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崩れる世界

 2075年7月7日。

 その日、世界の崩壊は始まった。


◇◇◇


 2075年7月7日、世界標準時21時32分48秒。

 その時、地球に宇宙からとある生命体が漂着した。

 いや、それを「生命体」と呼ぶのは相応しくないかもしれない。

 なぜなら、その宇宙からの来訪者は目に見えないほどに小さく、ウイルスに非常によく似た性質を持つモノだったからだ。

 2075年の当時においても、ウイルスが生物なのか非生物なのか、その決着はついてはいなかった。

 そのため、宇宙から漂着したこの小さな来訪者たちを、生物ではないと論ずる識者が当時も、いや、今でもいるのである。

 だが、その小さな来訪者……いや、侵略者たちは確かに地球に到達した。

 到達してしまったのだ。


◇◇◇


 その侵略者たちは、小さな隕石に乗って地球へとやって来た。

 大人の握りこぶしほどの大きさの隕石。後に【箱舟】と呼ばれるようになるその隕石の最初のひとつは、アメリカ合衆国の東の端に落下した。

 アメリカ合衆国ロードアイランド州。マサチューセッツ州の南にある、合衆国で一番陸地面積の小さな州でありながら、合衆国で最も古い都市の一つであるプロビデンスを有する州である。

 劇場や大型ショッピングモールなどが立ち並び、決して田舎ではないものの高層ビルが乱立するような大都会でもない。

 そんなプロビデンスの郊外に、【箱舟】は……そして宇宙からの侵略者は落下したのであった。


◇◇◇


 目に見えないほどの小さな侵略者たちは、隕石──【箱舟】の内側に身を隠していて、大気圏突入の際に生じる高熱にも耐えきった。後の研究で判明するのだが、この侵略者たちは熱に対する非常に高い耐性を備えていたのだ。

 そして、落下の衝撃で【箱舟】が割れ、内部に潜んでいた目には見えない小さな侵略者たちが動き出す。

 彼らはその本能──彼らに知性があるのかどうか、後の研究でも判明はしていない──に従い、手近にいる生物へ寄生していく。

 侵略者たちはまさにウイルスのように、他の生物に寄生して……いや、感染して増殖する。感染する生物にこだわりは特にないらしく、動物、植物問わずに感染しては増殖していった。

 そして、この小さな侵略者たちが「侵略者」と呼ばれる理由。それは感染した宿主を自分たちにとって都合のよい「環境」へと作り替えてしまうからだ。

 この目に見えないほど小さな侵略者たちに感染された地球生物は、徐々に、そして極めて短期間にその姿を変容させていったのである。

 皮膚が青白く鱗のように硬質化し、その硬質化した皮膚が重なって積層化していく。

 体毛は全て抜け落ち、目に燐光を宿し、牙や爪が硬く鋭く変化する。

 そして、手近にいる生物に襲いかかるようになるのだ。

 当然、襲われた生物は小さな侵略者たちに感染し、感染した生物は爆発的に増えていった。まるで、パニック・ムーヴィーに登場するゾンビのように。

 かつて、「パンデミック(pandemic)」と言えば感染症などが「世界的な規模で流行すること」を意味していたが、【箱舟】の到来以降は件の小さな侵略者たちが到来し、地球規模で感染生物を生み出した事件を指す言葉へと変化した。

