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9)惑星を食む

 神社。森の中の立派なお社。朱塗りの鳥居。

 白い着物に浅葱色の袴の人が境内を掃除している。

 ■■■様だ。

 おはよー、■■■様。今日もいい天気だね。

 そうだね、バク。今日も1日、出入り口を守っておくれよ。

 もちろんだよ、■■■様。

 嬉しい気持ち。幸せな気持ち。

 ああ、バクはこの人が大好きで、だからここをずっと守っているんだね。

 バク、バク。

 なぁに、ハク。

 そろそろお参りの人が来てしまうよ。

 そうだね、戻らなきゃ。

 今日が始まるね。

 今日が始まるよ。

 鳥居の内側。

 平らな白い石を敷き詰めた参道。

 その両脇に向かい合わせに置かれた、四角い石の台座に登る。

 これが仕事。

 ぼくの、仕事。



 目覚めると、優しい気持ちと悲しい気持ちで胸がいっぱいだった。眠りながら泣いていたようで、涙が溢れて止まらない。

「……なんだ今の夢」

 見たことのない場所だったし、出て来た人物も知らない人だった。目線は普段より低くて、まるで四つ足の生き物の高さくらい。

「バクの記憶、かなぁ?」

 まだ止まる気配のない涙を手で拭いながら、和都はベッドの脇に置いていたノートを開き、ベッドの上で寝転がったまま夢の内容を書いていく。昨晩ベッドの中でノートと睨めっこをしていたのが、妙なところで功を奏したようだ。

 見えたもの、感じたこと、起きた出来事を書ききってから、ふと土曜に言われたことを思い出す。

「あ、送れって言われてたな……」

 枕元に置いていたはずのスマホを探しだして、チャットアプリの送信画面を開いた。メモした内容を打ち込もうとしたが、面倒くさくなり、メモしたノート自体を撮影して、そのまま仁科宛に送る。

 時間が早朝なせいか、見たことを示す既読のマークはつかない。普段から寝坊するような人なので、きっと暫くは気付かないだろう。

 スマホを閉じて放り、涙がようやく止まった顔を枕に埋める。どうしても、土曜の出来事を思い出してしまって。

 ──先生、ホント何考えてるんだろ。

 言われるまま家に着いて行ったのは、よくなかったかもしれない。けれど、帰る直前のあれ以外で、特に何かをされたわけではないし、仁科の家でアルバムを探さなければ白狛神社の行方は分からないままだった。

 何より一番驚いたのは、仁科に対して怖いとか嫌とかそういう感情が全くなかった自分自身だ。

 ──なんか、絆されてきてる、気がする……。

 朝の日課のせいなのか、頼れる大人が先生しかいないからなのか、同じ世界を共有できているからなのか、もうどれが理由か分からない。

 自分でもよく分からないが、ただ1つだけ確かなことがある。

「……ユースケに言ったら、先生殺されちゃうかもなぁ」

 春日はすでに、仁科相手にイエローカードを出している。次何かあれば、優秀な『番犬』は何か策を講じるに違いない。彼はこれまでもずっとそうしてきた。

「バレないようにしないとな……」

 安曇神社に移動したと思われる白狛神社については、仁科が親類に連絡して、現状の確認をしてくれることになった。上手くいけば移動の経緯や鬼を封じた方法の手がかりに繋がるかもしれない、という状況である。

 今、仁科が居なくなってしまうと、それはそれで困ってしまうので、春日にバレると大変だ。

 別の意味で執着する春日に、話せないことが増えてきた気がする。



◇ ◇



「今日は放課後、騎馬戦の練習あるんで、お手伝い無理デス」

 朝の観察簿を届けに来た和都の第一声がそれで、仁科は観察簿を受け取りながら小さく笑った。

「あら残念。明日は?」

「明日は選抜リレーの練習……」

 中間テストが終わるとすぐ、体育祭に向けて準備が始まる。

 保健委員は体育祭で救護班として動くので、その順番を決めたり、手当ての方法や応急処置用品についての見直し等をしなければならない。それに加え、毎月の健康習慣ポスターの張り替えや、水回りの巡回チェックもあるので普段以上に忙しい。

