結晶体(クリスタ)
「さすがは私の〈粉砕くん〉、最高にカッコいい……っ!!」
着地したフタバは、〈アラクネ〉の体液が滴る巨大ハンマー──フタバはこのハンマーを〈粉砕くん〉と改めて命名していた──を、勝利を告げる勝鬨のごとく高々と掲げた。
そこへ、イチカと合流したショウもやって来る。
「大丈夫か、フタバ? あまり無茶なことは…………って、おいぃっ!!」
ショウは現在のフタバの姿を見て、天を仰ぎながらヘルメットの上から片手で両目を覆い、呆れたように肩を落とした。
〈アラクネ・ベイビー〉の腐食性毒液に侵された戦闘用のジャケットとツナギを、既に脱ぎ捨てていたフタバ。
丈の短いタンクトップ状のインナーとショーツのみという、とても他者の目には触れさせられない姿だった彼女だが、その最後のインナー類も腐食毒液の影響で強度が下がっていたらしい。
そんな状態で激しく動けば、インナーの強度も限界を迎えるわけで。
気づけば、フタバの体を守っていた最後の砦も完全に陥落していた。
すなわち。
今の彼女の姿は、真っ裸とかすっぽんぽんとか……要は全裸だったのだ。
そんなフタバに、ショウは着ていたジャケットを脱いで放り投げる。
「とりあえずそれでも着ていろ。下半身は……何かタオルでも巻いておくしかないか」
ショウの戦闘用ジャケットの丈は短めだ。長身のフタバがそのジャケットを着ても、下半身までは隠せない。
「駄目よ、フタバ。あまり下品な恰好をしていると、我らの主人であるショウ様の品性が疑われてしまうわ」
「そうだな。気をつけるとしよう」
ショウから借りたジャケットを着て、下半身にはタオルを巻き付けたフタバは素直に頷いた。
◆◆◆
「しかし、まさかソレが役立つ時が本当に来るとは思わなかったよ」
と、ショウの目が向けられたのは、フタバが手にする巨大ハンマー──フタバ命名による〈粉砕くん〉だ。
あまりにも巨大なために持ち歩くわけにもいかず、かと言って家に置いたままにするのはフタバが許さず。
結果、この巨大ハンマーは《ベヒィモス》の車内に積むだけ積まれていたのである。
とはいえ、このハンマーが実際に使われるとはショウも思ってはいなかった。
「当然だ。私の〈粉砕くん〉が役に立たないわけがない」
巨大ハンマー──〈粉砕くん〉を肩に担ぎ、どうだとばかりに胸を張るフタバ。
だが、上半身だけをジャケットで覆い、下半身はタオルのみという今の姿は、何かいろいろと突き抜け過ぎてコミカルでしかないが。
「それより、体の方は大丈夫なのか?」
「確かに機能は低下しているが、動けないほどじゃない」
「でも、少しでも早く修理をした方がいいわ。ミサキ、悪いけどもう一度、《ベヒィモス》を停めていた場所まで戻って、整備ユニットを運んできてくれる?」
「はーい、分っかりましたー!」
現在、〈アラクネ〉との戦闘を想定していたため、牽引していた整備ユニットは先ほどまで《ベヒィモス》を停めていた場所に置き去りにされている。
整備ユニットには自走能力はないので、《ベヒィモス》本体で整備ユニットが置いてある場所まで戻り、再度連結する必要があるのだ。
整備ユニットには《ジョカ》用の修理・メンテナンスポッドが二基搭載されており、それを使えばフタバを修理することもできる。
「じゃあ、ミサキが整備ユニットを取りに行っている間、俺たちは〈アラクネ〉の塒を調査しておくか」
「承知しました、ショウ様」
「じゃあ、ボクは行きますけど、フタバ姉さまは無理をしないでくださいねー」
「ああ、分かっているとも」
こうして、ミサキは《ベヒィモス》と共にショウの傍を離れ、残った三人は〈アラクネ〉の巣となっていた工場の捜索を開始した。
◆◆◆
「イチカ、その糸はサンプルとして回収しておいてくれ。カワサキ・シェルターに戻ったら、親父にイチカが録画した〈アラクネ〉の映像と一緒に提出する」
「承知しました」
ショウたちはまず、〈アラクネ〉の巣となっていた倉庫の捜索から始めた。
倉庫内をびっしりと覆う、〈アラクネ〉の糸。〈アラクネ〉の体自体は既に崩れ始めているが、糸の方はその限りではないようだ。
イチカはナイフで糸の一部を切断し、保存用の容器に入れていく。
この保存用容器は、本来発掘品を保管するために用いられる物だ。
発掘品の中には傷つきやすい物や壊れやすい物もあるので、そういう発掘品を無事にシェルターまで持ち帰る際に使うのである。
だが、時には今回のような使われ方もする。
【インビジリアン】の生体サンプルは採取が難しい。そのため、貴重な生体サンプルはどのシェルターでも高く買い取ってくれるのだ。
「糸は一部だけでよろしいのですか?」
