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12)落花を撫でる

「なぁ小坂ー」

 4限、体育の時間。

 第2体育館でバレーのチーム戦の最中。交代待ちで体育館の壁際に座り込んでいた和都は、見上げた体育館の天井の骨組みに挟まっているバレーボールが気になった。

「なんだぁ? 相模」

 隣りで試合を観戦している小坂が、こちらを見ずに返す。

「あーいうボールって、どうするの?」

「あ?」

 和都がすっと指を差したので、小坂がつられてそちらを見た。綺麗な格子状に組み上げられた鉄骨の隙間に、白いボールが挟まっている。

「あぁ、なんだ知らねーの? ボールぶつけて落とすんだよ」

「……届くの?」

「俺は無理。でも先輩が落としてるの見たことある」

「へー」

 待ち時間の他愛無い雑談。

 と、不意にホイッスルがなって、ちょうど目の前のコートで行われていた試合が終わった。

「おい、ちびっこども。交代だぞ」

「うるせーよ」

 汗だくでコートから戻ってきた春日に呼ばれ、小坂が返事をしながら立ち上がる。小坂と同じチームの和都も続いて立ち上がった。

 体育館の半分を使って、長方形に大きく描かれたコートライン。その真ん中にバレーボール用ネットが張られている。和都も小坂も左側のコートに入って、それぞれ位置についた。

「じゃー、はじめ!」

 ホイッスルが鳴り、相手側のサーブで始まる。大きくネットを越えてコートの後方へ勢いよく飛んできたボールを、後ろの方にいた和都が軽く握り込んだ両手で受けて、綺麗に上空へ返した。

「相模ナイス!」

「オーライ、こっち!」

 ボールは前方にいるクラスメイト達が繋いで、相手コートに打ち込み、こちらの得点に繋がる。

 和都は思った通りに身体を動かせるほうなので、運動自体は好きな方だ。動いている間は、何も考えなくていいし、本を読んでいる時みたいに没頭できる。

 ただ、今年の体育の授業は、どうしても集中できない。教科担当の堂島がコートの外側からジィッと冷たい視線で見てくるので、それがどうしても気になるのだ。

 ──やっぱ、やりにくいなぁ。

 今だって、緋色の視線が焼けつくようにぴったりと自分にくっついてる気がする。4月当初はその視線のあまりの冷たさに倒れていたが、チカラが増した今はジリジリと肌に刺さる程度で、大きく影響を受けることはない。

 だからこそ、油断していた。

 突然、頭上から冷たい大きな槍のようなものが降ってきて、自分の身体全体を射抜いたような感覚。

 ──えっ。

 身動きが取れない。

 視界の上、頭上。多分、天井の辺り。

 そこから白くて丸い何かがぐるりと動いて、こちらに向かって落ちてくる。

 あれはなんだ?

