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4)仄闇に佇む

 夜の居酒屋。

 友人たちが騒がしく飲み食いする音を背後に聞きながら、耳に押し当てたスマホから聞こえる声に集中していた。

〈……ヒロ兄、ごめん。おれもう無理だ〉

 電話の向こうから、涙の混ざる声が訴えかける。

 ──何言ってんだよ。約束したろ、俺が戻るまで頑張るって。フミはどうした?

〈フミ兄は、頑張ってくれてるよ。……でも、やっぱりさ。おれがさっさと■■■■えば──〉

 ──そういうことを言うな。怒るぞ。

〈ごめんなさい……。でも全部、おれのせいだしさ〉

 ──週末そっちに戻る。だから、

 ガチャリ、と通話の切れる音。

 無音。

 あ、と気付いた時に目の前に広がったのは、敷き詰められたたくさんの花。

 花。花。花。

 色とりどりの鮮やかな花の色が、眩しくて、痛くて。



 ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ、と規則正しい電子音が響いて目が覚める。

 暗い世界から這い上がるように、スマホに手を伸ばしてアラームを止めた。

「……最悪な夢だな」

 夢の中で見た昔の記憶に、仁科はため息をついてまた目を閉じた。





「2年3組でーす。観察簿持ってきましたぁ」

 和都がそう言いながら保健室の引き戸を開けると、ゲラゲラと笑う声が聞こえてきた。4組の岸田の笑い声だ。

「どしたの?」

「あ、相模みろよ、先生の寝癖!」

 こちらに気付いた岸田に言われ、椅子に座ったままの仁科を見ると、後頭部がまるで鳥の巣にでもなったようなひどい寝癖になっていた。

 当の仁科は、岸田の笑い声に困ったように眉を顰めながら、ガシガシと頭を掻いている。

「……うわぁ」

「直す時間なかったんだよ。うるせーぞ岸田」

「さーせん! じゃあねー」

 そう言って、すでに観察簿は渡していたらしい岸田が保健室から去ってった。和都はそれを見送って、仁科に自分のクラスの観察簿を渡す。

「はい、これ。……どうしたんですか? また寝坊?」

「せーかぁい」

 観察簿を受け取りながら大きく欠伸する先生に、和都は小さく笑う。

「そんな寝坊ばっかしてたら、学校くる時事故りますよ?」

「気をつけまぁす」

「また残業ですか?」

 和都の問いに、少しだけ間があって、

「……いや。昨日、録画溜まってたヤツ消化してたら時間溶けちゃってさ」

「早く寝なよ」

「今日は早く寝まぁす」

 呆れる和都にそう返しながら、仁科はゆっくり立ち上がってコーヒーを入れ始める。コーヒーの香りがふわりと細く漂うのを嗅いで、何かに気づいた。

「……あ、そうだった」

「ん?」

 不意にこちらへ近づくと、仁科は少しだけ頭を屈めて和都の額に軽く唇で触れる。

「……ほい、今日の分な」

 眼鏡の奥の、まだ少し眠そうな目を細めた仁科は、そう言うとコーヒーの入ったカップを持ってデスク用の椅子に腰を下ろした。

「はぁい」

 少し顔を背けつつ返事をする。

 ──……まだちょっと、慣れないけどね。

 別に恋人同士というわけではない。

 和都は幽霊などの『いやなもの』が視えるわりに、それに対抗する霊力(チカラ)が極端に弱く、それらに当てられてよく倒れてしまうため、チカラを増やす必要があった。

 このチカラはより強い人間から分けてもらうことで増やせるらしく、ここ最近は、毎朝こうしてチカラの強い仁科から、少しずつ分けてもらっている。

「さ、1限始まるぞ。あ、放課後、ポスターの貼り替えだかんな」

「わかってまーす。じゃあね!」

 そう返すと、和都は急ぎ足で保健室から出ていった。





 狛杜(こまもり)高校の屋上は、生徒等に人気の昼食スポットである。

 もちろん食べる場所は早い者勝ちなので、和都たちのグループはいつも購買に買いに行く2人と場所を取る2人に分かれて、いつもの場所のベンチを確保するようにしている。

