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18)野狐の道

 太陽が天辺に上がる頃、すっかり室内が明るくなった離れの布団の上で、仁科がようやく身体を起こした。

 広間を囲む障子はすでに開け放されており、仁科は重たい身体を引きずるように立ち上がる。座卓に置いた眼鏡を掛けて視界を少しクリアにすると、拝殿側を向いたガラス戸の前に掛かるカーテンを開けた。

 ガラス戸も開けると、よく晴れた青空の下、拝殿周辺の広場で子ども達の遊んでいる声が聞こえてくる。どうやら中学生達が水鉄砲の打ち合いをしているらしく、キャーキャーと大声で騒いでいた。

 思考のおぼつかない頭で眺めていると、その中に高校生の和都が混じっているのを見つける。が、大して違和感がないので、仁科は小さく笑った。

「……なにしてんだ、アイツ」

 外から吹き込む風に当たりながら、仁科がその場に胡坐をかくと、離れの奥、本邸と繋がる廊下から凛子がやってきた。

「あ、やっと起きた。おはよー、ヒロ兄。もうすぐお昼よ」

「おー、久々に飲まされたわ。頭いてぇ」

「だろうと思った。はい、お水」

 凛子がそう言いながら、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出す。

「さんきゅー」

 仁科はペットボトルを受け取って開けると、一気にごくごくと半分ほど飲み下す。ズキズキと痛む、こめかみを押さえつつ、仁科は凛子に一応聞いた。

「……で。あれ、何してんの」

「近所の中学生たちが、夏休みになるとよく境内であーやって遊んでるんだけど、同い年だと間違われて巻き込まれたみたいよ」

「まぁ見た目は中学生と変わらんしな」

「んふふ、そうね」

 凛子が「お昼できたら呼びにくるね」と言って本邸の方へ戻っていくのに返事をし、仁科は再び水を喉へ流し込む。

 中学生に混ざって駆け回る和都は、体育祭の時のようにハツラツとしていた。やはり元々は、身体を動かすほうが性に合っているタイプなのだろう。

 ぼんやりと風に当たりながら外を眺めていると、座卓に置いていたスマホが鳴り始めた。すぐ切れるかと思えば止まないので着信だと気付き、のそのそ近づいて取り上げ、応答を押す。

「もしもし」

〈おはようございます。春日です〉

「電話なんて珍しいじゃん」

〈話した方が早そうだったので〉

「……例の件?」

「はい」

 夏休みに入ってすぐ、偶然学校で会う機会があった春日に、仁科家の『祟り』について、共通点でもなんでも気付いたら教えて欲しいと託してあったのだ。

〈まず、末子Aが亡くなった後、次に末子Bが亡くなった場合、Aが亡くなった時のBの年齢は、必ず7歳以下になっていることがわかりました〉

「7歳以下」

〈先生の弟さん、雅孝さんが亡くなった時は、和都は6歳で、傍系の瀬川家の方が亡くなった時に雅孝さんが5歳、という感じです。ただ、和都の前に1歳で亡くなっている子どもがいるので、和都は厳密には雅孝さんの次ではないですね。ちょうど先生の従妹にあたる方です〉

「あー……そういや、立て続けに葬式あったな」

 雅孝が事故で亡くなった半年後くらいに、従妹が高熱で亡くなり、不幸が続くので安曇がお祓いをしよう、と大規模に厄払いをした記憶がある。

「なるほどね。あの時は祟りのことは知らなかったんだよな。7歳以下で本家筋を優先って感じなのかね」

〈そうかもしれません。そして、遡れる範囲、報道等されてる範囲でそれぞれ死因を探してみましたが、8歳以上で亡くなってる方は殆ど事故死でした。7歳以下の場合は情報を見つけられなかったので、病気の可能性があります。見つけられた共通点はそれくらいです〉

