女王蜘蛛
トーキョー遺跡のシナガワ・エリアでたくさんのジャケット類を発掘してから、二週間が経過した。
カワサキ・シェルターに帰還してから、規定通りに三日間の隔離措置を受け、その後、自宅に戻ったショウたちは発見したジャケットを家族であるウイリアムやアイナ、義兄たちに分配した後。
残ったレザージャケットから更に三着をウイリアムが買い上げ、残りをシェルターが運営する買い取り機関へと売却した。その結果、レザージャケット数着分の金額は相当なものとなった。
その後、ショウたちがお宝を掘り当てたことは瞬く間に同業者間に広がり、「ゴールドラッシュ」ならぬ「レザーラッシュ」がカワサキ・シェルターの発掘者たちの間で湧き起こったのである。
このようなことは、よくあることと言えるだろう。人は誰かが大きな儲けを出せば、自分もそれに続こうと考えるものだからだ。いわゆる、「柳の下のドジョウ」狙いである。
結果、シナガワ・エリアには大勢の発掘者たちが押し寄せてレザーアイテムの発掘に従事することになる。
もちろん、ショウたちが見つけたほどのレザーアイテムが再度発見さるようなことはなく。
そもそも、シナガワ・エリアはほぼ発掘され尽くしている地域である。そんな場所で取りこぼされていた高額な発掘品が、そうそう連続で発見されるわけがない。
それでも諦め悪く、もしくは夢を追う発掘者は後を絶つことがなく、「レザーラッシュ」はしばらくの間続くこととなったのである。
◆◆◆
ショウが構えるバトル・ライフル、〈獰猛なる翼〉が連続して雄叫びを上げる。
その咆哮と共に吐き出される数十発の7.62mm強装弾が、大型バスよりも更に二回りほど大きな、蜘蛛が変異した大型【インビジリアン】──識別名〈アラクネ〉──に襲いかかるも、蜘蛛型【インビジリアン】の前では7.62mm強装弾も左程の効果は望めない。
中には外殻で弾かれる弾丸もあるほどで、〈アラクネ〉の外殻がいかに頑丈かが窺い知れるというものだ。
小さく舌打ちをして、ショウは空になった弾倉を交換する。
そして、改めて〈アラクネ〉へと銃口を向けた際、巨大蜘蛛の体表がざわりと波打っていることに気づいた。
ショウは即座に、横っ飛びで手近に転がっている瓦礫の陰へと隠れる。
それと同時に、波打つ〈アラクネ〉の体表から、硬質化した皮膚がマシンガンのように撃ち出された。
がががががが、という破砕音と共に、ショウが隠れる瓦礫がどんどんと削れていく。
身を隠している瓦礫が次々に削られ、いよいよ身を隠すのも難しくなった時。それまで連続していた破砕音が途絶えた。
【インビジブル】に感染して変異したとはいえ、【インビジリアン】も生物であることには変わりない。
体組織の一部を変質させて弾丸のように撃ち出すことはできても、永遠にそれが可能ではないのだ。どこかで必ず「息継ぎ」が必要となる。
その時を待っていたショウは、破砕音が途絶えると同時に瓦礫から飛び出して、走りながら銃口を〈アラクネ〉へと向けて引き金を絞る。
再びショウの腕の中で暴れる〈獰猛なる翼〉。瞬く間に弾倉一つ分を撃ち尽くし、再び弾倉を交換しようとした時、遠くから〈アラクネ〉とは全く違う、別の獣の雄叫びが聞こえてきた。
だが、その咆哮はショウにとっては待ちに待った福音である。咆哮を聞きつけたショウは、防弾防疫ヘルメットの中でにやりと笑みを浮かべた。
◆◆◆
「ショウ様。〈アラクネ・ベイビー〉の掃討が完了しました。現在、ミサキとフタバがそちらへと向かっております」
無線機の向こうから、イチカの声が届く。
今、イチカはショウとは別行動をしており、彼女は〈アラクネ〉の眷属である〈アラクネ・ベイビー〉の掃討を行っていたのだ。
〈アラクネ〉は単独行動を絶対にしない。必ず、周囲に眷属である〈アラクネ・ベイビー〉を引き連れて行動する。
生態があまり判明していない【インビジリアン】の中において、〈アラクネ〉は割とその生態が明らかになっている部類である。
