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25)大神顕現

「川野先生が、行方不明?」

 翌日の放課後。

 授業も終わった教室で春日からそんな話を聞かされ、和都はオウム返しに言った。

「ああ。今朝、出勤してこなかったそうだ。連絡もとれないらしい」

「川野先生、一人暮らしだったっぽいしね」

 昨日の放課後、川野は小坂と春日がテストの採点ミスを指摘しに行った際、鬼の本性を現して襲ってきたという。だが、春日が安曇神社のお守りを投げつけて返り討ちにすると、顔に大きなヤケドを負ったままいなくなった。

 春日と小坂は、採点ミスの件を川野に伝えておくと言ってくれた西原先生に、川野が行方不明であることを聞いたらしい。

「ケガが酷くてどこかに潜んでる、とか?」

「その可能性が高いな。帰りはなるべく一緒に帰ったほうがいい」

 ケガを負わされ、チカラの弱った鬼は、何をしでかすか分からない。チカラを回復させる目的で、人間を襲う可能性だってあるのだ。

「もしかして、それで今日の委員の作業、なしになったのかな?」

 本来なら昨日の続きで、アンケートの集計結果をグラフにする予定だったのだが、緊急の職員会議が放課後に入ったため、今日はまっすぐ帰るよう、仁科に言われている。

「あ、マジで。じゃあとっとと帰ろうぜ」

「部活は?」

「第2体育館の点検でお休みー」

 すでに帰り支度を終えていた菅原がそう言った。それならば、と和都が支度を始めると、

「あー、わりぃ。おれと春日、川野の件で呼び出されてる」

 小坂が困ったように頭を掻く。

「え、なんで?」

「授業の後、放課後に会う話したって言ったら、そん時にどうだったか聞きたいって言われちゃってさー」

「げー、大丈夫か?」

「まぁ適当に、いつもと変わらなかった、と言っておくつもりだ」

 鬼になって逃げ出した、と話すことは出来ないが、授業の後に採点の件は社会科準備室で聞くと言われた、と当たり障りなく答えれば問題はないだろう。

 春日が帰り支度をしながら、自席の机から大きな封筒を取り出した。和都はそれが妙に気になってしまい、

「……ユースケ、それなに?」

「ん? ああ。職員室行くから、ついでに先生に渡す書類だけど?」

 そう言われたものの、なぜかその封筒から目が離せなくなっていた。

 不思議と、懐かしい匂いがする。

 嗅いだ記憶はないが、知っている、匂い。

「……和都?」

 言われてハッと我にかえると、自分の手が春日の持つ封筒の端を握っていた。

「あ、ごめん」

「どうかしたか?」

「……いや、なんだろ。わかんない」

 妙に気になったところまでは記憶がある。

 だが春日に近づいて、封筒を掴んだ覚えがないので、和都はじっと自分の手を見た。

「とりあえず、行ってくる」

「どんくらいかかりそ?」

「わかんね」

「んじゃー、オレと相模は屋上で待ってるわ」

「おう」

 春日と小坂が出ていったのを見送って、菅原が言う。

「よし、上で待ってようぜ」

「うん」

 和都は促されるまま、菅原と一緒に教室を後にした。





「失礼します」

 保健室のドアをノックして入ってきたのは、春日だった。

 職員室で川野についての事情聴取を終えた後、小坂を先に屋上へ向かわせ、春日はその足で保健室に来ていた。

「おう、どうした? これから職員会議なんだけど」

「知ってます。なので手短に、これを」

 そう言って春日は仁科に封筒を見せる。

「あ、解読おわったの?」

「はい。借りた本と、一通り現代語に書き直したものが入ってます。それから、」

 そう言いながら、春日は封筒から1枚の紙を取り出して仁科に差し出した。

「こっちには、本の内容を簡単にまとめてあるんですが……」

「ありがとね」

 受け取って目を通した仁科は、だんだんと眉を顰める。

 その様子に、春日の表情も曇った。

「……そういうことね」

「色々と、考えてしまいましたが」

「手伝わせて悪かったな」

「いえ」

 短く答えた春日が、視線を逸らして伏せる。

 往々にして殺人事件の真相は、清々しいことなど滅多にない。

「果たしてこれで、バクが納得するかどうか、だな」

 真相を知った祟り神が、どんな行動をとるのか。

 下手をすれば、約束など反故にして、ハクと共に全てを台無しにする可能性すらある。

「真相としては、それで確定だと思うんですが」

「ん?」

「後半のほうに、読めない部分があって」

 封筒から取り出された本の、付箋の貼られたページをめくると、日本語のような記号のような、特殊な文字の並んだ箇所がある。

 春日には見当もつかなかったが、仁科には見覚えがあった。

「……もう1冊の日記のほうに、神獣を使役させるための文字として書かれていたヤツみたいだな」

「神獣たちのみが理解できる文字、というわけですか?」

「ああ。その文字独自の読み方があって、組み合わせた言葉で命令したり、お札を作ったりするものらしい」

 仁科が保管している方の日記には、練習と称した使役するための命令文のようなものがいくつか書かれていた。しかし、こちらに書かれている組み合わせは見たことがない。何か特殊な言葉なのだろうか。

