈ギガンテス〉へ向かって駆け、次いで身を投げ出すようにして大地に伏せる。
直後、地に伏した者たちの頭上を目に見えない何かが、確かに通り過ぎるのを彼らは感じた。
中には「死角」への到達が間に合わず、その何か──〈ギガンテス〉が放った粉砕振動に飲み込まれ、瞬く間に細かな塵へと変じた傭兵や車両もあったが、それでも回避の指示が早かったため、犠牲は最小限に抑えられたと言ってもいいだろう。
「ちぃぃぃぃっ!! 化け物め、もう振動発生器官を再生させやがったかっ!!」
《ベヒィモス》の車内、12.7mm回転機関砲の引き金を引き絞りながら、カツトが吐き捨てた。
「イチカの姉ちゃん! 振動発生器官は識別できるかっ!?」
「〈ギガンテス〉が燃え続けているため、熱による視覚攪乱で振動発生器官を識別することができませんっ!!」
今もなお、〈ギガンテス〉は燃え続けている。そのため、その巨体周辺の気温は上昇をし続け、周囲の空気は陽炎を発生させて揺らめいている。
その陽炎が原因となり、《ベヒィモス》の各種センサーとリンクしたイチカでも、〈ギガンテス〉の巨体に比べれば相当小さい振動発生器官を正確に認識することは不可能だった。
「振動第二波、来ます!」
「総員接近を続けろ! 接近しながら可能な限り攻撃を加え続けるんだ!」
もはや、振動発生器官だけを正確に狙撃することは不可能だろう。であれば、燃え続ける〈ギガンテス〉本体を少しでも早く破壊するだけだ。
そう判断したカツトは、総員に攻撃続行を命じたのだった。
◆◆◆
〈ギガンテス〉が放った粉砕振動の影響を受け、ショウとフタバがいた廃ビルが崩れ落ちていく。
「マスターっ!!」
足場である廃ビルが崩れ去るのを感知した直後、フタバは抱えていた対戦車ライフルを投げ捨て、ショウへと手を伸ばした。
人間以上の知覚と反射能力を有するフタバは、崩れる不安定な足場で何とかふんばり、ショウの腕を掴むことに成功する。
そして、そのまま彼の体を強引に引き寄せた時、二人は落下を始めた。
彼らがいたのは、崩れたビルの四階部分。地上からの高さは7,8メートルといったところだろう。
フタバはショウを落下の衝撃から守ろうと抱き締め、自分の背中を下にして落ちていく。
僅かな落下時間を経て、二人は地面へと激突した。その衝撃はすさまじく、人間よりも遥かに強靭な体を有するフタバにも大きなダメージとなった。
だが、そのフタバに抱き締められたショウは、彼女の柔らかくも強靭な体がクッションとなり、何とか最小限の衝撃を受けるだけで済んだようだ。
落下の衝撃で僅かな時間気を失っていたショウが覚醒し、ゆっくりと体を動かしてみる。
途端、全身に激しい痛みが駆け抜ける。体の骨の何箇所かには、確実にヒビが入っているだろう。もしかすると、骨折している箇所もあるかもしれない。
全身の激痛を噛み殺し、何とかショウは立ち上がる。
〈ギガンテス〉が振動を放った直後、ショウはフタバに引き寄せられて廃ビルの中に飛び込む形となった。
その後、ビル自体が振動に対する盾となり、ショウとフタバが直接振動を浴びることはなかったのだろう。
ショウたちがいた廃ビルは、〈ギガンテス〉が放つ粉砕振動の効果範囲ぎりぎりの地点に位置していた。
そのため、振動の効果がやや下がっていたのだろう。効果範囲内では廃ビルも車両も人も、細かな塵へと変えられてしまっている。
だが、粉砕振動の効果範囲からぎりぎり外れ、いわば振動の「余波」を浴びた形となったショウたちは、そこまで強力な効果は及ばなかったのである。
もちろん、そうなるような地点をイチカが事前に割り出し、狙撃ポイントとしたのだ。
結果、足場にしていた廃ビルこそ崩壊したが、ショウは命を落とすことはなかったのである。
「崩れたビルが、ある程度は振動を吸収してくれたっていうのも助かった一因か……?」
自身の身体の具合を確認しながら、ショウは呟く。
そして、この時になってショウは、身を以て自分を守ってくれたフタバのことにようやく思い至った。
「フタバ……っ!?フタバっ!! どこだっ!?」
周囲を見回しながら声を上げれば、かすかだがそれに応えるフタバの声が聞こえた。
「フタバっ!! 無事かっ!?」
「……ンと……かナ……」
どこか呂律がおかしいフタバの声がする方へと、ショウは激痛を堪えて近寄った。
そこで、ショウは見た。全身が傷つき、ぼろぼろになったフタバの姿を。
落下の衝撃か、崩れたビルの瓦礫に圧し潰されたのか。
彼女の右手は肘の少し上から失われ、ぐしゃぐしゃになった断面からは白い反応液がとろとろと零れ落ちている。
左足は落下した瓦礫に挟まれて圧し潰され、喉には鉄骨が貫通していた。そのせいで、上手く声が出ないのだろう。
それ以外にもあちこち損傷し、明らかに体が歪んでいる箇所もある。
「ぶジか……まス……た?」
傷だらけの顔に笑みを浮かべるフタバ。彼女にとってはいくらでも修理可能な自分の体よりも、主であるショウの方が重要なのだろう。
フタバは地上に叩きつけられた直後、落下してくる瓦礫が少しでも落下が少ない場所を的確に見極め、そこへとショウを放り投げたのだ。
彼女は自身を守るための防御行動を一切放棄し、ただただショウへのダメージを最小限にすることだけを考えて行動した。
