ヨコハマ遺跡
「……………………はぁ」
誰もいない家の中で、アイナはリビングのソファにだらしなく寝ころびながら大きな溜息を吐いた。
今、この家には彼女とショウ、そして養父の三人で暮らしている。
アイナとショウ同様に、養父に引き取られた孤児は他にもいる。その兄弟たちは既に独り立ちをして別に暮らしているか、もしくは結婚して新たな家庭を築いているかだ。
中にはカワサキ・シェルターではない別のシェルターに移住した者だっている。
幼い頃は数多くの兄弟たちで賑やかだったこの家も、今では三人だけとなりちょっと寂しい。
いや、もしかすると、近い将来に住人が更に一人減るかもしれない。
「もしも、しょーちゃんとキャロルが結婚したら……」
アイナの目から見ても、お似合いなショウとキャロライン。
出会ってすぐに恋仲となった二人は、それ以来ずっと仲睦まじい。おそらく、このまま遠くない未来に彼らは結婚するであろう。
そうなったら、ショウはこの家を出てキャロラインと暮らすことになるに違いない。
「…………でも、正直言ってアタシ……キャロルのこと、完全には好きになれないんだよねぇ……」
はっきりとした理由はアイナにもよく分からないが、何故かキャロラインのことを好きになれないのだ。
もしかすると、幼い頃からの想い人を横から掻っ攫われたという、嫉妬からくる感情かもしれない。
ショウは昨夜、家に帰って来なかった。
今日の朝早くに発掘にでかけるため、その打ち合わせをキャロラインと行うと言って出掛けたのだから、そのまま朝まで二人は一緒だったのだろう。
そして、同じようなことは過去にも何度もあった。というか、二人が発掘に出かける前日はショウが帰って来ないことが常だ。
ショウとキャロラインは正式な恋人であり、立派な大人だ。そんな二人が一緒にいるのだから、どんな行為が行われているかアイナにも容易に想像できる。
「……………………はぁ」
再び大きな溜息がアイナの可憐な唇から零れ落ちた。
「……嫌な女だな、アタシって……」
何より願うのはショウの幸せ。姉として、幼馴染として、それは心の底から願っている。
だが。
だが、素直に割り切れないのもまた事実。
「しょーちゃん…………無事に帰ってきてね」
誰に告げるでもない呟きは、リビングの静かな空気の中に溶けて消えた。
◆◆◆
旧横浜市汚染エリア。通称「ヨコハマ遺跡」。
21世紀初期には370万人以上の人口を誇ったこの街も、今では【インビジリアン】以外の生物は棲むこともできない死の街と化した。
だが、かつて370万人以上の人々が住んでいたのは事実であり、それだけの数の人々を支えた膨大な物資が、今現在も眠っている場所である。
もちろん、経年によって使えなくなっている物資も数多いだろう。だが、それでもリサイクル可能な物資も少なくはなく、まさに現代の「宝島」と呼ぶに相応しい場所だ。
「ヨコハマ遺跡」の外周部は既に発掘し尽くされているに等しいが、それでも奥地──かつての横浜市中央部付近──にはまだまだ膨大な物資が埋もれている。
しかし、「ヨコハマ遺跡」の奥地に行くほど、いや、汚染エリアと呼ばれる場所はどこも中央部ほど【インビジリアン】の数も多くなり、強大な個体も増える傾向にある。
外周部などでは比較的弱い個体群、識別名〈ゴブリン〉が数多く見受けられる。
これは子供ほどの大きさの【インビジリアン】であり、子供が変異した存在であるとか、別の個体群の幼生であるとか様々な説があるが、正確なところは分かっていない。
そもそも、【インビジリアン】の生態の大部分がいまだに不解明なのだ。
これには人類が激減したことで専門家の数も減ったこと、研究するための設備・施設が限られていること、研究するためのサンプル採取が難しいことなどの理由が上げられる。
何を栄養源としているのか、繁殖はするのか、知能はどれほどなのかなど、ほとんど分かっていないのが現状である。
いまだ未知なる外敵と呼べる【インビジリアン】。その危険を払いのけ、掻い潜って必要な物資を引き揚げるのが、発掘者の仕事なのだ。
「さて、用意はいいか?」
「ええ、いつでも」
「ヨコハマ遺跡」の外周部、崩れ落ちた瓦礫の陰にトラックを隠したショウとキャロラインは、ライフルを構えつつ「ヨコハマ遺跡」の奥へと向かう。
