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21)花を埋める

 数日後に2学期開始を控えた、夏休み終盤。

 9月下旬の文化祭に向けた準備のため、狛杜高校の各クラスには、チラホラと生徒が登校してきていた。

「おっすー」

「あ、おはよー。小坂遅かったね」

 珍しく遅めに登校してきた小坂は、教室に入ると和都のところにスマホを触りながら近寄ってきて、

「あそこ寄ってから来たんだ。あの山の上の、神社跡地」

 そう言って小坂がスマホの写真フォルダをこちらに見せた。

 ちょうど倒木の撤去を始める準備が整ったところらしく、駐車場から跡地へ向かう通路の草が刈られ、立ち入り禁止の看板が置かれている。早朝のためか、使用するらしい重機が駐めてあるくらいで、人やトラックなどは見当たらない。

「倒木の撤去工事、もう始まってるって先生言ってたから、見に行ってきた」

「おー、マジじゃん!」

「よく行ったね。え、自転車で行ったの?」

「当たり前だろ」

「運動部つよ……」

 2年3組のクラス展示は、神社をモチーフにしたお化け屋敷だ。

 和都達が担任の後藤に神社跡地の調査をしていると伝えたところ、クラス内でも話題になり、小坂の提案していた通り、とんとん拍子で決まってしまった。

 近くの山にあった白狛神社を含む3つの神社をめぐるという形で、白狛神社と看板のあった2つの神社の名前や由来を使って作ることになっている。そのため、和都達は制作する神社の監修役として動き回っていた。

「相模! 3番目の神社なんだけどさー」

「なにー?」

 教室の奥の方で呼ばれて、和都はそちらへ足を向ける。

 そこでは白狛神社エリアを担当するチームが作業していて、ハクとバクをモチーフにした、ダンボールの狛犬が作られていた。呼びかけてきたクラスメイトは、拝殿周りを設計していて、賽銭箱の近くに血溜まりがある図を書いている。

 特に大きな問題はなさそうなので、そのまま進めてもらうことにはしたものの、

「……これ、怒られないかな?」

「まぁ、史実に沿ってるならいいんじゃないか?」

 和都の横で同じように設計図を覗き込んだ春日がそう言った。

 安曇家から公開許可の出ている範囲内での表現ではあるが、なんとなく申し訳ない気持ちになる。

 心配そうな顔で提出用にまとめたノートを和都は見つめた。何気なくそちらへ視線を向けた春日は、ふと違和感に気づく。

 下を向いた和都の、制服の白い襟からすっと伸びる細い首。その後ろの、付け根あたりに、赤紫色の小さな痕がある。

 まだ赤く腫れてるならただの虫刺されや発疹と思えたが、そんな場所に強い内出血の痕が出来るなんて、意図的でなければ難しい。

 春日は眉を顰め、大きくため息をついてから、

「ちょっと、保健室行ってくる」

「え。ユースケ、具合悪いの?」

「先生に話がある」

「どしたの? 顔こわいよ?」

 教室から出ていこうとするのを追いかけてきた和都を、春日はジロリと睨んでから言った。

「……首の後ろ」

「くび……?」

 言われてピンと来ず、和都はしばらく考えて、

「……あっ!」

 安曇神社から帰宅した日のことに思い至る。送り届けてもらった玄関で、仁科に何をされたのか。

 和都は慌てて手で首の後ろを押さえたが、その様子は小坂と菅原も見ていて。

「ん? どうした?」

「え、なに? もしかしてついに?」

 近くにいた菅原はニヤニヤと、やけに楽しそうに和都へにじり寄ってくる。

「いや、なんでもない……!」

 ──忘れてた。

 そう答えるも、顔を赤くした状態ではあまり意味がなかった。





 ノックもなく、ガラガラと勢いよく保健室のドアが開いた。

「失礼します」

「あれ、春日。どうした?」

 ちょうどコーヒーをいれようと、椅子から立ち上がったらしい仁科がそう言った。春日はそこに大股でズカズカと歩いて近寄ると、仁科のシャツの襟首を白衣ごと掴み、数センチしか変わらない高さの顔に、自分の顔を近付けて言う。

