6)警告
「小坂、昨日はありがとうね」
翌朝、和都はホームルーム後の休み時間のうちに小坂の席へ行き、昨日のお礼を改めて伝えた。
「どーいたしまして。おら、約束ものを出しやがれ」
「はいはい」
和都が呆れながら現国の宿題として出ていたプリントを手渡すと、小坂は嬉々として解答を写し始める。
「そういや、なんで神社なんか探してんの?」
小坂の前の席に座っている菅原が、こちらのやりとりに気付いて身体を向けた。
「あー、ちょっと気になって。なんていうか『暇つぶし』みたいな?」
「暇つぶしにしちゃ本格的だったじゃん」
「いやほら、塾とか部活とかできないからさ。たまに気になったことがっつり調べて遊んでんの。ただの退屈しのぎだよ」
「ふーん」
この説明に嘘はない。中学の頃から春日を巻き込んでやっていた『遊び』でも似たようなことはやっていたので、ある意味間違いではないのだ。
ちょうどそこに春日もやってきて、
「小坂のばーちゃんから、話聞けたの?」
「あ、うん!」
「聞けよ春日。相模の奴、でっけー地図とかしっかり用意しててさぁ」
菅原が昨日の出来事を大仰に話し始めたが、思った通り春日はさして驚かない。
「コイツの『暇つぶし』は、前からそんなもんだぞ」
「うわー、頭のいい奴らの遊び、意味わかんねぇ」
ただただ引いている菅原をよそに、春日は神社探しの結果のほうが気になっているようだった。中学の頃からこういった捜索系の『遊び』は春日の方が張り切ることが多い。
「結局、探してた神社は見つかったのか?」
「見つかったってわけじゃないけど、それっぽいとこを絞り込めた感じかなぁ」
「何箇所?」
「3つ!」
「実際に行ってみたりとかすんの?」
思っていた通りの流れになって、和都は少しだけ申し訳ない気持ちになってしまう。
「まぁ、行けたら行ってみたいとは思ってるけどねぇ」
「3箇所とも山の方だったもんなぁ」
「結構遠いのか?」
「距離もあるけど、結構広いんだよね、あの山」
「一緒に行く?」
「あぁ、大丈夫。みんな部活とか塾とか、忙しいでしょ」
ここで、線を引かなければ。
視えない世界の面倒事に、彼らを巻き込みたくはない。それに、
──たぶん、仁科先生と行くことになる、なんて言えないしね。
そんな話をしていたら、日直担当だったクラスメイトが黒板に大きく『1限 自習』と書き始めた。それをみて教室のあちこちから歓声が上がる。1限目は確か数学だったはずだ。
「お、ラッキー」
「先生どうしたんだろ」
話題が上手いことそちらへ逸れたので、内心ホッとしていると、
「和都、今日も委員の仕事あんの?」
「へ? あー、うん。こないだのアンケートの集計作業が……」
春日にそう答えながら、黒板の上の時計を見るとホームルーム後の休み時間が終わりに近づいていた。
「あっ、観察簿持ってかなきゃ」
すっかり話に夢中になっていた。自分の机に置いてあった観察簿を取り、和都が教室を出ていこうとすると、なぜか春日にそれを取り上げられて、
「え、なに?」
ついて来ていたのにも驚いたが、観察簿を取られたのにも吃驚した。
「俺が持ってく」
「なんで?」
「先生に話がある」
「あ、そう……。じゃあ、お願いします」
どうにも、不機嫌そうな雰囲気をまとった春日が、観察簿を持って教室を出ていく。教室の入り口でそれを見送って、和都は小坂と菅原のいる席まで戻った。
「……なんか、ユースケ怒ってなかった?」
「そうか?」
「アイツ、わりといっつも同じ顔してね?」
そう言いながら、宿題を写し終えたらしい小坂がプリントを渡してきた。
──……先生に話って、なんだろう?
