巨体動く
少しだけ時間を遡る。
それに最初に気づいたのは、一行のリーダー格であるヨウスケだった。
視界の隅に入り込んだ、緑色の蛇のようなモノ。
咄嗟に銃口を向けながら、ヨウスケはその正体をすぐに悟る。
「蔦……? おい、おまえら注意しろ! 蔦が……『吸血鬼』が迫ってきている!」
ヨウスケの声に反応し、残る二人も足元まで迫った蔦の存在にようやく気づく。
「お、おい、何だよ、こりゃあっ!?」
「これが……噂に名高い『吸血庭園』に棲む『吸血鬼』か? 単なる蔦じゃねえの?」
「至急ここから離れる! 退避だ!」
「退避ぃ? そんな必要ねぇだろ?」
「こんなの、ただの蔦だぜ?」
ヨウスケの指示に従うことなく、二人の男たちは迫る蔦へとライフルの銃口を向けた。
そして、そのまま引き金を引き絞り、迫る蔦を弾丸で粉砕していく。
二人が放つ5.56ミリのライフル弾は、容易く蔦を引きちぎる。
だが、ライフルの射撃音に反応したのか、それとも引きちぎられた蔦から零れ落ちる液体の匂いに反応したのか、蔦は次々にヨウスケたちへと集まってくる。
「クソが! キリがねえぞ!」
「文句言っていねえで撃ちまくれ!」
「このマヌケどもっ!! だからすぐに退避しろって言っただろうがっ!! この蔦こそが『吸血庭園』に巣くう『吸血鬼』なんだよっ!! おまえらも、ちったァ『吸血庭園』について勉強してこいっ!!」
瞬く間に空になるマガジンを何度も交換しながら、ヨウスケたちは迫る蔦を迎撃していく。
だが、彼らが携行する予備弾薬は無限ではない。この調子で撃ち続ければ、弾薬が尽きるのも遠くはないだろう。
「血路を切り開いてここから離脱する! 遅れたらそのまま置いていくからな!」
頭の中で残弾数を素早く計算したヨウスケは、強行突破を選択した。いや、現状ではそれしか既に選択肢はない。
車両が駐めてある方角の蔦を掃討し、ヨウスケはその血路へと踏み込んだ。
残る二人も、迎撃しつつ遅れずにヨウスケの後を追う。
だが、片方の男の足首に蔦の一本が巻き付いた。
当然、足首を捕らえられた男はその場に倒れ込む。
「た、助けてくれっ!!」
倒れながら、仲間たちへと必死に声を上げるが、ヨウスケたちは彼を顧みることなく遠ざかっていく。
「そ、そんな……み、見捨てないでくれっ!! 助けてくれよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
だが、その悲痛な叫びもすぐに途絶えた。彼の口に何本もの蔦が強引に入り込んできたからだ。
◇◇◇
「があ、あががががががっががが…………っ!!」
背後から聞こえる声ならぬ悲鳴に、ヨウスケたちは顔面を蒼白にしていた。
振り返る余裕なんてない。いや、振り返りたくない。
彼らを包囲するかのように迫る蔦の群れに、ヨウスケたちは必死に弾丸を浴びせていく。
どんどんと減る残弾数。更に増える蔦たち。
「…………こ、これが……『吸血庭園』……っ!!」
今、彼らは噂に名高い危険エリアである、『吸血庭園』の恐怖を味わっていた。
噂通りに、いや、噂以上にここは危険なエリアであることを、身を以て理解する。そして、自分たちがこの超危険エリアを完全になめていたことも嫌というほど理解した。
「ち、ちくしょうがっ!! これでもくらいやがれっ!!」
ヨウスケは、一発だけ所持していたグレネード弾をライフルの銃口に装着すると、それを巨大な【インビジリアン】──〈ギガンテス〉へと発射した。
たった一発のグレネード弾で、周囲に蠢く蔦を一掃できるとは思えない。
ある程度の蔦をグレネードの爆発に巻き込むことはできるだろうが、既に至近距離まで蔦が接近している以上、蔦に向けてグレネード弾を撃っても自分を巻き込む可能性が高い。
それならば、あのデカブツにせめて一撃を。
そう考えて、ヨウスケは〈ギガンテス〉にグレネード弾を撃ち込んだのである。