 ──あっ。

 青白い丸い塊に、目、鼻、口のような黒い点。

 人間の顔、だ。

〔カズト、危ない!〕

 認識した時にはハクの声が響いて、真上を半透明の白い影が横切った。

 すると、ふっと身体が軽くなる。が、同時に眼前にはボールがあって。

「相模!」

 誰かの呼び声と同時に、バチン、と鈍い音。

 顔面に衝撃が走って、稲妻のような光が視界を廻り、後方に身体が吹き飛んだ。

「大丈夫か?!」

 ちょうど鼻から目の周りに、じんじんと痺れるような痛みを感じる。

「いったぁ……」

 尻もちをついたような体勢から、両手で顔を押さえつつ上体を前屈みにすると、鼻奥からドロリと何かが流れ出てくる感覚がした。

「ぅわ、やばっ」

 鼻血がぼたぼたと流れてきて、体操服に赤いシミを作っていく。

「和都、大丈夫か」

 コートの後方で座り込んだままクラスメイト囲まれていると、春日がタオルを持って駆け寄ってきた。差し出されたタオルを受け取って鼻に当てていると、

「あらら、相模くん鼻血? 他に痛いところは?」

 同じく駆け寄ってきた堂島が、そう言いながら顔を覗き込んでくる。

「……は、鼻血だけなんで。大丈夫です」

 異様に身体が近い気がして、和都は思わず身体ごと顔を背けてしまった。そこへすかさず、察したように春日が間に割って入り、

「保健室、連れていきます」

 ジロリと睨みつけるように言うと、堂島はあっさり身体を離した。

「うん、じゃあお願いするよ」

 堂島はニコニコと笑ったまま、いつものことのようにそう答える。

「鼻押さえて。立てるか?」

「うん、なんとか」

 春日に掴まりながら、和都はゆっくり立ち上がる。そして下を向いたまま春日に付き添ってもらって、第2体育館を出た。

「ごめんね、ユースケ」

「いいよ」

 体育館と本校舎を繋ぐ渡り廊下。少しぼんやりした頭でいつものように言ってから、ふっと仁科に言われた言葉を思い出す。

「……あぁ、間違えた」

「ん?」

「こういう時は、ありがとうって言えって言われたんだった。……ありがとうね、ユースケ」

「……うん」

 そう答えて、春日が小さく笑った。





「2年3組でーす。相模がー」

「鼻血でました……」

 保健室の引き戸を開けた声にそう言われ、デスクで作業していた仁科が意外そうな顔をして出迎えた。

「あらまー、珍しい」

 そう言いながら、一番手前のベッドをカーテンで囲み、そこへ座るように促す。

「今日は何をやらかしたんだ?」

「バレーの試合中に、顔面でボール取ってました」

 ベッドに座り、タオルで鼻を押さえたままの和都の代わりに、春日が答える。

「手で取りなさいよ」

「間に合わなくてぇ」

「よそ見してるからだろ」

 仁科がタオルを少しだけ外して様子を見ると、まだ少し鮮血が滲む。天井近い壁に掛けたアナログ時計を仰ぎ見ると、4限終了まであと20分といったところ。

「うーん、4限終わるくらいには落ち着いてるだろうけど、昼飯はここで食べてもらわないとかな。顔打ってるならちょっと安静にしないとだし」

 頭を掻きながら、仁科は付き添ってきた春日のほうを見て。

「春日クン、昼休み入ったらこいつの着替え持ってきてくれる?」

「わかりました」

 久しぶりのやりとりのような気がしながら、仁科は保健室を出る春日を見送った。

 それから新しいタオルを持って、ベッドに腰掛けたまま下を向いている和都の前で腰を落とす。

「どれ、タオル替えようか」

 体育館を出る前から押さえていたタオルを外す。出血は落ち着いてきているものの、鼻のまわりが血で、目の周りは腫れで赤くなっていた。新しいタオルで顔を拭い、そのまま鼻を押さえて、

「目の周りは少し冷やしたほうがよさそうだねぇ」

 そう言うと今度は冷凍庫から保冷剤を出してガーゼに包み、和都の目の上に当てる。

「そのまま、もう少し下向いてなね」

「はぁい」

 和都がこもった声でちゃんと返事をしたので、意識周りは問題なさそうだ。

「んで? 春日もよそ見してたって言ってたけど。なんか気になるものでもあったの?」

 仁科は保冷剤を包んだガーゼを和都の顔に当てたまま、優しく頭を撫でる。

「……あのさ、体育館の天井にボール挟まってる時あるでしょ?」

「あぁ、あるねぇ」

「あれが、人の顔になってこっちに向かってきてさ」

「なにそれ。こわっ」

「ハクが食べてくれたから大丈夫だったんだけど、そのせいでボールに気付くの遅れちゃって」

「……それは、しょうがないわなぁ」

 体育の授業中だからといって、堂島が仕掛けてくるとは限らないらしい。

 しばらくして鼻に押し当てていたタオルを離すと、出血はおさまったようだった。

「止まったみたいだね」

「うん」

 タオルを回収するついでに仁科が時計を見ると、そろそろ4限が終わる時間。

「もうすぐ4限終わるし、今のうちに昼飯買ってくるよ。お前のは何がいい?」

「たまごサンドとサラダロールと牛乳!」

 まだ少し腫れて赤いものの、わりあい元気そうな顔で和都が返したので、仁科もつい頬が緩む。

「はいはい。すぐ戻るよ。一応、鍵はかけとくからね」

「はーい」

 財布と鍵を持って、仁科が保健室を出ていった。しっかりガチャン、と鍵のかかる音もしたので、勝手に誰かが入ってくることはない。

 それにしても、と和都は息をつく。

 先日からどうも普段は姿を見せない、怪異やお化けの類からの攻撃が多いような気がする。今まで学校でそんなに怖いものを見たり、遭遇することはなかったのに、と連日のことを思い出して不思議に思う。あってもせいぜい図書室の幽霊くらいだった。