 だがこの時期は、保健委員唯一の暇人である和都自身も、めちゃくちゃ忙しくなる。

「さすがにこの時期は大人気だねぇ」

「仕方ないでしょー」

 今週は週の頭から、毎朝ずっと仁科とそんなやりとりをしている。もちろん仁科は昨年の和都の体育祭での活躍ぶりを知っているので、呆れつつもちゃんと理解していた。

 ちょうどそこへ、観察簿を持ってきた保健委員の1年生2人がやってきて、

「あの、今日オレたち塾ないんで」

「放課後のお手伝い、できますよ」

 2人の申し出に、仁科はにっこり笑う。

「そう? じゃあお願いしようかな」

「ごめんねー。じゃあ、よろしく!」

 そう言うと、和都は1人足早に保健室を去っていった。





 狛杜高校における体育祭での組分けは実にシンプルである。各学年の1、2、3組が白で、4、5、6組が赤と決まっており、本校舎の東側と西側で分かれる形だ。

 そのため放課後の白組2年生による選抜騎馬戦練習は、1〜3組の選抜メンバーのみで行われる。1クラスから3組、計12人が選出されるのだが、和都は春日と同じグループで、小坂と菅原もそれぞれ別のグループに選ばれて出ることになっている。

 放課後の練習内容としては馬役と騎手役の顔合わせと、ルールの確認。それから実際に動いてみたり、軽く対戦をしたりといった感じで、練習自体は問題なく進んだ。

 練習監督が堂島だったこともあり、和都は若干警戒していたのだが、チカラが増えて『いやなもの』への耐性がついてきたためか、普段の授業を受ける時と同様、とくに気持ち悪くなることはなかったので正直ホッとしていた。

 堂島は『鬼』に憑かれているという部分を除けば、悪い先生ではない。気さくでとっつき易いためか、周囲の生徒たちからの人気も高い先生である。ただ、あの目がそのうち赤く光るのではないか、と思うとどうしても緊張してしまう。

「じゃー練習はここまでー」

 1組の選抜リーダー役の掛け声で、無事に練習が終わった。

 校庭から第2体育館と本校舎の間にある通用口へ、着替えのために戻る途中。教室へ戻る列の、最後尾のほうを歩いていた和都の肩を誰かが叩いた。

「なぁおい、相模」

 振り向くと、白組のハチマキにグレーのジャージを着た小坂が立っている。菅原たちと先に教室へ向かったと思っていたが、後ろにいたようだ。

「なに?」

「ちょっと体育倉庫に持ってくものあるから、手伝ってくんない?」

「あぁ、わかった」

 先ほどの練習で使ったものだろうか。言われて着いていくと、練習で使ったライン引きが3台そのままになっていた。

「わりぃわりぃ。さすがに1人で3台は無理でさ」

「ううん、へーき」

 小坂が2台運び、残り1台を和都が運ぶ。体育倉庫は校庭の隅のほう、第2体育館の横にあるので、たいした距離ではない。

 大きくて重たい体育倉庫の引き戸を開け、小坂が先にライン引き2台を持って中に入っていった。和都もそれに続いてライン引きを運び込んだのだが、

「あれ?」

 先に入ったはずの小坂がいない。

 辺りをぐるりと見回す。体育倉庫の中は、体育の授業を外で行うときに使う平均台や跳び箱、サッカーボールや野球の道具などが雑然と並んでいた。明かりはつけていないが、出入り口から外の明るさが差し込んで中は薄ら明るい。

「小坂ー?」

 とりあえず運び込んだライン引きを、すでに並んでいるものと同じ場所に置いた。

 どこに行ったのだろうと再度倉庫の中を見渡すが、どうにも様子がおかしい。人の気配がないのだ。そんなに大きく広い場所ではないし、人の隠れられそうな箇所も見当たらない。

 不審に思っていると、背を向けていた出入り口が、ズズ、ズズ、と徐々に閉まり始めていた。

「え、ちょっと?!」

 慌てて出入り口の引き戸へ駆け寄った。閉められないように押さえてみるが、相手の力のほうが強いのか、歯が立たない。

「くそ、何すんだよ!」

 そう言って閉まり始めた隙間から外を見る。引き戸を閉めようとしている人物の顔が見えた。

 しかしそれはよく視ると、小坂ではない。

 ──あ、こいつ……!

