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13)偽物公園

 朝、いつものように観察簿を持って保健室へ行くと、入り口ドアに『ベッド使用中』の札が下がっていた。

 こんなに早い時間から具合の悪い生徒がいるらしい。鍵は掛かっていなかった。

「失礼しまーす。2年3組、観察簿持ってきましたー」

 小さな声でそう言いながら、和都はドアを静かに開けて入る。

 普段自分がよく使っている、一番手前のベッドカーテンが閉まっていて、カーテンの裾から仁科の足が見えた。

 カーテンの内側では、横になっている生徒がぐずぐずと何かうわ言のように繰り返しているようで、

「心配するな、大丈夫。大丈夫だから」

 仁科が静かな声で宥めているようだった。

 談話テーブルを見ると、別クラスの観察簿がいくつか置いてあり、どうやらここに置いていけばよいらしい。

 和都もそれに倣って、同じように観察簿を置いて出ていこうとしたのだが、閉じていたカーテンの間から仁科がひょいと顔を出して、声を掛けてきた。

「あ、相模。氷枕取ってくれない?」

「ぅえっ。あ、はい……」

 呼ばれると思っていなかったので、声が上擦る。

 言われた通りに冷凍庫から氷枕を取り出すと、綺麗なタオルに包んで仁科に手渡した。

「はい」

「さんきゅ」

 仁科は受け取ると、ベッドに横たわる生徒の頭を持ち上げて、

「ほら、頭あげて。こうしたらもっと冷たくなるから、もうちょい楽になるよ」

 そう言って氷枕を頭の下に敷いてやる。どうやら額に乗せた保冷剤だけでは間に合わないくらいの高熱のようだ。

 和都はカーテンの隙間からチラリと見えた、シャツのネームプレートを確認する。色は赤紫、1年生だ。

「お迎え来たら起こしてやるから、それまでちゃんと寝てなさいね」

 仁科は小さく頷いた生徒の頭を優しく撫でると、カーテンの内側から出て、隙間をきっちり閉じた。

「1年生、ですか? どうしたの?」

「んー、なんか。熱あるのに、無理して学校来ちゃったみたいでね」

「えぇ、何でまた」

「今日ある英語のテスト? 受けないと成績下げられるみたいなこと言っててさ。んなわけあるかって言ったんだけど。なんか知らない?」

 仁科が困ったように頭を掻くので、聞かれた和都は少し考えて。

「あー、丸山先生かなぁ。そういうこと言うんだよね。実際は成績関係なかったりするんだけど」

「それはダメだなぁ。ちょっと注意しとこうかね」

「1年生じゃそういうの分かんないもんね」

「脅しめいた言い方は、子どもには毒だからね」

 あー面倒だなぁ、と仁科がため息をつく。

 この先生は、いつでも生徒側の味方であろうとしてくれる。

 ──なんだかんだ、いい先生なんだよね。

 自分が今まで出会ってきた中で、やはり一番まともな先生かもしれない。

 和都がそんなことを考えていると、ああそうだ、と仁科がこちらを見て。

「悪いね、手伝わせて」

「いーえ。保健委員なんで」

 仁科は小さく笑いながら和都の頭を撫でると、いつものように少しだけ屈んで、その額に唇で触れる。

 普段通りの流れではあるのだが、和都はムッと口をへの字に結んだ。

「……人がいるでしょーが」

「見えてないって」

 小声で言ったが、いつものように眼鏡の向こうの目を細めて笑うだけである。

 ──やっぱ、前言撤回したい。

「……ったく」

 この人しか頼れない状況を呪いたい気分だ。

「さ、1限始まるよ」

「はぁい」

 仁科に促され、和都は計らずも小さくなった声で返すと、静かに保健室を後にした。





 放課後は、委員活動もなく春日と一緒に帰って。

 冷蔵庫の中に食べたいと思えるものがなかったから、財布とスマホと鍵だけ持って、いつものスーパーに向かう途中の、いつもの公園に入った、はずだった。