 今日の買い出しは小坂と菅原なので、場所取りの和都は同じく場所取り担当の春日の背中を背もたれに、図書室で借りた本に視線を落としていた。

「買ってきたぞー」

 西階段側の出入り口から、パンを抱えた小坂と菅原が屋上に入ってくる。

「お疲れー」

 和都は読んでいた本から視線を外すことなく答える。

「また読んでんの」

「うん。あ、先食べててー。後少しだから読んじゃう」

 小坂と菅原がベンチを囲むように座って食べ始めたのに対し、和都は背もたれにしていた春日の背中から離れ、座りなおして読み続ける。

「相模、本好きよねー」

「唯一の趣味だからねー」

 和都以外の3人が食べ始めて暫くすると「よし、おしまい!」と本を閉じて、和都もパンの袋を開け始めた。

「相模、こないだ借りた奴もう読み終わったん?」

「うん!」

「今度は何系?」

「あー、異世界で冒険する系?」

 そう言いながら横に置いた本の表紙を菅原に見せる。

「前も似たようなの読んでなかった?」

「え、そうだっけ?」

「読んでた読んでた」

「まー、そういう冒険系のほうが楽しいじゃん。なんかこう、あっちこっち行ってて、自由でさ」

 本の中は自由だ。

 色々なことを制限されている自分には、自由を覗き見ることができる本くらいしか、正直楽しみがない。

「現実世界であっちこっち行けないんだから、本の中くらい自由に飛びまわりたいよ」

 ため息をつきながらパンを齧る。

 中学校で特に対人関係の問題を起こしすぎたため、和都は部活や塾などの習い事の一切を禁止されていた。だからと言って両親は厳しく行動を監視するわけではなく、仕事が忙しいことを理由に、自分と接触することすら避けている。

 ──もういっそ、施設にでも預けてくれたらいいのにね。

 世間体を気にする彼らには、きっとない選択肢なのだろう。

「高校も2年生になったのに、まだ厳しいの?」

「まぁねー。遠出した先でどんな問題起こすか分かんないからって」

「普通そんなに起きねーだろ?」

「それが起きちゃうんだよね。……本当、嫌になる」

 そう言いながら、和都はため息をついた。だからこそ、親に言われずとも自ら家に引き篭もるようになった。中学の頃は反抗心もあって家を飛び出すことも多かったが、自分が悪いのだと理解してからは辞めている。

 そして4月の頭、元狛犬だというお化けに、狛犬の生まれ変わりだから、という明確な理由を聞いてしまったので、罪悪感は増すばかりだ。

「だからどうしても出掛けるなら、ユースケと一緒ならいいよって」

「どんだけ信頼されてるんだ」

「……買い被りすぎだと思うんだがな」

 淡々とパンを食べていた春日が、息をつきつつそう答えた。

 中学で同じクラスになった春日だけが、ずっと変わらず和都に付き合ってくれている。現に両親は彼を頼りきっており、長期出張の際などは彼に連絡をするほどだ。

「まぁ実績あるからしょうがないでしょ」

「実績?」

「なんか起きても、だいたいユースケが、大きな問題にせずに収めちゃってきたからね」

「なるほど。学校にいる時と同じか」

「そんな感じ」

「大したことはしてないぞ」

 本人はそう謙遜するが、実際、買い被りなどではない。

 中学生の時は、自分から積極的に死のうとする和都を散々引き留めていた上、何度も危ない状況から救い出してくれた。

 自分が今生きているのは、誇張でもなんでもなく、春日のおかげだと言ってもいいくらい、助けられている。

「さっさと卒業して、出ていきたいよね」

 金網の向こうに広がる街を眺める。天気がいいので、近くの小山も青々として見えた。

「しっかし、そんなに本好きなら、図書委員やったらよかったのに」

 菅原にそう言われ、そちらに視線を向けつつも和都は口を尖らせる。

「……今年は寝てる間に決まってたもん」

「そういやそうだった」

 始業式で倒れ、寝ている間に今年の委員会決めは終わっており、和都は幸か不幸か一番不人気の『保健委員』になっていた。ただ今回は、これが良い方向に転がったので、不幸とも言い切れない。

