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女王蜘蛛との交戦

 おそらく、この〈アラクネ〉の糸には各種センサーをジャミングする成分が含まれているのだろう。

 その糸が倉庫内をびっしりと覆い尽くした結果、イチカのセンサーでも内部を感知することができなかったと推測される。

 逆に、〈アラクネ〉はショウたちの接近に気づいていた。

 地面を伝わる震動か、それとも彼らの匂いか。詳細は不明だが、〈アラクネ〉は確かにショウたちに気づいていたのだ。

 その結果。

 フタバが倉庫の扉を強引にこじ開けると同時に、倉庫の中央で蹲るようにしていた〈アラクネ〉が起き上がった。

 巨体の各部から燐光を宿す粒子を吐き出し、無数の複眼に明らかな殺意の光を宿して。

 同時に、倉庫のあちこちに産み付けられていた卵が、一斉に孵化を始めた。

 ぱきり、ぱきりという硬質なモノが砕ける音が響くと同時に、卵の中から小さな〈アラクネ〉が這い出してくる。

 その数は、優に三十を超えていた。


◇◇◇


「あ、〈アラクネ〉……だと……?」

 ショウも、〈アラクネ〉という識別名(コードネーム)を持つ巨大【インビジリアン】のことは知っていたし、過去に何度か遭遇し、討伐したことさえある。

 だが、目の前の〈アラクネ〉は明らかに違った。

 これまで数回遭遇した〈アラクネ〉は、小型のバスほどの大きさだった。体色も他の【インビジリアン】同様に青白い。

 だが、目の前の〈アラクネ〉は大型バスよりも二回りは大きく、体色も暗いオレンジである。

 間違いなく、この〈アラクネ〉は新種か変異種だろう。

 生態がほぼ未知である【インビジリアン】だが、時に特異な新種や変異種と思しき個体が現れることは最初期から知られている。

 この〈アラクネ〉の糸にセンサーをジャミングする成分が含まれていたのも、新種か変異種だとすれば納得できる。

「下がれ、マスター!」

 思わず呆然としていたショウの耳に、フタバの鋭い声が響いた。

 気づけば、孵化したばかりの〈アラクネ・ベイビー〉がかなり近づいている。「ベイビー」などと呼ばれているが、その大きさは大型犬なみ。牙も爪も鋭く、口から腐食性の毒液を吐くという凶悪な能力さえ持っている危険な【インビジリアン】である。