「……え?」

 誰もいない。

 家を出る時、日はまだ随分高かったはずなのに、紺と朱の混じった不気味な夕焼け空になっていた。

 辺りは薄墨を流したように見えづらく、街灯もぼんやりとして心許ない。

 まるで、誰そ彼。逢う魔が時。

「ハク、いる?」

 いつもは姿を隠しているハクに呼びかけてみたが、応答はない。

 立ったまま寝ていたわけでもないのに、いつもは小学生でいっぱいの放課後の公園に人がいないのはおかしい。

 和都は見えづらい周りの様子を、目を凝らしながらよくよく見てみる。

 まず遊具がおかしい。

 ブランコの鎖が異様に長く、座面が地面にくっついている。ジャングルジムも人が通れないくらい棒の間隔が狭くなっていて、バスケットのゴールもゴールリングが板の部分よりも大きく、柱も小学生の背丈くらいに短い。

 見慣れたはずなのに、全部がどこかがチグハグだ。

 ──ここ、やっぱり。

 いつだったか、終わらない階段をずっと降りていた時のような、嫌な感覚。

「こんにちは」

 不意に声が聞こえて振り返ると、離れたところから見たことのある人影がこちらに向かって歩いてくるところだった。

 紺色のスーツを着た、身体の線のやや細い、生真面目な印象のある、男。

「川野、先生……」

 週に数回ある日本史の授業で見る顔だ。しかし、額の右端からはすらりと牛のような角が伸びている。

「良い子は、お家に帰る時間ですよ?」

 穏やかな声が、小さい子どもに諭すようにそう言った。

 徐々に距離が近くなっている。和都は少しずつ後退りながら、

「……そうですね。じゃあおれ、帰るんで」

「君は悪い子だから、鬼に食べられるんですよね?」

 ハッと気付いた時には、縦に細長い瞳孔を持つ、真っ赤な瞳が目の前で光っていた。

「うわっ!」

 驚いて後方へジャンプして、川野との距離をとる。

 十数メートルはあったはずなのに、一瞬で詰め寄られてしまった。

「そうだ、この間のお話の、続きをしましょう」

 声は穏やかなまま、顔も笑顔のまま、川野はこちらの様子など一切構わずに言う。

「……しない!」

 和都は短く叫ぶように答えると、川野に背を向けて走り出した。

 いつもの公園の、入ってすぐの場所だったはずだ。ならば公園を出ればなんとかなる、と思ったのだが、

 ──えっ、ここどこ?!

 しかし、見慣れたはずの出入り口はなくなっており、いつの間にか見たことのない遊具の並ぶ公園になっていた。

 仕方なく、和都は知らない遊具の続く広い場所に向かって駆け出す。そして走りながら脱出方法について考えを巡らせた。

 以前、いつまでも続く階段から出られた時は、仁科と遭遇したことで抜け出せた。その時は思い至らなかったが、あれは多分、仁科が強いチカラを持っていることと関係があるに違いない。

 走りながらダメ元で仁科に電話を掛けてみたが、なぜか通話中になってしまう。

「……くっそ!」

 和都はとにかく走って走って、目に入った大きい遊具の影に身を潜めた。



──//──



《蜈育函縺ゥ縺?@繧医≧》

 放課後の保健室。

 仁科がいつものように残業していると、スマホにメッセージが届いた。

 確認すると和都からで。しかし、何故かそれは文字化けしていた。

「……あ? なんだこれ」

 眉を顰めながら、暇な学生の遊びだろうか、と一応返信する。

《なにこれ。暗号?》

《證怜捷縺倥c縺ェ縺?シ√??隱ュ繧√↑縺?シ》

《ごめん、読めないんだけど》

《縺薙%縺ゥ縺難シ》

 メッセージの次に届いたのは、1枚の写真。

 赤と紺の不気味な色をした空と、だだっ広い公園のような場所なのは分かった。ただ、よくよく見るとそこに並んでいる遊具は、よくあるもののようで違うものが映り込んでおり、まるで現実感がない。