 そして同時に、世界に蔓延した小さな侵略者たちのことを、「目に見えない」ことから【インビジブル】と呼称するようになったのである。


◆◆◆


「ねえ、しょーちゃん。次の発掘(サルベージ)って、いつ頃に行くの?」

 台所で作っているシチューの鍋をゆっくりとかき混ぜながら、女性がリビングにいる男性へと尋ねた。

「そうだな……五日前に発掘から戻ったばかりだから、次に行くとしたら二、三週間後ぐらいじゃないか?」

 そう答えたのは、所々に金のメッシュが入った黒髪の男性。年齢は二十歳を少し過ぎたぐらいか。

 彼──アリサワ・ショウは、テーブルの上に置かれた合成珈琲を喉の奥へと滑り落とさせながら、女性の問いに答えた。

「やっぱり、キャロルと一緒に行くんだよね……?」

 台所の女性は、あからさまに不満げだ。ぎゅっと寄った眉と、僅かに尖らせた唇が。それを表している。

 ふらりと僅かに動いた頭に合わせて、艶のあるストレート・ロングの黒髪がさらりと揺れた。

「そりゃあな。彼女は──キャロルは俺の発掘者(サルベイジャー)としての相棒(パートナー)だし」

「相棒じゃなくて恋人、でしょ? そこ間違えると、キャロルが怒るよ?」

 できあがった二人分のシチューを皿によそい、テーブルへと運びながら女性が告げた。

「ははは、アイナの言う通りだな。気をつけるよ」

 女性──ニシカワ・アイナへと向けられたショウの顔。そこに浮かぶのは親し気な笑顔。ただし、ショウの両目は室内であっても濃い色のサングラスで隠されている。

「今はアタシしかいないんだから、サングラス外したら? 私はしょーちゃんの目のこと、知っているし」

「それもそうだな」

 アイナに言われて、ショウはサングラスを外す。

 サングラスの奥に隠されていた彼の両目には、青白い燐光が揺れていた。

 これは彼が、幼少期に【インビジブル】に感染した時の後遺症である。

 幸いにも感染自体は【インビジブル】用に開発された抗体──通称【IV抗体】によって抑え込むことに成功したが、両目に軽度の後遺症が残ってしまったのだ。

「アタシはしょーちゃんの目、綺麗だと思うけどなぁ」

 ちらちらと青白い燐光が揺れるショウの両目を覗き込み、アイナは言う。

「アイナの感覚は少数派だよ。ほとんどの人が、この目を見ると露骨に顔をしかめるからな」

 【インビジブル】による感染は、軽度、中度、重度、完全感染の四段階があり、軽度と中度までであれば【IV抗体】によって治療が可能である。

 完治後は他のウイルスと同じく、感染者の体内の【インビジブル】は徐々に死滅していく。時にショウのような後遺症を残すこともあるが、完治後に【インビジルブ】のキャリアーとなることもない。

 だが、感染が重度まで及んでしまうと、【IV抗体】でも感染の進行を遅らせることができるだけで、最終的には完全感染へと至る。

 完全感染へと至った感染者は、異形の存在へと変わり果ててしまう。

 異形へと至ると、筋力、瞬発力、防御力、反射速度などが爆発的に上昇し、体も大型化する場合が多い。だがその反面、知能面では低下する傾向が高い。

 重度の感染から完全感染へと至り、異形化した者を治療する方法は、現在でも見つかっていない。異形化した後は、本能の赴くままに暴れ、体内に宿る【インビジブル】を撒き散らし、己の同胞を増やしていくのだ。

 この異形化した存在を世間ではミュータント、魔獣、モンスターなど、地域などによって様々に呼称しているが、最も一般的な呼称は【インビジリアン】だろう。

 「目に見えない」という意味の「インビジブル」と、「侵略者」を意味する「エイリアン」との造語であり、誰が呼び始めたのかは定かではないが、気づけばこの呼称が世界的に定着していた。

 軽度、中度の感染による後遺症が残っても、完治していれば【インビジブル】を周囲にまき散らすことはない。その事実は既に周知されているものの、それでも後遺症を残す者を冷たい目で見る者は少なくはない。

 ショウが普段サングラスで両目を隠しているのも、そのためだ。


◇◇◇


 アメリカのロードアイランド州、プロビデンスの郊外に()()の【箱舟】は落下した。

 そう。

 プロビデンスに落ちた【箱舟】は、()()()()()()でしかなかったのである。

 2075年7月から同年11月にかけて、世界各地に【箱舟】は落下した。

 その結果、【インビジブル】は瞬く間に地球全域に拡散した。当初は新種のウイルスによる新たな感染症として、世界各国や国際的な医療機関で研究・治療法の開発が行われた。

 当時、感染の初期症状がインフルエンザと非常に酷似していたため、「新型のインフルエンザが世界的に流行した」という認識でしかなかったのだ。

 だが、感染が進み、感染者の体に明らかな異形化が現れた段階で、このウイルスが新型のインフルエンザなどではないことが判明、人類が地球規模の巨大なパニックへと陥るまで時間はかからなかった。

