バッタ――邂逅
2話目……眠い
「あ、おかえり黒咲さん」
「どうも、坂口さん」
マンションのエントランスまで帰ってくると、大家さんの坂口さんに声を掛けられた、ちゃんと返事をしておく。
大家の坂口さん、このマンションを管理している大家さん…この人に会って初めてマンションにも大家さんが居ることを知った。
良い人…なんだと思う、毎回毎回会えばおかえりとか行ってらっしゃいとか言ってくれるし、ついこの間は窃盗犯を捕まえてたしその前は迷子になってた子供を親の所まで送り届けてた。
あの人を見てると、なんだが自分が悪い人間の様に感じてしまう、単なる被害妄想でしかないけど。
エントランスのオートロックをカードキーで解除して、そのままエレベーターへと向かってボタンを押す。
上を見れば1から12までの数字の中で6の部分が光ってる、つまり今は六階か…来るまで少しあるな。
スマホを取り出して適当なニュースでも見る。
元の時代から来た俺からしてみれば、このスマホも元の時代と比べてみれば数段階上のハイテク道具なんだけど、こっちじゃ珍しいとまで言われるレベルの古い機種だ、お陰で安く済んだ。
今じゃスマホとかタブレットは影も形も…無いわけではないけど、それでも使ってる人はとても少ない。
使われてるのは、ホログラムやら何やらを空中に投影するSFみたいな端末だ、そのせいで最初は戸惑ったし現実感も湧かなかった、夢かとも思ったな。
因みにスペックは知り合いに頼んで改造してもらった、そのせいなのか今流行りの機種に優るとも劣らないレベルの性能を叩き出してくれる、少し金は掛かったけどね。
スマホに載っているニュース情報には、先程見たものと同じニュースが載っていた、何処かの誰かが死んでいたというよくある話だ。
被害者は男性、身元が不明だから名前も年齢も職業も全て不明、死因は頭に対する打撲による撲殺。
顔に何度も鈍器を叩きつられた痕跡があり、そのせいで顔がぐちゃぐちゃで身元が特定出来ない、持ち物の中には財布も端末も何も無かったことから強盗殺人であると警察は見ている…簡単に言っちゃうとこうだな。
ただ何も持ってなかっただけなんじゃないかとも思うけど、強盗と推測してる時点で何か有ったんだろうと適当に考えてみる、まぁどうでもいいんだけど。
チーンと音がする、どうやらエレベーターが降りてきたらしい。
端末を納めて前を向く、開くエレベーターの扉の先に誰もいないことを確認してから中に入り、7階へのボタンを押して閉ボタンをポチッと押す。
因みに、エレベーターのボタンは俺の居た時代と大差は無い、そこまで未来的じゃないのだこの時代は。
閉じていく扉、それをボケ〜としながら見つめ…ふと気付く。
閉まっていく扉の更に向こう、エントランスのガラスの向こう側から誰かに見られている気がする…いや、するじゃなくて見られている。
ジッと見る…が、その前に扉が閉まりきった。
姿は見えなかった、そんな時間も無かったし暗かったのもあって姿形も顔も何を着ているのかも確認出来なかった。
気の所為かとも考えるけど、それを考えるには視線を露骨過ぎた…間違い無い、俺は絶対に見られていた。
…なんで見られてたんだろう? ストーカー? ……無いか。
チーンと音がする、着いたらしい。
扉が開く、向こう側には誰もいない。
エレベーターを出て家へと向かう、通り道には誰も居ない。
コツコツと靴の叩く音だけが辺りに響く、下の階だと車の音とかが聞こえてくるけど、六階辺りからはもう聞こえてこない…それが何処となく寂しく感じるのは俺だけだろうか?