「なんだこれ……」

 今日は菅原と小坂が部活、春日は塾の日なので、和都は春日と一緒に帰ったはずだ。とっくに自宅に着いて、いつものように本でも読んでいると思っていたのだが。

 写真を見ながら考え込んでいると、

〔ニシナ! ニシナー!〕

 頭の中で聴き慣れた声が響いた。

 振り返ると、半透明の犬の首がそこにいる。いつも和都と一緒にいるはずの、元狛犬のお化け・ハクだ。

「え、ハク。アイツと一緒じゃないのか?」

〔カズトが、いなくなっちゃったよぉ!〕

 いつもならピンと立てている犬耳をへにゃりと下げ、ハクが泣きながら叫ぶ。

「はぁ?」

〔ボクの入れないとこに行っちゃったのぉ!〕

「え、じゃあその変なとこがココ?」

 ハクに和都から届いた写真を見せてみる。しかし、ハクはピンとこないようで。

〔あー、うん。た、たぶん……?〕

「アイツを最後に見たのは?」

〔カズトのお家の近くにある公園。公園入ったらいなくなっちゃって……〕

「うーむ……」

 グズグズと泣きべそをかくハクの頭を撫でてやりながら、仁科は考える。

 以前、川野に追いかけられていた時、ずっと階段をくだっていたのだ、というのは聞いていた。あの時は、それなりにチカラを持った自分が近くを通ったことで、異空間から出られたのだろうと推測している。

 それなら今回も、自分が物理的に彼の近くに行けばいいはずだ。だが写真に写っている公園の遊具は、和都の家の近くで見たものとは違う感じがする。

 とりあえず、電話を掛けてみた。だが1、2コールほど通常の音声の後、ザザザ、キィーン、ガチャッと、通常ならありえない変な雑音がして、切られてしまう。

「……マジか」

 仁科は困惑した顔でスマホを見つめた。



──//──



 和都は多分すべり台だと思われる、そのわりに上へのぼる階段がなく滑る部分だけがいくつもある大きな遊具の影に隠れて、スマホを操作する。

 仁科宛にいつものようにチャットメッセージを送ってみた。メッセージ自体は届いているけれど、文字がおかしくなっているようで、向こうには読めていないらしい。

 ただ、写真はちゃんと届いて見えている様子で。

《そこどこ? どこいんの?》

 仁科から、戸惑うような返信が届いた。

《わかんない》

 そう返したが、たぶんこれも向こうには読めていないのだろう。

 顔を上げて、辺りを見回す。

 不気味な色合いの空は変わらず、薄暗さも同じまま。けれど、太陽はちゃんと高い位置に出ているようで、辺りの薄暗さのせいか、丸くて白い輪郭が空に浮かんでいるのが分かる。

 公園の遊具に似たものは広い空間のあちこちにバラバラといくつも点在していた。それらは心が不安になるようなバランスで存在していて、まるで本で見たことのある、シュルレアリスムの絵画の中に迷い込んでしまったようだ。

「どうしよう……」

 遊具の影にしゃがみ込んだまま、和都はうなだれる。

 どう考えても、学校の階段で川野に追いかけられた時と同じ状況だ。

 違う空間だからハクもいない。そして、学校の外だから頼みの綱の先生も近くにいない。

 ここから出られないのではないか、という不安が渦を巻いてくる。

「かくれんぼですかー?」

 身を潜めている遊具の向こう側から声がした。

 ふっと頭上から影が落ちてきて、ハッとして思わず上を見る。

「みつけましたよ、相模くん」

 川野の顔が、自身の背丈よりも明らかに大きいはずの遊具の、その上からこちらを覗き込んでいた。

 瞳は爛々(らんらん)と緋く光り、そして楽しそうに歪んでいる。

「……っ!」

 色々なバランスがおかしい。覗き込んだ頭は自分の身体よりも明らかに大きい。人ではないのは確かだが、人としての許容範囲を超えたサイズだ。ちぐはぐ、という言葉が似合う。