〈アラクネ〉を始めとした昆虫やその近縁種の感染生物は、【パンデミック】最初期から発生した【インビジリアン】のひとつであった。
その理由としては、節足動物が地球上で最も多く生息する生物群であるから、と一部の研究者たちは説く。
実際、歴史上初めて記録された【インビジリアン】が、蜘蛛が変異したもの──後に〈アラクネ〉という識別名が与えられた──であることから、この説を支持する研究者は多いのだ。
そんな〈アラクネ〉は唯一、卵で繁殖することが確認されている【インビジリアン】でもある。
他の昆虫型──長虫型や甲虫型など──でも、〈アラクネ〉以外の繁殖例は確認されていない。
現状唯一、繁殖方法が確認されている〈アラクネ〉は、常に眷属にして自身の子である〈アラクネ・べイビー〉を引き攣れて活動する。そのため、〈アラクネ〉は非常に危険な【インビジリアン】の一種とされているのだ。
「数」というのは立派な力である。〈アラクネ〉単独でもその脅威度は高いのに、「数」という別の力まで備えるのだから、危険視されるのも当然だろう。
◇◇◇
時間は少し巻き戻る。
シナガワ・エリアで発生した「レザーラッシュ」。その混雑を避けるため、ショウたちは仕事場所をヨコハマ遺跡へと移した。
人が増えれば、それだけ揉め事も増えるのが道理。実際、価値の低い発掘品の所有権を巡って発掘者同士での諍いが頻発していると、「冒険者ギルド」に顔を出した際に店主であるギルドマスターから聞いたのだ。
「今、トーキョー遺跡には行かない方がいいだろうな。特にショウたちは綺麗どころが三人もいることだし、余計ないざこざを呼び込むかもしれないぞ。だから発掘に行くなら、ヨコハマの方がいいんじゃないか?」
というギルドマスターの助言に従い、ショウたちはヨコハマ遺跡を訪れた。
相変わらず静まり返った廃墟の中を、《ベヒィモス》の水素エンジンの音だけが響き渡る。
前回、ミサキが言っていたように、メカナムホイールを装備した《ベヒィモス》は、鋭角的な機動で路上の障害物を避けていく。
メカナムホイールの機動性もさることながら、それを操るミサキの操縦技術が優れているからこそ、《ベヒィモス》はこれほど的確に障害物を避けてヨコハマ遺跡の中を進んで行けるのだろう。
「イチカ、各種センサー類に反応はあるか?」
「いえ、今のところ何も反応はありません」
「よし、一度この辺りで探索してみよう。ミサキ、《ベヒィモス》をビルか何かの物陰に隠して駐めてくれ」
「はーい! 承りましたー!」
現在、ショウたちがいるのはヨコハマ遺跡の北部である。
カワサキ・シェルターから旧国道409号を一旦北上し、途中で旧国道246号へと進路を変えてヨコハマ遺跡の北部へと入った。
【パンデミック】以前、この辺りは緑豊かな緑地や公園が数多く存在した地域だが、今や【インビジブル】に感染した植物が繁茂し、多数の【インビジリアン】がうろつく危険なエリアへとなり果てた。
この緑地エリアを抜け、かつては住宅街であった旧青葉区や旧都築区が今回の探索地である。
様々な物資が集まっていたかつての都心エリアではなく住宅エリアを探索地に選んだのは、「レザーラッシュ」の影響がヨコハマ遺跡の都心エリアにも及んでいるからである。
「トーキョーにお宝が眠っていたのなら、ヨコハマにもあるんじゃね?」
そう考える者もそれなりにいたようで、最近のヨコハマ遺跡の旧都心エリアにも数多くの探索者が集まっていた。
都心エリアで他の発掘者との遭遇を避けるため、ショウたちは人気の少ない住宅エリアを選んだのだ。
もちろん、全ての発掘者が他者の成果を奪おうとする者ではない。だが、人が多く集まれば、それだけろくでもない考えを持つ者も集まりやすくなるのも事実である。
◇◇◇
ショウの指示に従い、ミサキは巧みなハンドル捌きで《ベヒィモス》の巨体を半ば崩れたビルの陰に駐車させた。
その後、車体を偽装シートで覆って目立たなくした後、ショウたちは周囲の探索を始めた。