「あと、もう1つ聞きたいんですが」

「何?」

 春日から返してもらった本を再び封筒に入れると、仁科は私物用ロッカーの鞄に封筒ごとしまいながら返した。

「バクは、和都が眠っている時にだけ、出てくるんですか?」

「わからん。時々、目が金色になる時があるから、その時は違うのかな、とは思ってるが」

「そうですか……」

 教室を出る前の、和都の様子を思い返してみるが、目が金色に視えたりはしていない。一瞬だけだったので見逃したのか、それとも視える人間にしか視えないものなのか。

「まぁ、俺がバクとちゃんと話をしたのは、アイツが寝てる時だったけどね。何かあったの?」

「あ、いえ。こっちに来る前に、あの本が入った封筒をすごく気にしていて。ただ、本人は無意識だったようなんですが」

「そうか。何か、違うんだろうか」

 仁科が考え込んだのを見て、春日はちらりと時計へ視線を向ける。思ったより話し込んでしまった。

「先生、時間は」

「ああ、行かないと。とりあえず、助かったよ」

 そう言って仁科は春日の肩を叩く。

 保健室を出て、それぞれ行こうか、というタイミングで、ドーン! と外から大きな轟音がした。

「なんの音だ?」

 上の方からの音だというは分かったので、外に向いた廊下の窓を開ける。

 ガシャーン! と、窓の外に金属の塊が落ちてきて、コンクリートの地面に鋭い音を立てた。よく見ると、屋上をぐるりと囲う、金網の一部のようだ。

「屋上から?」

 窓から身を乗り出し、仁科が上階に視線を向けるが、よく分からない。

 春日が『屋上』という言葉にハッとした。

「菅原と、和都がいます!」

「行こう!」

 2人は急いで東階段を駆け上がった。





 ──ああ、迂闊(うかつ)だったなぁ。

 打ち付けた背中も痛いが、腕の痛みがズキズキと疼いて酷い。

「菅原、菅原!」

 叫ぶように呼ばれて、(すんで)の所で抱きかかえて庇った和都が無傷らしいと分かり、菅原は少し安堵する。

「へーきへーき。相模は無事か?」

「……うん」

 太陽が傾き始め、少し白っぽくなり始めた青空の下。川野の件で呼び出された春日と小坂を待つために、和都と2人、放課後の人気のない屋上に上がった。

 菅原としては、戻ってきた2人と鬼に関する話もするなら、ハクが出てきても問題のない、人のいない場所がいいだろうと思ってのことだった。

 しかし、これが裏目に出る。

 どのくらいで戻るだろうか、という話を2人でしていたら、巨大化したハクが姿を現して聞いた。

〔あ、ユースケとコサカはまだお話中?〕

「うん、川野先生のことで……」

〔そっかぁ〕

 和都の返答に、ハクがうーんとお尻を上げるような体勢で伸びをする。その姿を見た菅原が気付いた。

「あれ? ハクお前、尻尾」

〔ん? あ、本当だ!〕

 二股に分かれた、大きな尻尾がふさふさと揺れる。

「じゃあもしかして、ハクはそれで実体化完了?」

〔そうなるね!〕

「そっか!」

 和都が嬉しそうにハクに近寄ろうとすると、横に立った菅原が肩を掴んで止めた。

「ん、なに?」

〔どーしたの? スガワラ〕

 1人は不思議そうに、もう1匹はどこか楽しげに聞く。

「……実体化が完了したら、お前は相模をどうするつもりだ?」

〔どうって、自由にしてあげるんだよ?〕

 ハクが何を分かりきったことを、と言わんばかりに困った顔をした。

「そ、そうだよ菅原。ハクが実体化できたら、おれを狙ってる『鬼』を食べてもらえるんだよ」

 和都が菅原の手を振り払い、菅原のほうを向いて言う。

「『狛犬の目』のチカラはだいぶ制御されてきたし、鬼を食べてもらった後も、ハクはこれからもずっとおれを守ってくれて、大丈夫にしてくれるって。だから……」

「どうやって?」

 怪訝な顔で菅原が聞くと、和都は困惑した顔で何も言えなくなった。

〔そりゃあもちろん、ボクと一緒になって、だよ!〕

「……え?」

 ハッと気付いた時には、ハクの大きな前足がこちらに向かって勢いよく伸びてくるところ。