「そうか……」

〈『7歳までは神のうち』という言葉もあるので、向こうが憑ける年齢のリミットが、そこなんじゃないでしょうか〉

 昨日、凛子から同じ言葉を聞いたな、と思い出して、仁科は眉を下げた。

 雅孝も自ら死に歩み寄った結果の事故だ。世間の記録には事故として載っている。本当の事故死だった者は、いないのかもしれない。だがその証明は難しいだろう。

〈あと、一人っ子も末子の扱いのようです。例外なく、亡くなっています〉

「となると、アイツも例に漏れず、祟りの対象になるってわけか」

 それであればやはり、あの和都の中にあるという『狛犬の目』のチカラこそが、仁科家に続いている末子短命の元凶だろう。

 このままでは、たとえ『鬼』をなんとか出来たとしても、和都は『祟り』によって殺される。

〈……あの〉

 考え込んでいると、電話口の向こうで春日が何やら訝しむ声を発した。

「ん、なに?」

〈後ろで和都がすげー騒いでる声するんですけど〉

 春日に言われ、境内の広場で遊んでいる和都たちの方へ視線を向ける。水鉄砲による戦いはなかなかの熾烈を極めており、和都は離れの近くにまで追いやられて来ていた。

「あー、今ね、中学生と水鉄砲で遊んでる」

〈……何してんすか〉

「俺は高校生を連れて来たはず、なんだけどねぇ」

 春日が電話の向こうで深くため息をつくのが聞こえる。命が脅かされているはずの当人は、何も知らずに明るく笑っているのだから無理もない。

〈資料探し、ちゃんとやってくださいよ〉

「わかってるよ。ありがとう、じゃあね」

 ちょうど電話が終わったタイミングで、和都がこちらに気付いて駆け寄って来た。

「先生、おはよ! やっと起きた!」

 Tシャツにパーカー、ハーフパンツにサンダルと、まるで中学生のような格好の和都は、海かプールにでも入ってきたのかと思うくらい、頭からまるっと濡れていた。

「おはよ。何してんの、びしょ濡れじゃん」

「人数足りないから入れって言われてさ。そしたら集中攻撃してくんの。中学生、ズルくない?」

 額に滲んでいる汗か水か分からない水分を、和都がそういって手の甲で拭う。

 文句を言いつつも楽しそうに話す和都を、仁科は目を細めて笑ってから聞いた。

「……楽しかった?」

「うんっ」

 ただただ無邪気に、和都は楽しそうに笑って返す。仁科はそれだけで、連れて来た甲斐はあったな、と感じた。

「身体拭いて着替えな。もうすぐ昼飯だってよ」

「はーい」

 そう答えて、笑顔で離れの出入り口へ和都が回る。

 タオルを用意するか、と仁科は離れの奥の荷物の方へ足を向けた。





「蔵の鍵ももらえたし、やりますかね」

 昼食を食べた後は、ようやく今回の主目的である安曇家の蔵へ向かう。

 離れから中庭を挟んだ向こう側に見える、白い壁に黒い瓦屋根の土蔵。壁は下から途中まで斜め格子の模様が入っていて、ヒサシの下に大きな扉が見える。

「すごいね、蔵があるお家」

「神社関係の資料は基本、宝物殿に一般公開してあるんだけど、しなくていいものとか、安曇家や仁科家に関する古い資料はこっちの蔵にあるんだとさ」

 観音開きの分厚い扉を片方ずつ開けると、今度は茶色の引き戸が現れる。その鍵を開錠し、横に引いて開けると、土やホコリの独特の匂いがもわっとまとわりつくように溢れ出してきた。

 天井から吊るされた電球のスイッチをいくつか点けていきながら奥へ進み、1つだけある小さな窓を開けて外の明るさを土蔵内に入れる。それでも明るさは少々足りないくらいだ。

「ホコリすっごい」

 マスクをつけているものの、少し歩くだけで白い埃が舞い上がるので、咳き込みそうになる。しかし、数年おきに掃除はしているらしく、人の手でなんとかなりそうではあった。

「一応、掃除も頼まれてるからな。掃除しつつ資料を探すぞ」

「はーい」

 土蔵はほぼ物置として使っているようで、使われなくなった昔の道具やおもちゃ、自転車なども置いてある。箒やハタキで不用品や棚の埃を落としながら、関連する書物がないかと蔵の中を手分けして探し回る。

 奥の方にある棚の埃を落としていた和都は、古そうな本が積んでいるのを見つけた。表紙をみるも、ミミズを這わせたような筆文字で何と書いているかは分からない。そもそも、ここでは暗くて読めそうもないしな、と思い反対側の隅のほうを掃除する仁科に向かって声を掛ける。