「ま、委員会決めに出れても、図書委員はやってないかな」

「なんで?」

「……だって、ここの司書さん、女の人だし」

「そこかー」

「うん」

 小学生の頃から少し苦手だったのが、共学だった中学でより酷くなり、男子校を選ぶくらいには、女の人と接することがダメになってしまった。特に同じ年齢の女の子がダメで、ある程度年配になってくれば、まだなんとかなる。

 ここは男子校なのもあって男の先生が基本多いのだが、女性の先生がいないわけではない。

 図書委員の話をしていたら、和都はやらなければいけないことを思い出した。隣を見ると、春日はすでに昼食のパンを食べ終えて本を読んでいる。

「あ、ユースケ。昼休み、なんかやることある?」

「特にないけど」

「じゃあコレ食べ終わったら、一緒に図書室行ってくれない? ちょっと調べたいことあってさ」

「……わかった」

 買ってきてもらったパンを平らげると、和都は春日と2人で図書室へと向かった。





「ユースケが借りてた本は? もう読んだ?」

 和都と春日は本校舎の西階段側通用口を出て、その先に2つある特別教科棟のうち、図書室のある南棟のほうへ足を運ぶ。

「ああ」

「どんな本?」

 春日の差し出してきた本を受け取ると、表紙には雪山の写真が全面に写り、小さくタイトルがあるだけのとてもシンプルな装丁のものだった。

「世界中飛び回ってる登山家の手記。結構いろんな国に行ってて、現地の文化も紹介されてるから、読み応えがあった」

「へー、いいね。じゃあ次これ借りよっかなー」

 そんな話をしながら、図書室に入る。入ってすぐ右側に司書室を兼ねた受付があり、返却と貸出の受付もここで行う。

 春日は和都の持っていた本と自分の本を持って、すぐに受付へ向かった。

「2年3組、春日祐介と相模和都です。本の返却と、こっちの本は相模が借りるんでそのまま貸出でお願いします」

「はい、ちょっと待ってね」

 黒髪を後ろで一つに束ねて、黒いカーデと黒縁の眼鏡を掛けた女性が対応する。

 手続きをしてもらってる間に、和都は図書室をぐるり見渡した。

 昼休みのためか、それなりに人はいるものの、とても静かだ。

 ──やっぱいいなぁ、落ち着く。

 図書室の、本の匂いとしんとした空気感は嫌いじゃない。

 自分より背の高い本棚が整然といくつも並び、背表紙が規則性と不規則性を持って不思議な模様の壁を作っている。苦手なものさえなければ、入り浸ってしまうような場所だ。

「……ほら、借りたぞ」

「あ、ありがと」

 春日から本を受け取ると、『2類 歴史・伝記・地理』とプレートの下がっているエリアに向かう。

 ──そういや、この辺だったなぁ。

 和都が一人で図書室に行きたくない理由は、女性の司書がいること以外に、実はもう一つある。

 図書室の一角、『2類 歴史・伝記・地理』の本棚付近に、女の幽霊が立っているのだ。

 ──あー、やっぱりいた。

 長い黒髪をだらりとたらし、白っぽいワンピースのようなものを着ていて、太ももの辺りから下は霞んでいて見えない。明かりが届きにくい隅のほうに立っていて、背面の本棚に顔を向けているので、どのような顔をしているのか見たことはなかった。