 フタバの指示に従い、ショウが後退すると同時に《ジョカ》たちの火器が火を噴いた。

 バトル・ライフルが吐き出す7.62mmの強装弾と、二挺のPDWから連射される弾丸が、近づこうとする〈アラクネ・ベイビー〉を次々に粉砕していく。

 もちろん、〈アラクネ・ベイビー〉も無暗に接近を繰り返しては、やられるばかりではない。

 接近が難しいと判断したのか、彼らは遠隔攻撃へと切り替えた。つまり、毒液を吐き出し始めたのだ。

「全員後退! 工場の敷地外まで下がれ!」

 ショウの指示に、全員が後退を始める。

 しかし、こちらが下がればそれだけ敵が前線を押し上げてくる。結果、彼我の距離に変化は左程現れない。

「殿は引き受ける! イチカ! ミサキ! マスターの安全を最優先だ!」

「無理はしないでね、フタバ!」

 イチカの言葉にライフルの連射で応え、フタバは敵の接近を阻む。だが、周囲に満足な遮蔽もない状況では、敵の反撃を躱すのも難しい。

 押し寄せる無数の毒液弾。毒液の直撃そのものを躱しても、地面に落下して弾けた飛沫が、フタバの全身を徐々に蝕んでいく。

 ダブルライダース風の戦闘用ジャケットも、既に所々が腐食して変色している。

 下半身を守る防弾防刃ツナギにも飛沫が被弾し、徐々に腐食が進んでいった。

 酸性の強い腐食液は、衣服を浸透してやがては皮膚までも侵すだろう。イチカたち《ジョカ》の人工皮膚といえども、長時間腐食液に触れていれば影響を受けてしまう。

 既に全身に毒液を浴び、戦闘用ジャケットやツナギのあちこちに穴が開き始めたフタバ。だが、彼女はそれでもその場に留まって射撃を続けた。


◇◇◇


 工場の敷地から抜け出し、一旦民家の中に隠れたショウは、すぐにフタバに後退するように命じた。

 逃げ込んだ民家の窓から顔を覗かせ、心配そうに工場の方を見つめるミサキ。そして、そのミサキが驚いたような声を上げた。

「どうした、ミサキ?」

「ご主人様……あ、〈アラクネ〉が……」

 ショウもミサキと同じ窓から工場を見てみれば、屋根を突き破るようにして〈アラクネ〉が棲み処にしていた倉庫から外へと出るところだった。

「フタバは大丈夫なのか……?」

「ご安心ください、ショウ様。我々《ジョカ》の体はいくらでも作り直せます。たとえこの場でフタバの体が破壊されたとしても、新たに作ればいいのです」

「だ、だが──っ!!」

 冷静に事実を、いや、いっそ冷徹にも聞こえるイチカの言葉に、ショウは思わず反論しようとする。だが、彼の反論を封じる声が割り込んだ。

「私なら無事だ。安心してくれ、マスター」

「フタバ……っ!!」

 〈アラクネ・ベイビー〉から逃げ切ったフタバが、ショウたちが隠れている民家へと入ってきた。

 だが、ショウはフタバの姿を見て言葉を失う。それほど、今のフタバはぼろぼろだったのだ。

 戦闘用のジャケットとツナギは腐食液を浴びて全身穴だらけで、下の肌が大きく露出している。

 更に、その露出している肌もほとんどが黒ずみ、どう見ても無事とは言えない状態だった。

 仮にフタバが人間であれば、全身の皮膚が焼け爛れて死んでいてもおかしくないだろう。

「済まない、マスター。折角買ってもらったのに、もう駄目にしてしまった」

 既に衣服の用さえなしていないジャケットを破り捨て、フタバは申し訳なさそうに頭を下げた。

「フタバ、他の衣服も脱ぎなさい。衣類に残っている腐食液が人工皮膚を侵食してしまうわ」

「そうだな」

 フタバはイチカの言葉に従い、その場でツナギも脱ぎ捨てた。今の彼女は丈の短いタンクトップ状のアンダーウェアとショーツのみ、という実にあられもない格好だ。

 ちなみに、どちらの色もフタバの好きな黒である。

「本当に大丈夫なのか、フタバ?」

「問題ない……と、言いたいところだが、実際は腐食液の影響で身体パフォーマンスが20%ほど低下している」

「それ、大丈夫じゃないヤツだろうっ!?」

「《ベヒィモス》に戻ればメンテナンス・カプセルで回復できるから、問題ないぞマスター」

 不安そうなショウがイチカとミサキを見れば、彼女たちは無言で頷いた。どうやら、フタバの言っていることに間違いはないらしい。

「〈アラクネ・ベイビー〉の半分ほどは潰したが、まだ十体以上は健在だ。問題があるとすれば、《ベヒィモス》まで戻れるかどうかだな」

「親玉も元気そうですしねー」

 窓から外を観察していたミサキが言う。

 〈アラクネ〉はショウたちを見失ったのか、倉庫の屋根から動いていない。おそらく、残っている〈アラクネ・ベイビー〉にショウたちを探させているのだろう。

「推測ですが、〈アラクネ〉は地面から伝わる震動でわたくしたちを感知しているのでしょう」

「つまり、このまま動かなければ〈アラクネ〉には気づかれない、と?」

「はい。ですが、このままここに隠れ続けているわけにもいきません。時間が経過すれば経過するほど、毒液の影響でフタバの身体パフォーマンスが低下していくと思われます」

 現在、フタバが浴びた腐食性の毒液は、人工皮膚を通して人工筋肉や人工神経の一部にも到達している。このまま放置すれば、彼女の身体能力はどんどん低下していくだろう。

 最悪、全身の機能が停止する可能性もある。

「移動すれば〈アラクネ〉に気づかれ、移動しなければフタバが危険な状態になる、ということか……」

「私のことなら、最悪この場に放置してくれてもいい。記憶(データ)のバックアップは常にしてあるから、後で作り直した体に記憶(データ)をダウンロードすればいいだけの話だ」

「おまえたちの体って、そんな簡単に作り直せるのか?」

 《ジョカ》たちのボディは、相当高い技術を用いて作られている。

 だが、それでも再現不可能というわけでもない。

 もちろん誰にでもできることではないが、《ジョカ》のボディを詳細に調べ上げた「鍛冶屋の頭領」──カワサキ・シェルター技術部門の主任であるサカキ・ゲンゾウは、生産性や整備性などを一切無視すれば《ジョカ》のボディを再現できると明言しているほどだ。