「相模!」

 菅原が叫んで、和都を抱きかかえながら後ろに飛んだ。

 空振ったハクの前足は、勢いのまま屋上の金網にぶつかり、轟音を立てる。突き破られた金網の一画は、大きな音を立てて地上へ落下していった。

 なんとか庇った和都は無傷のようで、自分の名前を何度も呼びかける。前足の爪が掠ったらしい腕が、痛い。

「菅原、相模! 大丈夫か?!」

 大声と共に屋上の西階段側のドアが開き、小坂が飛び込んできた。

 上がってくる途中で大きな音を聞いたらしく、勢いそのままに駆け上がってきたようだ。

 金網の一部は壊れ、和都と菅原は座り込んでいる。2人の視線の先には、屋上の半分を覆う巨大なサイズの白いオオカミがいた。

 首に赤白の捻り紐を結び、尖った耳と大きな口と鼻。前足、胴体、後ろ足、そして、お尻の先には大きく二股に分かれた尻尾を生やした、完全体になったハクだ。

「ハク、どうして?!」

 菅原が傷を負ったものの無事と見て、和都はハクのほうを向いて叫ぶ。

〔言ったでしょ? 自由にしてあげるって!〕

「……え?」

〔ボクがカズトを食べちゃえばさ、カズトはニンゲンを辞められるんだよ。そしてボクとバクと3人で、ずーっと一緒にいられる!〕

 無邪気に、楽しそうにハクが言った。

「お前、お友達を食べちゃダメッて、おかーさんに教わらなかったのか?」

 それを見た菅原が、赤い血の流れる腕を反対の手で押さえながら、いつものような調子で困った顔をする。

〔なにそれ知らなーい。ボクは神様だから、頑張ってくれたカズトのお願いを叶えてあげるとこなんだよ。邪魔しないでよ、スガワラ〕

 ハクが再び前足を振り上げる。

 まるで、子犬が小さなおもちゃをなぶって遊ぶような様だ。

「……こんの!」

 ハクの巨大さに圧倒されていた小坂が我に返り、普段から持っているバスケットボールをハクの鼻めがけて思い切り投げつけた。

 ボールは見事、鼻先に当たり、きゃあ、とハクが小さく悲鳴を上げる。

「ハク、何してんだ!」

 前足で鼻を押さえながら、ハクはふわりと空中に浮かんで距離を取った。

〔いったぁい! ひどいよコサカァ〕

「ひでーことしてんのはどっちだ!」

 跳ねたボールを捕まえ、小坂は座り込んだままの菅原と和都の元に駆け寄る。

 宙に浮かんだ白いオオカミは、こちらを見下ろしながら、はぁ、とため息をついた。

〔まぁいいや。ボクは神様だからね。カズトの別のお願いを先に叶えてくるよ〕

「別の、お願い?」

〔そ。鬼を食べることだよ! 1匹はもう片付けてあるから、もう1匹のほうも食べておくね!〕

 和都を狙う鬼は2人。そのうちの1人は行方不明だ。

「お前まさか、」

 ハクの言う『もう片付けた』という言葉の意味に、和都はゾッとする。

 こちらの反応などよそに、ハクは空中をくるくると旋回しながら、無邪気に話し続けていた。

〔あぁでもそっかそっか。ボクらと一緒になったら、カズトはスガワラ達とお話できるのも最後になっちゃうよねぇ〕

 神様と一緒になる。

 その意味をハクはきちんと理解しているようだが、その価値観は、まるで違う。

〔ボクは優しいからね。ちゃんとお別れとかする時間をあげるよ。んで大丈夫になったら、そうだなー、あの神社の跡地に来てもらおうかな!〕

 そう言いながら、ハクの前足が屋上からも見える小山の方を指す。

〔あんまり遅いと寂しいから、できたら早めに来て欲しいかも! じゃあ、待ってるからね!〕

 ハクは楽しそうにそんな言葉を残し、そのままスゥッと空に溶けるように姿を消していった。

「待ってるって、そんな……」

 空中を見つめたまま、和都は青い顔で呟く。

 そのタイミングで、東階段側の屋上扉が勢いよく開いた。

「大丈夫か!」

 春日と仁科が、放心状態で座り込んでいる和都と菅原の元へ駆け寄る。

「ケガは?」

「おれは平気。菅原が、腕を……」

 青い顔のまま和都がなんとか答えると、春日が菅原に肩を貸す。

