名前
「彼女たち……《ジョカ》たちにも、ちゃんとした名前があった方がいいと思わない?」
「《ジョカ》たちの名前? それならもうあるだろ?」
「今呼んでいる《イィ》《アァル》《サン》っていうのは、性能上区別するための形式番号みたいなものでしょ? それって、名前とはまた違うものじゃない?」
なるほど、とショウもアイナの言葉に納得する。
今、《ジョカ》たちの呼称として使っている《イィ》《アァル》《サン》は、それぞれの個別の名前ではない。今後、彼女たちにアンドロイドであることを隠し、普通の人間として振る舞ってもらう以上、個別の名前は必要だろう。
そもそも、《イィ》《アァル》《サン》という呼称も、あまりと言えばあまりである。カワサキ・シェルターには、中国語を理解できる者もそれなりにいるのだから、《イィ》《アァル》《サン》と呼んでいては不審に思われるに違いない。
「じゃあ、どんな名前がいいと思う?」
「そこは彼女たちのご主人様であるしょーちゃんが、きちんと考えてあげないとね?」
「そうは言われてもな……」
口をへの字に曲げて考え込むショウと、そんな彼を楽しそうに見つめるアイナ。
そして、二人の後ろを黙ってついていく《ジョカ》たち。
無言でいる彼女たちだったが、どこか嬉しそうな雰囲気が滲んでいる。
「三人は互いに『姉妹』って認識し合っているんでしょ? だったら、関連性のある名前がいいんじゃないかな?」
「関連性か……」
アイナの肩を借り、廊下を歩くショウ。サングラスに覆われた彼の目が、廊下の端に飾られていた花瓶に生けられた花を捉えた。
「なあ、アイナ。あの花って造花か?」
「そうねぇ、あの花、生体研究班で造り出された、極めて本物に近い人工の花だから、造花と言えば造花かな?」
植物やペットの小動物もまた、【インビジブル】に感染する可能性がある。そのため、シェルター内では植物や小動物の持ち込みを制限している。
だが、生きていくために食料は不可欠であり、感染に強い野菜や果物の研究は進められてきた。
その成果が最近になってようやく出始め、カワサキ・シェルターの一部を強化ガラス製のドームで覆い、徹底的に細菌管理された農園として、食料の栽培が始まった。
農園内の菌類──特に土壌中の菌類や細菌──を完全に除去してしまうと、野菜の成長に悪影響を及ぼす可能性もあるので、ドーム農園では入出を厳しく制限している。
そんなドーム農園はカワサキ・シェルターでも重要区画のひとつであるため、直接関わりのないショウとアイナは、近寄ったことさえないのだが。
それでも、コストの問題上まだまだ本物の野菜や果物は高価であり、今後はコストの低下と共に価格も下げるのが目標だ、とショウも義父であるウイリアムから聞かされたことがあった。
なお、ペットの方は愛玩用小型ロボットが主流となっている。
今、病院の廊下に飾られている花は、そのようなバイオ工学を駆使して品種改良された花ではなく、バイオ素材などを用いて極めて本物そっくりに造り出された造花であった。
「…………花、か。本物の花を目にしたのは、もうどれぐらい前だろうな?」
「そだね……アタシも、本物の花を見た記憶って、【パンデミック】前しか思い出せないな」
二人は寄り添いながら立ち止まり、しばらくその花を見つめていた。
◆◆◆
「で、おまえらはどう思う?」
「どう…………とは?」
「だから、あのお姉ちゃんたちを造ったのが、本当にリー・ハオ博士かってことだよ」
質問の意味が理解できないコウスケに、ウイリアムは質問の詳細を告げた。
「状況だけ考えれば、確かに《ジョカ・シリーズ》の生みの親は、ハオ博士の可能性が高ぇのは間違いねぇ」
「だけど、仮に《ジョカ》の設計者が博士だとしたら、今度は博士とショウくんやその家族との繋がりが分からなくなるのよね」
「そこなンだよなぁ」
ゲンゾウとアカネの言葉に、ウイリアムは大きな溜息と共に同意した。
「赤の他人にあれだけ高性能なアンドロイドの命令権を与えるワケがねぇ。ってことは、リー・ハオ博士とショウ、及びあいつの両親との間に何らかの繋がりがあるはずだ」
「確か……公表によると、リー・ハオ博士に家族はいないってことになっているわね」
手元のマルチ・デバイスを操作しながら、アカネが告げる。
