トーキョー遺跡
旧東京汚染エリア。通称トーキョー遺跡。もしくは、トーキョー・ダンジョン。
かつて、世界有数の大都市であった東京も、今では多数の危険な【インビジリアン】たちが徘徊する、第一級の危険エリアとなっている。
現在のトーキョーに足を踏み入れるのは、資源回収目的の発掘者を除けば、危険を承知で【インビジリアン】の生態を解明しようとする研究者か、ライブ配信でアクセス数を稼ごうとする酔狂な配信者ぐらいだろう。
カワサキ・シェルターから旧国道15号線を北上すれば、すぐに旧東京都大田区に入る。
そこから更に15号線を北上すれば、旧品川区、旧港区を経て旧中央区へと至る。かつて皇居が存在した辺りは、今では無数の【インビジリアン】が生息する最も危険な区域とされている。
そのトーキョー遺跡、旧品川区に、ショウと三人の《ジョカ》たちの姿があった。
◆◆◆
かつて、品川駅があった区域──正確には品川駅は港区に所在し、目黒駅が品川区に所在していた──はビジネス街として発展し、東京湾に面する立地から物流面でも重要な役割を担っていた。
旧五反田付近は歓楽街としても発展、大規模商業施設が複数立地していて、交通の便の良さもあり多くの人で賑わいを見せていた。
それと同時に、区域のほとんどは住宅街であり、高級住宅街や庶民的な住宅街など、多くの住民が暮らしていたエリアであった。
だが現在、かつての賑わいは跡形もなく、動くものもほとんど見受けられない死の街と化してしまった。
そんなトーキョー遺跡のシナガワ・エリアを、四つの人影が慎重に歩を進めていく。
一行の先頭に立つのは、黒髪ショートの女性──フタバである。
発掘者たちの間では「バトル・ライフル」と俗称される強化型アサルト・ライフルを構え、油断することなく前進していく。
彼女の人工的に造られた両目には、やや後方に控えるイチカが収集した各種データがリアルタイムで表示されるため、不意を打たれる可能性は極めて低い。
それでも一切の隙を見せることもなく、フタバは慎重かつ大胆に歩を進める。
そのフタバの後に続くのは、一行のリーダーであるショウだ。
彼は防疫防弾ヘルメットを装着し、フタバと同じ形式のバトル・ライフルを構えてフタバの背中を追う。
ショウが装着するヘルメットのバイザーの内側にも、イチカが得た情報が表示されている。具体的には、周囲の地形データや気温や湿度、風向きに風力、空気中の【インビジブル】や【ブルーミスト】の濃度など、各種の環境データがリアルタイムで表示されるのだ。
そして、一行の最後尾にはイチカとミサキが並んでいる。
移動しながらも常に情報収集を続けるイチカは、まさにチームの「目」であり「耳」である。
人間とは違い、《ジョカ》たちは完全なるマルチタスクが可能である。そのため移動しながら情報収集を続けても、咄嗟の反応が遅れることはほとんどない。
それでも、「レーダー」であるイチカはチームの要であり、その彼女を護衛するためにミサキが傍についているのだ。
常にイチカから送られてくる各種の情報に、ショウは心の中で感嘆の声を上げていた。
これまで、彼はキャロラインと共に発掘者として活動してきた。その時も、二人での活動に不便さを感じたことはない。
しかし、《ジョカ》たちと新たなチームを組んでみて、今まで以上に活動しやすいことを実感せざるを得なかった。
──周囲の環境状況が常に分かるというのは、これほどまでに動きやすいのか。
防疫防弾ヘルメットのバイザーに表示される各種の情報に目を向けつつ、周囲にも視線を飛ばしながら、ショウは心の中で零した。
その時。
防疫防弾ヘルメット──イチカからのデータリングが可能なようにミサキが改造した──のバイザーに、真紅のアラートが点滅する。
「ショウ様。北北東より【インビジリアン】が接近中。音響、振動センサーの反応から、識別名〈オーク〉と推測。数は5」
「了解だ。俺とフタバが前衛、イチカとミサキが後方より援護だ」
「マスター、敵の数がやや多いので、この辺りの瓦礫を遮蔽として利用した方がいい」
「つまり、連中が近づいてくるのを待ち構えるんですねー」
フタバとミサキの提案に、迷うことなくショウは頷いた。
◆◆◆
リアルタイムで敵の接近が分かるということが、これほどまでに有利だとは。
頭では理解していたつもりだが、実際にそれを体験すると考えていたよりも遥かに有利な状況で戦闘へ持ち込むことができた。
バイザー内に示される、五つの赤い点。これが敵である〈オーク〉を示していることは、改めて説明されるまでもなく理解できた。
ショウたち四人は、〈オーク〉が取るであろう進路脇の瓦礫に身を隠し、敵が近づいてくるのを静かに待つ。
「敵が有効射程に入るまで、あと20メートル」
ヘルメットに内蔵された通信機越しに、イチカの落ち着いた声が響く。
ショウのバイザー内には、近づいてくる〈オーク〉の位置情報と、射撃ポイントを示すレティクルが表示されている。
レティクルの表示色が変わった時こそが、敵が有効射程に入った合図だ。
ちらりとひび割れた道路を挟んだ瓦礫に身を隠しているフタバを見る。彼女もショウの視線に気づいたようで、左手の親指を立てて応えた。
そして。
ショウの目にも、敵の姿がはっきりと見えた。
身長は2メートル弱。体格はがっしりとした筋肉質なのだが、青白く積層化した皮膚のために見た目からはよく分からない。