「先生、本は外に出したほうがいい?」

「そーねぇ、天気もいいし虫干しするか。あっちの木の陰にビニールシート敷いて置いていこう」

 蔵の側の大きな木の下に水色のビニールシートを広げると、1階部分で見つけた本を持ち出しては置いていく。

 天気も良い真夏日の午後。山間でこの辺りは多少涼しい方だが、それでも土蔵の中は風が通らないのでなかなかの気温になる。滴る汗を拭いながら土蔵と木陰を何度も往復し、ひとまず1階部分にあった本は全て出せた。

「……休憩、しようか」

「はぁい」

 ビニールシートの空いたスペースに座り込み、時折吹く風で涼んでいると、凛子が差し入れに冷たい飲み物を持って来てくれたので、そちらで水分補給する。

 多少身体が休まったところで、2人はビニールシート上に乱雑に広げた古い書物を整理しながら、白狛神社に関するものがないか探し始めた。

 本を捲ったりし始めてから、そういえば、と仁科は和都に声を掛ける。

「あ。相模お前、くずし字とか読めるか?」

「読めるわけなーい」

「……だよなぁ。俺も少ししか分かんないんだよねぇ」

「でも、解読アプリあるから大丈夫だよ」

「アプリ?」

 そう言って、和都がスマホを取り出し、アプリを起動してこちらに見せた。解読したい文字をスマホで撮影すると、リアルタイムでその文字が何であるかを表示してくれるというものだ。

「へぇー、便利な世の中ねぇ。よく知ってるな」

「古い本とかから探すって聞いて、読めなかったら意味ないよなぁって思って、調べてたら見つけたの。結構最近出たらしいよ」

 和都に教えてもらって、仁科もスマホに解読アプリを入れると、手分けして書物の山を見ていく。

 巻物は一度広げる必要があるので時間がかかるが、その他の書物は大抵表紙にタイトルがあるので、必要な本かどうかの判別をつけるのはわりとすぐ出来た。

 そうやって見ていくうちに、和都は1冊だけ妙な表紙の冊子を見つける。どこかの神社で行った祭事に関する名簿のようだ。肝心のどの神社であるかの部分が墨で潰されていて判別できない。