 和都は一瞬だけその姿を確認した後は、そちらを見ないふり、視えないふりをしながら、その付近にある『郷土資料』のエリアへ行く。

「……なに調べんの?」

 特に何も聞かず、言われるまま後をついてきただけの春日がそう言った。

「あ、うん。なんかこの辺りに昔『白狛(しろこま)神社』っていうのがあったって聞いてさ。……あ、ユースケ知ってたりしない?」

 そういえば春日は自分が越してくる前からこの地域に住んでいたのだった、と思い出した。

「知らない」

「そっかー。どの辺にあったのかなーって思って」

「検索で出てこないのか?」

「うん、結構ネットでも調べたんだけど、出てこなかった」

 郷土資料の棚には、高校周辺地域に関する地図や歴史資料、文化や風土に関する統計資料などが並んでいる。

「だからこの辺の郷土資料とか調べれば見つかるかなーって思って」

「その神社、なんなの?」

 言われて理由を用意していなかったことを思い出す。

 が、すぐああそうだ、と思いついて、

「……あーちょっと人から聞いて気になって。まぁ、いつもの『暇つぶし』だよ」

「ふーん」

 部活にも塾にも行けないので、気になったものをひたすら調べたり、実験したりということを、昔から時々やっていた。それを春日は知っているし、散々付き合ってきたので、さして訝しむ様子はない。

 ──色々やっておくもんだな。

 昔は春日を困らせるのが密かな目的の『遊び』だったのだが、我ながら上手い言い訳だと和都は思う。

「じゃあこの辺の本か?」

「かな? あ、隣町の本とかも見たほうがいいかなぁ」

 本棚から分厚い郷土史と書かれた本や、地域伝承などの本を取り出す。高い位置の本は全部春日がとってくれるので、連れてきて正解だったなと思いながら、閲覧用に置いてある机に載せた。

 ある程度積み上げたら、椅子に座って本を開いていく。そもそも情報が少ない上に、廃神社の探し方もよく分からないので、手探りもいいところだ。

「そういう古い神社とか史跡を巡るの、新しくきた川野先生がよくやってるって聞いたけど」

 郷土史の本を広げ、神社の情報を探しながら、机の向こう側に座った春日が言う。

 川野の名前を出されて、和都は1つ忘れていたことを思い出した。

「……あー。らしい、ね」

「川野先生に聞いたほうが早いんじゃないか?」

「うん、そうだけど……。ちょっと難しい、かな」

 和都が口籠もる様子に、春日は開いていた本から視線をそちらに向けた。

「なんかあったのか?」

「……あった」

 春日の視線から目を逸らしつつ、和都は答える。

「またか」

「うん」

「いつ?」

「こないだの、補習になった日」

「……やっぱり」

 ため息をつきながら春日が呆れたように言うので、和都は視線を春日に戻した。

「やっぱりって、なんで?」

「答案用紙、答え合ってたのに、違う答えに故意に修正されてるっぽいとこあったから。……筆跡、ちょっと違ったしな」

「うわーマジか。……サイアク」

 そう言って和都は机に突っ伏した。つまり、あの補習そのものが、川野に意図的に仕組まれていたのだ。

 ──どうりで誰もいないわけだよ。

「……くそ」

 成績に含まれないテストとはいえ、卑怯なやり口に愕然とする。やはり『鬼』は、これまで自分に手を出そうとしてきた人間以上に厄介だ。

「なんにも言わないから、大丈夫なんだと思ってた。……早く言えよ」

「ごめん……」

 川野に襲われたこともなかなかの事件ではあったのだが、あの日はそれ以上に色々なことが起きたので、春日に伝えるのをシンプルに忘れていた。

 起きたことも、それに対する愚痴も、仁科にあの時聞いてもらってしまったので、今更思い出してムカつくのもな、という気持ちである。

「大丈夫だったの?」

「まぁ、うん。……追いかけられたけど、委員の仕事もあって、すぐ保健室に逃げ込んだから、助かった感じ」

 嘘は言っていない。

 川野が『鬼』であることを除けば、全て事実だ。

「そう。これから気にしとく」

「……うん」

 春日祐介は、中学の頃からずっと和都の味方だった。

 困っていることも、苦手なことも、身に降りかかる危険も、そのほとんどを回避出来るようにしてくれている。自分に危害を加えようとしている人間を把握して、何事も起きないよう、立場や他人を使ってうまく立ち回ってくれてきた。