 今度はこちらを覗き込む顔の横から、異様に長い腕がまるで蛇のようにこちらに向かって伸びてきた。先端の手は成人男性のそれのままなのが、より気持ち悪い。

「ぅわっ!」

 自分を捕まえようとするその手を躱し、和都はまた迷路のような公園の中を走り出す。

 ただただ、広がる敷地内。どこに向かっていいかも分からない。

 けれど、捕まるわけにはいかないので、和都はひたすらに走った。



──//──



《繧上°繧薙↑縺》

 再び文字化けしたメッセージが届いたスマホをみつめ、仁科は考えた。

 電波は繋がる。

 自分のスマホでは無理だったが、他のスマホから連絡してみたら、電話が繋がるかもしれない。

 夕暮れには早い時間。保健室を出て第2体育館の方を見ると、まだバスケ部が使っているようだ。

 急いで体育館へ駆けより、出入り口のドアを開けた。

 床板をキュッキュッとシューズが擦る音と、大声で交わされる掛け声、ボールが床を跳ねる音が一気に外へ飛び出してくる。

 中では体操服やジャージ姿の生徒たちが、各々で練習しているようだった。

「おや、仁科先生。どうされました?」

 出入り口ドアの近くには、ちょうどバスケ部顧問の小嶋先生が生徒たちを見守るように立っていて、覗き込んできた仁科に声を掛けてくれた。

「すみません、急用で。ええっと、2年の菅原と小坂を借りたいんですが」

「ああ、どうぞ。菅原ー、小坂ー!」

 小嶋は1つ返事で、すぐに体育館の奥に向かって大きな声を掛ける。呼ばれた2人は気付いてすぐにやってきた。

「先生が何か手伝って欲しいらしいから、行ってこい」

「はいっ」

 2人は小嶋に返事をすると、すぐに体育館の外へ出てきてくれる。

「仁科先生、どうしたんですか?」

「お前ら、相模の連絡先わかるよな?」

「そりゃあ、はい」

「ちょっとスマホ持って保健室来てくんない?」

 仁科の言葉に、菅原と小坂はどういうことだ、と一瞬だけ顔を見合わせたが、すぐに体育館の中にある着替え用のロッカーからスマホを持って保健室へ来てくれた。

「部活中に悪いな。相模のやつ、家帰ったはずなのに、迷子らしくて。俺からの電話だと繋がらないから、アイツに掛けてみて欲しいんだ」

「迷子?」

 困ったように説明する仁科に、小坂が眉間にシワを寄せて問い返す。

「うん。写真は届くんだけど。どこだか分かるか?」

 仁科はそう言って自分のスマホの画面を2人に見せた。

 画面では、相変わらず文字化けの羅列が続き、その合間に不可思議な写真が挟まっている状態。

「……先生、相模と連絡先交換してたんすね」

 しばらく黙って画面を見ていた菅原がそう言った。

「んあー、色々あってな。あとで説明する」

 説明すると本当に長いので、今はとりあえずそう言うしかない。

「文字化け……なんだろ?」

 小坂は仁科のスマホを手に取り、画面を遡りながら、メッセージと写真を見る。

《蟾晞?縺ォ霑ス縺?°縺代i繧後※繧》

《鬯シ縺ォ縺ェ縺」縺ヲ繧》

 いくら暇を持て余していても、わざわざこんなメッセージを作って送るようなタイプじゃないことは、小坂でも知っている。

 これはどうやら本当に、奇妙な状況にあるようだ。

「とりあえず、オレから掛けてみますね」

 菅原がそう言って自分のスマホで電話を掛けてみる。