 隙間から視えた顔は、小坂と雰囲気は似ているものの全く違う。目の辺りは真っ暗でぽっかりと穴が開いたようになっており、口元は三日月のように吊り上がっている。そして、胴体はちょうど胸の下辺りでぶっつり切れていて、下半身がなかった。

 相手は鬼ではないが、この体育倉庫の扉は外から鍵を掛けるタイプなので、完全に閉められて鍵を掛けられたら、逃げられない。

 ──どうする!

 閉められないように戸を逆方向に引っ張るが、腕力では到底敵いそうになかった。ずるずると開いていた隙間が少しずつ狭くなっていく。

 と、その時、

〔カズトになにするんだ!〕

 頭の中にハクの大声が響いた。和都は驚いて、だいぶ細くなってしまった引き戸の隙間から外を覗き見る。

 首から上しかない白い犬が、小坂に成り済ましたナニカに向かって大口を開けていた。大きさは普段の数倍に大きくなり、白くて荒々しい牙を剥いている。

「ハク!」

 和都が驚いているほんの僅かな間で、唸るような声と共にハクはその得体の知れないものに喰らいつき、飲み込んだ。

 あれが、『狛犬の目』と対になる『狛犬の口』だろうか。

 普段の無邪気で明るい様子とは違い、強大で荒れ狂う獣のような雰囲気に、和都は圧倒されて息を呑んだ。

「……ハク?」

 和都が細い隙間から恐る恐る呼びかけると、巨大に膨れ上がった犬の首は、シュルシュルと風船の空気が抜けるように萎んでいき、いつものサイズに戻った。そしてくるりとこちらを向いて、

〔カズト、大丈夫ー?〕

 よく知るハクの姿と普段通りの明るい声でそう言ったので、和都は胸を撫で下ろす。

「うん、ありがとう」

 そう言いながら、閉められかけた引き戸を押し開けて外へ出た。

「すごいね、ハク。ビックリしちゃった」

〔えへへー。カズトのチカラがだいぶ強くなってきたからね! これくらいのヤツなら追い払えるよ!〕

「あー、そう……なんだね」

 忘れていた仁科の家での出来事を思い出してしまい、和都はうなだれる。あれが効率よくチカラをつける行為だというのは分かっているが、こうも結果を目の当たりにするとなんだか悔しい。

 和都はため息をついて体育倉庫を閉め、教室へ戻ろうと第2体育館側の通用口へ向かう。その途中、視線を感じてそちらを見ると、本校舎中央にある職員用の通用口の辺りに人影が見えた。

