1/流転の森 -10 この程度の人間なんだよ
「避け、……てッ!」
プルに取り憑いた魔獣が勢いよく投げ放った短剣を、ヘレジナが指二本であっさりと受け止める。
「心配めさるな! このヘレジナ=エーデルマン、短剣の百本や二百本など、へいちゃらのへーですとも!」
「ち、違うの!」
プルが悲痛な叫び声を上げる。
「い、い、いま、短剣の影に潜んで──」
ぎい、と。
魔獣の鳴き声がした。
プルではない。
ヘレジナの足元からだった。
見れば、ヘレジナの影が厚みを帯び始めている。
ぎい、ぎい。
ぎい、ぎい。
笑っている。
俺にはそうとしか聞こえなかった。
「──カタナ」
プルへ向けて短剣を腰だめに構えながら、ヘレジナが口を開く。
「できるなら、私を殺せ。できないのなら、プルさまを連れて逃げろ。私に背を向けて二度と振り返るな。ヘレジナ=エーデルマンの旅路はここで終わる」
ヘレジナが気丈な笑みを浮かべる。
「師匠と合流するまで、プルさまを慰めてあげてほしい。プルさまは、とてもお優しい方だから……」
「ヘレ、……ジナ……?」
ヘレジナの言葉を理解したくないのか、プルが呆然と立ち尽くす。
「──さあ、行け! いつまでも耐えられはしない!」
「……ッ」
ギリ、と。
俺の奥歯が軋む。
なんでだよ。
どうしてこうなった?
異世界転移にチート能力、ここまで揃ってこのざまか。
あれらは所詮、創作物だ。
現実は現実、分不相応な夢を見てはならない。
結局、俺は何も成せないのか。
小賢しいアイディアひとつで感謝されて、いい気分に浸っていただけか。
鵜堂 形無という人間は、
所詮、
この程度なのか。
「──…………」
口の端が無意識に持ち上がる。
そうだよ。
その程度の人間なんだよ、俺は。
ブラック企業から逃げ切れず、そもそも逃げるなんて選択すら浮かばないまま、ただただ七年間も棒に振った。
安月給からは正体不明の控除が差し引かれ、貯金もできずに日々を食い繋いでいただけ。
月に一度の休日は、明日からの一ヶ月を耐え抜くために寝て過ごすしかない。
大した奴隷根性だな、おい。
「はは……」
目の前に選択肢が現れる。
【赤】立ち向かう
【赤】一人で逃げる
【赤】プルを逃がす
【黄】プルと二人で逃げる
ほら、選択肢も言ってるぜ。
言い訳ができて万々歳じゃないか。
ヘレジナの頼みを聞いて、さっさと逃げ出してしまえばいい。
たかだか出会って数時間の女のことなんて、気にする必要はないだろう?
「──…………」
俺は、プルの手を引っ掴んだ。
「かたな……?」
「舌噛むぞ」
「あっ──」
ヘレジナに背を向け、光球の反対側へと駆け出す。
幾度も背後を振り返るプルに苛立ちを覚えながらも高台を駆け下りる。
その最中、右肩に、強く殴られたような衝撃が走った。
「ぐ、う……ッ!」
短剣だ。
ヘレジナの投げ放った短剣が肩に突き刺さったのだ。
だが、立ち止まる余裕はなかった。
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