 だが、ギィーー、ゴォーー、キィーン、と離れていても聞こえるような甲高くも耳障りな雑音と共に切れてしまった。

「うっわ、耳いってぇ。え、なに? なんなの?」

 スマホを見つめて菅原がぼやく。

「菅原のもダメか」

「ダメでしたね」

 その間にも、仁科のスマホには文字化けのメッセージと写真が届く。

《縺薙%縺ゥ縺薙°蛻?°繧薙↑縺?シ》

 新しく届いた写真を見て、小坂が「あっ」と声を上げた。

「この遊具さ、学校の裏の公園にあるヤツに似てない?」

 そう言いながら、菅原に仁科のスマホを渡す。菅原もどれどれと写真を覗き込み、拡大してながらうんうん頷いた。

「ああ、外周する時に通るとこのな! でも、なんかサイズおかしくないか?」

「届いてる写真、全部変だぞ。でもそれ、この辺だったらそこじゃね?」

 そう言いながら、小坂が自分のスマホで和都に掛けてみる。

 キィーン、と高音がして、ザザ、ザザ、と砂を擦るような雑音。

 それから、

〈あ、あれ……。こさか……?〉

 ノイズ交じりで聞き取りづらいが、和都の声が聞こえた。

「あ、繋がった!」

「マジか!」

「悪い、貸して」

 そう言う仁科に、小坂はすぐスマホを渡す。

「相模お前、今どこだ。ハクがこっち来たぞ」

〈あ、やっぱ……。川野に……てて〉

 雑音がひどく、声がところどころで聞こえない。

「ん? 川野がいるのか?」

〈きた……。に……なきゃ、ごめ……!〉

 ブツ、断ち切るような雑音と共に通話が切れた。

「きれた……」

 スマホからは、通話終了を告げるツー、ツー、という小さな機械音が2回して、それから何も聞こえなくなった。

 漏れ聞こえた限り、何かよくない状況なのは分かる。仁科からスマホを受け取りながら、さすがの小坂も声が大きくなった。

「先生、相模なんて?!」

「川野に追っかけられてるっぽいな……」

「はぁ?! どういう状況だよ……」

「その、似た遊具がある公園に行ってみるか。案内してくれる?」

「はい!」

 仁科は走るのに邪魔な白衣を脱ぐと、2人と一緒に外へ出た。



──/──



「こっちです!」

 裏門から出て道路を東の方へ進む。それから最初の十字路を南へ曲がり、道なりにひたすら走ると、大きな公園が見えてきた。

 交差点沿いにあり、歩道との境には街路樹が並んでいて、ずいぶん先まで続いている。公園の出入り口と思われる場所には石柱が2本、門のように立っていて、その向こうに大きな地図の看板があるのが見えた。

 歩行者用信号を待ちながら菅原が後方を振り返ると、少し遠いが仁科も一応こちらの後を追ってきている。信号が変わり、飛び込むように公園の中へ駆け込んだ。

 しかし、いるのは小学生から中学生くらいの子どもが多く、端にあるベンチでは主婦たちがおしゃべりをしているばかりで、見知った顔はない。

 肩で息をしながら、菅原が何度も辺りを見回すが、和都の姿はやはり見当たらない。

「見たところ、相模はいないけど……」

 言われて、小坂が出入り口の近く看板へ駆け寄る。

 地図には看板の現在地と、特徴的な遊具のイラストがいくつか描かれていた。

「でもほら、この遊具とかそっくりじゃね?」

 小坂の指差すイラストは、確かに仁科に送られてきた写真のものと特徴が似通っている。ちょうど看板の近くからも見えたのでそちらに視線を向けると、多少バランスはおかしいが、写真の遊具そっくりだ。