 中を開いてみると、祭事の順番や人名が書かれいて、その文章の中に『白狛』の文字が見えた。

「あ、あった!」

 和都の声に仁科も近寄って一緒に覗き込む。

「神社でやるお祭りの、参加者名簿?」

「みたいなもんかなぁ。手順とか、誰がどの担当だった、みたいな記録かな」

 最初から順に見ていくと、宮司の欄に『安曇真之介』とあった。図書館で見つけた、白狛神社の宮司と同じ名前だ。

 それであれば、やはりこの冊子は白狛神社で行われた祭事の記録に違いない。

 ページを捲っていくと、手伝いをすると思われる人物の欄に『仁科』の文字を見つけた。

権禰宜(ごんねぎ)、仁科孝四郎……?」

「この人って、仁科家の御先祖様、ですか?」

 言われて仁科は家系図の画像を確認する。

 年代としては最初のほうと思われるので、家系図の頭から見ていくが『孝四郎』の名前はない。

「だと思うんだが、家系図にいないな。うちとは違う仁科かな?」

「でも、安曇家と仁科家が親戚なら、仁科家のような気もしますけど」

「そうだよなぁ」

 冊子をさらに見ていくと、関係者の名前には安曇の姓が多い。もう1人、仁科の名前を見つけたので家系図を確認すると、こちらはきちんと記載がある。

「うーん、どうやら安曇だけでなく、こっちのご先祖様も関わってた可能性が高いな」

「仁科孝四郎って、誰なんでしょう?」

「さぁな。実家のほうの資料も探した方がいいんだろうけど、白狛神社の資料なんてあったかなぁ」

 考え込みつつ、他の資料についても見てみたが、結局それ以降関係のありそうな本は見つからなかった。

「こんだけ探して1冊だけ……」

「あるだけいいだろ。まぁ2階にも資料はまだあったから、今日はここまでかな」

 気付けば空が白み、オレンジ色に染まり始めている。

「さ、暗くなる前に本を戻そう」

「はぁい」

 和都は返事をして立ち上がると、うーんと大きく伸びをした。



ー/ー


「もしもし、フミ?」

〈…………〉

「うん、安曇のほうに泊まってるよ。離れ用意してもらったから」

〈…………〉

「えー、やだよ。そっち行ったら行ったで、親父がうるせーし。まぁ、こっちの親父殿達もしつこいけどね」

〈…………〉

「ああ、帰りに顔見に行くよ。チビ達にも会いたいし。そうだ、そっちで『白狛神社』の資料って見たことあるか?」

〈…………〉

「だよなぁ。俺が籠ってた時にも見た覚えがない。それから『仁科孝四郎』っていう人物に関する資料も探してるんだけど」

〈…………〉

「うん。最新の家系図にはいないんだよね。俺らと同じ『孝』に漢数字の四、太郎とかの『郎』だ」

〈…………〉

「だろ? 神社の関係者っぽいんだけど、どうもこの神社関連だけ、資料がおかしい。意図的っていうか、何て言うか」

〈…………〉

「明日は2階を探すから、もう少し何か分かるかもだけどね」

〈…………〉

「うん、よろしく。また連絡する」


ー/ー



 本邸で夕食をいただいた後、片付けを手伝っていた和都は、通りかかった玄関で、何やら外に出る準備をしている仁科を見かけた。

「先生、どこか行くの?」

「ん?」

 振り返った仁科の手にはバケツが握られており、その中には柄杓や蝋燭、緑色の葉っぱが入っている。

「あー、墓参り。お前もくるか?」

「……行っていいなら」

 和都はサンダルに履き替え、バケツを持った仁科について行く。

 仁科は鳥居をくぐって境内を出ると、神社の敷地前を走る道路をしばらく山の方に向かって歩き始めた。

 街灯は少ないが、月の明るい夜。

 田んぼと田んぼの間のあぜ道を、転ぶこともなくまっすぐ歩いていくと、その突き当たりにこぢんまりと墓石の並ぶ場所が見えてくる。竹林を背にした、小さな墓所のようだった。

 お寺で見たことのあるお墓とは少し形の違う墓石がいくつか並んでおり、そのうちの1つ『仁科家奥津城』と書かれた墓石の前で、仁科が立ち止まる。

「ここには安曇と仁科と、繋がりのある親類の墓しかない。……弟はここのお墓に一緒に祀られていてね」

 そう言う仁科が懐かしそうに目を細めて、墓石を見つめた。

 それからきちんと墓石の掃除をし、持って来ていた緑の葉っぱ、榊を建てる。蝋燭に火をつけたら、2人並んで二礼二拍手一礼と頭を下げた。

「……お線香じゃないんだ」

 仁科に倣うまま頭を下げた和都が、顔を上げながら不思議そうに言う。

 近所のお寺にある墓地では、お花を飾り、線香をあげて手を合わせていただけだったので、気になった。

「あー、うちは神道だからね」

「へー」

 お寺と神社では少し違うのか、と和都は納得する。

「仏教だと故人は仏様になるけど、神道は神様としてお祀りするからね」

「だから神社のお参りと同じなんだ」

「そういうこと」

 仁科家と縁があったのであれば、実父も神道の考え方になるのだろうか。それであれば、亡くなった実父が視えない理由も、分かった気がする。

 幽霊は視たことがあっても、神様は視えたことがないからだ。

「お前には、視えたりするの?」

「神様?」

「うん」

 仁科に言われ、和都は目の前の墓石をジッと視てみる。

 何もない。

 いや? 墓石の後に何かある。とても大きな、何か。

 それに気付いて、和都はそれが続いているままに視線を動かすと、空を見上げる形になった。

 暗い夜天に向かって真っ直ぐ伸びる、1本の大きな白い柱だった。

「……視えた」

 小さく開いてしまう口から、ぽつりと漏らす。

「え」

「でも、そんなに楽しくはない、かな」

「……そっか」

 柱の表面はキラキラと光っていて、なにかが浮き上がっては引っ込んで、デコボコとしながらささやかに蠢いている。その凹凸が人の形をしているようにも見えたが、誰が誰、という判別は難しい。

