吸血庭園の怪物
トーキョー遺跡、旧新宿区。
かつては都心同様に高層ビルが立ち並ぶオフィス街であり、同時に緑豊かな都市公園が存在する街だった。
特に新宿御苑はこの国を代表する日本庭園のひとつであり、連日数多くの観光客が押し寄せた旧東京都の名所のひとつ。
だが、現在の新宿御苑は吸血性植物型【インビジリアン】が繁茂する危険なエリアへと変貌し、発掘者たちから「吸血庭園」と呼ばれているほどだ。
◆◆◆
旧新宿区のとある廃ビルの屋上。そこに、ショウたち四人はいた。
「どうだ、イチカ?」
「わたくしのセンサーの範囲外ね。分析は不可能よ」
イチカとフタバは、遠くに揺らめくように見える、「ソレ」を見つめた。
彼女たち《ジョカ》の優れたアイ・カメラでも、僅かに「何かが蠢いている」といった程度でしか認識できない「ソレ」。
「あれが〈ギガンテス〉なんですかね? もしかして、風化して崩れる寸前のビルが、風に揺れているだけってことはないでしょうかー?」
つま先立ちで背伸びをし、目の上に片手で「ひさし」を作って「ソレ」を見つめるミサキ。
だが、その疑問をショウはきっぱりと否定した。
「いや、まちがいなく、あれが〈ギガンテス〉だな」
ショウはいつもかけているサングラスを外し、青白い燐光の揺れる両の瞳を露わにしていた。
今の彼は、いつもの防弾防疫ヘルメットは着用せず、口元を覆うだけの防疫マスクを装備して〈ギガンテス〉を見ている。
「見えるのか、マスター?」
「ああ。細部までは無理だが、何か生物っぽいものが蠢いているのは見えるな」
「ふぅ。マスターの視力は我々以上か」
「視力だけは、かろうじてな」
肩を竦めて呆れるフタバと、同じく肩を竦めるショウ。
【インビジブル】に感染した後遺症で、ショウの両目には淡い燐光が常に宿っている。だがその反面、常人以上の暗視力や遠視力などといった、視力に関する能力を彼に与えていた。
「方角と距離から推測しますと、〈ギガンテス〉がいるのはおそらく『吸血庭園』……旧新宿御苑の中だと思われます」
「それはまた、厄介な場所に潜んでいたものだ。だが、〈ギガンテス〉の目撃情報が少なかったのはそれが理由か」
ここに来る前、ショウたちは酒場「冒険者ギルド」に立ち寄り、店主であるギルドマスターから〈ギガンテス〉に関する噂を聞き込んだ。
それによると、〈ギガンテス〉を目撃したという噂はほとんどないらしい。ごく稀に「何か巨大なモノをトーキョーで見たけど、多分何かの見間違いだろう」と、勝手に自己完結しているそうだ。
推定全長が10メートルを越えるような巨大な化け物が潜んでいるなど、普通は考えもしないからだろう。
また、〈ギガンテス〉が潜んでいると思われる場所が、危険極まりないことから発掘者でさえほとんど近寄らない「吸血庭園」であることも、目撃情報が少ないことの一因なのは間違いあるまい。
「よし、偵察を開始する。ドローンを発進させてくれ」
「承知いたしました」
ショウの命令に応じたイチカは、屋上に持ち込んだ機材を操作して、五機のドローンを離陸させた。
カワサキ・シェルターから借り受けることができたドローンは全部で五機。それにミサキがやや手を加え、イチガが無線リンクで操作可能にしたものである。
ドローンが撮影した映像は、持ち込んだ機材のモニターでリアルタイム確認ができ、同時に録画も行える。
離陸した五機のドローンは、包囲するように大きく展開しながら目標である〈ギガンテス〉にゆっくりと近づいていく。
〈ギガンテス〉に、何らかの超遠距離攻撃手段があることは判明している。だが、五方向から接近するドローンを、一度に全て破壊することは難しいだろう。
「映像の解像度、良好。ゆっくり接近させろ」
「はい」
ショウ、フタバ、ミサキはそれぞれ五つのモニターを凝視する。
イチカはモニターを見ることなくドローンをコントロールする。彼女にはドローンが撮影する映像データが直接届いているので、モニターを見る必要がない。
「目標までの距離、約1500メートル」
「目標に動きあり! 前方に展開した三機のドローンに反応し──っ!!」
フタバがそこまで口にした時、〈ギガンテス〉の前方に展開していた三機のドローンから送られてきていた映像が突然ブラックアウトした。
「何があったっ!?」
「三機のドローンが一斉に撃墜された!」
続いて、残る二機の映像も順に途絶えた。こちらも撃墜されたと考えて間違いあるまい。
「一度撤退する! ここまでヤツの攻撃が届くかもしれない! 撃墜されるまでの映像は撮れているな!?」
「はい、大丈夫です」
「よし、映像データはカワサキに送りたい。無線は繋がるか?」
「今は無理みたいですねー。【ブルーミスト】濃度が高すぎます」
「では、カワサキへの帰還途中で無線が繋がり次第、映像データを送ってくれ」
「はーい、分かりましたー」
「では、撤収する」
ショウの指示に従い、《ジョカ》たちは撤収のために機材を片付け始めた。
◆◆◆
ショウたちが撮影した映像データを基に、カワサキ・シェルターの首脳陣は改めて〈ギガンテス〉対策を協議する。