あまり表情が大きく変わらない友人ではあるが、もちろん喜怒哀楽がないわけではない。付き合いが長いので、小さな変化でも分かるほうだけれど、先ほどは多分誰がみても『怒』の顔だった。
何に怒っていたのか、見当もつかない。
自席に戻って宿題のプリントを仕舞いながら、あ、と毎朝の日課のことを思い出した。だが、
──まぁどうせ、放課後に会うしな。
今日の集計はきちんと人数を確保した上で作業することになっているが、保健委員で一番暇な自分はきっと最後まで残ることになるだろう。急ぐようなものではないし、その時でも問題はない。
とりあえず、アンケートの提出状況を確認しておくか、と黒板の近くに設置しておいた回収箱を見ようと和都は席を立った。
◇
「2年3組です。観察簿持ってきました」
1限目がもうすぐ始まろうという、ギリギリの時間。そう言って保健室のドアを開けて入って来たのが、なんだか久しぶりに聞く声で、仁科は小さく驚いた。
「あれ、春日じゃん。なんだ、相模は休み?」
保健委員が休みの場合、観察簿は各クラスの日直が持ってくることになっている。当然の流れとして、仁科はシンプルにそう考えたのだが、
「いえ。先生に話があるんで、俺が持ってきました」
「話? ……なぁに、怖い顔して」
観察簿を受け取りながら、仁科はじっと春日の顔を観察する。
去年1年間、保健委員として春日と接していたのもあって、彼の分かりにくい表情変化はそれなりに分かるほうだ。
それにしても今日は随分と分かりやすく、怒っている。
「……和都に、委員の仕事を振りすぎなんじゃないですか?」
「えー、そう?」
「去年、俺も保健委員でしたが、委員の仕事でそんなに居残りしませんでしたよ」
なんとなく予想はついていたが、分かりにくいが分かりやすいな、と仁科は内心苦笑する。
「だってお前、1年の時から3駅隣のあの有名塾行ってたじゃん。週3だっけ?」
「週4です。土曜もあるんで」
「あら忙しい奴ね。相模は帰宅部な上に塾も行ってないっていうから、頼んでんだよ。今年の保健委員、暇な奴いなくて捕まらなくってさ」
「それにしたって多すぎます」
「……塾行って頑張ってるヤツに仕事をたくさん振れない分、相模に頑張って貰ってるだけよ」
こちらの事情もあるとはいえ、保健委員の現状について大きな嘘はない。
それにわざわざ居残りの多さを注意しに来るということは、春日は本当に和都が抱えている事情を何も知らされていないようだ。
「本当にそれだけですか?」
「それ以外に何があんのよ。……ちょっと警戒しすぎなんじゃない? お前」
「先生が知らないだけで、こっちは色々あるんですよ」
春日が大袈裟に息をついて見せた。
確かに、先日の川野の件といい、1年生の頃から頻繁にある呼び出しや、本人が持ってしまった『惹き寄せる』チカラのことを考えれば、和都を原因としたトラブルは高校入学以前から起きているのだろうと容易に想像がつく。
もし春日がそれらに対しずっと注意を向けていて、和都が倒れる度にここへ運び込むように、凡ゆることへ対応をしていたのであれば、
「お前、さては相模のためにわざとこの学校来たな?」
「……第一志望に落ちただけですけど」
やや間はあったが、瞬きを1度しただけで、表情を変えずに返して来た。
「俺がお前の成績知らないと思うなよ、学年首位め」
「塾のおかげです」
「あ、1年の時に保健委員やってたのも相模のためか」
「委員決めで残ってたのが保健委員だっただけです」
まるで聞かれる内容を予め想定していたかのように、考えることもなく淡々と春日が答えるので、仁科もこれには参ってしまう。
「心配しなくても、お前が思ってるようなやましい理由じゃないから安心なさい」
やれやれ、と頭を掻いたところで、ちょうど1限目の開始を知らせるチャイムが鳴った。
「あーほれ、1限始まったぞ。教室に戻りなさい」
「1限、自習なんで」
「納得するまで戻らないって顔だねぇ」
時間を理由に逃げられないよう、だからこそ、このタイミングで来たのだろうか。
仁科は呆れながらため息をつき、和都が春日に知らせていない事情を明かさない程度で、それらしい理由を考える。
物事を隠す時に、嘘をついてはいけない。『嘘』に近い、それらしい『本当』のことで逸らして隠してしまうのが1番だ。
「まぁ、相模が気になる理由としてはさ。……俺、弟が2人いるんだけど」
「はぁ」