「……面談、いいですか」

「こえーなおい、わかったから!」

 見たことがないくらいのしかめっ面が目の前で言うので、仁科は宥めつつそう答え、保健室のドアプレートを『面談中』に切り替えてドアを閉めた。

「和都の首の後ろ、なんすかアレ」

 椅子にも座らず立ったまま、敬語もなく睨まれる。

 もう、心当たりしかない。

「ありゃ、バレたか」

「それで、言い残すことは?」

「暴力反対! 手は出してないってば!」

 分かりやすく怒りながら、春日が自分の手の指をパキパキと鳴らす。

 仁科はあれこれ考えて、半分くらい正直に言った。

「酔っ払って付けちゃったんだよ」

「……胸のも?」

「え、なんでそっちもバレてんの。……そーだよ」

「ハッタリだったんですけど、胸にも付けたんですね?」

「あっ、ズルい!」

 春日の眉間のシワが深くなる。

 口車に乗せられて、うっかり自供してしまった。

「本当いっぺんシメていいですか?」

「いや、マジでそれ以上は何もしてないから。暴力はやめよう? な?」

 両手を突き出しどうどうと、仁科が春日を落ち着かせるように手を振って言う。

「……アイツからは何も聞いてないんで、問題になるようなことはないんでしょうけど」

 言われて落ち着いたわけではないが、春日は大きく息を吐いた。

 それから、仁科をまっすぐ見て言う。

「中途半端なことは、やめてやってください」

 春日の言いたいことは分かる。以前話してくれた、姉の件があるのだろう。

「……そこは大丈夫だよ。ご心配なく」

 仁科は春日に向かって迷いなく言った。

 それについては、自分の中で決着がついている。

「お前、ほーんと俺のこと嫌いだよねぇ」

「そこまで嫌いというわけではないんですが、やっていることと見た目が合ってなくて、なんかムカつきます」

「まぁひどい」

 見た目については、そう見えるように振る舞っている部分もあるのだが、自分の仕事そのものについては、去年保健委員だった春日もそれなりに評価しているらしい。

「心配しなくても、お前が俺を警戒する理由は、ちゃんと分かったからさ」

 仁科はそう言いながら、談話テーブルの椅子に座ると、何の話をされているのか思い至ったらしい春日が視線を逸らした。

「聞いたんですか、去年のこと」

「うん。俺は、アイツにお前がいてくれて、よかったと思ってるよ」

 椅子に座ったまま足を組み、仁科が春日を下から見上げると、伏せていた悔しそうで辛そうな表情が見えた。

「……俺は、何もできませんでしたけどね」

「んなことないよ。ちゃんとこっち側に引き留める『理由』になってるじゃん」

 高校に入る前は死にたがりだった奴が、ちゃんと生きて卒業すると約束した。

 その約束を守るために、命を手放さなかったのだ。

 果たしてそれのどこが『何もできていない』のだろう。

「まぁ、ちょっと過保護すぎるかなーとも思うんだけどさ。そろそろ俺には、手ぇ抜いてくんない?」

「いやです」

 春日が即断とばかりに返すので、仁科は呆れて苦笑した。

「あっそ。……それなら、お前にも一緒に抱えてもらおうかな」

 仁科が自分も座るよう椅子を指差すので、春日は近くの椅子を引いて座る。

「何ですか?」

「……バクと話した」

「バクって、和都が狛犬だった時の名前、ですよね?」

 和都の最初の説明では、本人はハクと番になっている狛犬『バク』の生まれ変わりらしい、ということだった。

「うん。時々、アイツの目が金色に光ることがあって、気にしてたんだけど。眠ってるアイツの身体を使って話しかけてきてね」