 背の高い、小豆色のジャージを着た人物。

 ──……堂島先生。

 もしかしたら、ハクが食べてしまったアレは、彼が差し向けたものだったのかもしれない。

 用心しなければ、と考えているところへ、通用口の方から声を掛けられた。

「和都!」

 ジャージ姿のままの春日だった。どうやら自分が居ないことに気付いて、探しに戻ってきたらしい。

「どこ行ってたんだ?」

「あー、ライン引き、片付けてて……」

 校庭に置き去りにされていたものを、ちゃんと体育倉庫に片付けてきたのだから、これは嘘ではない。

「そう。着替えて帰るぞ」

「うん」

 春日の後を追って通用口から本校舎へ戻る。

 その前にもう一度職員用の通用口の方を見たが、そこには誰もいなかった。



◇ ◇



 体育祭が目前に迫った放課後。和都は保健室で仁科と当日に向けた最終の打ち合わせをしていた。

「ここの競技の時間、1年生だけで大丈夫ですか?」

 談話テーブルに広げた競技プログラムを2人で見ながら、救護係の人員配置の最終確認である。

「一応、3年が1人だけど入れるから平気だよ。それに怪我人出やすい競技じゃないし」

「それもそっか」

「お前が1番出入り多いんだから、気を付けなよ」

「分かってまーす」

 和都は出場競技が多いので、本来なら生徒達が待機する応援席にいるべきである。だが、生徒しかいない席に堂島や川野が呼び出し等にきたら応じなければならない。それを避ける目的で、なるべく仁科のいる救護テントにいられるよう、役割分担を組んでいた。

「てか、最終チェックがおれなのなんで?」

「お前が1番大変なのと、清水がバックレたから」

 清水とは、現在の保健委員の委員長を務める3年生である。和都が諸事情により仁科の手伝いを一手に引き受けた関係で、現在ほぼ職務放棄している先輩だ。

「清水先輩め……」

「因みに次の委員長候補、お前になってるからよろしくな」

「はぁっ?!」

 狛杜高校は生徒会長や各委員の委員長を、2年生2学期から3年生1学期まで務めることになっている。そのため2年生の1学期末に、委員長候補を当代委員長と委員顧問の先生が決める。2年で委員長になると、自動的に3年次の委員も確定となる仕組みだ。