結果、自身はかなりのダメージを受け、身動きさえできないでいる。
「フタバのおかげで、何とか生きているよ。体のあちこちが悲鳴を上げているけどな」
痛ましそうな表情を浮かべながら、何とかそんな軽口を叩くショウに、フタバは笑みを浮かべた。
「そレは……しカ……タなイ……けガ……あいナに……診てモ……え」
「待っていろ。すぐにイチカかミサキを呼ぶ。《ベヒィモス》に戻れば、修理できるだろう?」
「ソ……だナ」
彼女が弱々しくそう呟いた時。
周囲の地面が激しく揺れた。
◆◆◆
「イチカ姉さまっ!!」
全速力で《ベヒィモス》を走らせながら、ミサキはイチカの名を呼ぶ。
「分かっているわ。フタバからの救難信号ね。破損状況のデータから、大破ってところかしら」
互いにリンクされた《ジョカ》たちは、それぞれの状況を常に把握し合っている。そのため、現状フタバがどのような状態なのかも正確に理解していた。
「至急、回収して修理してあげたいけど、さすがに今は無理ね」
「ですねー」
「おい、姉ちゃんたち! くっちゃべっいてる暇があったら、どんどん攻撃してくれよ!」
12.7mm連装機関砲を撃ち続けながら、カツトがどこか呑気な姉妹へと苦言を呈する。
「ですがカツト様? 《ベヒィモス》ってそもそも搭載兵装が少ないんですよー? カツト様が主兵装の12.7mmを撃っているから、ボクは車体側面に固定された副兵装の7.62mmLMGを撃つしかありませーん」
「その7.62mmも、12.7mmに比べたら用意してある予備弾数が少ないですし」
「あー、分かった、分かった! 何でもいいから、今は撃ちまくってくれ! でないと、いくらこの装甲車でも、動けなくなっちまうぞ!」
今、《ベヒィモス》の周囲は無数の蔓や蔦のような植物で覆い尽くされていた。
先ほど、地面が激しく揺れたかと思ったら、古びたアスファルトを突き破って無数の蔓や蔦が飛び出してきたのだ。
飛び出した蔓や蔦は、破砕振動を避けるために〈ギガンテス〉へと接近していたカワサキ・シェルターの部隊へと襲いかかったのである。
「おい、イチカの姉ちゃん! あの蔓、正体は分かったか?」
カツトとミサキが蔦や蔓への対処に追われている中、イチカは突如現れた蔦や蔓の解析を急いでいた。
「該当データ、見つけました。これまでの交戦データから、この蔓や蔦は『吸血庭園』に生息する吸血性植物型【インビジリアン】と同種と断定できます」
「『吸血庭園』に根を張る吸血鬼どもだとぉ?」
発掘者ではなくても、長年カワサキの防衛部隊の司令官を務めて来たカツトは、「吸血庭園」とそこに生息する吸血性【インビジリアン】のことはよく知っている。そして、その危険性も。
「この蔦や蔓は地面下で〈ギガンテス〉と繋がっていると思われます。本体が危険な状態であるため、少しでも『栄養』を吸収するためにこれらの蔦や蔓を伸ばしてきたのではないでしょうか?」
「ってことは何か? 〈ギガンテス〉は『吸血庭園』の吸血鬼どもの親玉かもしれねえってことか?」
「確証はありませんが、おそらくその考えは正しいのではないでしょうか」
「アカネが言っていた、『【インビジリアン】進化説』が現実味を帯びてきやがったな、こりゃ」
「吸血庭園」はトーキョー遺跡の中でも特級の危険エリアである。そのため、このエリアに好き好んで足を踏み入れる探索者は多くはない。
そのため、「吸血庭園」に存在していた吸血性植物型【インビジリアン】の一体が、何らかの理由で突然変異、もしくは「進化」──現状ではあくまでも仮説でしかない──して巨大化した存在が〈ギガンテス〉だとしたら。
この巨大な【インビジリアン】が最近まで存在を確認されなかった理由にも、ある程度の納得のいく説明になるだろう。
「今は仮説がどうとかよりも、このくそったれどもを何とかしねえとな!」
そう吐き捨てながら、カツトは12.7mm連装機関砲の引き金を引き絞り続ける。
地下から現れる吸血性の蔦や蔓を迎撃するのが手一杯で、「ギガンテス」に攻撃を加える余裕はない。
《ベヒィモス》の防御力がいくら高かろうとも、蔦や蔓に搦め捕られれば身動きできなくなってしまう。
既に何台かの車両や徒歩の傭兵、発掘者たちが、足元から現れた蔓や蔦に搦め捕られてしまっている。
歩兵たちは吸血性の蔦によって血液や体液などを瞬く間に奪われ、車両の中にも蔦が侵入し、乗員たちはこの恐ろしい吸血鬼の餌食となってしまった。
「ファイヤーストーム作戦」に参加している者たちは、全員が吸血性の蔦の対処に追われ、〈ギガンテス〉へ攻撃を加える余裕は全くない。
そうなると当然、吸血性の蔦から「栄養」を得た〈ギガンテス〉は、焼かれた体を徐々に回復させていく。
「……焼夷弾、ちっとは残しておくべきだったかねぇ?」
現状、最も効果的な攻撃手段と思われる焼夷弾だが、既に全弾〈ギガンテス〉に対して使用してしまった。
「確か、ゲンタロウの奴が火炎放射器を用意していたはずだが……それでどこまで対抗できる……?」
と、カツトが考えていた時。
地下から伸びた無数の蔓や蔦が、とうとう《ベヒィモス》のメカナム・ホイールにまで絡みつき始めたのだった。