 ──でも、こいつは視えないから。

 自分に視えている怪奇な世界を、視えていない人間と共有することは難しい。だからどうしても、そこで線を引いてしまう。

 保健室に逃げ込んだその後について、突っ込んで聞かれるかと少し身構えていたのだが、そんなこともなく。春日は神社探しの方に気を取られているようだった。

「……その神社、検索で出てこないってことは、もう無くなってるんじゃないのか?」

「あ、もう廃社にはなってるらしいんだ。ただ何処にあったのか知りたくってさ」

 積み上げた本を開いていくが、それらしい記述はなかなか見つからない。そもそもこの周辺はお寺のほうが多く、神社そのものがあまりないようだ。

「学校の図書室にある本じゃ見つからないかもな」

「んー。昔からこの辺にいる人とかに聞いたら分かるのかな?」

「それなら、小坂に聞くのは? たしかばーさんが昔からこの辺にいる人だって」

「あ、そうなんだ」

 そんなやりとりをしながら春日が時計を見る。

「そろそろ片付けよう。昼休み終わる」

「わ、やばっ」

 和都も慌てて立ち上がり、本を抱えて郷土資料のエリアへいく。

 図書室の一角が視界の隅に入ったが、何か違う気がして思わず振り向いた。

 薄暗い角に佇んでいたあの女が、こちらを向いていた。

「……っ!」

 後髪と変わらないほどに前髪が長く、目は隠れていて見えない。ただ鼻と口元が前髪の分かれた隙間から見えていて、その唇が何事か呟いている。

 ──動くんだ、このヒト。

 女が本棚を向いていた時には感じなかった、ひんやりとした空気がこちらに向かって流れてくるのが分かり、立ち竦んでしまった。

「和都?」

 春日の声に、ハッと我に返り、視線を女から外す。

「……なんでもない! 早く行こ」

 急いで本を書架に戻すと、和都は春日の背を押しながら逃げるように図書室を後にした。





 放課後は、仁科と一緒に学校内のポスターを貼り替える作業である。

 本来なら養護教諭が1人でやるか、もしくは用務員に頼むような仕事だ。だが仁科と一緒にいることで必要なチカラを増やせるということもあり、和都は荷物持ちさながら、貼り替えるためのポスターを持って一緒に校内を巡っていた。

「今までそんな意識してなかったけど、ポスターって結構たくさん貼ってるんですね」

「そうよー。本校舎以外にも、特別教科棟にもあるからね」

「うへぇ……」

 1年生の教室がある本校舎4階から順番に、各階の掲示板に貼られた保健関係のポスターを貼り替えていく。普段は用務員の野中さんにお願いしている作業だが、仁科自身が時々各所を巡回するのは、手洗い場やトイレなどの水回りの衛生チェックも兼ねてのことだ。

「そういや、相模って1年の時の委員なんだった?」

「……美化委員です」

「あぁ、一番楽なやつだ」

 美化委員の仕事は教室の終礼後のチェックや、各特別教室を使った後の忘れ物確認、イベント後の清掃チェックなどが主な仕事なので、委員の中では割と楽なほうだった。それもあって、保健委員の仕事量には驚くことが多い。