「ああ、保存容器の数にも限りがあるからな。必要であれば、また取りに来るさ」
「その時には、既に他の発掘者に荒らされているかもしれないぞ?」
フタバの質問に、ショウは「その時はその時さ」と肩を竦めて答えた。
最近のショウは、装甲車やレザージャケットなど、連続で発掘に成功している。倉庫内に張られた〈アラクネ〉の糸を全て回収してカワサキ・シェルターに提出すれば、今回の発掘も大成功と言えるだろう。
だが、あまりにも稼ぎが大きくなりすぎれば、不要な恨みやひがみ、嫉妬などを生みかねない。
ショウはシェルター代表であるウイリアムの家族であり、カワサキの上層部にも顔見知りが多い。そのため、シェルターの影響が及ぶ範囲であれば、それなりに安全を確保できる。
だが、荒野や遺跡においてはその限りではないのだ。恨みや嫉妬にかられたろくでもない連中が、シェルターの外でショウたちに要らぬちょっかいをかけてくる可能性は捨てきれないのだ。
とはいえ、この糸とこの場所のことを、ショウ自身の口から公表するつもりもない。他の発掘者が偶然ここを見つければそれまでだが、そうでなければ少しずつカワサキに持ち帰るつもりである。
もしもカワサキ・シェルターの上層部がこの糸の回収を望むのであれば、その時はウイリアムが主導で大々的な回収部隊が派遣されるか、発掘者全体に回収依頼が出されるかだろう。
「さて、糸はそれでいいとして、他に回収できるものがあるかもしれない。探索を続けるぞ」
「承知しました、ショウ様」
「イエス、マスター」
ショウの指示に従い、イチカとフタバは倉庫内を詳しく捜索し始めた。
◆◆◆
倉庫内の床には、【ブルーパウダー】が散乱している。これもまた、集めればちょっとした稼ぎになるだろう。
片隅の清掃道具が収められたロッカーの中にまだ使えそうな箒を見つけたショウは、それを使って床の【ブルーパウダー】をかき集めていく。
【インビジリアン】の「巣穴」ではよく【ブルーパウダー】が見つかるが、これだけの量はなかなかない。
それだけ、あの〈アラクネ〉は長い期間ここに巣くっていたのだろう。
更には、この巣に足を踏み入れた哀れな発掘者たちの遺留品もいくつか発見できた。見つかったのは錆びついた銃器や防具の残骸などで、金銭的価値のある物ではなさそうだ。
だが、これらの遺留品が誰の物だったのかは分かるかもしれないため、汚染エリアなどで見つけた遺留品は、回収してシェルターに提出するのが発掘屋たちの間では暗黙の了解となっている。
ショウもその流儀に倣い、遺留品の回収をフタバへと命じた。
「ん? 何だ、あれは?」
その後も探索を続けていると、倉庫の隅に大量の【ブルーパウダー】が堆積していることに気づいた。
倉庫内に残っていたロッカーや棚で死角になっていたため、今まで気づかなかったようだ。
「【ブルーパウダー】の堆積……? もしかして……」
とある噂を思い出したショウは、まだ持っていた箒で積もり上がった【ブルーパウダー】を慎重に崩していく。
すると、以前に聞いた噂の通りの物が、堆積していた【ブルーパウダー】の中から転がり出てきた。
「く、【クリスタ】……っ!!」
それを発見したショウは、ヘルメットの奥で目を大きく見開いた。
◆◆◆
各シェルターでは、基本的に太陽光発電を用いて電気を得ている。
だが、人口の多いシェルターでは、太陽光発電のみではどうしても必要量の電気を賄いきれない。
そこで、【クリスタ】から電力を得るのだ。
【クリスタ】は、特定の振動を与えると発電する性質を持つ。
その原理はいまだ不明だが、それでもこの謎の結晶体が、各シェルターにおいて貴重なエネルギー資源であることに変わりはない。
「こ、こんな大きさの【クリスタ】は初めて見たぞ……」
これまで発見されてきた【クリスタ】は、大きな物でも鶏卵ぐらいの大きさであり、他はウズラの卵ぐらいの大きさか、それより小さな物が圧倒的に多い。
実際、ショウも何個か【クリスタ】を発見したことがあるが、全てウズラの卵よりも小さなサイズばかりだった。
しかし、今発見した【クリスタ】は、鶏卵の倍ほどの大きさがある。
「こいつは…………大発見だな……」
「いいのか、マスター? 先ほどは発掘の成果を制限するとか言っていたはずだが?」
「確かにそのつもりだったが、こいつを見つけた以上はそうも言っていられないだろ? これだけの大きさの【クリスタ】なら、カワサキ・シェルターの電力事情が相当好転するはずだ」
ショウはウイリアムから、カワサキ・シェルターが万年電力不足であることを聞いている。いや、電力の確保はどのシェルターでも死活問題であり、大抵のシェルターは電気不足に喘いでいる状態だ。