家に着いた、708号室…俺の家だ。
カードキーを扉の取っ手に翳す、するとガチャッという音が扉から聞こえてくる。
カードキーを使用した防犯システム、これにもまだ慣れない…まぁ、これに関しては最近のことだから仕方がないんだけど…。
扉を開けて部屋へと入る、何時までも突っ立ってたら泥棒か何かと勘違いされてしまう、実際間違えられたことがあるんだから間違いない。
「ただいま〜」
…返事は無い、当然だ…ここには、俺しか居ないのだから。
昨日までは、ここに瑞穂さんが居た、あの人がおかえりと言ってくれていたのだ…だけど、今は……今日からはもう居ない…だって盗られちゃったから。
分かってはいるけど…やっぱり辛い。
靴を雑に脱ぎ捨てて、部屋の電気を点けて適当に鞄を机に投げ捨て、スーツも脱がずにソファーに上に寝転がる。
仰向けになって眼を閉じる…そのまま寝てしまおうとも考えたが、瑞穂さんのこと思い出しそうだから止めた。
「……シャワー…浴びよ」
身体を起こして風呂場へと行く。
ネクタイを緩めてスーツとシャツを脱ぎながら、ふと考える…俺が瑞穂さんと別れない方法はあったのだろうか…と。
扉を開けて中に入って、身体を洗い髪を洗い…全部済ませたら温かいシャワーをただ浴びる…その中でさっきの自問に答えを出す。
きっと無かっただろう…何故ならあの人が俺と別れたのは好きな人が出来たから、俺が瑞穂さんに向けてた物と同じ感情を抱いていたってことだから。
だから多分、俺はあの場で最適解を選べたんだと思う。
あの女の子…『沢木千種』と会った時、直感的に分かった、勝てないって。
黒く長い髪に柔らかい瞳、何処となく天然でホワホワとした雰囲気を纏っていた彼女だけど、その眼の奥にはこっちまで火傷してしまいそうな熱が有った。
なんとなく、エロゲとかアニメによくいるタイプの人間なんだなって感じた、普通に女の子なのに何処か人を引き寄せる何かを持った存在なんだと…そう感じた。
だから俺は、沢木さんを一目見た後、瑞穂さんの別れ話を受け入れた。
納得してしまったからだ、この人なら仕方が無いと俺が負けを認めてしまっていた。
だから仕方がない、少なくとも俺はそう納得した。
シャワーを止める、これ以上は水道代が高くなる。
風呂場から出てタオルで身体を拭いて適当な服に着替える、そしてそのままオフトゥンにダイブゥゥ。
今日は疲れた、主に精神的に疲れた。
彼女に好きな人が出来たと振られ、その好きになった人が同性の女の子でしかもアニメとかゲームとかでよく見る精神的イケメン女子っぽい事実に猛烈な敗北感を味わったり…色々あったなぁ。
椿とか阪堂さんの前では気にしないようにしてたけど、こうして家に帰ってくるとやっぱり考えてしまう…憂鬱だ。
「………寝よ」
電気を消して目を瞑る、普段は寝て起きたら大概の感情がリセットされる俺だが、今回ばかりは無理な気がする。
「おやすみ〜」
誰に言っているのやら、俺一人しか居ない寝室のもう居ない誰かに向けて挨拶をして、俺は眠りについた。
『…………………』
――ジリリリリリリリリリッ!!
パチリと目を覚ます、朝です。
横にあるスマホを手に取って見てみれば、時間は朝の6時…6時?
おかしい、俺はアラームを7時に設定していたはずなのに…設定の時に間違えたかな?
――ジリリリリリリリリリリリッ!!
