家族
「わたくしからも、ひとつ質問をよろしいでしょうか?」
アイナへと向けられていた視線をショウへと戻し、《イィ》がそう口にした。
「質問? どんなことだ?」
「今までの会話から、ウイリアム様が主様の父親的存在であることは理解できました。外見的、及び人種的特徴から、お二人の間に血の繋がりはないのでしょう。それでも、主様がウイリアム様を父親として深く信頼していることは理解できます」
《イィ》の言葉にショウは頷き、ウイリアムは照れたように──それでも嬉しそうなのを隠そうともせず、がりがりと頭髪のない頭を掻いた。
「では、アイナ様は……もしや、ショウ様の奥方様なのでしょうか?」
「アイナ? アイナは俺の──」
「そ、そんなっ!! ア、アタシがしょーちゃんの奥さんだなんてっ!! だ、だってしょーちゃんにはキャロルが……あ、キャロルは…………で、でも、だ、だからってアタシがしょーちゃんの奥さんって……………………………………いやん」
頬を赤く染め、その頬に宿った熱を冷ますかのように両手を添えながら、何故かアイナはぐりんぐりんと身を捩じった。
そんな彼女の様子をショウは苦笑しながら、そしてウイリアムは真剣な表情で見つめる。
「アイナと俺は、血の繋がりはなくても親父と同じく家族だな」
「なるほど、理解いたしました」
果たして、《イィ》はどこまで理解したのか。
──人間の感情を理解できるだけの性能を有してるってことかよ。一体、こいつらはどこまで高性能なんだ?
再び頭を下げた《ジョカ》たちへと、ウイリアムは一瞬だけ鋭い視線を送る。
そして。
「さて、ショウは少し休め。おまえの傷は決して軽くはねぇンだからよ。で、このお姉ちゃんたちのことはアイナに任せてもいいか?」
「うん、任せて。まずは……『鍛冶屋の頭領』の所へ連れて行けばいい?」
「おう。ゲンゾウには俺から詳細を連絡しておく。もちろん、《ジョカ》についての口止めもな」
「鍛冶屋の頭領」──サカキ・ゲンゾウは、カワサキ・シェルターの技術屋を束ねる人物である。
元は旧川崎市の重工業地帯の一角に工場を構えていた、いわゆる「町工場の社長」であった人物であり、現在はその高い技術力でカワサキ・シェルターの製造を担っている。
また、気難しくも義理堅い性格の人物で、一度約束したことは絶対に破らないことでも知られていて、広く信用と信頼されている。
更には、よく弟子たちの頭にゲンコツを落とすことから、「ゲンコツ親父」の異名も併せ持つ人物でもある。
そんなゲンゾウであれば、《ジョカ》の秘密を他に漏らすような真似をすることもないだろう。
《ジョカ》たちを連れ、病室を出ていくアイナの背中を見送った後、ウイリアムはショウへと視線を戻した。
「休めと言っておきながらなンだが、ちょっとだけ話をしてもいいか?」
「ああ、構わない……もしかして、アイナのことか?」
「こんなことを聞くのは野暮だって重々承知なンだがよぉ……おまえ、アイナの気持ちには気づいているよな?」
◆◆◆
三体の《ジョカ》たちを連れ、アイナは病院の通路を歩く。
時折、すれ違う患者たちが彼女に笑顔を向ける。ここはアイナの勤務先でもあるので、顔見知りの医師や患者なども多いのだ。
「────はあ」
そして、周囲に誰もいなくなった時、アイナは深々と溜め息を吐き出した。
「…………まさか、キャロルが……」
ショウを撃ったのがキャロラインであることは、ショウ本人から聞かされた。
そして、彼女は何かを探していて、その探し物のためにここカワサキ・シェルターに潜り込んでいたことも。
「……キャロルなら、しょーちゃんを任せてもいいって思っていたのに……」
アイナ自身、キャロラインのことはあまり好きにはなれなかった。だがそれは、キャロラインがアイナにとって恋敵であったからという理由が大きい。その点さえ除けば、キャロラインは良き友人でもあったのだ。