二人が用いるのは、7.62ミリ弾を使用するアサルト・ライフルで、カワサキ・シェルターに存在する銃器工房「天使の館」が作り出した、〈獰猛なる翼〉という名称のライフルである。
店主の趣味が偏っているのか、「天使の館」が世に送り出す銃器の名前は少々変わったものばかりだ。
アサルト・ライフルの〈獰猛なる翼〉、〈破裂する天輪〉、〈輝く浮雲〉、SMGの〈舞い散る聖羽〉、〈天翔ける恋心〉、狙撃銃の〈遥かなる理想郷〉、〈天獄〉などなど、どれもこれも妙なこだわりを見せている。
だが、「天使の館」製の銃器は性能・安定性共に極めて高く、カワサキ・シェルターに所属する発掘者の多くが「天使の館」製の銃器の愛用者だ。
ショウたちが使用している〈獰猛なる翼〉は、装弾数減少と弾丸自体の重量増加というデメリットを承知した上で、あえて火薬量を増やして火力を向上させたモデルであり、発掘者の間では「バトル・ライフル」という異名で呼ばれる名銃である。
強大な【インビジリアン】との戦いにおいて、高火力な銃器は必要不可欠。かといってマテリアル・ライフルのような大型の銃器は、汚染エリア内での携行と運用に問題が多い。
そこで、通常のアサルト・ライフルに補強を加え、弾丸一発一発の火薬量を増やして高火力を実現したのがこの〈獰猛なる翼〉である。
実際、この〈獰猛なる翼〉を愛用する発掘者は多い。だがそれは、それだけ【インビジリアン】が手強い敵であるという証左でもあるのだろう。
◆◆◆
二人が「ヨコハマ遺跡」へ足を踏み入れてから、既に二時間ほどが経過した。
ショウとキャロラインは防弾防疫ヘルメットを装備し、慎重に「ヨコハマ遺跡」の中を探索していく。
突入以降、【インビジリアン】との数回の戦闘を経ているが、今のところ二人に負傷はない。
加えて、他の発掘者と遭遇することもなかった。
時に見つけた発掘品を巡って発掘者同士が諍いを起こすことがある。最悪の場合、発掘者同士で戦闘になる場合もあるのだ。
各シェルターでは、かつての国が定めた法律を一部改訂しつつも、ほぼ流用している場合が多い。
カワサキ・シェルターでは旧日本国の法律をほぼ適用している。旧法律と明確に違うのは、銃器や刃物の所持が認められていることだろうか。
しかし、それはあくまでもシェルターの影響範囲のみ。汚染エリアや、シェルターの影響が及ばない区域── 一般に「荒野」と呼ばれる──は、まさに無法地帯である。
そのため、汚染エリアや荒野で殺人を犯したとしても、それが罪に問われることはない。
見知らぬ発掘者は、時に【インビジリアン】以上に厄介な敵になる場合もあるのだ。
それを熟知しているショウたちは、【インビジリアン】以上に他の発掘者たちを警戒しながら進む。
キャロラインのような女性発掘者は珍しく、荒野で女性は「獲物」とみなされる場合も多い。実際、これまでに何度もキャロラインを「獲物」と認定した発掘者に襲われたことがあり、二人はその高い戦闘技術でこれらの悪漢たちを時に払いのけ、時には逃亡して難を逃れてきたのだ。
「この辺りはあらかた発掘し尽くされているな」
「そのようね」
崩れかけたビルから外へと出た二人は、やや肩を落としつつ言葉を交わす。
先ほどまで二人が発掘していたビルは、既に他の発掘者たちが荒らした後だった。目ぼしい物資は全て持ち去られていて、残っていたのは壁に無数に穿たれた銃弾痕と【インビジリアン】だったと思われる残骸のみ。
【インビジリアン】は死後、早急に体が腐食する。三時間もあれば原形を留めないほどに腐り果てるのだ。
この急速な腐食現象が、【インビジリアン】の生態解明を妨げている大きな要因の一つでもある。
「【インビジリアン】が腐食した形跡はあったけど、【ブルーパウダー】は残されていなかったな」
「おそらく、死後かなりの時間が経過したのでしょうね。もしくは、早々に誰かが【ブルーパウダー】を回収したのかも」
「あり得るな」
【ブルーパウダー】。それは【インビジリアン】が腐食した後に残る、さらさらとした青白い粉末状の物質のことである。
数多くの【インビジリアン】が群れて棲息する、「巣穴」と呼ばれる場所でも【ブルーパウダー】は発見されるため、この粉末は【インビジリアン】にとっての垢のようなものではないかと考えられている。