「やっぱ『鬼』のせい、なのかな」

〔そうだと思うよ〕

 和都が小さく呟くと、少年のような声と共に白い渦が空中に現れ、その渦は白い犬の首の形を成して現れる。

「あ、ハク」

〔鬼のチカラを持った先生2人に、学校に潜んでるヤツらも刺激されてるんじゃないかなぁ。もしくはー〕

「もしくは?」

〔……支配、されちゃってる〕

「えっ」

〔カズトを捕まえるために支配されてて、命令されてるって可能性もあるよ〕

 いささか不穏な単語に驚いていると、4限終了を告げるチャイムが鳴り響いた。

 それからしばらくして保健室前の廊下を、クラスメイト達がぞろぞろと教室へ戻っていくざわめきが聞こえてくる。その中から小さくはぐれて、保健室のドアの方へ向かう足音がした。それからすぐ、ガタガタッと保健室のドアが揺れる。

「あれ、開かない」

「え? あ、鍵かかってるじゃん」

 ドアの向こうから、菅原と小坂の声がした。保健室の廊下側には手の届く位置に窓がない。あっても天井近くの明かり取りと換気を兼ねた小さな窓くらいだ。すると仕方ないという感じで、

「相模ー、聞こえるー? 鼻血止まったー?」

「うん、なんとかー」

 菅原がこちらに呼びかける声が壁越しに聞こえてきたので、和都も少し声を張って返事をする。

「お、聞こえる聞こえる」

「先生はー?」

「お昼買いにいってくれてるー」

「相模は保健室で食うの?」

「うん。休んでなきゃいけないって」

「なぁんだ」

「じゃあまた後でなー」

 そう言って、バタバタと騒がしい足音が保健室前を去っていく。すると、ふっと辺りが静かになった。昼休みに入ってすぐは、みんな購買のほうへ向かうせいか、校舎の東側は少し静かになる。

