発掘者 ──サルベイジャー──
【箱舟】が飛来し、【パンデミック】が発生したことによって、人類は急激にその数を減らした。
未知のウイルスの蔓延と、それに伴う異形の怪物の発生。そして、それが原因となった世界規模なパニック。
他にも関連して発生した様々な問題の結果、各地の政府などの行政機関は瞬く間に機能不全となり、国という枠組みが崩壊するまでそれほど長い時間はかからなかった。
具体的には、【パンデミック】の発生から2年と経つことなく、地球上からほとんどの「国」というものが消滅したのである。
◆◆◆
【パンデミック】の発生から、天気予報はより重要なものとなった。
大気中に僅かに漂う【インビジブル】。空気感染力が弱いとはいえ、空気中の【インビジブル】は決して無ではない。
時に、通常よりも高い濃度で【インビジブル】が漂うこともあり、その際は大気がうっすらと青白く色づく。
この大気の状態は【ブルーミスト】と呼ばれ、防疫マスクや防疫ヘルメットを装備せずに野外へ出ると、感染の危険性が爆発的に高まる。
また、降雨時も大気中の【インビジブル】が雨と共に地に落ち、靴などに付着した【インビジブル】が家屋の中へと侵入することによって、感染する可能性が高くなる。
そのため、雨天や【ブルーミスト】の発生時は、屋外へは出ないのがこの時代の常識となっていた。
だが、今日はよく晴れている。屋外へ出るには最適な状況と言えるだろう。
「晴れて良かったわね、ショウ」
「そうだな」
大型のトラックに食料や弾薬などの必要物資を積み込んでいるショウにそう声をかけたのは、彼よりやや年上の女性だった。
165センチはあるであろう身長と、すらりとした体形。それでいて女性らしい曲線に恵まれたボディラインを、防弾防刃仕様のツナギの内側に押し込み、その上にショウと同じ都市迷彩の防弾ジャケットを着込んでいる。
ふわりとしたウェーブミディアムの金髪と青い瞳。東洋人にはあり得ない色素の薄い皮膚の色は、明らかに西洋人のそれ。
既に国という枠組みが崩壊して久しく、【パンデミック】という未知の危機を乗り越えるため、人々は人種の壁を乗り越えて手を組むことを余儀なくされた。
当時、日本と呼ばれた国にも数多くの外国籍の者たちが暮らしていたが、彼らは母国に帰る手段を失い、現地に残って他の人々と協力するしか生き延びる手段はなかったである。
キャロラインという名前のこの女性もまた、故郷へと帰る手段を失い、この地に根付いた者の一人である。
もっとも、彼女は3年ほど前にここ──旧川崎市の跡地に築かれた集落であるカワサキ・シェルターに、どこからともなくふらりと流れて来たのだが。
最初こそシェルターの住民たちに警戒されたものの、その整った美貌と人懐っこい性格から、あっという間にここの住民に溶け込んでしまった。
また、発掘者としての実力も高く、今ではカワサキ・シェルターに住む発掘者の中では上位実力者として名が知られている。
そして、2年前にショウと一緒に発掘に出かけたことが切っ掛けとなり、以来二人は発掘者としてのパートナーであり、恋人同士という間柄でもあった。
◇◇◇
発掘者。
それは廃墟と化した旧都市などに埋もれた各種資源を、危険を掻い潜りながら発掘する者たちのことである。
【パンデミック】が発生し、国という枠組みが崩れた時。人々は生き残るため、近隣の住人同士で協力することを余儀なくされた。
支援や救助のあてもなく、身を守る十分な手段もない一般の人々にとって、たとえそれが昨日まで憎み合っていた相手であろうとも、そうするしかなかったのである。
もちろん、様々な問題が浮き上がった。民族や人種による壁、宗教上の生活習慣など、人が集まればそれだけ問題も多くなっていく。
それでも人々は群れ、新たな生活圏を築き上げることで、何とか【パンデミック】を生き延びた。
群れて数が増えると、【インビジブル】への感染リスクは当然高くなる。それでも、人々は群れることでしか未知の脅威へと立ち向かう術を持たなかったのだ。
後に、生き残った人々が集まり、新たに築き上げた生活エリアは、「シェルター」と呼ばれるようになっていく。
中には群れることをよしとせず、単独、もしくはごく少数で行動することを選んだ者もいた。
だが肉食動物にとって、群れから逸れた草食動物ほど恰好の獲物はない。
群れることを拒否した者たちは、各個撃破よろしく【インビジリアン】、もしくは他の「外敵」に狙われて長く生きながらえた者はほとんどいなかった。
だが、群れることを選択した者たちにも、次なる試練が待っていた。それは、生きていくために必要な物資の調達である。
食料、衣料、医薬品などの、どうしても生活に必要な物資の調達。自分たちで製造・生産できるものはいいが、そうはいかない物の方が多いのは自明の理。
よって、人々は必要な物資を「存在する場所」から引き揚げることを選択した。
すなわち、かつての都市や町といった生活圏へ赴き、そこに取り残された物資を引き揚げるのである。
【パンデミック】以前に人口が集中していた都市部ほど、【インビジブル】への感染が多発し、【インビジリアン】の発生件数も多かった。
【インビジリアン】が増えれば、それだけ周囲の環境も汚染されていく。そして、汚染エリアが広がれば【インビジリアン】の数も更に増えていく。
この悪循環の結果、かつての人類繁栄の象徴たる大都市は、数多くの【インビジリアン】が徘徊し、感染リスクも高い究めて危険なエリアへと変貌したのだ。
そんな場所へと赴き、生活に必要な物資を調達する。当然、簡単にできるわけがない。それでも、そうしないと生き残ることはできない。