「とりあえず、保健室に」

 仁科に促され、全員で屋上を後にした。





「手当てが終わったら、私も会議に参加します。はい、事故の経緯や詳細は聞いておきますので、その時に……」

 屋上の金網が落ちてきた件について、事情を聞きにきた事務員や教頭に仁科はそう告げると、保健室のドアを閉めた。

「ケガは腕だけ?」

「はい。背中とかも打ったけど、まぁたいしたことなさそうなんで」

 室内は静まり返っていて、仁科が手当てをする音だけが静かに響いていた。

 保健室に移動する最中、ハクとバクの本当の目的について聞いた和都は、談話テーブルの椅子に座ったまま、じっと床を見つめる。

「相模はケガとかしてないか?」

「……平気。菅原が庇ってくれたから」

 仁科の問いにそれだけ答えると、和都はまた口をつぐむ。

 屋上でのことを思い出していた。

 菅原は自分がハクに近づこうとしたのを止めていたし、すぐに自分を庇ってハクの攻撃を回避していた。

 小坂もすぐに状況を理解して、ハクを止めた。

 分かっていて、注意してくれていたのだ。きっと、仁科か春日の指示だろう。

 ──おれだけ、知らなかったんだな。

 ハクがチカラを増やせといい、実体化を望んだのは、鬼を食べてくれるためだけじゃない。

 自分を食べて、バクと1つに戻るためだったのだ。

 そして自由になる、というのは、相模和都でいるのを辞めること。

 人を惹き寄せる面倒なバクの性質も、仁科家の末子が短命になる悲しい祟りも、自分が自分を辞めればいい。

 簡単な話だ。

「……おれが。おれがハクに食べられちゃえば、全部終わるじゃん」

 自分の手を見つめて、和都がポツリと言った。

 近くにいた春日が和都の襟首を掴んで立ち上がり、

「ふざけんな! お前、まだそういうこと言うのか?」

「でも! 方法が他にないじゃんか!」

 怒鳴るような声に、叫んで返す。

 春日が白い歯を軋ませ、唸るように言った。

「……2度とそういうこと言うなって言ったよな」

「わかってる! 分かってる、けど……」

 鋭く睨みつける視線に、和都は目を逸らす。

 自分から死ににいかない、という約束。

 だが、本当にそれでいいのだろうか。たくさんの人が傷つかないで済むのなら、自分の命で全てが解決するなら、安くはないだろうか。

 どうしても、そんなことを考えてしまう。

「おい、落ち着けよ、お前ら」

 小坂が2人の肩を叩き、春日から和都を少し遠ざける。

 菅原の手当てをしながらその様子を見ていた仁科が、口を開いた。

「相模。今日、お前の親は家にいるの?」

「え、と……」

「いません。昨日からまた、出張に行ってます」

 口籠る和都の代わりに、春日が答える。

 聞いた理由は明白だった。

「……じゃあ俺ん家にこい。春日、俺がそいつを見張る。それでいいか?」

「お願いします」

 憤った息を吐き出すように春日が答える。

 菅原の腕に包帯を巻き終わると、仁科は頭を掻いた。

「今、緊急の職員会議中で、治療も終わったし、俺も参加しないといけない」

 本来は川野が行方不明になった件についての会議だったのだが、屋上での出来事も議題にあがるだろう。

 どのくらいかかるのか、見当もつかない。

「お前ら相模ん家まで一緒に行ってくれる? 俺が迎えに行くまで、そいつ見張っといて」

「……はい」

 和都以外の全員が頷いた。





「先生、遅いな」

 4人で和都の家に向かい、広いリビングでそれぞれ何をするでもなく、仁科が来るのを待っていた。

「……菅原。腕、平気?」

「かすっただけだから、大したことないよ」

 和都は一人制服から着替え、泊まることになるので支度なども済ませたのだが、仁科が来る気配はない。

 適当にお菓子を食べたり、関係のない話をしながら過ごしているうちに、外はすっかり夕焼けも終わり、空の端にわずかな橙色を残して紺色に沈み始めていた。リビングから見える道路沿いの街灯にも、灯りが入り始めている。