 やはり和都はここにいる。だが、見えない、らしい。

「もっかい掛けてみる!」

 そう言って、唯一繋がった小坂のスマホから再び和都に電話を掛ける。

 最初の時よりも酷い雑音が繰り返されたが、今度も繋がった。

〈こ……か……?〉

 途切れ途切れ、少し遠くから話しているのかと思うような音量だが、確かに和都の声が聞こえる。

「相模?! 今おれらも近くにいる!」

〈どっち……けば……〉

 意思疎通ができている。

 こちらの声は向こうにもちゃんと届いているようだ。

 あとは向こうの現在地が分かればいい。

「近くに何がある?」

〈……と、青……シーソ……と、かだ……〉

「青いシーソーと、花壇?」

 雑音が酷い。ようやく聞き取れた単語を小坂が繰り返すと、菅原が地図を見た。花壇は看板のすぐ近くにある。青いシーソーはその向こう側だ。

「それなら、花壇のほうに真っ直ぐ!」

「花壇のほうに真っ直ぐこい!」

〈あ……〉

 急に電話の向こうの声がクリアに聞こえる。

 え、と思った次の瞬間には、そこに確実にいなかったはずの人間が、立っていた。

「……出れ、た!」

 スマホを片手に肩で息をして、随分遠くから駆けてきたような、そんな様子で和都がいる。

「やった!」

「相模ー!」

 制服姿のまま汗だくで、泣きそうな顔をした和都が、その場でぐったりうなだれ、しゃがみ込んだ。

 菅原と小坂は一度顔を見合わせて笑うと、それから和都に駆け寄って2人して抱きつく。

「よっしゃー!」

「もー、お前何してんだよぉ」

「……ごめん、ありがとう」

 菅原に頭を撫でられながら和都が顔を上げると、公園の出入り口にある石柱に寄り掛かって、肩で息をしている仁科がいた。

「……おかえり」

 珍しく汗だくになりながら、いつものように目を細めて笑う顔を見たら、目の奥でキュッと結んでいた何かが緩む感覚。

「せんせ、」

 呟くように言うと、和都は仁科に駆け寄って、抱きついていた。

「こわ、かった……」

「うん。頑張ったな」

 仁科がそう言って、目に涙を小さく浮かべた和都の頭を優しく撫でている。

 よく分からない状況ではあったし、大変なことが起きていたのも分かるが、それにしてもだ、と菅原は思う。

 なぜ、和都が仁科を頼り、当たり前のように仁科も対応しているのか。

 しかしそれを言及するのは、多分今ではないだろう。

 菅原はうーんと伸びをして立ち上がり、

「……よし、相模見つかったし、戻るか!」

「おう、練習の続き!」

 続いて小坂も立ち上がり、2人が出入り口のほうへ向かってくる。

「え、2人とも部活抜けてきてたの?!」

 和都が鼻をすすりながら驚いて2人を見ると、菅原がニヤリと意地悪そうに笑っていた。

「そーよー。先生が血相変えて体育館に来るもんだからさー」

「小嶋先生の許可はとってるから、心配すんな!」

「……そ、そっか」

 どこか大仰に話す菅原とは対照的に、普段通りの顔で小坂が言うので、和都は少しホッとする。

 公園出入り口の前にある歩行者信号を渡り、4人で学校に向かって歩き出した。

「はー、小嶋先生には今度コーヒーでも奢るかなぁ」

 疲れた顔で仁科がそう言った。突然、練習中の体育館に駆け込んで、意図不明な申し出を快諾してくれたのだから、それくらいはするべきだろう。

「おれらにも何かくれよ」

「いーよ。今度ね」

 仁科の返答に、小坂がよっしゃ、と喜ぶのを見て、今度は菅原が口を開く。

「先生、オレは先生に色々と聞きたいことがあるんですけどー」

「……でしょうねぇ」

「部活戻んなきゃだから、明日の昼休みに春日も一緒に取り調べしていいっすか?」

「ドウゾ」

 菅原の妙に楽しげな顔に、仁科が眉をハの字にしながら答える。春日も含めて、というのが気になったが、和都に関することなら仕方がないだろう。

「よっし! 先生、覚悟しとけよ!」

 小坂が仁科に向かって人差し指を向けてそう言うと「戻るぞー!」と叫びながら、学校へ向かって駆け出した。

「じゃあな、相模。また明日!」

 菅原は和都の肩を軽く叩くと、小坂を追いかけて走り出す。

 西日が空をオレンジ色に染め始めた時間。

 仁科と和都は走っていく2人の背中を見送りながら、ゆっくり学校への道を歩いた。

「……いい奴らだねぇ」

「うん。でも……」

「ん?」

「……やっぱ、言わなきゃダメかな」

 和都の表情は、薄い影を落としたように少し暗い。

「そうねぇ。言っちゃったほうが楽だと思うけど」

「でも、ずっと隠してたから、さ。……こわいなって」

 2人のお陰で助かった以上、何が理由で、何が起きてそうなったのかは、話す必要があるだろう。

 けれどそれを説明するには、線を引いてひた隠していた秘密を、打ち明ける必要がある。