「そんなことが、出来たんですね」

「泊まってたとこが神社の敷地内だったしね。チカラが強かったんじゃねーかな」

 仁科が何気なく説明したのだが、春日ははたと気付いてジロリと睨む。

「……そんなとこで、よくあんなことやりましたね」

「いや、してないってば! セーフだろ」

「キスマークつけてんだから、ほぼアウトですよ」

「……ぐっ」

 何も反論できずに仁科が黙ったので、春日は呆れた。しかし、そんなくだらない話をしている場合ではない。

「それで? バクはなんて?」

 言われて、仁科は小さく咳払いをして改まると、少し悔しそうに眉を顰めた。

「あれは俺たちの予想通り、生まれ変わりではなく、『祟り』そのものだったよ」

「そう、ですか」

 春日が小さく握った拳に力を込めた。

「憑いている奴が死んだら次の子どもへ……ということを繰り返してきたらしい」

 仁科家の血を受け継いだ末子だけを、苦しめ屠る祟り神。

 薄明かりの下で、金色の目が吠えていたのを思い出す。

「先生の弟さんの時は、ハクは居なかったんですよね?」

 春日に言われ、仁科は頷く。

「でも多分、居たんだろうな。気付けなかったけど。幽霊を視ることはできても、神様や神獣は普通、視えないからね。向こうがこっちに合わせてくれないと」

「ではなぜ……」

 本来なら祟っている相手には姿を見せない番のハクが、和都の前に現れたのか。

 鬼が和都を狙って現れたから、ではない。

「今回で、最後だそうだ」

「は?」

「アイツを最後に、祟るのを辞めてくれるそうだ」

「できるんですか? そんなこと」

「ハクを実体化させ、アイツごとバクを取り込んで、1つの神に成るんだと」

 ハクは言っていた。

 人間は『食べやすい』のだと。

 肉体ごと食べてしまえば、魂の格が違っても簡単に取り込める。

「つまり、ハクとバクは、最終的にアイツを食うつもりでいるらしい。まるごとね」

 春日が目を見開いて、声を詰まらせながら言った。

「……実体化を、辞めさせるしか」

「それは無理だ。今いる人間じゃ鬼は祓えない。ハクに食ってもらうしか、方法はないらしい」

「そんな……」

「もし仮にハクの実体化を止めたとしても、鬼に食われるかバクの祟りで殺されて、次は俺の甥っ子にバクが憑く。八方塞がりってヤツだ」

 仁科は大きく息を吐く。

 何をどう足掻いても、和都が死ぬことを回避できない。

「ただ、1つだけチャンスをもらった」

「なんですか」

 春日が食い気味で聞いた。

「白狛神社が移動した理由は、表向きは宮司の自殺になっているが、実際は宮司の安曇真之介が仁科孝四郎に殺されたからだ。でも、2人は仲が良かったらしい」

 あの時の、バクの話しぶりからするに、孝四郎が真之介を殺すというのは、到底あり得ない。

「バクはその事件の真相を知りたいんだと」

「しかし、そんな昔の事件の真相なんて……」

 ただでさえ白狛神社に関する資料は、あらゆる都合によって消されているのだ。そんな事件の真相を見つけ出すのは、容易(たやす)いことじゃない。

「手掛かりがないわけじゃない。実家の開かずの金庫のなかに、仁科孝四郎の日記が残っててね」

 そう言うと仁科は立ち上がり、出入り口近くにある私物入れのロッカーを開けた。

「それを解読していけばいいんですね?」

「ああ。安曇の蔵になかった白狛神社に関する記録と、全部合わせて4冊ある。くずし字で書かれてるから解読アプリで少しずつ読んでるんだけど、悪筆だったり汚れてるせいで分かんないとこもあって、結構時間かかっててね」