 さてこれからどう時間を潰すか、というタイミングで、ようやくインターホンが鳴った。

 迎え入れた仁科の顔は、酷く疲れ果てており、リビングのソファに座らせると、背もたれに深く沈む。和都がグラスに入れた麦茶を差し出すと、一気に飲み干していた。

「いやー、さすがに色々ありすぎて、困ったもんだね」

 川野の件については、春日と小坂の証言も踏まえ、すでに警察が介入しているらしい。

 また、屋上での一件を、つむじ風と老朽化でゴリ押ししたところ、先日、仁科が保健室で閉じ込められたこともあり、校舎全体を一斉点検することが決まって、明日明後日と臨時休校が決定したということだ。

「それから、堂島が事故に遭って、運ばれた」

「はぁ?!」

 堂島は職員会議が始まる直前まで、学校の裏門を出てすぐのところで、下校する生徒の見守りに立っていたらしい。ちょうどそこに運転操作を誤った車が突っ込んできたようだ。

「ハクの仕業、か」

「だろうな」

 会議の前ということは、ちょうどハクが屋上から離れてすぐくらいのタイミングになる。

「意識不明だが、心肺停止まではいってないらしいから、大丈夫だとは思うがな」

 屋上を去る間際、ハクは『もう1つのお願いを叶えておく』と言っていた。

 堂島に憑いた『鬼』を食うために、事故を引き起こしたのだろう。

 自分のせいで。

 自分を取り囲む色んなものが、おかしくなっていく。

 それならいっそ、全てを放り出してしまいたい。

「……前のおれなら、こっそり逃げ出して、ハクのとこに行ってたんだろうな」

 仁科の横に座っていた和都は、自分の膝に乗せた手をぎゅっと握る。

「でも、今はできないや」

 声が震えていた。

「死ぬの、怖い」

 目の奥がじんと熱くて、心臓がギュッと掴まれたように痛い。

「あんなに平気だったのに、今は、すごく怖い」

 何もない自分の命はちっぽけで、たいした価値がないと思っていた。

 けれど、だんだん自分にも、大事にしたいものが増えてきて。

 いつ死んだって平気だったはずなのに、今は色んな約束と大切なものが無くなってしまうほうが怖い。

「みんなと、いたいなぁ」

 呟くように言うと同時に、気付いたら涙が頬を伝って落ちていた。

「……相模ぃ」

 和都の横に座っていた菅原が、泣きながら抱きついてくる。

「死なせないよ、絶対に」

 仁科が和都の頭を撫でて言う。

「お前はちゃんと、みんなと同じように卒業するんだよ」

「うん……」

 泣き出した菅原に抱きつかれたまま、和都も一緒にわんわん泣いた。

 今更になって、怖かった気持ちが渦巻いて、落ち着くのに時間がかかってしまった。

「ごめんなさい。色々、考えなきゃいけないのに……」

「気にすんな」

 ひとしきり泣いて、和都が手の甲で涙を拭いていると、少し離れた場所で、小坂が鼻をすすりながら言う。

「ハクがさっさと『鬼』を片付けた以上、こっちも悠長にしてる時間はなくなった感じだな」

 仁科はそう言いながらもう一度和都の頭を撫でると、自分の通勤用鞄を開け、封筒を取り出した。

「ちょうどみんないるし、バクに頼まれた事件の真相について話しちゃおうか」

「あれ? それユースケが持ってた……」

 和都が春日のほうを見ると、小さく頷いた。

「仁科の実家から持ち帰った本は、全部で4冊あってね」

「そうだったんだ」

 封筒からは仁科孝四郎のもう1冊の日記と、内容を書き起こしたレポート用紙が出てくる。

「殺害後のことは日付の新しい残りの1冊に書いてあるだろうなと踏んで、春日クンに解読を任せてたんだ」

「え、なんで黙って……あ、そうか」

「お前に祟りの話やバクの計画を話したら、自分が死ねばいいって、言い出しそうだったからだよ」

 春日がトゲを含んだ声で、睨むように和都を見て言った。

「そう、だね……」

 学校でその話を聞いた時、実際にそう言ってしまったので、仁科や春日が気にかけるのも仕方がない。

「春日クンの解読によれば、孝四郎は、真之介を殺していないそうだ」

「えっ」

「こっちの日記には、事件の詳細な顛末も記録されていた」

 当時の記録は、以下のようにあった。


 あの日は、ある村人から『相談事があるから夜中に拝殿に来て欲しい』と言われていた。

 話ぶりからしてまた金の無心だろうと思っていた。

 約束の時刻になったので拝殿に向かうと、真之介が人と言い争う声がする。

 何事かと急ぎ駆けつけたところ、真之介が日本刀と一緒に血塗れになって倒れていた。

 約束をした、件の村人はいなかった。

 裏の道のほうへ走り去る人影が見えたが、約束した村人かは分からない。