急に関係のなさそうな話を始めたせいか、春日があからさまに訝しんだ顔をしたが、仁科は構わず続ける。
「俺が大学ん時に、1番下が事故で亡くなってて。まだ中学生だったんだけど。……ちょっと、ソイツに似てるもんだからさ。正直な話、それで他の生徒より気に掛けちゃってるのはあるよ?」
「……それだけですか?」
だからなんだ、と言わんばかりに表情を変えず返されて、仁科も流石に動揺した。
どうやら情に訴える、というものは効かないらしい。
「えぇー? あとはそうねぇ。あー……お前は知ってるんだろうけど、アイツの家庭環境も心配なのよ。アイツの親、ほとんど家にいる感じしないじゃん?」
一応教師の端くれなので、生徒達を委員活動などで居残りさせる時は、帰宅時間を必ず気にするようにしている。だいたいの生徒が門限なり、通学時間なりの都合があるのに対し、和都だけが必ず問題ないというのだ。いくら自宅が徒歩圏内とはいえ、流石に異常だ。
これはこれで、もう1つの『本当』の心配事である。
「……忙しい人たちなので」
和都の両親については、さすがの春日も手に負えないものらしく、ようやく視線が逸れた。こちらがネックならば、こっちを理由にしてしまったほうがよさそうだ。
「そうは言っても、限度はあるでしょ。なるべくバスケ部の連中と帰れるよう、遅くなりすぎないように気をつけてはいるけどね。まぁ、1人にしとく時間減らしてやろうかな、くらいの気持ちだよ」
そこまで言ってようやく、春日が諦めたように息をついた。
「ひとまずは、そういうことにしときます」
「信用ないなぁ」
「もし、先生に何かされたって聞いたら、殴りにくるんで」
「まぁこわい。……心得ておくよ」
その返答を聞いて、ようやく春日が保健室を出て行った。
仁科は大きく息を吐き、デスク用の椅子に深く座って受け取った2年3組の観察簿を開く。念のため『相模』の欄を見ると、特に何も書いていなかった。これはきちんと出席しており、健康状態にも問題はないということだ。
つまり彼は、自分と話をするためだけに、本当に代わりに持って来たらしい。
なんとも厄介な『番犬』だ。
「……うーん。バレたらおっかねーなぁ」
頭を掻きながら、仁科は小さく呟いた。
◇
「今年のアンケートって、なんでこんな設問多いんですか?」
放課後、先日配布した健康意識調査のアンケート集計をしながら、和都が疲れた声でぼやく。
集計を始めてすぐの段階では保健委員が数名はいたのだが、門限などの理由で少しずつ減っていき、保健室には結局予想通り、和都と仁科の2人だけが残っていた。
「毎年夏に近隣の県の養護教諭が集まって研究発表とかやってるんだけど。今年はうちの市内の高校で合同研究発表するってなってて。それで使うからねぇ」
こういった研究発表は、地域ごとに年に1度は開催されており、小中高問わず集まった養護教諭たちの交流と、意見交換の場にもなっている。
「へー、そんなのやってるんだ」
「まぁね。保健室の先生は、そういう研究発表とかもやるんだよ」
「ふーん、先生っぽい」
「いや、先生だってば」
他の保健委員がいる段階で、ほとんどのクラス分が終わっており、あと1クラス分が残っていた。最後のクラスが終わったら、全体集計をして完了である。
「そういや、神社探しの聞き込みどうだった?」
終わりが見えてきて余裕ができたからか、仁科のほうから聞いて来た。
「あ。小坂のおばあちゃんに教えてもらった話から、候補の3箇所まで絞り込みました」
和都は得意げに、指を3本立てて見せる。
「へぇ、やるじゃん。進んだねぇ」
「古い神社の話とかはやっぱ地元の人に聞くのが早いですね」
「宮司の常駐してない神社は、地域の人がお世話してることが多いしね」
神社は大小たくさん存在するが、宮司のいない神社も多くある。そのため、神社の管理自体はその土地に住む人たちが担っていることも多い。必要な祭事の際は、管轄としている近隣の神社から宮司が赴き、執り行っている。
「そうみたいですね。知りませんでした」
「とりあえず、そこまでアタリをつけたんなら、次は行ってみないとね」
「うんっ」
なんだか妙に明るく返事を返されたので、仁科は和都のほうに視線を向けた。
「……なんか、楽しそうね?」
「そういう遠くに出掛けたりするの、あんまり行ったことないから、ちょっと楽しい」
和都が珍しく素直に笑っているので、仁科もつい顔が綻んでしまう。
「ふーん。じゃあ、中間テスト終わったら行ってみるか」