 仁科は通勤用に使っている鞄から、古びた本を1冊取り出し、春日に差し出した。

「春日クンも、協力してもらえる?」

「わかりました」

 春日が受け取った表紙には、仁科孝四郎の文字と、日付が見える。どうやら日記のほうらしい。

「封筒に入れて持っていきます。アイツには見せないほうがいいでしょ」

「あぁ、そうだね」

 和都の中には、バクがいる。どのような意図で事件の真相を求めたのか分からない以上、この日記の存在を知ったら、どう動いてくるのかが見えない。

 仁科は春日に、学校の名前が書かれた大きい封筒を渡した。

「あと、絆創膏もください」

 受け取った封筒に本を入れながら、春日が言う。

「なんで?」

「酔っ払いのふざけた痕を隠すためです」

 春日がいつもの調子で言うので、仁科は大人しく治療用品の入った棚から絆創膏を出して渡した。

「……はい」

「まったく」

「……今回の件、アイツには伏せといてやってね」

「わかってますよ」

 和都は仁科家の祟りも、ハクが最終的に自身を食べようとしていることも、知らない。

 知ってしまえば、最悪の手段に自分から進んでしまうような奴だ。

 だからこそ、彼に知られてはいけない。

「そろそろ戻ります」

「はいよ」

 保健室のドアを開けようとして、春日が立ち止まって振り返った。

 おや、と仁科が見ていると、

「俺、やっぱり先生のこと、嫌いです」

「……俺はお前も好きよ」

 仁科が口の端を片方だけ上げて返すと、春日はいつものように眉を顰めた。

「殴っていいですか」

「やめてってば」

 いつものような仁科のふざけた態度に、春日はため息をついて保健室を後にした。





 春日が2年3組の教室に戻ると、クラスメイトたちは変わらず作業を続けていた。

 が、教室の中を見回しても、和都の姿が見えない。

「あれ、和都は?」

「トイレに引きこもり中〜」

「おめぇが変な質問しまくるからだろうが」

 入り口近くにいた小坂と菅原に聞くとそんな返事で。

 どうやら自分が教室を出た後、何かに勘づいた菅原にあれこれ聞かれ、和都はトイレに逃げ込んだようだ。

「えー、でもやっぱ気になるじゃん?」

「お前みたいなのをデリカシーがないって言うんだよ」

 小坂が菅原をたしなめるのを聞きながら、春日は保健室から持ち帰った封筒を通学鞄に仕舞う。

「春日は何してたの? 先生ぶん殴ってきた?」

 菅原がやたら楽しげに聞いてくるので、さすがの春日も呆れてしまった。

「……受け取る書類があったから行ってきただけだ。一応、聞いては来たけど」

「えっ、じゃあやっぱり?」

「酔っ払って、ふざけてやったらしいから、菅原が思ってるようなことじゃないぞ」

 本当にそれだけなのか、真偽は正直分からない。ただ、そう言われてしまったので、そう答えるのが今の状況としては適切だろう。

「えー、なんだよそれぇ」

「おら、んなことどーでもいいから、こっち手伝えっての」

 心底残念そうな声をあげる菅原を、呆れたような顔で小坂が教室の奥に引き摺っていく。

 その様子を見届けてから、春日は1人、トイレに向かった。

 しんと静まり返ったトイレの室内。小便器の向かいに並んでいる個室の、ドアが1つだけ閉まっている。

「和都、いるのか?」

「……なに?」

 トイレの入り口で声を掛けると、ややあって、閉まっているドアの向こうから和都の声が聞こえた。

「隠れてるだけなら出てこい」

「菅原は?」

 よほど嫌な目にあったらしく、拗ねた声が返ってくる。呆れつつも春日は閉まっている個室の前に立った。

「ちゃんと小坂が叱ってたよ」

「先生んとこ行ってきたの?」

「ああ。進路関係で受け取る書類あったの思い出したから。まぁ、ついでに問い詰めてはきたけど」

「……先生、無事?」

 和都が少し心配するような声音で言う。仁科との間には、やはり何かあったのだろうと予想がついた。

 ──それは、俺が聞いていいことじゃない。

「酔っ払った先生がふざけただけなんだろ。……殴ってねぇよ。絆創膏貰ってきた。貼ってやるから、出てこい」

 そう言って、ようやく個室のドアが開いた。

 中から出てきた和都は、目の端が少し赤くなっていて、不機嫌そうに口を『へ』の字に結んでいる。

「おら、後ろ向け」

 言われて和都は春日に背中を向け、シャツのボタンを上から2つ外した。

「……おれ、しばらく菅原のこと無視してもいい?」

「何言われたか知らんが、泣くからやめてやれ」

 口を尖らせて和都が言うのを春日は宥めつつ、貰った絆創膏を個装紙から取り出して、裏紙を剥がす。

「去年のこと、話したんだな」

「……うん」

 シャツの襟を後ろに引っ張ると、細い首の根元が見えた。

 小さな赤紫の、痕跡が1つ。

「なんで?」

「先生は、味方だから」

「お前がそう決めたなら、それでいいよ」

 春日はそう言って、小さな内出血の痣を覆うように絆創膏を貼って、ほら、と背中を小突いた。

「向こうでのこと、詳しくは聞かないし、どういう関係になったかは知らねーけど」

「……べつにそういうんじゃないし」

「それでも、もし助けが必要になったら、ちゃんと言え」

「うん、ありがと」

 そう言ってこちらを向いた和都の顔は、戸惑っているような、困ったような表情をしていた。

 春日はなんとなく、開いたままの、和都の襟元を引っ張って胸元を覗く。

「……ぅわ」

 鎖骨の下、インナーでギリギリ見えない位置に、首の後ろに付いていたのと同じような、それよりサイズの大きい赤紫の痕を見つけて、春日は顔をしかめた。

「あっ、見るなよ」

 和都が慌てて胸元を隠し、外していたボタンを留める。困ったような顔をしつつ、少し赤い。

 春日は今日、何度目となるのか分からない、深いため息をついた。

「まぁ、学校外でのことを俺は何も聞かないし言わない。ただし、学校内外問わず、面倒になるようなことはせず、節度を持って行動しろよ、()()()()()