「俺は……春日クンの尋問が今からコワイ」

「それ、本当こわい」

 中学時代を含めて4年以上、春日には言えなかった話をするのだ。

 和都が躊躇うのも仕方がない。

「小学生じゃあるまいし。あいつらも、そんなことで今更お前を嫌ったりなんてしないよ」

 そう言うと、仁科は和都の肩を抱き寄せて。

「俺も隣にいてあげるから、楽になっちゃいなさい」

「……うん」

 和都は小さく頷いた。





 和都の家は学校から数分の徒歩圏内にあるが「また途中でいなくなられても困る」と、仕事を終わらせた仁科が帰るついでに車で乗せていくことにした。

 乗っていた時間は本当に数分だけで、玄関の見える道路脇に車を停める。

「この辺でいいか?」

「うん、大丈夫」

 空はオレンジから紺に変わり始めているような時間。

 車から見える家に明かりは灯っていない。

「親は?」

「今日も残業。夕飯に何か買ってこようかなぁって、スーパー行こうとしたら、あんななっちゃって……」

「飯、一緒に行くか?」

「ううん。なんか家にあるもの適当に食べるから大丈夫。今日はありがとうね、先生」

「どーいたしまして。……無事でよかったよ」

 仁科が苦笑するのを見て、和都はシートベルトを外し、ドアを開けて降りようとした。

「……あ、相模」

「ん?」

 呼ばれてそちらを見ると、なぜか仁科が小さく手招きをしている。

「なに?」

 不思議に思って近づくと、仁科の両手が顔を包んで引き寄せられて。

 あ、と思った時には、唇に唇が触れていた。

「……んっ」

 小さく開いた隙間から舌が入ってきて、自分の舌に絡んでくる。

 顔が、内側から急騰したように、熱い。

 息ができなくなって、身体ごと離した。

「……なんで」

「今日の分?」

「学校でしたじゃん!」

「そうだっけ?」

 仁科が、まるで悪戯っ子のように目を細めて笑う。

 どう考えても、わざとだ。

「……バカッ」

 そう言って、逃げるように車を降りると、和都は玄関に飛び込んだ。

 ドアを閉め、鍵を掛けて、その場にしゃがみ込む。

「……本当、なんなの」

 暗い玄関で1人、うなだれる。

 まだ顔が熱くて、心臓がドクドクとうるさい。

 額にされるのはもう慣れてしまったし、必要なものだからと割り切れる。でも、唇を合わせるようなキスは、恋人同士でもない限りそう簡単に何度もするようなものではない、はずだ。

 そういう間柄じゃない。向こうは婚約者も一応いる人だ。

 ──でも。

 嫌じゃないのが、一番びっくりする。

 仁科の家に行った時くらいから、ずっとおかしい。

 色んな人に迫られたり、押し倒されたりしたけれど、日課のせいなのか、仁科に対しては身体が強張ることも、怖いと思うこともない。今日も公園で、顔を見たら気が緩んで、安心してしまった。

 深く息を吐いて、和都はようやく立ち上がり、靴を脱いだ。それから家中の明かりを順番につけて回る。

 誰もいない。広い家に一人きり。

 多分今、頼れる大人はあの人だけだ。

 仁科は人を執着させる『狛犬の目』の影響を受けないはずだから、これまで極端に距離を詰めてきた大人達と違うのは分かる。もしかしたら揶揄(からか)われているのかもしれない。

 でも、他に理由があるとすれば──。

〔カズト──!〕

 頭の中に大きな声が突然響いて、ぐるぐると考えていたことが真っ白になった。

 ハッと気付いて前を見ると、半透明の白い首だけの犬がいる。

「あ、ハク!」

〔無事でよかった〜〜〕

「ごめんね、心配かけて」

〔もっとボクが早く気付いていればぁ……〕

 オイオイと泣き喚くハクの頭を、和都は宥めるように撫でてやる。

「大丈夫だよ、無事だったし。それに、先生を呼んでくれたの、ハクでしょ?」

〔他にボクが視えるの、ニシナくらいだし〕

「そうだよね。でもおかげで助かったよ」

 先生のことは、考えても埒があかない。どうせ聞いても、はぐらかされて、まともな答えが聞けるとは思えない。

 とりあえず今は、川野から逃げ切り、無事だったことをよしとしよう。

「……はぁ、お腹空いた。なに食べようかなぁ」

 和都はもう一度深く息をついて、キッチンへ向かった。





 信号は赤。

「……まずいなぁ」

 今日は本当に、心臓に悪い日だった。

 電話で話したのを最後に相手が居なくなるなんて経験は、そう何度も経験したいことじゃない。

 ──執着、か。

 自分は和都の、所謂『執着が酷くなる』チカラの影響は受けないと聞いている。

 じゃあ今抱えてる気持ちは、なんだろう?

「あーあ、やだやだ……」

 困ったもんだな、と思いながら青に変わった信号を見て、アクセルを踏んだ。

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