都心エリアほどではないが、住宅エリアにも数多くの物資は眠っている。
旧青葉区や旧都築区は、手付かずのエリアという訳でもない。だが、それでも都心エリアほどは探索の手が及んでいないのも事実だ。
「つまり、ショウ様はこの辺りにはまだ資源があるとお考えなのですね?」
「ここいらはかつて、多くの人が住んでいて生活に必要な物資もそれなりに集まっていたはずだからな。もちろん経年で使い物にならなくなっている物もあるだろうが、探せばまだまだ利用可能な資源も残っているはずだ」
最近大きな稼ぎを上げたばかりだし、それほど焦って稼ぐ必要もない。赤字にならない程度に稼げればそれで十分。
そう考えて、ショウはこの住宅エリアで発掘することを決めたのだ。
だが、結果的にはそれが裏目に出た。
発掘者でさえあまり近寄らなかったこの辺りには、ショウが考えるよりも更に危険な存在が文字通り「巣」を張っていたのだから。
◇◇◇
ショウたちは数軒の住宅を探索したが、やはり目ぼしい発見はなかった。
【インビジリアン】と遭遇することもなく、ショウの気もやや緩んでいたことも事実であり。
彼らはいつの間にか、住宅エリア郊外の緑地エリアへと近づいてしまった。
緑地帯には、危険な【インビジリアン】が数多く生息している。そのため、発掘者も緑地帯にはあまり近づかない。
いつものショウであれば、そのことにもっと早く気づいていただろう。
イチカたち三人も、ショウからの指示も特になく、イチカのセンサー類にも異常がないことから、警戒こそしているものの緑地エリアの怖さまではさすがに理解していなかった。
そして、ショウたちは住宅エリアの外れにある、とある工場跡を見つけた。
住宅街とはいえ、住宅しかないわけでもない。かつては地域の規制などでいろいろと制限もあっただろうが、住宅街の外れに工場や倉庫が建っていても不思議ではないだろう。
中には工場の方が先に建てられて、後から周囲が住宅街に変わった例もあるに違いない。
今、ショウたちの目の前にある工場跡も、そんな工場だったのだろうか。
かつては何を生産していたのかまでは分からない。だが、工場であったのなら、何らかの資源が眠っているはず。
そう考えて、ショウはその工場を探索してみることにした。
工場の敷地はかなり広い。その広い敷地を高さ2メートル弱ほどの壁が囲っている。
敷地内には、工場本体と事務所らしき別棟、そして大きな倉庫がいくつか建っていた。
敷地入り口の門は破壊されており、誰でも中に入り込める。その門からは工場本体や倉庫まで遮る物もほとんどない空間が広がっている。
おそらく、ここの工場が稼働していた時には、大型のトラックが頻繁に出入りして搬入や搬出を繰り返していたのだろう。
「各種センサー、異常ありません」
イチカの索敵にも異常はなく、ショウは手始めに敷地内にある一番大きな倉庫へと向かった。
何らかの資源があるのなら、ここが一番可能性が高いと考えたからだ。
相変わらずイチカのセンサーにも何ら反応はなく、ショウはフタバに倉庫正面の重厚そうな扉を開けるように命じた。
そして、ショウ、イチカ、ミサキが銃器を構えて警戒する中、フタバがその膂力を以て扉をこじ開ける。
途端。
「音感、温度センサーに反応! 急激に反応が高まっています!」
イチカのセンサーが警笛を鳴らす。
「どういうことだっ!? 反応は全くなかっただろうっ!?」
「フタバが扉を開けた途端、反応が発生しました! 理由は不明です!」
フタバが大きく後方へと飛び退き、バトル・ライフルを構える。
彼女が後退したことで、ショウの視界が広がり、常人よりも暗視の利く彼の目が、倉庫内の様子をはっきりと捉える。
すなわち。
倉庫内側をびっしりと覆う蜘蛛の糸と、倉庫のあちこちに産み付けられた無数の巨大な蜘蛛の卵たち。
そして、倉庫中央に足を折りたたむようにして待ち構える、巨大な【インビジリアン】……識別名〈アラクネ〉の姿を。