だから、アイナはキャロラインのことが心の底から嫌いというわけではなかった。大切な想い人を任せてもいいと思えるほどには。
「でも、もう許さないからね! 今度あの娘に会ったら、絶対一発ぶん殴ってやるんだからっ!!」
握った拳を突き上げ、そう宣言するアイナ。そして、そんな彼女を三体の《ジョカ》たちが無言で見つめていた。
そのことに気づいたアイナは、非常に気まずそうに《ジョカ》たちへと振り返った。
「え、えっと……ご、ごめんね? さすがにアタシも腹が立っちゃって……」
「ええ、アイナ様の心境は理解できます。わたくしも、そのキャロラインという女性を許す気はありません」
「そうだとも。我らがマスターをいろいろな意味で傷つけた罪、いつか必ず償わせてやろう」
「…………まったくだぇ……」
「え?」
突然聞こえた低く響く声。その声に驚いたアイナは、声を発した人物へと目を向けた。
「アタイらのご主人様を撃つなんざ、天地がひっくり返っても許されねえ大罪だぁ……そのキャロラインとかいう女、ぜってぇ見つけ出して生まれてきたことを後悔するぐれぇぶん殴ってから、素っ裸にひん剥いて大通りの街灯にぶら下げて晒し者にしてやんよぉ……」
地の底から響くような低い声の主は──《サン》だった。それまで陽気だった彼女とは思えぬほど、どろどろとしたモノを内包した声と陰鬱そうな表情を浮かべているのを見て、思わずアイナは動けなくなる。
だが、《イィ》と《アァル》は特に気にした様子もなく、《イィ》はいまだ毒を吐き続ける《サン》の背後へと音もなく忍び寄ると、その後頭部に容赦なく手刀を振り下ろした。
ごつん、という聞くだけで痛々しい音に、アイナは思わず肩を竦める。
そして。
「あ、あれ? ボク……あれぇ?」
きょとんとした顔で、周囲を見回す《サン》。
そして、同じようにきょとんとした顔で《サン》を見つめるアイナ。
「気にするな。時々《サン》はああああなるんだ」
「こうなった時は、後頭部に衝撃を与えると《サン》のAIが再起動しますので」
無表情に事実のみを告げる《アァル》と、にこやかに説明してくれる《イィ》。
そんな二体に対してアイナは。
「そ、そうなんだ…………」
と、何とかそれだけ口にすることができた。
◆◆◆
「アイナの気持ちか……もちろん、気づいてはいるよ。だけど……」
ショウも、アイナが自分へと向ける想いには以前から気づいていた。だが、彼にとってアイナは姉であり、家族であるという思いが強く、恋愛対象としては見ることができなかったのだ。
そして、ショウはキャロラインと出会い、彼女と恋に落ちた。
「まぁよぉ。こういうコトは、本人同士の気持ちの問題だからなぁ。周囲がどうこう言うこっちゃねえってのは、オレも分かっちゃいるンだよ。だけど、血の繋がりはなくても、親としちゃ、やっぱり子供たちには幸せになって欲しいじゃねえか」
ベッドの傍らに置かれたパイプ椅子をぎしりと鳴らして腰を下ろし、ウイリアムは天井を見上げる。
「オレとしちゃあ……ああ、あくまでもこいつぁ、オレの勝手な願望だから聞き流してもいいぜ? オレとしちゃあ、おまえとアイナには所帯を持ってもらって、孫の顔を見せてくれると嬉しいんだがなぁ……」
ウイリアムには、ショウとアイナ以外にも引き取った息子たちが三人いる。彼らは既に独り立ちをして、カワサキ・シェルターで暮らしている者もいれば、他のシェルターで暮らしている者もいる。
ショウとアイナも既に成人していて独立してもいい年齢なのだが、独り残されるウイリアムのことが心配で、いまだ三人で暮らしていた。
特にウイリアムは生活能力が皆無なので、ショウとアイナが別居するようなことになれば、その後彼の家と彼の生活習慣が乱れまくるのは想像するに難しくはないからだ。
「俺だってアイナのことは別に嫌いじゃないさ。だけど、キャロルがいなくなってすぐアイナと……なんて、逆にアイナに失礼だろう?」