カワサキに戻ったばかりのショウは、隔離期間のため直接この協議には参加できない。よって、ショウと彼の参謀役のイチカは、隔離施設からモニター越しに参加することになった。
「……一体、どんな手段でドローンは破壊されたンだ?」
「映像を見る限り、ドローンが撃墜された際に何らかの実体弾が射出された様子は見受けられないね」
ウイリアムの問いに、映像を凝視したままコウスケが答えた。
「実体弾じゃねえってか? じゃああの化け物は、何らかのエネルギーを放出してドローンを破壊したってのか?」
「うーん……映像を見た限りじゃ、僕には分からないな。イチカ、君なら何か分かるかい?」
コウスケは、モニター越しにイチカへと問う。
「ドローンが撃墜される直前、大気の揺れを観測しました」
「大気の揺れ? どういうこった?」
「おそらく、〈ギガンテス〉は振動を発してドローンを撃墜したと思われます」
「振動というと……固有振動とかそういう感じかい?」
「おそらくコウスケ様のおっしゃる通りかと。もっとも、どのようにして特定の固有振動を探り当てているのかまでは不明です」
「だとすると、こいつはかなり厄介だね……」
腕を組み、考え込むコウスケ。そんな様子の義子を見て、ウイリアムは片方の眉をひょいと上げた。
「だから、どういうこったよ? オレたちにも分かるように説明しやがれっての」
「〈ギガンテス〉の攻撃手段が振動だとすると、それを有効的に防ぐ方法が現状ないんだよ」
「ああ、そういうことか! 弾丸やレーザーなどなら、それに対応した装甲板などで対処できるが、振動では効果的に防ぐことはできないってことか!」
「振動を防ぐ手段がないわけじゃないけど、現状のカワサキですぐに有効な対処法を用意するのは難しいだろうね」
「〈ギガンテス〉が振動の周波数を自在に操れると仮定すると、様々な物体に対して固有振動を発生させることができるでしょう」
モニターの向こうで、イチカがそう付け加えた。
◆◆◆
「おそらくだけど、アレ……〈ギガンテス〉は植物ね」
ウイリアムやコウスケたちが、〈ギガンテス〉の放つ振動にどう対処するかで話し合っている一方で。
記録された映像を何度も見た化学・薬品部門主任のアカネは、自らが行った解析の結果を告げた。
「『吸血庭園』内の植物型【インビジリアン】が異常成長……何らかの理由でここ最近、急激に成長した結果あの大きさになったと思われるわ」
「確かに、〈ギガンテス〉はあの位置から全く動いていねぇよな。正体が植物ってンなら、それも頷けるってモンか」
「アカネさんが言うように〈ギガンテス〉が植物なら、あの巨体を支えられるのも理解できるね」
体が大きくなれば、それだけ自重を支えることが難しくなる。普通の生物であれば、骨や筋肉にその負荷がかかって自重を支えられなくなるものだが、植物であれば話は違ってくる。
もっとも、【インビジリアン】はそんな常識は当てはまらない存在なのだが。
「で、では、〈ギガンテス〉はやはり放置でいいのではないかね? 植物なら、『吸血庭園』から移動できないだろう?」
おどおどとした態度でそう問うのは、財務部門主任のザイゼン・ケイゴだ。
生来の臆病な性格は相変わらずで、今でも〈ギガンテス〉との交戦は何とかして避けたいと考えているらしい。
「確かに普通の植物なら移動しないでしょうけど、相手は【インビジリアン】ですよ? 移動できないなんて決めつけるのは危険ではありませんか、ザイゼン主任?」
「だ、だが、この映像でも全く動いていないではないか! 確かに遠距離攻撃手段を有しているようだが、移動はできないと考えていいのでは?」
「だがな、ケイゴ。仮に奴さんが動けないとしても、安心はできねえと俺ぁ思うがね?」
ケイゴの言葉を否定したのは、四十代後半の男性だった。
彼の名前はスズキ・カツト。元自衛官で、今はカワサキ・シェルター警備隊の主任──隊内や周囲からは「団長」と呼ばれることが多い──である。つまり、ここカワサキ・シェルターの防衛戦力を統括する司令官である。
「奴さん……〈ギガンテス〉が移動できないとしても、奴が放つ振動とやらはここまで届くかもしれねえぞ?」
「そ、それはそうかもしれないが……そ、それでも迂闊に手を出さない方がいいのではないかね……?」
「カツトもケイゴも、どちらの意見も間違っちゃいねぇだろうよ。ってことで、ショウ」
ウイリアムはモニターの向こうにいる義息子へと目を向ける。
「もう一回、偵察を頼まれちゃくれねぇか?」
「そのつもりだよ、オヤジ。前回の偵察だけじゃ、情報として足りなさすぎるだろう?」
「頼むぜ、My Son ! イチカ、ショウの面倒、よろしく頼むな!」
「はい、ウイリアム様。ショウ様のことは、我ら姉妹が必ずお守り致します」
ショウと同じモニターに映るイチカが、丁寧な仕草でウイリアムへと頭を下げた。
そんな彼女の姿を、熱の篭った視線で見つめる男性が一人いたのだが、この場にいる誰もがそれに気づくことはなかった。