 呆れたように睨む春日に、和都は口を尖らせて返す。

「分かってるよ」

「なんかやらかしたら、()()()()()として、お前でも容赦無く吊し上げるからな」

「……はぁい」

 和都の申し訳なさそうな返事を聞いてから、2人揃ってトイレから出た。

 教室に戻ろうと廊下を歩いていると、和都が不意に両腕を寒そうにさする。

「どうした?」

「なんかさ、寒くない?」

 まだ季節は夏で、夏休み期間だ。外はカンカンに晴れていて、冷房をつけた教室の窓を解放しているので廊下側も多少は涼しいものの、寒いと感じるほどではない。

「いや?」

「えー、おれだけ?」

 廊下では別のクラスの生徒達が作業していたが、彼らも春日同様、寒そうにしている人間は見当たらなかった。

「ジャージならあるぞ、着とくか?」

「うん、借りる」

 そう言いながら、和都の視線は廊下の突き当たり、西階段のほうを向いていた。

「……なんかいるの?」

「んー、わかんない。でも、嫌な感じするなって」

「とりあえず、教室戻ろう」

「うん」

 春日は和都にそう促し、いつもと変わらない廊下の端を見つめてから、教室に入った。





 お昼時。仁科が持ち込んでいたコンビニ弁当を食べ終わり、食後のコーヒーを飲んでいると、保健室のドアがガラガラと開いた。

「失礼しまーす」

 そちらを見ると、和都を含めたいつもの4人組が立っていて。

「あれ。どうした、お前ら」

「ご飯、ここで食べていい?」

「いいけど」

 仁科がそう返すと、それぞれが談話テーブルの椅子に座って昼食に手を付け始めた。まだ夏休み期間で校内の購買が開いていないため、彼らも学校外のコンビニで買ってきたらしい。

「生徒なら教室で食べなさいよ」

「相模が、3階は寒いって言うんで」

 小坂がそう言うので、仁科が和都の方を見ると、ぶかぶかのグレーのジャージを着ていた。サイズ的に本人のものではないので、春日にでも借りたのだろうと予測がつく。

「寒い?」

「……うん」

「だからジャージなんか着てんの?」

 そう言いながら仁科は、困った顔でおにぎりを食べている和都に近寄り、額に手を当てた。普段と変わらず、熱はない。

「風邪とも違うか」

「飲み物買いに1階きたら全然寒くないから、たぶん3階だけ寒い」

 和都が膨れっ面で言った。本人も理由がよく分からないらしい。

「お前らは平気なの?」

「ぜーんぜん」

「むしろ暑い」

 どうやら和都だけが寒いと感じているらしい。

 なんだろうな、と全員で首を傾げていると、

〔3階、なんかいるよね!〕

 室内に響く声と共に、談話テーブルの向かい側、ベッドのある辺りからハクが姿を現した。

 ベッドの上から天井につくほどの大きな身体、大きな顔、前足。胴体は後ろ足の付け根の辺りまで見えている。白い毛をふさふさと揺らし、大きな金色の瞳の、まさしくオオカミに見える彼がこちらを見た。人間を簡単に丸呑みしそうな巨大な口から、赤くて長い舌がだらりと垂れている。

「でっか!」

 立派な体躯で現れたハクの姿は、全員に視えているらしく、その大きさに小坂がはしゃいで近寄っていった。その一方、ハクの乗っているベッドがミシミシと音を立てて潰れそうになっていて、和都は慌てる。