「まぁなぁ。それもそうだよなぁ。しゃあねぇよなぁ」
背もたれに預けていた体を勢いよく起こし、ウイリアムは改めてショウへと目を向けた。
「それで、去り際にキャロルが何か言っていたって?」
「ああ。確か、『教団』とか『超越者』とか言っていたが、親父はそれらの言葉に心当たりはあるか?」
「んー……『教団』ってのはよく分からんが、『超越者』ってのなら、以前に聞いたことあるぜ?」
そう言ったウイリアムは、上着──旧米軍時代から着ているN-1デッキ・ジャケット──の右腕の袖を捲り上げた。
露わになった右腕。その手首から腕のつけ根までの皮膚が青白く変色し、所々硬質化して鱗のように積層化している。
「おまえも知っているように、オレも【インビジブル】に感染した元感染者だ」
そう。変質した腕は、【インビジブル】に侵された証であり、ウイリアムは【パンデミック】中に感染した経歴を持つ。
当時開発されたばかりのIV抗体を運よく投与できたことで、何とか感染を封じ込めることはできたが、それでも中度までの感染によって、彼の両腕は後遺症として皮膚が変質してしまったのだ。
「オレやおまえのように【インビジブル】に感染し、感染を乗り越えた者には、時に常人以上の『ナニか』が宿ることがあるのは知っているよな?」
「ああ、俺の視力や、オヤジの腕力……オヤジの腕力は常人を遥かに超えているからな」
「そういった、感染を乗り越えた後に超常の力を手に入れた者を、『超越者』と呼ぶ連中が以前いたンだよ」
それは、【パンデミック】中のことである。
人々の多くが【インビジブル】に感染したことで命を落とすか、【インビジリアン】へと変質して、人類はその数を激減させた。
だが、感染しても奇跡的にそれを乗り越え、様々な超常的な力を有した者が僅かだが存在したのである。
そんな者たちを、ある特定の集団は「超越者」と呼び始めた。中には、「超越者」を神聖視する集団もあるという噂も存在したほどだ。
だが、そんな集団はすぐに消え去った。「超越者」と呼ばれてはいても、普通の人より少し身体能力が高かったり、感覚がちょっと鋭かったりしたぐらいでしかなかったのだから。
「超越者」は、決して無敵の超人などではなかったのだ。
それでも、中には「超越者」たちに絶対的な信頼を寄せた者たちもいた。【パンデミック】中は世界中が混乱しており、たとえ僅かな力であっても、普通よりも優れた能力を持つ者たちを頼ろうとする者は多かったのである。
「じゃあ、キャロルの言っていた『教団』というのは……」
「もしかすると、『超越者』を神聖視していた過去の亡霊なのかもな。ま、現状じゃこいつも単なる推測でしかねえがよ。それよりも、話を長引かせて悪かったな。もう休め」
「ああ、そうさせてもらうよ。ところで、親父?」
「ん?」
「俺やアイナを心配するよりも、親父自身はどうなんだよ? この前、『遂に運命の女性と出会った!』とか騒いでいただろ?」
「あー……、あれなぁ……」
気まずそうに視線を逸らしたウイリアムは、がりがりと頭髪のない頭を掻いた。
「………………レた」
「え?」
「フラレたよ、こんちくしょう! 言わせンじゃねーよ!」
「……どうせまた、親父の好きな【パンデミック】以前のアニメや特撮の話ばかりしたんだろ……前もそれでフラレたって言っていたよな?」
「そうだよ! 悪いかよ、アニメやトクサツが好きで! オレの趣味を理解してくれない女なんて、こっちから願い下げだっつーの!」
ちなみに、ウイリアムが過去に「運命」を感じた女性は優に二桁を超えている。そして、これからもその数は増えるのかもしれない。
ウイリアム・フィッシャーマン、43歳。カワサキ・シェルターの代表を務める元米国海軍軍人。その恋愛遍歴は……言わずが花というものであろう。きっと。