だが、この一撃こそが、カワサキ・シェルターを巻き込む大惨事へと繋がるきっかけとなるのだが、この時の彼には想像さえできなかった。
「へ、イタチの最後っ屁ってヤツだ。思い知ったか」
にやりと笑い、〈ギガンテス〉を見上げるヨウスケ。
既に蔦は彼の足首を捕らえている。残されたもう一人の仲間など、蔦に覆われて姿を確認できないほどだ。
もう逃げられない。そう悟ったからこそ、ヨウスケはライフルを捨てて、〈ギガンテス〉に向けて右手の中指を立てる。
そんな彼の腕に、腰に、首に蔦が巻き付き、物凄い力で締め上げていく。
彼の意識は瞬く間に暗黒に飲み込まれ、体は蔦のヨウブンとなったのである。
◆◆◆
ソレは、炎が嫌いだった。
炎はソレにとって、天敵ともいうべきモノだからだ。
ソレに時間的な感覚はほとんどないが、ある時、ソレが支配するエリアに四体のヨウブンが迷い込んできた。
ソレは新たなヨウブンが得られることに歓喜し、さっそくヨウブンを得るために動き出す。
逃げようとするヨウブンを、腕を伸ばして追い詰めていく。
だが、追い詰められたヨウブンは、ソレに向けて炎を発するナニかをぶつけたのだ。
ソレに比べれば、とてもとても小さな炎。だが、天敵である炎をぶつけられたことで、ソレは怒ると同時に混乱もした。
天敵から逃れようとするのは、生物としての本能と言ってもいいだろう。
だから、ソレも大嫌いな炎から逃れようとした。
大地の奥深くまで張っている足を強引に引き抜き、移動を始める。
だが、ソレの知能はあまり高くはなく、ただ、その場から移動する──天敵から逃れることしか考えられず。
ソレが移動する先に、何があるかなど全く考えていなかった。
◆◆◆
ずしん、ずずずずず、ずしん、という重々しい音と、何かを引きずるような音が連続してトーキョー遺跡の中に響き渡る。
飛行型の【インビジリアン】が逃げ惑い、人型や獣型の【インビジリアン】も、音の元凶から遠ざからんと移動した。
「まさか……」
遠くに聳えるように存在する〈ギガンテス〉が大きく揺れ動いているのを、ショウははっきりと視認した。
同時に、何度も何度も地震のように大地が揺れる原因も、すぐに理解する。
「〈ギガンテス〉の移動を確認。推定移動速度、時速約7.5キロで西南方向へと移動中」
イチカの報告に、ショウは脳内で簡単に地図を展開する。
「吸血庭園」から南西へ移動すれば、直撃コースではないものの、カワサキ・シェルターに大きく近づくだろう。
「カワサキと連絡はつくか?」
「はい、ショウ様。幸い、【ブルーミスト】の濃度が低く電波状況が良好なため、ここからでもカワサキ・シェルターと連絡が取れます」
「よし。至急、〈ギガンテス〉が南西へ移動を始めたことを、カワサキに連絡してくれ」
命じられたイチカは、すぐに《ベヒィモス》へと戻り、カワサキ・シェルターに連絡を入れる。
その間、ショウとフタバ、ミサキはゆっくりと近づいてくる〈ギガンテス〉を見上げることしかできないでいた。
「《ベヒィモス》の12.7mm連装機関砲で、アレに有効な打撃を与えられると思うか?」
「うーん、無理じゃないですかねー?」
「私もミサキと同意見だな。あの巨体に12.7mmなど、精々表皮を削る程度だな」
「俺もそう思う。せめて、あのデカブツの弱点部位でも分かれば……」
これまで何度も偵察ドローンを飛ばしたが、ある程度まで近づくと振動で撃破されてきた。そのため、ショウたちは〈ギガンテス〉を至近距離で見たことがなく、弱点部位があるかどうかさえ不明であった。
ショウは改めて、ゆっくりと近づいてくる〈ギガンテス〉を見つめる。
【インビジブル】の感染後遺症によって、視力だけはイチカの各種センサーさえをも上回る。ショウは「視る」ことだけに集中し、〈ギガンテス〉を観察していく。今までよりも遥かに近い距離から観察することで、見えなかった部分も見えるかもしれないと考えて。
そして。
「…………ん?」
〈ギガンテス〉の頂上からやや下辺りに、他と色合いの違う部分があることにショウは気づく。