 本校舎のポスター貼り替えと点検が終わったら、特別教科棟の南棟へ足を向ける。

「そういや神社の場所はわかったかい?」

「調べてるけど、全然手掛かりが掴めませんっ」

「先は長そうだねぇ」

「学校の図書室にある本だと、なんか神社とかそういう感じのあんまないんですよね」

 南棟の3階から順番に作業を終えつつ、階段を降りていく。

 窓の外を見ると、太陽が傾き始めていて、空の青が白っぽくなってきていた。

「そういや、この学校の図書室、女の幽霊いるよね」

 1階まで降りてきて、すでに施錠された図書室の前を通る時、仁科がそんなことを言い出した。

「……そう! 郷土資料の棚の近くにいるから、めっちゃ困る」

「じっとしてるだけだし、そんな害はないでしょ」

 普通のことのように仁科が話すので、本当にこの人は視えている側の人間なのだ、と和都は実感する。

「でも今日の昼休み、めっちゃこっち見てきましたよ」

「へー、あいつ動くんだ。近づかんどこ」

 当たり前のように、気兼ねなく話せるというのは、こんなにも楽なのか。

 ──……知らなかったな。

 自分にしか視えていなかった世界を、父のように理解する人はいたけれど、きちんと共有できる人がいるのは、初めてだった。

「他にはなんか、特殊なものが視えてたりするの?」

「え。学校だと、図書室の幽霊以外は今のところないですね。通学路でたまに黒いのに遭いますけど」

「駅に向かうとこの道?」

「はい。電柱から離れたら居なくなるんですけど」

「あーいるね、付いてくるヤツ」

 そんな話をしながら南棟を出ると、今度は特別教科棟の西棟の方へ向かい、一番上の4階まで上がる。

「うーん『狛犬の目』ってやつで視えてるから、何か少し違うかと思ったけど、視えてるのは俺が視てるのと大差ない感じだね。普通の幽霊っぽい」

「まぁ、たぶんそうだと思います」

「基本チカラがないと幽霊なんて視えないし。チカラがないのに視えちゃうと、お前みたいに倒れちゃうのかもねぇ」

「そういう理屈だって、全然知りませんでした……」

「ま、解決方法が分かってよかったじゃん」

 そう言いながら、仁科は和都の頭をポンポンと撫でると、掲示板に掲げられた古いポスターを剥がし始めた。

「あとは神社だなー」

「そうなんですよねぇ」

「学校の図書室でダメなら、市立の大きい図書館で調べないとかもね」

「あ、でも小坂のおばあちゃんが昔からこの辺に住んでるらしくって。今度、話を聞きに行こうと思ってます」

「ほう」

 終礼の後、部活に向かう前の小坂を捕まえて、その辺りは早速頼み込んでおいた。妙なお願い事に訝しまれたが、今度現国の宿題を見せるという条件で承諾を貰ったのは秘密である。

「あと小坂の話だと、あの山に変な空き地がポツポツあるらしいんですよね。神社の跡地だったりしないかなぁ」

「うーん、どうだろうねぇ」

 和都は西棟4階の窓から、街の外れにある小山がちょうど見えたので、そちらを指差した。

 山の手前側に線路が通っており、そこを境にちょうど学区が分かれていたため、小坂とは同じ中学ではない。小坂も小坂の祖母も、あの山の麓に昔から住んでいるというので、何かしらの情報を得られそうだ。

「しかし『白狛神社』って、なーんかどっかで見たような気がするんだよなぁ」

「本当?! 何で見たの?」

「頑張って思い出してみてるとこ。……お前、神社探しもいいけど、もうちょいしたら中間テストなんだから、勉強もしろよ」

「それはご心配なく!」

 西棟のポスター貼り替えと点検を終えて外に出ると、ちょうど西棟と本校舎の間を、裏門のほうから外周に出ていたらしいバスケ部の列が通るところだった。通り過ぎるのを見守っていると、後方で1年生達を励ましていた菅原がこちらに気付いて、足踏みしながら声を掛けてくる。