……とりあえず、アラームを止める、うるさい。
身体を起こして布団を退け、大きく欠伸をする。
頭をガシガシと掻き、目元を擦って立ち上がり、ヨタヨタと洗面台へと足を向ける。
顔を冷水で洗う、冷たい水が顔に掛かる感触が俺の意識をゆっくりと覚ましていく。
バシャバシャ、バシャバシャという音を鳴らしながら何度も水を顔に掛ける。
──バシャバシャ、バシャバシャ、バシャバシャ。
キュッと蛇口を捻った後に顔を上げて、鏡を見る。
そこには俺が居る、黒い髪を短髪に切り揃えた特に変わりのない俺の顔、多分親の顔より見たんじゃないかってくらい馴染みのある顔…まぁ自分の顔なんだから、当たり前なんだけど。
タオルで顔を拭いて、リビングに行く…さてと、今日は朝飯何にしようかな。
『……………………』
「…………………」
……えっ……何か居るんですけど……。
リビングに来た俺の目に真っ先に映り込んできたのは緑色のメカメカしい物体、それは俺が昨日机の上に投げ捨てたカバンの上に悠然と佇んでいた。
……えぇ、なにこいつぅ……バッタかな?(錯乱)
いやいや違うだろ、こんなメタリックなバッタが存在してたまるか……いやまぁ、確かにバッタっぽいけど。
というか…どうやって部屋に入った?
『………………』
俺の鞄の上に立ち続けるそいつは、こちらには見向きもせずにただ窓のある方向をずっと向き続けている…なんやこいつぅ?
というかなんで鞄の上に居座ってんの? やめてよそれ俺の鞄、俺が仕事行く時に使う鞄なんだよ返しなさい。
無言でそろりそろりと近づき、鞄を取ろうとする…が、見たことの無い意味不明☆ なアレ過ぎて上手く近づけない…というか近づきたくない。
しかし、そういうわけにもいかない、あの鞄の中には仕事に必要な書類やら機具やらを入れたままにしてあるんだ、ここで取らねば何時取るというのか。
「(ええい! ままよ!!)」
一気に近づいて鞄の持ち手に手を伸ばし、掴み取る。
そしてそのままテーブルクロスにある布を食器を倒さずに素早く引くあれみたいに――
『―――!?』
取ろうとしたら、バッタみたいなのが俺に気づいて突撃してきた…というかされた。
いきなりドヒァッと顔面ど真ん中ドストレートに跳んできた、ガンッと硬い何かがぶつかった感触が凄くする、まるで鉄パイプ以上の何かで殴られたみたいだ……痛いぃぃ…!!
『―――!! ―――!?』
なんかバッタみたいなのが機械音声みたいなので喚いてる気がするけど、そんなの知らん、頭が痛い…氷まだあったかなぁ…?
ヨロヨロと近場に落ちてたミニタオルを手にとって冷蔵庫をGO、氷をタオルで包んで頭に当てる……痛い(涙)
じんっと痛みが染みる、ぶつけられた箇所からは若干ではあるが液体が垂れているような感触がした…これ血出てるじゃん。
「つぅぅ…ぁぁぁ」
うめき声が漏れ出る…マジで痛いんだけどどうしてくれねんこれ(憤怒)
怒りを込めた眼で先程のバッタみたいなのを見る、なんか心なしかワタワタしてる気がするけどそんなことは知ったことじゃない…どうしてくれようかなぁこいつぅ…!!
『――!?!?』
さっきみたいに突撃されるのも嫌だから、今度はさっきよりも速く近付いて、ぐわしっとバッタもどきを捕まえる。
捕まったバッタモドキはジタバタジタバタと俺の手の中で右に左と動いて俺の手から逃げようとするが…舐めるんじゃあない! こちとら握力60以上(自慢)ってことだけが取り柄の元彼女持ちじゃぞコンチクショウがぁ!!
抑え込む、握り込む、いっそ潰してやろうかと言わんばかりに力を込めていく。
ギチギチとミギミギと音を鳴らしながら、手の中にいるこの鋼鉄バッタの動きを圧殺していく。
『―――!!? ―――!!!!!?!?!?』
何か機械的な音声が聞こえる、何処か必死な様子だが知ったことじゃないんだよこちとらさっき頭にダイナミックエントリーされたせいで頭が痛いんじゃい!!
バッタを握りしめたまま、ベランダに向けて歩き出す、こういうのは外に放り投げるのが一番だと黒光りのGとスズメバチで経験している、元田舎育ちを舐めるんじゃない!!