ひょろりとした体形に、ちょっと大きめな頭部。頭髪は薄く、目だけが異様に大きくぎょろりとした、どことなく神経質そうな印象。
それが、公表されているリー・ハオ博士の姿であった。
「それって、単に公表していないだけじゃないのかな? 当時の状況を考えれば、博士の家族を人質にでも取って、博士の研究成果を独占しようとした連中がいたっておかしくはないし」
リー・ハオ博士が中心となり、【インビジブル】に唯一有効なIV抗体が生み出された。今でこそIV抗体の製法は公表されているが、IV抗体を発表した当時、抗体開発の中心人物であった博士とその研究成果を、独占しようと考えた個人や組織があったとしても不思議ではない。
それを防ぐため、「家族はいない」と嘘の情報を広めていた可能性は十分にある。
「だけど、ショウくんはリー・ハオ博士とは全く面識がないって言っているんでしょ?」
「じゃが、【パンデミック】が発生した時、ショウの奴はまだ10歳かそこらじゃろ? だったら、単に覚えていないだけってこともあるんじゃねえのか?」
「ゲンゾウの言うことも一理ある。だが、親族やよく知っている相手であれば、そうそう忘れるような年齢でもないと思うンだがな」
当時のショウが3歳や4歳程度だったなら、忘れている可能性もあるだろうが、とウイリアムは続けた。
「まあ、ここでこれ以上推測したって、本当のことは分からないよ。検査の結果、あのアンドロイドたちに危険はないと判断されたんだ。もちろん、しばらくは要注意だろうけど、ショウが一緒にいるのなら何かあれば知らせてくれるさ」
「コウスケの言う通りか。オレもあれこれ考えるのは性に合わんしな」
「そういえば、そのショウくんは今日が退院じゃなかった?」
「おう、その通りだぜ、アカネ。おそらく、アイナが退院祝いに全力で美味いメシを作るだろうから、今日は帰るのが楽しみだ!」
「それはいいな。僕も今日は義父さんの家に顔を出すとしよう」
「相変わらず血の繋がりはないのに、おまえらは仲がいいのぅ」
呆れたような苦笑を浮かべるゲンゾウ。だが、そこには単なる呆れ以外の感情も含まれていた。
「当然だろ? オレたちゃ家族だからな。血の繋がりなんて、それほど重要じゃねえのよ」
「フィッシャーマン代表たちを見ていると、本当にそれが実感できるわね」
と、アカネはフレームレスの眼鏡を指で押し上げながら、どこか羨ましそうに微笑んだ。
◆◆◆
「ほーほー。ここがご主人様のお家ですかー」
目の前に立つ三階建ての一軒家。立地的には、カワサキ・シェルターの中央部に存在するこの家こそが、カワサキ・シェルター代表であるウイリアム・フィッシャーマンの自宅であり、同時にショウとアイナの家でもある。
「さすがはシェルターの代表の住居だけあるな。セキュリティにはかなり力を入れている」
「これなら、ショウ様の安全を確保することも容易そうね」
ショウたちの住居を前にして、《ジョカ》たちは早速防衛体制の確認と補強案について語り出した。
「後は、わたくしがネットワーク系の防壁や監視体制を強化させ、《アァル》と《サン》で遠隔迎撃システムを構築すれば、ちょっとした要塞にすることも……」
「ちょっと待て。おまえたち、俺たちの家をどうするつもりだ?」
段々と物々しくなっていく《ジョカ》たちの会話を、ショウが頭痛を堪えるような仕草をしながら遮った。
「もちろん、ショウ様の安全を第一に考え、あらゆる危険を排除するための防衛システムの構築を目指します。主であるショウ様の安全こそ、我々の最重要事項ですので」
「ここはシェルターの中央区画で、シェルター内でも最も安全な区域だ。それに、自宅を要塞化なんてしたくないぞ」
「でも……お義父さんなら喜々として家を要塞にしちゃいそうだけど?」
「……それを言われると反論が難しいな……」
現在のショウたちの家は、家そのものは「邸宅」と呼べるほど大きなものではないが、敷地の周囲を背丈のある防壁でぐるりと囲み、所々に監視カメラが設置されている。
曲がりなりにも、ここカワサキ・シェルターの代表が暮らす家である以上、そこそこの防犯システムは備わっているのだ。これ以上防備を増せば、本当に要塞と化けかねない。
「親父たちが悪乗りしないよう、俺たちで注意しないとな」