「それ相応の費用さえあれば、わたくしたちの体を再現することは可能かと」

「その『それ相応の費用』というのが非常に怖いから、できればおまえたちの体を作り直すのは勘弁したいものだな」

 口をへの字に曲げながら、ショウはフタバを見捨てる方針をはっきりと却下した。

「俺たち全員でカワサキに戻る。その前提で動くぞ」

 ショウのその言葉に、《ジョカ》たちはどこか嬉しそうにしながら頷いた。


◇◇◇


「〈アラクネ〉の幼体はともかく、〈アラクネ〉自体には強装弾でも厳しいと推測します」

「だろうな。過去〈アラクネ〉と交戦したことはあるが、7.62mmの強装弾がぎりぎり通用した感じだった。だが、今回は変異種らしき個体だ。7.62mm強装弾でも厳しいだろう」

「しかし、我々が携行している火器でバトル・ライフル以上の火力はないぞ、マスター?」

「分かっているさ。だから、この前購入した()()()を使おう。とはいえ、2個しかないからこいつは子蜘蛛に使う。こいつでも親蜘蛛には効果が薄いだろうからな。そして────」


◇◇◇


 ショウとイチカが、隠れていた民家から飛び出す。だが、二人の目的地はそれぞれ違う。

 先行するイチカは住宅街の脇道へと走り込み、少し遅れたショウは真っすぐに工場跡地へと向かう。

 そして、工場の屋根の上から周囲を見下ろしていた〈アラクネ〉は、哀れな獲物が隠れていた場所から飛び出したことにすぐに気づいた。

 にぃ、と笑うかのように牙を剥き出しにし、きぃぃぃぃぃ、という甲高い咆哮を上げる。

 その咆哮に応じ、周囲に散らばり獲物を探していた幼体(ベイビー)たちが、即座に集まってくる。

 さあ、狩りの始まりだ。

 〈アラクネ〉は期待に胸を躍らせた。この変異種と思しき〈アラクネ〉は、待ち構えて獲物を罠にかける、という戦術を学習していた。

 これまでも同じ手を使い、何体もの獲物……つまり、発掘に来た発掘者たちや他種の【インビジリアン】を罠にかけ、捕食してきたのだ。

 【インビジリアン】も生物であり、何らかのエネルギー補給、すなわち捕食行動をすると考えられている。

 中には、【インビジリアン】が別種の【インビジリアン】を捕食する記録も、僅かだが残されているのだ。

 研究者たちは、【インビジブル】にも複数の種類があり、どの【インビジブル】に感染するかによって、どんな感染生物(インビジリアン)へと変異するのかが決まる、と推測している。

 そして、同種以外の【インビジリアン】は捕食対象になるのでは、と研究者たちは重ねて推測していており、現在ではこの推測はほぼ正しいと考えられていた。


◇◇◇


 倉庫の内部に巣を張り、息を潜めて獲物が近づいて来るのを待ち構えていた〈アラクネ〉。久し振りに獲物が近づいてきたことで、この変異種は歓喜していた。

 その〈アラクネ〉は今、巣の天井を突き破って周囲を見下ろしている。

 最初こそ巣──倉庫の入り口から出入りできた〈アラクネ〉だが、体が大きくなりすぎた今では、倉庫から出ることさえできなかった。

 しかし、実に久しぶりに獲物が近づいてきたことで、〈アラクネ〉は歓喜のあまり巣を突き破って外へ出てしまったのだ。

 最後に獲物を喰らったのは、いつだったか。もうその記憶は忘却の彼方である。

 そもそも、そんなことを記憶できるだけの知能をこの変異種は持ち合わせてはいないのだが。

 〈アラクネ〉にあるのは、生物としての本能のみと言っても過言ではないだろう。

 獲物を喰らって飢えを満たし、更に眷属(しそん)を増やす。それは生物としては正しい行いと言ってもいい。

 そんな生物の本能に従って、〈アラクネ〉は眷属たちに狩りを始めるように命令を下したのだった。



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― 新着の感想 ―
前回はお宝を発見してウハウハのショウたちでしたが、今回の敵である新種のアラクネはヤバい奴のよう。討伐しないとシェルターまで追ってきそうですね。 誤字・脱字等の報告 特にありませんでした。 参考意見…
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