 明確な治療法もなく、ウイルスの正体も全く不明。更には、この謎のウイルスが人間だけではなく、地球上のあらゆる動植物にも感染することが分かり、パニックは更に大きくなっていった。

 こうしてこのウイルスの感染が世界規模で進み、人類を含めた多くの生物が感染していく。

 感染した生物の六割ほどが高熱などで命を落とし、残る四割が異形へと変異した。

 そして、変異した異形は感染していない生物へと襲いかかり、更に同胞を増やしていく。

 感染し、異形へと変異した生物──この頃はまだ【インビジリアン】という呼称は使われていない──は、非感染者へと積極的に襲いかかった。これは「種を増やす」という生き物の本能から来る行動であろう、と後の研究者たちは推論するが、それが定かであるかはいまだに結論が出されてはいない。

 救いなのは、このウイルスは空気感染力が極めて低いことであろうか。

 空気感染を全くしないわけではないが、感染の主な経路は直接的な接触、もしくは経口感染によるものであった。

 前者は変異した異形に襲われることが主な原因であり、後者はウイルスを宿した食材を口にすることによるものであった。特に後者はウイルスの正体が判明していない【パンデミック】初期に多く見受けられた。


◆◆◆


「ごちそうさま。今日もありがとうな、アイナ」

 アイナが用意してくれた食事を終え、ショウはいつものように彼女へと礼を述べた。

「どうしたしまして。これでもアタシはしょーちゃんのお姉さんだから、これぐらいはね」

「え? アイナは俺の妹じゃなかったか?」

「違いますー。たとえ血は繋がっていなくても、アタシはれっきとしたしょーちゃんのお姉さんですー」

 ぷくーと頬を膨らませるアイナ。だが、それは長く続くことはなく、二人は互いに笑い合う。

 11年前──2077年に行われた「トーキョー解放作戦」。二人はその際に【インビジリアン】がうろつく危険な廃墟と化した旧東京から救出された孤児である。

 救出された後、二人はとある人物に引き取られ、家族として育った。当時、ショウが11歳、アイナは12歳であり、それから二人は姉弟同然に育ったのだ。

 救出後の検査により、ショウに軽度の感染が認められ、【IV抗体】の投与によって感染は抑えられたのだが、両目に後遺症が残ってしまったのである。

 「トーキョー解放作戦」。

 それは【インビジリアン】によって占拠された旧東京から、生き残った人々が生活するために必要な物資、食料などを回収し、そして旧東京に取り残されているであろう者たちを救出するために行われた作戦である。

 ヨコスカ・ベースに取り残された元米国軍人と、元自衛官たちが中心となって行われた作戦で、そこに生き残った人々の中から志願した100人ほどが参加し、約一ヶ月間行われた。

 結果、それなりの数の【インビジリアン】を駆逐し、取り残されていた貴重な食糧や物資を回収、旧東京にて何とか生き延びていた人々を救出することに成功したのだ。

 だが、結果としてはそれほど大きな戦果とは言えなかった。

 回収された物資の数は予想よりも遥かに少なく、救出された人々は50人にも満たなかった。更に、作戦に参加した者の約四割が帰らぬ人となるか、【インビジルブ】に感染して【インビジリアン】と化してしまったのだから。

 いまだ旧東京は無数の【インビジリアン】がうろつく危険区域であり、数多くの物資が眠る資源採掘現場なのである。

 そして、そんな危険な資源採掘現場── 一部では「遺跡」や「ダンジョン」などとも呼ばれる──に赴き、【インビジリアン】を倒して貴重な物資を発掘(サルベージ)する者たち。

 それが発掘者(サルベイジャー)と呼ばれる者たちであった。



 本日より、第1章最後の14話までは毎日更新の予定。

 第2章より、週一(基本、月曜日の午前0時)に更新していきます。

 今回もまた、最後まで駆け抜ける所存でありますので、最後まで何卒お付き合いのほどを。


 では、これからよろしくお願いします!

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