「あ、相模ー!」

「お疲れー」

「委員の仕事?」

「うん」

「こっちもうすぐ終わるから、一緒帰ろうぜ」

「わかった! 昇降口にいるねー」

 こちらに手を振りながら、菅原が第2体育館へ向かうバスケ部の集団を追いかけて去っていった。それを見送って、仁科が口を開く。

「あいつらは、お前が視えるの知ってるの?」

「話してない。……ユースケにも、言ってない」

「ありゃ、そうなの」

 付き合いの長そうな春日にも話していないのは、仁科には少し意外だった。和都はそんな仁科の表情を見て、小さく苦笑する。

「……小学校の時、その時の友達に言ったことあったんですけど、信じてもらえなかったり、気味悪がられたりしたんで」

 その頃はまだ実の父親が生きていて、誰にでも話していいことではないと教えてくれた。それからは、父親以外に話したことはない。

「中学あがる時にこっちに越して来たんですけど、こっち来てからは言わないようにしてるんです。……視えても、楽しいことないし」

 自分に視えている世界は、おどろおどろしいものや禍々しいものばかりで、気持ちのいいものでは無い。

 空の端がピンク色に染まり始めていた。今日やるべき作業は終わったので、足を本校舎の方へ向ける。

「……俺、親戚が神社の宮司とかしててさ」

「へー、意外。あ、チカラが強いのって、そういうこと?」

「だろうねぇ。俺よりよく視える人とかもいたから、そんな気にしたことなかったけど……やっぱり言いづらいもん?」

「うんまぁ、そうですね」

「ふーん」

 黄昏始めた放課後の、人の殆どいなくなった廊下を2人で歩きながらそんな話を続ける。

「……ただ、視えて楽しくないってのには同意だな」

「まぁ疲れるし」

「うん。それに……」

「ん?」

「……逢いたいヤツには逢えないから、意味ねーなとも思うしね」

 隣を歩く仁科の顔を見上げると、笑っているのにどこか寂しそうにも見えた。





「じゃあ先生、また明日ね」

「おぅ、気を付けてな」

 回収したポスターを廃棄して、通学用の鞄を持った和都は保健室を出る。

 バスケ部の使っている第2体育館の方を見ると、後片付けをしているようだった。もう少ししたら着替えて出て来るかもしれない。

 ──昇降口に行っとくか。

 そう考えて、本校舎の保健室とは反対の端にある昇降口に向かった。窓の外は、すっかりオレンジ色に染まっている。

 2年3組の下駄箱の、『相模』と書かれた棚を開けると、通学用の靴の上に、手紙の入っているらしい封筒が2通も置かれていた。

「……またか」

 ため息をついて、2通とも取り出す。どちらも白い無地の封筒で、表に『相模様へ』と書かれているだけで、裏を見ても差出人を示す記載はない。ただ筆跡が違うので、それぞれ違う人間からだというのは分かった。