「同業者たちからはやっかみを受けるかもしれないが、それは覚悟しておこう。まあ、単なるやっかみ程度なら、中和する方法もないことはない」
ショウたちがそんなことを話していると、倉庫の外から水素エンジンの音が聞こえてきた。どうやらミサキが戻って来たらしい。
「イチカ、《ベヒィモス》には【クリスタ】用の保存ケースが積んであったはずだ。それにこの【クリスタ】を入れておいてくれ。フタバはすぐに修理をすること。ついでだから、イチカもメンテと充電をしておくように」
【クリスタ】は一定の振動を与えると発電する性質を持つため、運搬の際は振動の影響を受けづらい専用の保存ケースに入れるのが発掘者のセオリーである。
そのため、発掘者たちは発掘に向かう際には一つか二つ、【クリスタ】用の保存ケースを持参するのが常なのだ。
過去、小さな【クリスタ】を発見したものの、専用ケースを持っていなかったために、そのままシェルターへと持ち帰ろうとした発掘者がいた。
だが運が悪いことに、車両のエンジンの振動が発見した【クリスタ】が反応する振動と重なってしまい、帰還途中に少しずつ【クリスタ】が放電、結果シェルターに辿り着いた時には全て放電した後だった、なんてことが実際にあったらしい。
「承知しました。では、フタバと共に先にメンテナンスと充電を行います」
「イエス、マスター」
《ベヒィモス》に積んである修理・メンテナンス用カプセルは二基。今回は急ぎ修理を受ける必要のあるフタバと、帰路で索敵を行う必要があるイチカにカプセルに入ってもらうことにした。
ショウやイチカも、ミサキほどの技術はなくても《ベヒィモス》を運転することはできるので、ミサキはカワサキに戻る間にメンテナンスを行う予定である。
「たっだいま戻りましたー! って、あれ? 何かありました?」
ショウたちの様子がどこかおかしいことに気づいたミサキが、こてんと首を傾げていた。
◆◆◆
「おまえら、よく聞け! 今日、この店に居合わせた奴は幸運だ! なんせ、今日は全てショウの奢りだからな!」
発掘者たちが集まる酒場、「冒険者ギルド」。そこの店主である「ギルドマスター」が、店にいた発掘者たちに向けて叫んだ。
途端、店内に沸き起こる歓声。
「おう、ショウ、ゴチになるぜ!」
「ショウさん、あざっす! ゴチっす!」
「やっぱ、他人の金で飲む酒は最高だな!」
「最近、絶好調だな、ショウのやつ」
「ああ。あの新しい姉ちゃんたちと組んでから、成功続きだよな」
「ちくしょー! 俺もあやかりてー!」
店内にいた発掘者たちは、口々に好き勝手なことを言い合っている。
ショウに好意的に接する者もいれば、そうじゃない者もいる。だが、好意的ではなくても、悪意にまでは至っていないようだ。
連続で発掘を成功させたショウに対し、確かにやっかみや嫉妬を覚える者もいるだろう。だが、こうしてその「お裾分け」をもらったことで、そんな感情も希薄になる。
これこそが、ショウが考えていた「やっかみの中和方法」だった。誰しも食事や酒を振る舞ってもらえれば、悪い感情は抱かないものだからだ。
「冒険者ギルド」のボックス席の一つを陣取るショウたち。
ショウとイチカたち四人に加え、アイナもこの場に参加している。
「アタシまでご馳走してもらっちゃって、良かった?」
「ああ。いつもアイナには食事を作ってもらっているからな。たまには俺の方で奢るぐらいはさせてくれ」
「えへへ。じゃあ、今日はしょーちゃんの好意に甘えちゃおっかなー」
ショウの隣に腰を落ち着けさせ、甘めのカクテルをちびちびと舐めるアイナはご機嫌だ。
そんな彼女の様子に、イチカたち三人も微笑んでいる。
「できれば、オヤジやアニキたちも誘いたかったが……」
「みんな忙しいから、仕方ないねー」
ここカワサキ・シェルターの代表であるウイリアムは、ショウがもたらした大型【クリスタ】に狂喜乱舞し、早速首脳陣を集めて今後の電力事情についての会議を始めた。
今現在、その会議はまだ続いているという。
ショウたちの義兄の一人である。ドウモト・コウスケも電子・通信部門の主任という立場上その会議に参加しているし、もう一人の義兄であるササキ・トウマは本日の勤務時間が夜間ということで参加できなかった。
「まあ、アニキたちには何か差し入れをしておこう」
「そだね。それがいいね」
と、アイナはにっこりと微笑む。
この時、イチカだけは気づいていた。
仲良く会話しているショウとアイナの距離が、自宅にいる時よりもちょっとだけ近いことに。
そして、そのことに気づいたイチカは、あえてそれには触れないでおいたのだった。