また、時に積滞した【ブルーパウダー】の中から【クリスタ】が見つかることがあり、【クリスタ】は【ブルーパウダー】が結晶化したものであると考える研究者も数多い。
そして何より、この【ブルーパウダー】は銃器に必須の火薬の原料としても使われる。そのため、発掘者は【ブルーパウダー】を回収して、シェルターの銃器業者へと売るのだ。
「この辺りはおそらくどこも似たようなものでしょうね。どうする? もうちょっと奥へと行ってみる?」
「そうだな……今日はまだ目ぼしい発掘品も見つかっていないし、もう少しだけ奥へ行ってみるか」
「All right」
恋人の提案に、キャロラインはヘルメットの中でにこやかに笑った。
◆◆◆
自宅リビングのソファでごろごろとしていたアイナは、左手首に装着したマルチデバイスから響く着信を告げるメロディで飛び起きた。
響いたメロディが、危急の際に鳴るように設定したものだったからだ。
「はい! こちらアイナです!」
『おう、アイナか!』
「お義父さんっ!?」
マルチデバイス──21世紀初期に普及したスマートフォンから進化した、今の時代の個人用連絡端末の総称である。
『非番のところ悪いが急患だ! 昨日発掘から戻った発掘者の一人に、感染の兆候が現れたので、至急処置を頼む! すぐに迎えの車両を回すから準備してくれ!』
「うん、わかった!」
通信を切断したアイナは、すぐに自室へと駆け込んで出かける準備をする。
そして、最低限の準備を整え終わると同時に、来客を告げるインターフォンが鳴る。
「ニシカワ博士! フィッシャーマン代表の命によりお迎えに上がりました!」
「ご苦労様! それで感染者は?」
「シェルター外周部の隔離施設です」
「わかりました! 急行してください!」
最低限のメイクを施して部屋着の上から白衣を羽織り、防疫キットを始めとした医療器具を詰め込んだ鞄を抱えながら、アイナは自宅前に停車してあった車両に乗り込んだ。
◆◆◆
二人は更に一時間ほど、「ヨコハマ遺跡」を探索した。
今、彼らがいる現在地は、旧横浜市役所にかなり近い。
【パンデミック】以前、横浜市の文化・経済の中心であった市役所とその周辺エリアも、今では崩れ落ちたビルが立ち並ぶ廃墟でしかない。
以前は多くの住民が利用していたアトリウムも、市民の足であったみなとみらい線の馬車道駅も、今では動くもののない無人地帯へと変わり果てた。
今、このエリアをうろつくのは【インビジリアン】のみ。人も犬も猫もスズメもカラスも、かつてこの街にいた生き物は全て消え去った。
そんな廃墟の中を、ショウとキャロラインは歩いていた。
「トラックから随分と離れちゃったわね。そろそろ戻らないと、明るい内にシェルターに戻れなくなるわよ?」
「そうだな……残念だが、今日の発掘は空振りか」
「遺跡」での発掘が常に成功するわけではない。【パンデミック】が発生してから既に10年以上が経過しているのだから、見つけやすい資源はほぼ発掘し尽くされている。
それでも、かつての大都市に眠る資源は完全に尽きてはいない。より多くの【インビジリアン】が棲息する「遺跡」の奥部には、まだまだ未発見の資源が眠っているのだ。
本日、ショウたちが見つけたものは僅かな【ブルーパウダー】だけ。シェルター運営部から期待されていた【クリスタ】は言うに及ばず、高額で売れそうな資源も見つけられてはいなかった。
「発掘者をしていればこういう時もある、か」
「っていうか、こういう時の方が圧倒的に多いのよねぇ」
疲れたようなショウの呟きに、キャロラインが答える。
発掘の成功率は良くて三割。それ以外の七割は、引き揚げた発掘品の売り上げよりも準備に投資した費用の方が上回る、いわゆる「赤字」となるのがこの業界の常なのだ。
それでも、発掘者を続ける者は多い。理由は個人個人それぞれだが、最も一般的な理由はやはり「一攫千金」だろうか。
危険を乗り越えたその先に、莫大なお宝が眠っている──そう考える者は多く、そして実際にそれを実現させた者もごくわずかながら存在するのだ。
「じゃあ、今日は諦めて戻る?」
「そうだな……いや、待ってくれ」
諦めかけたその時、ショウの目にとあるモノが映り込んだ。