「そだね。アタシも要塞で暮らすのはちょっと……」
ショウとアイナは互いに頷き合い、その気持ちをより確かなものとしたのだった。
◆◆◆
家の中に入り、一通りの案内を済ませた後、ショウとアイナ、そして《ジョカ》たちは二階にあるリビングに集まった。
「アニキたちが以前使っていた部屋を、それぞれ《ジョカ》たちに使ってもらえばいいよな」
「うんうん。義兄さんたちは三人とも家を出ちゃって空いているし、部屋数も丁度合うしね」
「よろしいのですか? 我々は人間のようにプライベート空間は必要ないので、三人で一部屋でも構わないのですが?」
「何なら、我々は《ベヒィモス》の中で暮らしてもいいが?」
「《ベヒィモス》の後部ユニットには、ボクたちの整備用の設備もありますしー」
《ジョカ》たちは、アンドロイドである自分たちに、一人一部屋与えれらるとは思ってもいなかったらしい。
だが、いくらプライベート空間の必要はなくても、さすがに三人で一部屋は狭いだろう。
そして、あくまでも彼女たちを表向きは人間として扱う以上、装甲車である《ベヒィモス》で寝泊まりさせるわけにもいかない。
ちなみに、《ベヒィモス》も正式にショウの所有物として認められたので、この家のガレージに駐められている。
家主であるウイリアムが車やバイクが好きなため、一階部分のほとんどをガレージへと改築したのだ。
ガレージは《ベヒィモス》を停めるのに十分な広さがある、と言えば、どれだけ大きなガレージを建てたのか理解できるだろう。
ウイリアム・フィッシャーマンは、自分の好きなことにはとことん拘る男なのである。
ちなみに、今までこのガレージにはウイリアムの愛車である大型バイクと、アイナが通勤や買い物で使う小型バイクが停めてあるのみで、空き空間は十分であった。
そして、幼い頃のショウたちにとって、このガレージが良き遊び場だったのは言うまでもない。
リビングのソファに腰を落ち着け、アイナが淹れてくれたお茶を飲みながら、これからのことについて語り合う。
「今晩はしょーちゃんの退院祝いと、《イィ》たちの歓迎会ね! すっごいご馳走を用意するから期待していてね! お義父さんだけじゃなく、トウマ義兄さんとコウスケ義兄さんも顔を出すって連絡があったよ」
「アニキたちも来るのか? 忙しいだろうに、ちょっと悪い気がするな」
「それだけ、義兄さんたちもしょーちゃんのことを心配しているんだよ」
トウマ──ササキ・トウマは、ショウたちと同じくウイリアムの養い子の一人であり、ショウたち兄弟の最年長でもある。
現在はカワサキ・シェルターの防衛部隊──通称「自警団」──に所属しており、既に結婚して子供もいる、良き兄にして良き父親でもある人物だ。
「だから、しょーちゃんは義兄さんたちが来るまでに、《ジョカ》たちの名前を考えておいてね?」
◆◆◆
「…………それなんだが」
「ん? しょーちゃん、《ジョカ》たちの名前、何か思いついた?」
「ああ、病院で花を見た時にちょっとな」
バイオ技術やその他の技術を用いて造り出された、本物そっくりの造花。
その造花と、人間そっくりのアンドロイドである《ジョカ・シリーズ》にショウは妙な繋がりを感じたのだ。
「《ジョカ》たちの名前だけど、《イィ》から順に『イチカ』、『フタバ』、『ミサキ』というのはどうだろう?」
「へえ、しょーちゃんにしてはいい名前を思いついたねぇ」
感心したように笑みを浮かべるアイナから、ショウは《ジョカ》たちへと視線を移した。
「どうだ? 今言った名前を受け入れてくれるか?」
「はい、もちろんです。ショウ様が与えてくださる名前に、文句をつけるはずもございません」
「『フタバ』か……うむ、悪くない。気に入った」
「ではでは、これからボクは『ミサキ』と名乗りまーす!」
《ジョカ》たち──イチカ、フタバ、ミサキも、それぞれの名前を気に入ったようですんなりと受け入れてくれた。
「では、改めて……これからよろしくな、イチカ、フタバ、ミサキ」
「はい、ショウ様」
「承知した」
「こちらこそ、よろしくお願いしまーす!」
こうして、改めて《ジョカ》たち…………、いや、イチカ、フタバ、ミサキの三姉妹が、ショウたちと一緒に暮らすこととなったのである。