「はーい」
雑談のような休憩を挟んだ後は、それぞれで計算した分を合算する。
それから各学年毎の項目別の合計を出し、さらに全体分を集計。これでようやく、おしまいだ。
「さ、集計はひとまずこんなもんかね」
学年別にプリントをまとめて積み上げながら仁科が言う。
「おわったー」
「あとは結果のグラフ作ったりしなきゃだけど。こりゃ明日だねぇ」
「そうだったぁー」
仁科の言葉に、広くなった談話テーブルの上に和都は突っ伏した。
アンケートは集計結果を表やグラフにして配ったり、掲示板に張り出したりする作業もあるのだが、1日ではさすがに無理がある。外はすっかり夕焼けのオレンジが身を潜め始めており、夜がやってきそうな色合いだ。
仁科はいつの間にかコーヒーを入れて飲みつつ、座っている和都の近くまでやってくると、校内の自販機に売っている紙パックの牛乳を差し出した。
「はい、お疲れさん」
「あ。ありがとうございます」
和都はそう言って受け取ると、遠慮なくストローを差して飲み始める。その様子を見ていた仁科が何かに気付いて、
「あれ? ……そういや、今日の分てしてない?」
「……あ、今朝はユースケが観察簿持って行ったんだった」
和都はホームルーム後の休み時間ギリギリに行こうとしたのを、春日が代わりに持って行ったのを思い出す。
「あれ、何の話だったんですか?」
「大したことじゃないよ。『番犬』さんからご忠告いただいただけ」
「『番犬』て。……あー、そういう話かぁ」
仁科の困ったような、苦笑するような表情を見て、話の内容になんとなく予想がついてしまった。
中学生の頃から、春日祐介は自分に近づいてくる『危ないもの』を色々な手段で遠ざけ、排除し、ただずっと側にいてくれる。
「アイツ、お前に近寄ってくるヤツ全員にあんなんなの?」
「あはは……。昔、色々あったもんで」
「ふーん?」
色々なことがありすぎて、笑って誤魔化すことしかできない。そのくらい、中学時代は酷かった。
あまり聞かれて気持ちのいいものでもないので、和都は保健室から戻って来た春日に言われたことを思い出す。
「……そういや、おれが先生の、亡くなった弟さんに似てる、って言われたんですけど」
「うん、言った」
そう答えながら、仁科は今朝の春日とのやりとりを振り返って、困った顔をする。
「いい感じに同情引けるかと思ったんだけどねー。全く動じやしねぇの。マジでアイツなんなの。ビビるわ」
ほとほと呆れたと言わんばかりの顔をしながら、仁科はカップのコーヒーをすすった。
「そりゃあ、おれと先生そんな似てないし。無理あるからでしょ」
所謂、顔の系統はわりと近いものの、基本的な各パーツの部分でだいぶ違う。それを思えば、仁科が苦しい言い訳をした、と捉えられていても仕方がない。
「弟は母親似だったからね。……結構似てるのは、本当の話」
「それは喜んでいいのか困るんですが」
「まぁ一応、納得はしてもらったつもりだけどね」
「どうかな──」
すぐ近くに立つ仁科を見上げると、ふっと影が降ってきて、自分の唇に柔らかい物が当たった感覚。
ほんのり伝わるコーヒーの香りと苦味に、唇が触れたのだと分かった。
「……悪い、間違えた」
「な、にしてんですか」
悪戯っぽく笑う仁科に、明らかにわざとだと悟って、和都は思わずすぐ脇に立っていた彼の鳩尾に拳を突き出す。が、それはあっさり躱され、手の届かない距離を取られてしまった。
「おっと。普通のチューくらいで恥ずかしがるなよ。ベロチューした仲でしょ」
「あれは先生が勝手にやったんじゃん!」
なんとなくコーヒーの味を感じてしまって、仁科を睨みつけながら、和都は唇を手の甲で拭う。
「えー? 人工呼吸と似たようなもんでしょ」
「他にもやりかたあるし」
上手く水を飲み込めない相手に対し、口内に舌を入れて水を飲ませるのは、やりかたとして間違ってはいない。だが、他に方法がないわけでもないので、和都は未だにあの時のことについては甚だ疑問がある。
言われた仁科は、うーん、と考える顔をしていて、
「……まぁ、理由はなくはないけど」
「なに?」
眉を八の字に顰め、困ったように聞き返す和都に、何やら意味ありげに楽しそうな顔を向けた。
「んー、……いわない♡」
「……えぇ」
相変わらず考えが読めないこの教師に、果たしてこのまま協力してもらっていいのだろうか、と和都は少し考えてしまった。