『――!!!?!?!?!?!!!!???!!?』
俺が何をしようとしたのか察しでもしたのだろうか、また動きが激しくなって俺の手にバイブレーション機能でも搭載されたんじゃないかったくらい震えだした、急がないとマズイかもしれない。
窓を開いてベランダに出る、外は朝焼けビルの間からひょっこりと太陽が見えている。
良かったじゃないか、最期の光景が意外と綺麗で。
『――!!!?!?!?!!!???!!?!?!!??!??!!!!?!?』
「アイタッ」
手から痛みが奔る、見てみるとバッタの抵抗が先程の倍くらいにまで激しくなっている、本格的に身の危険を感じ始めたらしい…だがもう遅い。
腕を振りかぶる、足で床をきっちりと踏みしめ、手の中から逃げないようにしっかりと握りしめ、大きく大きく腕を振りかぶって――
「さいならメカバッタぁ!!」
外に向けて思い切り投げ……いや待てよ?
動きを止める、バッタは未だ握りしめられたままで相変わらず抵抗を続けているが、今はそれどころじゃない。
今の今に至るまで忘れてたけど、そういえばこいつ鉄なんだよな、鋼鉄なんだよなこいつ…このまま投げたら不味いのでは?
だって、俺の家の下には道を歩いている人や道路を走る車、自転車を漕いでいる子供とかゴミ拾いをしているおじさんも居るわけだよな。
そんなところに俺が投げたこいつが落ちたら……どうなる?
運良く誰にも当たらず落ちてくれるならそれで良い、多分誰が投げたとかで文句を言われるだろうけどそこは誠心誠意謝るしかない、謝るだけで済む。
じゃあ、誰かに当たったら? 誰かの頭上に落ちたら? それで誰かが死んでいたら? 俺はその責任を取れるのか?
無理だ、取れるわけがない、命に責任は付き纏うものだけど命を奪うことに責任もクソも無い。
自分の手を見る…相変わらずバッタは抵抗を続けていた。
よくよく思い返してみれば、俺なんでこいつをぶん投げようとしているのだろう? 元はこいつが踏んづけてた鞄を取り戻そうとしてただけなのに、どうしてこうなった?
バッタを掴んだままリビングに戻る、窓もちゃんと施錠した。
ソファーにドサリと座り、ジタバタしているバッタを机に上に置いて、そのまま手を離す。
手を話した瞬間、バッタはとんでもない速度でピョーンと後方に跳び、俺がこの前買ったばかりのテレビの上に着地して俺に向けて警戒態勢? みたいなのを取った…いや知らんけど。
というか、それがどうしたって話なのだ。
「……はぁ……物は壊すなよ?」
そうバッタに向けて一言言って、寝室へと足を向ける。
ただ朝飯を食べに来ただけなのに、どうしてこう疲れなければいけないのか…しかもこんな朝っぱらに。
そんなことを考えながら、俺は寝室のクローゼットを開け、中からスーツ一式を取り出して着用していく。
髪は…最近切ってないから後ろ髪の一部を纏めてゴムで結ぶことにする、髪が長いと一々うなじの部分に当たって鬱陶しいのだ
今度、切りに行かなくちゃな。
リビングに戻ると、例のバッタはちょこんと机に居座っていた、しかも今度は俺の居る方をガン見している。
試しに右に動いてみると、バッタも右に身体を動かした。
左に動いてみる、バッタの身体が左に動いた。
バッタの後ろに回り込んでみると、くるりと身体を俺の方向へと動かしてきた…えっ、なに? 俺ターゲットか何かされたの?
えぇ…やだぁ…怖い。
この後、俺が仕事に行くその時まで、何故かずっとガン見された挙げ句ピョンピョンと行く先行く先に着いてこられた、しかも俺の鞄の中に入ろうともした。
やっぱりさっき投げ捨てといた方が良かったんじゃないかと割りと本気で悩むレベルで着いてきた。
こいつ…仕事場にまで着いてこないよね?
後に、俺はこいつを投げておけば良かったと後悔することになるのだが、それはそれでまた別の話。