 真之介を助け起こそうとしたが、日本刀を持ったところで運悪く下女が来て、バクにも見られてしまった。


「そんな……なんで、弁明しなかったんだ!」

 話を聞き終わった和都が、大声をあげて立ち上がる。

「おい相模、落ち着けって」

 隣にいた菅原が慌てて宥めすかし、肩を抱いて座らせた。

 仁科を睨むように見開いた和都の目は、両方とも金色に光っている。

「……出てきたな、バク」

「えっ!」

 菅原が驚いて和都の顔を覗き込んだ。

 和都の黒目がちな瞳全体が、獣のような金色になっている。

「犯人は村の人間だろ?! 言ってくれればアイツらを!」

 声は和都と変わらないが、話し方はどこか雰囲気が違う。中身だけが全くの別人になっているようだ。

「だから言えなかったんだ。村人の誰かと分かったら、お前は村中の人間を襲っただろ!」

「……っ!」

「お前に人殺しをさせたくなくて、言わなかった。自分が殺したと言えば恨みを自分だけに向けると思って」

 白狛神社の祭神も、大事な人を殺されて、村中の人間を襲った。

 同じ過ちを繰り返させてはならないと、孝四郎なりに考えた結果が、自分を犯人とすることなのだろう。

「でもお前は祟り神になった。このまま死んでは真之介に合わせる顔がないと、自害したようだよ。自殺者は、魂の位が下がるからね」

 現世での行いで、神に召し上げられる魂の位は変わる。

 魂の位が違ってしまえば、あの世で会うことは叶わない。

 かつての親友とはもう、会わない。

 それは孝四郎自身が、自分で自分に科した、罰。

「は……なんだそれ。酷い真相だ。最悪だ」

 自分のために、村人を守るために、嘘をついた。

「こんなことならずっと、恨んでいたほうが、マシじゃないか」

 金色の瞳から涙が溢れだし、小さな子どものように泣き始めた。

 隣に座っていた菅原が、泣きじゃくるバクの頭を優しく撫でる。

「金庫の内側は、ベタベタと魔除の札を貼ってあった。そして白狛神社と孝四郎の記録だけ、さらに札を貼った箱に納められてた。孝四郎の死後もお前に見つかっちゃまずいと秘匿にされたんだろう。真実を知られたら、あの辺り一体が血の海になるから、とね」

 怒り荒ぶる祟り神から村を守るために、真相を知った当時の仁科家当主は、今後も末子の命を捧げることをよしとしたのだろう。

 秘された結果、その真相も封じられ、祟りのみが伝わってきたのだ。

「バク、日記の最後のほうに、俺たちでは読めない文字が書いてあった。お前なら読めるんじゃないか?」

 落ち着いてきたバクの様子を見計らって、春日が解読できなかったページを開いてみせた。

 バクはそのページをジィッと見つめる。

 解読できなかった記号のような文字の羅列は2つ。どれもお札に書いてありそうな文字だが、読む解くことは難しい。

「……これは、使役獣への命令文だな。ひとつは『魂から離れろ』というものだ」

「魂から離れる?」

「そう。使役獣は稀に人間に憑依して、人間を操ったりすることもあるんだよ。それをやめさせる時に使う命令だな。そして、もうひとつが……」

 もうひとつの文字を見つめたまま、バクが止まる。

「こっちは、なんて?」

「はっ……『お前は悪くない』だとさ」

 命令でも何でもない。

 自分たちにしか読めない言葉で書いた、伝言だった。

「勅令用の古語で何を書いてるんだアイツは……」

 愛おしそうに文字を撫でながらバクが呟く。

 それだけで充分だった。

 はぁ、とバクが大きく息をつく。

「まさか、本当に150年以上前の真相を見つけてくるなんてね。完敗だよ」

「それじゃあ……!」

「かつての主人(あるじ)も、こうして最期に命令を残していたようだし、仕方ないね」

「よっしゃ!」

 バクの言葉に、小坂と菅原が喜びの声を上げ、仁科と春日はようやくホッとしたように胸を撫で下ろした。

 ひとまずこれで、和都は祟りから解放してもらえる。

 しかし、

「………ただ、少し気がかりな部分がある」

 バクが何か考えるような顔をしていた。

「ボクはね、取り憑いてる人間の魂に(かじ)り付いた状態なんだ。次へ行く時は齧り付いた部分を切り捨てることで離れてる」

 悪霊や鬼が人に取り憑く場合は魂に掴まるだけだが、祟り神なのでより離れ難く掴まるために、魂に齧り付くことができるのだ。

「離れるときは、トカゲの尻尾切りみたいな感じで離れるのか」

「そう。だから、生きている人間の魂から無理に離れた場合、コイツにどんな影響が残るか、分からない」

 これまでは死んだ魂からしか離れたことがない。そのため気にしたことはなかったが、人間の魂に、神獣や祟り神の一部を残すということは、それなりにチカラの影響を受けるということ。