 ──いつまで続くんだろうな、こういうの。

 中身を取り出して開けば、やはりそこには文字がビッシリ書かれている。和都からすれば狂気にしか見えない美辞麗句と、陶酔した恋い焦がれる様子が並んでいた。

 ──全部、おれのせいなんだよなぁ。

 自分のような異物を知らなければ、きっとまともな人生だっただろう。

 うんざりしつつ2通目を開いて読んでいると、昇降口のドアが開く音がした。顔を上げると、菅原が中に入ってくるところで。

「おまたせー」

「あぁ、おつかれ」

「また来てたの?『姫』の人気は衰えないねぇ」

 和都の持っている封筒と便箋に気付いて、菅原が揶揄うようにそう言った。

「……ほーんと、みんなにはおれが何に見えてんだかね」

 菅原の呼び方を指摘する気にもなれず、和都は視線を便箋に戻す。

「とかなんとか言いつつ、ちゃんと全部読むじゃん」

「3年からの呼び出しとかだったら、困るでしょ」

「あー……それは、確かに」

 2通目の手紙も全て読み終えると、和都はそれぞれの手紙をいつも通りにビリビリと破いていった。眉を顰め、唇を真横一文字に引結んで、黙々と手を動かす。

 普段と少し様子が違うのに気付いた菅原は何も言えず、その様子をただ眺めた。

「おれなんかと付き合ったとして、何の得があるんだろうね」

 バラバラの紙屑になった手紙を、自販機横のゴミ箱に捨てながら、和都は呟く。そして、くるりと菅原の方を向くと、

「菅原、おれと一緒にいて何か良かったこととかある?」

 そう言った。

 ちょうど影になっていたので、和都がどんな表情をして言ったのかは分からない。

「え? あー……面白い?」

「……なにそれ」

 菅原がなんとか思いついて答えると、そう言いながら近づいてくる和都の表情は普段と変わらず、ただ苦笑していた。

「でも、そんなもんでさ。おれと一緒にいたところで得なことなんて何もないし、あげられるものも、ないんだよね」

 和都が『相模』と書かれた下駄箱から靴を取り出して上履きと置き換える。それから靴に履き替えようとして、あ、と気付いた。

「あれ、小坂は?」

「ん? ああ、自転車取りに行ってるよ」

「そっか」

 和都は学校から家が近いので徒歩通学だが、小坂は1駅隣という微妙な距離というのもあって、自転車で通学している。ちなみに春日も和都同様徒歩で通学しており、菅原は6駅先と少し遠いため電車通学だ。

 昇降口のドアの向こうに視線を向けると、ちょうど自転車小屋の方から自転車を押してくる小坂が見えた。

「よし、帰ろうぜ」

「うん」

 そう言って和都は、菅原と一緒に昇降口を後にした。





「ただいまー」

 菅原や小坂とコンビニに寄り道していたら、すっかり暗くなっていた。しかしそれでも両親はまだ帰っていないようで、黒い屋根に白い壁の一軒家は真っ暗なままだった。

 ──まぁ、そのほうが都合いいけどね。

 自宅に入り、玄関、キッチン、リビングと順番に家の中の灯りを点けていく。さすがに遅い時間なので、奥の部屋の明かりもつけて入った。

 シーズンオフの洋服や、普段使わないものをしまっている物置に近いその部屋の一角。小さなチェストの上に、亡き父の小さな遺影と位牌が置いてあるので、和都はその前に立って手を合わせた。

「今日は図書室で神社のこと調べたよ。全然見つかんなかったけど、今度小坂のおばーちゃんに話聞けることになった。手掛かり、見つかるといいな」

 遺影に映る写真の顔は、記憶の中のその人と変わらず優しく笑っているだけで、何も答えてはくれない。

 ふと、放課後に仁科と話したときのことを思い出した。

「……先生が、視えても逢いたい人に逢えないって言ってて。本当だなぁって思った。父さんのこと、視えたことないもん」

 よくある死んだ人が夢枕に立つ、ということもない。

 いくら逢いたいと願っても、ただただ記憶の中の父親を反芻するように思い出すだけだ。

「そういうもんなのかな」

 しんみりしていると、どこからともなく白っぽい半透明の、首だけしかない犬のお化け・ハクが現れて、寄り添うように話しかけてくる。

〔……カズト、大丈夫? なんだか寂しい気持ちが流れてきたよ〕

 普段はピンと立っている立派な犬耳が、へにゃりと小さく垂れている。

 元狛犬のハクと和都は魂が繋がっている関係で、どうしても心の内を共有してしまう。

「あ、ハク。ハクには分かっちゃうんだったね。……大丈夫だよ」

 しょんぼりしているハクに手を伸ばして撫でたけれど、その手は空中を切るだけで、触れることは出来なかった。和都のチカラがまだまだ足りない証拠だ。

「……まだ無理だね」

〔そうだねぇ。まぁ焦らず!〕

「うん」

 和都はハクに笑いかけると、改めて父の遺影と位牌に向かって手を合わせて、

「それじゃー、ご飯食べて寝ます! あ、あとお風呂!」

 そう告げると、奥の部屋の明かりを消し、キッチンに向かう。

 両親は帰宅が遅い分、和都のためなのか冷蔵庫の中にはわりと温めるだけで食べられそうなものが色々と買い置いてある。どれにしようかと悩みながら、ふと放課後のことを思い出して。

 ──……そういえば、先生は誰に逢いたいんだろう。

 見たことのない、寂しそうな顔に気を取られて、聞きそびれてしまった。

 けれどきっと、聞かない方がいいのかもしれない。

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