 神様を『柱』と数えるのは、この姿だからか、と和都はぼんやりと納得する。

 しばらく眺めていたら、すっと消えるように視えなくなった。

 見つめ過ぎたのか目が痛くて、和都は俯いて何度か瞬きを繰り返してから目を擦る。

「……さ、戻るか」

 様子を見守っていた仁科が、和都の頭を撫でた。

 持って来たものを片付けて来た道を戻っていると、田んぼと田んぼの間の一本道だったところが、何故か二手に分かれている。

「……あれ? 一本道だった、よね?」

 和都が驚いて道を指差しながら仁科を見ると、面倒臭そうな顔をして別れ道を見ていた。

「あー、やっぱり出たか」

「え、なに?」

「狐だよ。この辺の野狐(やこ)どもは、こうやって人を化かすんだよね」

 野狐とは狐の妖怪の1種で、存在しない幻を見せたり、違う何かに化けておどかしてきたりなど、イタズラが多い。

「この道進んじゃったら、どうなるの?」

「普通に田んぼに落ちるよ。んで、それ見て狐共が笑って、おしまい」

「えぇ、どうすんのコレ。帰れないよ」

 慌てる和都と対照的に、仁科はさして驚きもせず、慣れた様子で持って来ていた煙草を取り出す。

「こういう時は、マッチで火をつけたり、煙草を吸ったりする。狐は本物の火が苦手だからね。そしたらそのうち元に戻るよ」

 そう言うと辺りを見回し、あぜ道の脇にあった縁石代わりと思われる大きな石に仁科が腰を下ろした。

「だからまー、しばらく休憩だな」

 それから仁科はマッチで火を起こすと、その火で煙草を吸い始める。

 和都は仁科の吐き出す煙を見つめてから、二股になった道を振り返った。まだ道は2本のままだ。

「どんくらいで戻るの?」

「狐の気分しだいだからねぇ」

「そっかぁ」

 仕方なく、和都は座り込んだ仁科の横に立って、月明かりに照らされる田んぼを眺めた。

 水の張った田んぼに青々とした稲が、草原のように広がって、風が吹くたびにサラサラ揺れている。

 静かな夜。遠くでカエルの鳴く声が小さく聞こえた。

「お墓参り、なんで夜なの?」

「昼間だと暑いじゃん」

「……確かに」

 田んぼの周りは日差しを避けるものがないので、日中の暑さはすごそうだな、と和都は頷いた。

「それに、この時間帯に本邸にいると飲まされるからね。久しぶりに帰ってきたし、飲まされる覚悟はしてたけど、連日やられると流石に資料探しにならんからなぁ」

「なるほど」

 仁科が頭を掻きながら、少しうんざりしたような声で言うので、和都は小さく笑う。昨晩はよほど飲まされていたらしい。

 ふぅっと吐き出されて舞っていく煙に視線を取られていると、煙草を持っているのと反対の腕が腰の辺りに伸びて来て、そのまま抱き寄せられた。

「え、ちょっと。なに?」

 向こうは石に腰かけているので、仁科の頭はちょうど自分の胸の辺りにくっつく。

 突然だったので、驚きと一緒に鼓動がはやくなる。

 今日はやることが多くて、ずっと一緒にはいたけれど、身体が触れたのは随分久しぶりに感じた。

「……心音が聞こえる」

 胸の辺りに耳をつけて、仁科がぽつりと呟く。

 自分でもうるさいくらいなのだ。これだけぴたりとくっついてたら、はっきりと聞こえてしまうだろう。

「そりゃあ、生きてるんで」

「うん、生きてる音だ」

 ドクドクと流れる生命の音。

 ──あぁ、そっか。

 死んだ人からは、体温の音なんてしない。

「……お前からは、ちゃんと生きてる音がする」

 居なくなった人ではなく、ちゃんと自分のことを、見ている。

 体温を、聞かれている。

 なんだか大きな犬に擦り寄られてる気分になってしまって、仁科の柔らかい癖っ毛の頭を、わしゃわしゃと撫でた。

「こら、やめなさい」

 そう言ってこちらを見上げた顔が、少しだけ嬉しそうで、ドキリとする。

 ──……かわいい。

 素直に、すとんと何かが腑に落ちるように、そう思った。

 気付いたら、そのまま自分から顔を近づけていて、仁科の口を自分の口で塞いでいて。

 しまった、と気付いてすぐに顔を離す。

 が、仁科は少し驚いたような、照れたような顔でジッとこちらを見ていて。

「……珍しい」

 言われて顔が、ギューッと耳まで赤くなるのが分かる。

 完全な無意識だった。

 頭の中で、一生懸命それらしい言葉を探す。

「今日の分を、してもらってなかった、から……」