「それでも、いいかい?」

「他に方法がないなら」

 仁科は迷いなく頷いた。

 生きていてくれるなら、それ以外は些末なことだ。

「コイツに何か影響が残っても、それは全部、俺がなんとかするよ」

「……そう。やっぱりお前は、孝四郎によく似てる」

 大変なことを、全部一人でなんとしようと、抱え込む人だった。

 だから、側で支えて助けたかった。

 でも、孝四郎と違うのは、ちゃんと誰かに助けてほしいと言えるところ。

「末裔なんでね」

 仁科が笑ってみせる。

 離れた後のことは、きっと問題ないだろう。

「あ、でもさ、どうやって離れるんだ?」

 喜びも束の間、菅原がそもそもの疑問をバクに投げかけた。

 1番の問題は、どうやって離れるか、だ。

「本当なら、人の魂からボクのような祟り神が離れるには、1度魂だけになってもらう必要があったんだが」

 バクは孝四郎の勅令が書かれた部分を指して、

「この札と、カズト自身が蓄えたチカラを使えば、魂だけにならずとも離れられるはずだ」

「なるほど!」

 孝四郎はもしかしたら、将来この本が見つかり、自分が読んだ時のことを考えて、2つの古語を書き残していたのかもしれない。

 ──本当、お節介なヤツだ。

「でもこれ、どうやって使うんだ?」

「チカラのある人間が書いた文字を、チカラのある人間が神獣に貼れば効力を発揮する。孝四郎が書いたものだし、センセイがボクに貼れば問題ない」

「そうか。よし、それじゃあ……」

「待て」

 仁科が早速、勅令部分を破り取ろうとすると、バクが制止した。

「確かにそれを使えば、カズトの魂からすぐ離れられる。だが、祟り神は悪鬼と違って、次に入る場所が決まってないと、すぐに霧散してしまうんだ」

「霧散って、消えるってこと? それじゃあハクが納得しないんじゃ」

「ああ。今ここでボクが消えたら、ハクはこの辺り一体をめちゃくちゃにするんじゃないかな?」

 大神として実体をもって顕現した今、ハクを怒らせたらそれこそ天変地異が起こる可能性が高い。

「アイツは、ボクのために狗神になってまでついてきたんだからね」

 祟り神に堕ちた自分に寄り添うために、(つがい)として離れたくないその一心で、自ら首だけになってまで人間を恨む狗神に堕ちた。

「……ボクも、アイツのところに戻りたい」

 何百年も、いつだってずっと一緒にいたのだ。

 それを、和都を食べる計画のためとはいえ、一時的にでも離れた状態になると、こんなにも心許なくて寂しいのか。

「今は繋がっていないから、アイツはまだボクがカズトを解放するって決めたのを知らない状態だ。カズトに会えばきっと食らいついてくるだろう」

「なんで、こう……身体を、食うんだ?」

 小坂が少し言いづらそうに、嫌そうな顔で言う。

「肉体の中にある魂を取り出すためさ。生きている肉体に魂は縛られる。だから肉体の生命活動を止めてやる必要があるんだよ」

 人間は、魂と精神と肉体がくっついた生き物である。肉体から魂だけを取り出すには、殺してしまう方がいい。

「稀に生きていても魂が飛び出すことはあるが、完全ではないからな。食い殺したほうが早い」

「な、なるほど」

 普段通りの顔で物騒なことをさらりと言うので、小坂も少し腰が引けてしまう。

「今回は祟り神であるボクだけが離れればいい。そしてボクが消える前に、ハクに取り込まれる必要がある」

「なるべく近くで離れる必要があるってこと?」

「ああ。出来れば触れ合ってる状態がいいかな。無理やり離れる場合、どんな影響があるか分からないし」

 バクの言葉に、菅原がうんざりした顔で言った。

「食おうとしてくるやつに、くっつかなきゃいけないってことかよぉ」

「そうなるな」

 ただでさえ巨大になり、積極的に食べようとしてくるハクに、危害を加えられずに触れるというのは、なかなか簡単なことではない。

「ハクの動きを封じる、かぁ」

「でも神様の動きを止めるなんて……」

 バクは少し考えてから、春日のほうを見た。

「ユースケ、お前のお守りを見せろ」

「ん? ああ」

 不思議に思いながらも、鞄から凛子にもらったお守りを取り出してバクに渡す。鬼として本性を現した川野を撃退するために、1度これを投げつけた。