周囲の青白く変異した樹皮とは異なり、そこだけ琥珀色をした部分がある。大きさは丁度、成人男性の上半身ぐらいだろうか。
巨大な〈ギガンテス〉からすれば、その琥珀色の部分は極めて小さいと言えるだろう。
更によく見れば、同じような琥珀色をした部分が全部で三か所発見できた。
「すぐに飛ばせるドローンはあるか?」
「飛ばすだけなら、数機は可能ですが?」
イチカの返答に、ショウはすぐにドローンを飛ばすように指示する。
「なら一機だけでいいから、俺が指示する通りにドローンを飛ばしてくれ」
「承知いたしました」
ドローンに搭載されたカメラはイチカとリンクしているので、映像は常に記録される。
イチカから送られてくる映像をヘルメットのバイザーに映し出し、ショウは先ほど見た琥珀色の部分へとドローンを誘導する。
やがて、ドローンはいつものようにある程度〈ギガンテス〉に近づいた時点で、撃墜された。
だが、ショウの目は確かに見た。
ドローンが撃墜される瞬間、琥珀色の部位がぶるぶると揺れ動いていたことを。
「おそらく、アレが振動を発する器官だな」
「わたくしも視覚センサーを最大感度にして確認、映像にも記録しました。ショウ様が言われるように、あの琥珀色をした部分こそが振動を発しているのでしょう」
「なら、そこを狙って攻撃すれば……」
ミサキの言葉に、ショウは頷く。
「少なくとも、振動を発することはできなくなるだろうな。ただ、相手は【インビジリアン】だ。たとえあの部位を破壊しても、いずれは再生するだろう」
「マスターの言う通りだ。振動発生器官を潰したら、即座に本体も撃破する必要がある」
ショウの後に続けたフタバの言葉に、全員が頷く。
「この事実をカワサキのオヤジに至急伝えてくれ。本格的に〈ギガンテス〉迎撃の準備をする必要がある」
「ボクたちはこれからどうしますか?」
「オヤジからの指示に従うが、帰還か〈ギガンテス〉の様子見継続かのどちらかだろう」
そのショウの予測通り、カワサキ・シェルターからの指示は、「その場で〈ギガンテス〉の観察継続、様子が変わり次第連絡を入れろ」というものだった。
ショウたちは《ベヒィモス》に戻り、いつでも移動できるようにしつつ〈ギガンテス〉の観察を継続する。
「ところでご主人様、あの大型車両はどうしますかー?」
ミサキの質問に、ショウは少し考える。
ヨウスケを筆頭とした、あまり評判の良くない発掘者チームが使用している大型車両。
彼らがここに来ているのは間違いないだろうが、〈ギガンテス〉が動き出しても戻って来ないのは、何かあった可能性が高い。
何らかの理由──おそらくは〈ギガンテス〉が関係しているだろう──で全滅したのか、それとも全滅はせずとも怪我を負って動けなくなっているのか。
「とりあえず、現状あの大型車両は放置だ。この騒ぎが収まった後、まだこの場に残っているようなら、俺たちで回収してしまおう」
遺跡などの危険エリアやその周辺に、発掘者の車両が駐められていることは多々ある。
良識ある発掘者であれば、それらの車両には近づかない。だが、中には勝手に車両を持ち去る連中もいるのだ。
そのため発掘者たちは、自分たちの車両が目立たないようにカモフラージュを施したり、何らかの罠を仕掛けたりしておく。
ショウたちも《ベヒィモス》を駐める際は、目立たない場所を選んでカモフラージュネットを被せ、周囲に罠を設置している。
だが、中には所有者が全滅するなどの理由から、放置される車両もある。それら放置車両は、いずれは他の発掘者に回収されるだろう。
「てっきり放置車両だと思って回収しちまった」と主張する、悪質な発掘者も中にはいるのだが。
荒野では全てが自己責任。仮に車両が盗まれても、「盗まれる方がマヌケ」なのである。
「今は〈ギガンテス〉への対処が第一だ。それ以外のことは後で考えればいい」
ショウのその言葉に、《ジョカ》たちはそれぞれ返事をして、〈ギガンテス〉の観察を続けた。