 自分でも分かる、なんて苦しい言い訳だ。いつだったか、仁科が言っていた言葉の、そのままじゃないか。

 二の句が継げなくて、口が開いたまま。

 息が、胸が、苦しくなってくる。

 仁科が笑って言う。

「もっかい」

「えっ」

 腰に回されていた手が肩に伸びて、ぐっと顔を引き寄せられて。もう一度、唇同士が触れ合った。

「……んっ」

 わずかに開いた隙間から舌が入り込んできて、自分の舌を絡めとられる。煙草の香りが、じわりと口の中の唾液に混ざる。

 仁科の肩に掴まって、目を閉じて、そのまま。

 心臓をうつ音が痛いくらいに早くて、口内で動き回る湿度の高い音と合わさって、騒がしい。

 顔を上げれば簡単に逃げられるのに、自分から離れられるのに、しなかった。

 はぁ、と息を吐き出すように、唇が離れる。

 目を開けると、眼鏡の向こうで目を細めた顔が優しく笑った。

「……こっちは嫌なんじゃなかったの?」

「嫌だったら、自分からしない」

 答える声が震えていた。顔が熱くて、泣きそうだったから。

 自覚したくない感情に、心臓を思い切り殴られた気分だ。

「それは光栄だね」

 仁科が笑って頭を撫でる。

 和都は口を横に結んだまま視線を逸らす。

 視界の隅に二股だったはずの道が見えたのでそちらを見ると、来た時の一本道に戻っていて、思わず声が出た。

「……あっ」

 仁科もつられてそちらを見て、戻ったか、と立ち上がり、煙草の火を消して携帯灰皿にしまう。

「さ、戻ろうか」

「うん……」

 仁科は片方の手でバケツを持ち、もう片方の手で当たり前のように和都の手を取った。

 何も言わないでいる仁科の横で、和都も黙ったまま、月明かりの下のあぜ道を並んで歩く。大きな手に捕まった手を、ギュッと握り返して掴まった。

 熱くなった頬を、冷ますように風が撫でる。

 神社が近づいてくるにつれ、小さく歓声がしていることに気付いた。何事かと思いつつ大鳥居をくぐって境内に入ると、広場のほうでパチパチと爆ぜる光と煙が見える。

 昼間一緒に水鉄砲をした中学生たちが、手持ち花火をしているようだった。

「あ、花火!」

 夜になったら花火をやろう、と話していたことを思い出し、和都はするりと仁科の手を離すと、そのまま参道を駆けていく。

「おかえりー。遅いから始めちゃってるよー」

 凛子の声のする方へ向かうと、ビニールシートが敷かれており、その上にたくさんの手持ち花火が置いてあった。

「おれもやる!」

 そう言って和都が楽しそうに中学生達にまざり、花火を選び始める。

 後からゆっくり歩いてきた仁科に気付き、凛子が声を掛けた。

「遅かったね」

「狐にやられてた」

「あぁ、野狐の道か。夜だとしょっちゅう出るのよね」

 この辺りでは定番の現象なので、凛子がなるほどね、と納得する。

 仁科は和都の方に視線を向けた。たくさんの中から選んだ花火に火をつけて、吹き出す火花を楽しんでいる姿は、どこにでもいる学生のそれと変わらない。

「……なぁ、凛子」

「なに?」

「お前、墓に入った人たちって、視えたことある?」

 なんとなく、墓前での和都の様子が気になった。

「お祀りする前ならあるけど……お祀りしたら普通は視えない、かな。なんで?」

「……そうだよなぁ」

 自分もそうだ。祀られて神様になった存在を、高い霊力を持っていても視ることは叶わない。普通なら。

「何かあった?」

「あいつ、何か視えてたみたいなんだよね、先祖の墓で」

「え、もしかしてアタシより強いんじゃない?」

「まぁ、俺はその強弱の基準がよく分かんねーんだけどさ」

 和都のチカラが強くなっているということは、ハクもそれだけ強くなっているということになる。

 ──本当にこのまま、強くしていっていいんだろうか。

 ハクが強くなれば『鬼』を食ってもらうことができる。それは、悪いことではない。だが、本当にそれでいいのだろうか。

 ふと気付くと、凛子が和都のほうをジッと見ていて。

「ますますお婿さんに欲しくなっちゃうなぁ」

「だからやらねーって」

「……分かってるわよ」

 果たして和都をここに連れて来て正解だったのか、仁科は若干不安になってしまった。

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