元警察官、元自衛官、元軍人などの戦う術を持つ者たちが中心となり、物資調達の決死隊が編制されこの危険な行為に挑むことになったのだ。
警察署や銃砲店、もしくは自衛隊の駐屯地などから銃器類などを調達できたシェルターの人々は、まだマシだっただろう。
警察署や駐屯地から離れた場所に築かれたシェルターでは、銃器などはまず手に入れることができなかった。そのため武器と言っても鉄パイプや包丁、ナイフといった程度しかなく、中には適当な角材や木材の先端を削って即席の槍として活用した場合もあったほどだ。
それでも、編成された決死隊は危険な旧都市部へと赴いた。家族や大切な人々と共に生き残るため、必要な物資を調達するために。
後に、この危険な行為を自主的・専門的に行う者たちが現れるようになる。
各種の危険を承知の上で、もしくは好き好んで危険なエリアへと足を向ける無謀な者たち。
そんな彼らのことを、尊敬と畏怖、そして若干の侮蔑を込めて、いつしか発掘者と呼ぶようになったのである。
◆◆◆
かつて川崎市と呼ばれた都市の跡地に築かれたカワサキ・シェルター。
東京、横浜といったかつての大都市に近隣するため、【パンデミック】後に築かれたシェルターの中では、大規模な部類に含まれる。
初期の頃はこの地も他の都市部と同様に、数多くの【インビジリアン】が溢れていた。
だが、故郷に帰る手段を失い、この地に取り残された米軍ヨコスカ・ベースに所属していた元米国軍人と、同じく横須賀に存在した海上自衛隊・横須賀地方総監部に所属の元自衛官たちが中心となって、この地から【インビジリアン】を駆逐することに成功したのだ。
これには横須賀に存在した二つの基地から、豊富な武器弾薬を確保できたことが大きな要因となった。また、軍人、自衛官など戦う心得を持った者たちが多数存在したことも要因のひとつだろう。
更には、湾岸部に工業地帯が存在していたこともあり、各工場の設備とそこに備蓄されていた豊富な資源を用いて様々な工業製品を作り出すことも可能だった。
東京・横浜という関東二大都市に隣接していることで、双方の都市から様々な資源を引き揚げることが比較的容易にできたのも大きい。
もちろん、【インビジリアン】を駆逐できても、旧川崎市が汚染エリアであることに違いはなく、シェルターが建設され、正常に稼働するまでには相当な苦労があったのは言うまでもない。
【箱舟】の飛来から10年以上が経過した現在のカワサキ・シェルターとのその周辺は、汚染もほぼ除去されており、かつて関東と呼ばれたエリアに点在するシェルターの中でも、トップクラスの安全性を誇るシェルターとなっている。
「さて、ショウ。準備はいい?」
「問題なしだ、キャロル」
発掘に必要な武器や物資の積み込みを終えたショウとキャロラインは、トラックの運転席へと乗り込む。
「カワサキ・シェルターの首脳陣からのオーダーは?」
ハンドルを握ったキャロラインが、ナビ・シートのショウに問う。
「親父……いや、フィッシャーマン代表からのオーダーでは、とにかく結晶体──【クリスタ】が欲しいそうだ。それもできる限り数多くとの注文だな」
「【クリスタ】ねぇ。あれ、そう簡単に見つからないのよねぇ……」
ハンドルに顎を乗せ、ふうと大きな息を吐くキャロライン。
【クリスタ】とは、【インビジリアン】が数多く生息する汚染エリアで見つかる青白い結晶体のことをいう。
この謎の結晶体は、特定の振動を与えることで発電するという性質を持つ。
クリスタがどうやって成形されるのかは、定かではない。だが、【インビジリアン】が棲息する汚染エリアでしか発見されないことから何らかの関連性が疑われているが、詳細はいまだ不明のままである。
だが、この青白い結晶体が現在のシェルター運営に欠かせないエネルギー源であることは間違いなく、汚染エリアへと向かう発掘者たちの大きな目標のひとつとなっている。
だが、その発見数は多くはなく、一つでも発見すればシェルター運営部が高額で買い取ってくれる。それもまた、発掘者たちが【クリスタ】を探す理由の一つだろう。
【パンデミック】を経た今でも、生きるために貨幣が必要なのは変わっていない。もっとも、現在では紙幣やコインが用いられることはほとんどなく、オンラインマネーが一般的である。
関東圏で用いられる貨幣単位は「新円」。だが、関東圏以外ではまた別の貨幣単位が用いられることもあり──例えば、旧名古屋エリアに存在するキヨス・シェルターでは、「ダガネ」という貨幣単位が用いられている──、遠隔地同士のシェルター間の交易が盛んに行われない理由の一つとなっていた。
「他にはガラス、ペットボトル、段ボールなどの紙類や各種金属類……リサイクル可能な資源は可能な限り持ち帰って欲しいそうだ」
「りょーかい。ともかく、頑張って資源を探すとしましょうか」
改めてハンドルを握り直したキャロラインは、トラックのアクセルを踏み込んだ。
ガソリンが手に入らなくなった現在では、電気駆動の自動車が主流である。
アクセルによって強制的な労働を命じられたモーターが、トラックをゆっくりと加速させていく。
「今日の目的地はヨコハマ・ダンジョンでいいのよね?」
「ああ。それで間違いない」
ショウの言葉に、キャロラインはハンドル操作で応える。
二人が乗るトラックは、その進路をかつて横浜と呼ばれ、現在ではヨコハマ遺跡、もしくはヨコハマ・ダンジョンと呼ばれる汚染エリアへとその進路を向けた。
今日のこの発掘が、アリサワ・ショウの運命を大きく揺り動かすことになるのだが、そのことを当人はまだ知ることはなかった。