 バクは紫色の『安曇神社』と書かれたよくあるお守りを、裏表じっくり見て、

「ふむ……。お前は本当にこれを投げただけか?」

「ああ、そうだ」

「確かにコレはだいぶチカラの強いお守りだが、これを投げつけた程度で、普通、鬼の顔は焼け爛れたりしない」

「は?」

 春日の怪訝そうな顔を見て、バクが目を細めて笑う。

「やっぱりお前、視えないだけなんだな」

 バクの言葉を聞いた仁科が、そういえば、という顔で口を開いた。

「たしかに、凛子がこないだ来た時、似たようなこと言ってたな。チカラはあるけど、視えないし感じないって」

「マジかよ」

 春日が川野を撃退するのを、間近で見ていた小坂が呟くように言った。

 言われた当人は信じられないようで、怪訝な顔のまま、じっと自分の手のひらを見つめている。

「センセイ、孝四郎のもう1つの日記はある?」

「一応、持ってきてはいるが」

 バクに言われて仁科がもう一つの、和都と一緒に解読をしたほうの日記を取り出した。それをペラペラと捲って、神獣に読めると言う古語を練習していたと思われる箇所を開く。

「……うん、これなら使えそうだな」

 たくさん書かれていた中から、バクは1つの勅令文を指した。

「なんて書いてあるの?」

「これはいわゆる『伏せ』だな。動きを止め、座って頭を下げさせる」

 バクはそう言うと、その部分をビリビリと破り始める。

 容赦なく破り始めたバクに、菅原が慌てた。

「え、ちょ。先生、いいの?」

「あー、よくはないけど、仕方ないかな」

 仁科家にとってはご先祖様の貴重な資料ではあるが、背に腹はかえられない。

 未来の子孫のために使った、と言えば父や弟も許してくれるだろう。

 バクは破りとった紙片を、春日に手渡した。

「やり方は何でもいい。直接貼りつけても、投げつけてもいい。こいつでユースケがハクの動きを止めて、それからセンセイのチカラでボクはハクの中に戻る」

「わかった。やってみよう」

 春日が頷くと、金色の目が優しく笑うように細められた。

 と、和都の身体が前に倒れ込むようにぐらつく。

「大丈夫か?」

 仁科が抱え込むように支えた。

「……意識のある身体を扱うのは、消耗が激しいんでね」

 額にじんわりと汗をかき、そう言うバクの息遣いが少し荒い。

「少し休むよ。ボクが離れられるまで、カズトを守ってやってほしい」

「もちろん」

「頼んだよ、センセイ」

 仁科を見つめていた金色の瞳が、ゆっくり閉じられる。

 それからガクン、と崩れ落ちるように身体全体の力が抜けた。が、すぐに、今度は黒い瞳が瞼を開く。

「……あ」

「大丈夫か?」

「う、うん」

 何度か瞬きをして、意識を取り戻した和都は目を擦った。

「どこまで記憶ある?」

「一応、全部聞こえてたっていうか、見えてたっていうか」

 仁科の確認に、和都はふんわりと答える。

 というのも、和都は自分の意識はあるものの、途中から身体が言うことを聞かないような状態になっていた。ただ、自分の口から発する声で、バクが話をしている、というのは理解できたので、何が起きて何をしなければいけないのかは、分かっている。

「夢を見ているみたいな感じだったけど。とりあえずは、大丈夫!」

「そうか」

 和都は仁科がホッとした顔に笑って見せ、それからじっと自分の両手を広げて見つめた。

「おれ、普通になれるのかなぁ」

「どーなるか、分かんねぇけどな」

「ま、今よりはきっとマシでしょ」

 小坂がため息をついて言い、菅原が笑って和都の頭を撫でた。

「何かあっても、先生が何とかするらしいしな」

 春日がそう言って仁科のほうに視線を向ける。

「そうそう。責任をとるのが大人の仕事だからね」

 言われた仁科は、和都の頭を撫でながら笑った。

 和都は見つめていた両の手を握り、よし、と立ち上がる。

「じゃあ、行こっか!」

 太陽は落ちて、月のない夜。

 和都達は、全ての始まりの場所、白狛神社跡地へと向かった。


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