「委員長とか絶対イヤなんですけど……」

「お前、向いてると思うけどなぁ」

「目立つのがイヤなんです!」

 そんな話の最中、ブーッブーッ、と作業デスクに置いてあった仁科のスマホが振動し始めた。止まる気配がないので、着信のようだ。

 やれやれと仁科は作業デスクまで行き、スマホを手に取り覗き込むと、少しだけ驚いた顔をして、

「……悪い、ちょっと出るね」

「あ、うん」

 普段の仁科なら無視して後から掛け直しているのだが、どうやら外せない電話らしい。和都の返答に、仁科が『応答』を押して取る。

「はい、もしもし、」

〈こんの大バカヤローー!!〉

 つんざくような、女性の大声だった。

 スマホの設定をスピーカーにしているわけでもないのに聞こえるということは、かなりの大声である。

「……うるさっ」

 仁科は分かりやすく嫌な顔をして、まだ何事か叫び声の聞こえるスマホを耳から離しつつ呼びかけていた。

「おい、うるせーぞ。まだ学校なんだけど……」

 学校という言葉に落ち着いたのか、スマホから声が漏れ聞こえることがなくなり、それでようやくスマホを耳に近づけて話し始める。

「悪い悪い、忙しくてさ。んで? ……あぁ、そう」

 そう言いながら、仁科が保健室の奥の窓際へと移動した。電話の向こうの声に、うんうんと相槌を打っている様子を、和都はなんとなく目で追ってしまう。

 話している相手は、聞こえた声の感じから若い女性のようだった。いつもと違う表情に変わるかと見ていたのだが、全くもって普段通りの様子である。

「……今年は帰るよ。ちょっと探し物もあるし」

 仁科の視線が、何故か一瞬だけこっちに向いた。

 目が合ったのが少し気まずくて、和都は思わず視線を談話テーブルに広げた体育祭のプログラムの方へ向ける。

「……ああ、わかった。じゃあね」

 もうしばらくだけ何か話した後、仁科がそう言って電話を終えた。

「……女の人の声、だったね」

 談話テーブルのほうに戻ってきた仁科の表情を窺いながら、和都が言う。

「ああ、うん。安曇神社の宮司を代々やってる親戚の子でね。次代の当主様だよ」

「じゃあ、今の電話って」

 安曇神社と聞いて、和都は色めき立つ。

 仁科が親戚に連絡をとって確認すると言っていた件だ。

「うん。白狛神社は安曇神社に今も末社として祀ってあるそうだ。移動した経緯とか元の場所のこととかは、分かんないみたいだけど」

「……そっか!」

 未確定だった白狛神社の現在の行方が、これで確定した。

 しかし、これ以上の情報を得るには、安曇神社まで行かなければ無理だろう。

「こうなると、当主の親父殿に連絡しないとだなぁ。面倒くせぇけど」

「そこは、お願いします……」

「分かってるよ。何とかするさ」

 普段ならわりと何でも積極的に、どちらかと言えば強引に進めていくような人だが、安曇家に連絡するのは腰が重いらしい。

 そこも気になるのだが、和都はもう一つ、気がかりなことがあった。

「……そういや、なんか相手の人、怒ってなかった?」

 離れた位置にいた自分にも聞こえるような大声で怒鳴られていたのだ。どうしたって気になってしまう。

 しかし仁科は、いつものような調子で、

「そりゃまぁ、婚約者に数年連絡しなかったら怒るだろうねぇ」

 そう言った。

 予想外の単語に、和都は目を見開く。

「婚約者?! うそ!」

「嘘」

「……どっちだよ」

 淡々とした調子で言われてしまい、さすがに腹が立つ。だが、仁科の表情はいつも通りだ。

「『嘘』の婚約者、ってとこかな。お互いに結婚する気ないけど、表向きは婚約者っつーことにしてるというか、されてるっていうか」

「親が決めた的なやつ?」

「そうそう。そんな感じ」

 本の中ではよく見かける話だが、実際にいるとは思わなかったな、と思いつつ、和都は心臓の奥にチリリと滲むような小さな痛みを感じた。

 痛みの理由は分からないが、この状況がよくないのは、分かる。

「……てか、そういう人がいるなら、先に言ってよ」

「なんで?」

「その気がないんだとしても、ダメだろ」

 自分の声が沈むのを感じる。ズボンの太腿のあたりをギュッと握った手が震えていた。

 怒りでも悲しみでもなくて、これは恐怖だ。

 自分のせいで誰かが裏切られること、傷つくこと、迷惑をかけることへの、恐怖。

「……知ってたら、頼まなかったのに」

 目の奥が、ぎゅっと熱くなる。

 泣きそうな気持ちになるのは、なぜだろう。

「でも、他に頼れる人、いないんでしょ?」

「そう、だけど……」

 仁科の顔が見れなくて、和都は俯いたまま呟くように言う。

「他人に迷惑かけてまで、なんとかしたいとは思ってない」

 自分にそこまでの価値を見いだせない。

 他人を裏切ってもらうほどの理由がない。そう思ってしまうのだ。

 不意に気配が近づいて、大きな手のひらが頭の上に乗せられる。

「……俺は、結婚する気のない奴のために貞操守るくらいなら、困ってる可愛い教え子が助かるほうを選ぶけどね」

 言われて顔を上げると、眼鏡の奥の目を細めて笑う仁科の顔があって。

 あ、と言う隙もなく、小さく開いた口を唇に軽く塞さがれて、すぐに離れていった。

「……だ、から! 学校ですんなって!」

 慌てて頭に乗せられた手を振り払って、仁科と距離を取る。しかし、相手はいつもの飄々とした調子で笑っている。

「いやー、つい」

「あんたの貞操観念どうなってんだ」

「これでも好きな子としかしないタイプだよ」

「どーだか。婚約者にさせられてる人が気の毒になってきた」

 和都は文句を言いながら、手の甲で唇を拭う。

 仁科の本心が全く読めない。今後も分かる気がしない。

 頼れる人がこの人しかいないのは、不幸中の幸いの中の災いだ。

「てかホント、学校でコッチにすんのやめろって」

「あら、そんなに嫌?」

「……ユースケに見つかったら、殺されるよ、先生」

「あー。それは、確かに」

 春日の名前を出してようやく仁科が『それはマズイ』という顔をした。『番犬』からの警告はよほど嫌だったのだろう。

 本心が見えない仁科の、そこだけは何故かよく分かってしまって、和都は呆れながら小さく笑った。

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