「わー! ハク、もうちょい小さくなれない?」

〔あはは、ゴメンゴメン!〕

 そう言うと、ハクはしゅるしゅる萎んでいき、ベッドの上に寝そべるくらいの、大人の人間より少し大きい、小柄の虎ぐらいのサイズになった。

「おぉ、変幻自在か! すげーな!」

 小坂が楽しそうに言いながら、ハクの頭を撫でる。

 その後方では、楽しそうな菅原と不機嫌そうな春日の視線が仁科のほうに向いていて。

「先生、これはやっぱアレですか?」

「……言い訳があれば、一応聞きます」

 春日がパキパキと指を鳴らすのを聞きながら、仁科が困ったように頭を掻いた。

「いや、だから。何もしてないってば。ずっと神社の敷地内にいたからだろ」

「そうだよ! おれ、毎日お参りしてたし!」

 和都が慌てて仁科を援護するも、春日と菅原の視線は変わらず。

 何もなかった、と言えば嘘になるが、実際ハクがここまで大きくなるほどチカラが増えたのは、相性のいい安曇神社に滞在していたお陰なのだ。和都が上手く説明できずにいると、

〔そうだよ、ユースケ。ニシナよりチカラの強いリンコもいたし、あの神社、カズトと相性がすっごくよかったからね〜〕

 小坂に顎周りを撫でられて、気持ちよさそうに目を閉じたハクが言う。

「へー、だからそんなになったのかぁ」

 小坂は1人感心して、ハクの立派な耳の先をつまんだ。

「リンコ? って誰ですか?」

「安曇凛子。安曇神社の次期当主だよ。今んとこ、俺ら親族の中じゃ1番チカラが強い」

 ハクと仁科の説明で、春日と菅原も一応は納得したらしい。

 ──説明してくれてありがとうね、ハク。

 ホッと胸を撫で下ろし、和都が心の中でハクにそう伝えたが、普段なら何かしら答えてくれるのに、反応がなかった。

 ──あれ、ハク?

 改めて呼びかけたが、やはり小坂に撫でられて気持ちよさそうにしているままだ。

「……ねぇ、ハク」

〔なぁに? カズト〕

 声を出して話しかけると、普通に返事をしたので、和都は首を傾げた。

「前は、念じたら会話できてた、よね?」

〔あ、もしかして話しかけてた? ごめんごめん。多分ねぇ、実体化してきてるから、出来なくなっちゃってるかも!〕

「そうなの?」

〔一応ボク、神様だからね、神獣だけど! だから人間と少し階層がズレてきてるんだよぉ〕

 ハクが言うには、神と人と鬼は存在する階層が違うため、本来なら人間が神様を視ることはできないらしい。その階層をすり抜けられる状態が、魂のみの状態だと言う。

「じゃあ、そのうちハクのこと、おれや先生でも視えなくなっちゃう?」

〔カズトはどんどん強くなってて、今もニシナより強くなってきてるから平気だと思うよ。ニシナは変わんないから、視えなくなるかもね!〕

「そっかぁ」

 心の中を読まれてしまうのは嫌ではあったが、これまで出来ていたことが出来なくなるのは少し寂しい。

〔まぁ、神様だからね! 実体化してればみんなに見えるし、視える人をボクが決めることもできるから、大丈夫だよ!〕

「神様って、すごいんだね」

〔えへん!〕

 そう言って、ハクが得意げに鼻を鳴らす。

「じゃあハク、3階に何かいるというのは、結局なんなんだ?」

 腕を組んで黙って聞いていた春日が口を開いた。

〔それがちょーっとボクもよく分かんないんだよねぇ。鬼とも幽霊とも妖怪とも違う感じ。悪い気配がモヤ〜ッて漂ってる〕

 どうやらその悪い気配とやらが、和都が寒いと感じる要因らしい。

「実体のない何か、ってことか」

〔西の階段の、近くのお部屋が、1番強いかな!〕

「西側の端だと、演習室だな」

 教室のある各階には、西の端に自習等に使える教室の半分くらいの小さい部屋がある。普段は鍵が掛かっており、職員に申請すれば誰でも利用ができる部屋だ。

「今は文化祭で各クラスの作りかけのものを置いてるから、ごっちゃごちゃだぞ」

「出入りも頻繁だから、文化祭の実行委員が鍵の管理してるんだっけ」

 時期柄、普段以上に利用者も多く、和都もここ最近はよくそこを利用している。

「うーん、最近も今までも、そこで何か視たってことは、ないんだけどな?」

 しかし、階段の下やプールの鏡など、今まで視たことのない場所で幽霊を視ることが増えているのは確かだ。

 もしかしたら演習室にも、鬼の存在によって刺激された何かがいるのかもしれない。

「まぁ、近づく時は気を付けるようにしなさいね」

 仁科に言われ、和都達は頷いた。

 何がいて、何が起きるのか。

 全てが終わるまで、油断はできない。

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