だが、見るからに異様に太くて長いその腕が、彼らの危険度を如実に表していた。
太くて長い両腕は優に地面に届いている。〈オーク〉は、いわゆるナックルウォークで移動する。その姿から〈オーク〉は、動物園などで飼育されていたゴリラが【インビジブル】に感染した存在だと説く学者もいる。
その説の真実はともかく、前傾姿勢のナックルウォークで移動する〈オーク〉は、確かにゴリラを連想させた。
連中はショウたちに気づいた様子もなく、声を上げることもなく近づいてくる。
そして、バイザー内のレティクルの色が変化した瞬間、ショウとフタバは隠れていた遮蔽物から上半身を出し、ライフルを咆哮させた。
マガジン内に装填された、35発の7.62ミリ強装弾が唸りを上げつつ〈オーク〉を強襲する。
イチカが内蔵する各種センサーと連動したバトル・ライフルは、寸分違わず鉛色の牙を〈オーク〉へと突き立てていく。
「敵五体のうち、二体の体温の上昇を確認、射撃型と推測。警戒してください」
落ち着いたイチカの声を聞いた瞬間、ショウとフタバは再び瓦礫に身を隠した。
同時に、それまで二人の上半身があった空間を、何かが抉るように駆け抜けていく。
「イチカの警告通り、射撃型がいたようだな」
フタバの言葉に、ショウは頷きで同意する。
射撃型とは、体内で発生するガスなどを利用して、骨や皮膚片などの生体弾丸を飛ばして攻撃してくる【インビジリアン】である。
通常は近接攻撃能力しか持たない【インビジリアン】だが、突然変異的に射撃型が発生するらしい。
割合としては近接型との比率は大体8:2ほどか。
遠距離攻撃が可能な個体が混じる【インビジリアン】の集団は、その危険性が更に増すのは言うまでもない。
だが、外見から近接型と射撃型を区別するのは難しく、ショウも過去に何度が射撃型には痛い目にあわされた経験がある。
近接型と射撃型を見極める最も確実な方法が、イチカも用いた体内温度の変化に注目することなのだが、戦闘中に【インビジリアン】の体温の変化にまで注意を向けるのはやはり難しい。
携行可能な小型温度センサーは確かに存在するが、それでもかなり嵩張り、結果、発掘品を見つけても温度センサーの重量分だけ持ち帰る発掘品が減る、と発掘者たちの評判はあまり良くはない。
また、センサーの正確性がイマイチなのも不評のひとつだろう。
イチカが内蔵する温度センサーを解析すれば、「鍛冶屋の頭領」ならすぐに実用化しそうだけどな。
と、そんなことを考える余裕を持ちながら、ショウは第二射の態勢に入っている射撃型の頭部をライフルのドットサイトに収めた。
「射撃型は俺とフタバで倒す! 近接型はイチカとミサキに任せるぞ!」
「承知いたしました」
「イエス、マスター」
「お任せくださーい!」
通信機越しに《ジョカ》たちの声を聞きながら、ショウはライフルの引き金を引き絞った。
◆◆◆
「まさか、五体もの〈オーク〉に圧勝できるとは思わなかったな」
地に倒れ、青白い体液を流して果てている五体の異形を見下ろしながら、ショウはしみじみと零した。
本来、〈オーク〉五体と言えばかなりの強敵である。人口が100人にも満たない小さなシェルターであれば、数時間で壊滅するだけの戦力なのだ。
【インビジリアン】との戦闘に長けた傭兵や発掘者であっても、10人以下で倒すのは厳しいだろう。
だが、《ジョカ》たちのサポートを受けたショウは、その〈オーク〉五体を難なく倒してしまった。
高性能な索敵能力で先手を取り、戦闘に突入してもイチカのサポートは常に的確で、実に戦いやすく戦況を常に有利に保つことができた。
フタバとミサキも、イチカとリンクすることで高い命中率を維持して射撃を続け、常に敵の急所を狙い撃ち続けたのだ。
かくいうショウも、これまで以上に高い命中率で射撃することができた。単純にチームの頭数が増えただけではなく、イチカたち三人は戦士としても超一流と呼べる能力を持っているだろう。
特に、戦闘特化のフタバは凄かった。反動の強いバトル・ライフルを、全くブレることなく保持し続け、正確無比な射撃を急所に叩き込んでいくのだ。
三人の《ジョカ》の中でも特に筋力に優れた彼女ならではの、まさに無双と呼ぶに相応しい射撃だった。
「初戦はまずまずでしたね」
「この調子で先へ進もうか」
「はーい、まだまだボクも戦えますよー!」
更なるやる気を見せる《ジョカ》たち。ショウとしても、彼女たちに頼り切った戦い方をするつもりはない。
彼女たちのサポートをより効果的に活かすのは、他ならぬショウ自身なのだから。
「よし、先に進もう。三人とも、バッテリーの残量は大丈夫か?」
「はい。まだまだ大丈夫です」
三人を代表して、イチカが答える。おそらく、彼女たちはリンクすることで互いのバッテリー残量さえ把握し合っているようだ。
「よし、先へ進もう。だが、途中で価値のありそうな発掘品があれば、その回収を優先するからな」
ショウの言葉に、三人は頷く。
彼らの目的は、再利用可能な資源を発掘し、カワサキ・シェルターへ持ち帰ることであり、決して【インビジリアン】を倒すことではない。【インビジリアン】は発掘の障害となるので倒しているが、遭遇しないに越したことはないのだ。
シェルターの行政部から、どんな資源が必要だと言われていたのかを思い返しながら、ショウは三人の《ジョカ》たちと共に、トーキョー遺跡の奥へと足を向けるのだった。