 不意に、ガチャリ、とドアの鍵が解錠する音がした。

「あ」

 仁科が戻ってきたのだと思って顔をあげたが、ガラガラと引き戸を開けて入ってきたのは、小豆色のジャージを着た人物で、

「堂島、先生……?」

「ああ、相模くん。血は止まったのかな?」

 授業中の時と同じ、にこやかな表情を顔に貼り付けた堂島がそう言った。

 すぐに引き戸が閉まって、ガチャン、と鍵が閉まる。

「あ……」

「大丈夫かい? 相模くん」

 名前を呼ばれて、和都は思わずベッドの上で後退った。

 ドアを開けるための鍵は、仁科が持って出ていった。鍵を持っていない人間が、開けることはできない。

 心臓がドクドクと早鐘を打つ。

「倒れた君が心配でねぇ。授業が終わったから早速見に来たんだ」

 堂島がそう言いながら、遠慮なく真っ直ぐ、ベッドへと近づいてくる。

〔カズトに近づくな!〕

 和都を庇うように2人の間にハクが現れ、大きな口を開けて吠えかかった。が、

「……邪魔だよ、狗神」

 そう言って堂島が腕で軽く払っただけで、ハクが〔きゃあ!〕と短い悲鳴をあげて消えてしまった。

「ハク!」

 呼びかけるも返事はなく、堂島はこちらにお構いなしでベッドの上に乗ってくる。

「……あっ」

「担当の子が怪我をしたら、心配するのは当たり前だろう?」

 穏やかな声でベッドに押し倒されて、鼻の先が触れそうなほど近くに顔があった。

 にこやかに笑う瞳の色が、赤い。

「見せてごらん、ほら……」

「……いやだっ」

 殴って突き放そうとするも、振り上げた手はあっけなく大きな手に掴まれる。その反対の手で、背けようとする顔を正面に向けさせられた。

 緋色の瞳。

 縦に細長い瞳孔がじっとこちらを見ていた。

 触れたところから冷たいものが流れ込んできて、心臓に突き刺さるような感覚。

「ぐっ……!」

 苦しくて、声が出ない。

 そこに勢いよく引き戸の開く音がして、

「堂島、おまえ……!」

「……あれ? もうきたの?」

 戻ってきた仁科は慌ててベッドへ駆け寄ると、堂島のジャージの襟を掴んで、和都から引き剥がす。

「……お前、何してる! どうやって入った?!」

 ジャージの襟首を掴み、怒りを滲ませながら、キツく睨んだ顔で仁科が問うも、堂島は普段のような平然とした顔のままだ。

「担当の子の、ケガの様子を見にきただけだよ?」

「……様子を見るのに、ベッドに押し倒す必要なんかあるかよ」

「ああ、そうだ、俺に手伝えることがあれば」

 今、していたことに対しての弁明も謝罪もなく、なおも居座ろうと言葉を選ぶばかり。

 視点も合わず、まるで話が通じない。

 曖昧であやふやな何かと話しているような、妙な感覚。

「お前に手伝えることはない。出てけ!」

「分かったよ」

 へらへらと笑った顔を貼り付けたままの堂島を保健室から追い出すと、仁科は急いでドアに鍵を掛けた。

 それからすぐにベッドのほうへ駆け戻り、ベッドカーテンを閉めて内側に入る。ベッドの上の和都に近づくと、青ざめた顔で肩を上下させながら、荒い呼吸を繰り返していた。ベッドの奥に座り込んだまま、心臓の辺りを両手でぎゅっと押さえている。

「相模」

「せんせ……」

 返す声が震えていた。

「……そっち行っていいか? 触っても平気?」

 怯えながらも小さく頷いたので、ゆっくりベッドに上がって近づき、両腕でギュッと抱きしめた。

「怖かったな。アイツは追い出したよ。もう、大丈夫……」

 身体が氷のように冷たい。

 食べられる、とはそういうことなのだろうか。

「こわ、かった……」

 小さく絞り出した声が掠れていて、目の端から涙が溢れているのに気付く。

「……うん。怖かったな。大丈夫、もう大丈夫だからな」

 そう言いながらしばらく温めるように身体をさすり、それから額に小さく口付けた。





 和都は身体を暖めてやると落ち着いてきたので、少し眠りなさいと昼休みの間は休ませることにした。

 その後は、きっちりと閉めたベッドカーテンを見つめながら、仁科は談話テーブルの椅子に座って深く息をつくばかりだ。

 保健室を出る時に、確実に鍵は掛けた。

 それなのに、侵入されたということは、彼らに物理的な鍵は意味がないということになる。よく知る旧い友人のあんな姿は、鬼に憑かれているとはいえ、どうしたってショックだ。

 それにしても、

「……似てるなぁ」

 亡くなった末の弟も、あんな風に気の触れた人間たちを惹き寄せ、囲まれていた。いくらなんでも同じ状況すぎないだろうか。まるであの頃を再体験しているようで、正直、気持ちが悪い。

 特に女性達からの執着は異常で、対応するのに苦労した記憶がある。和都が女性を避けて男子校へ来たのも、同じような理由からであれば納得してしまいそうだ。

 見た目だけでなく、その抱えている境遇があまりに似ていて、生まれ変わりなんじゃないか、と錯覚すらしてしまう。

 ──それはない、けどな。

 弟が亡くなったのは、11年前だ。年齢を考えるとそれはありえない。

 この世には、自分に似た人間が3人はいるというが、それは果たして顔だけなのか、それとも生まれ持った性質や環境も含めてだったか。

 考え込んでいると、コンコン、とドアをノックする音で現実に引き戻された。

「仁科先生、春日です」

 ドアの向こうから聞こえたよく知る声に、ああ、そうだった、と立ち上がり、仁科はドアの鍵を解除する。

「悪い、開けるの忘れてたわ」

 仁科がそう言いいながら引き戸を開けると、制服に着替えた春日が不思議そうな顔で立っていた。

「何かあったんですか?」

「いや、たいしたことじゃないよ」

 そう答えると、春日が少しだけ眉を顰める。相変わらず勘がいい。

 だがすぐ、ベッドカーテンが閉じられているのに気付いて、そちらに気を取られたようだった。

「和都、どうかしたんですか?」

「……ちょっと、気持ち悪くなっちゃったらしくて。横になってるから、そっとしといてあげてくれる?」

 それらしい嘘だが、遠くはない。原因は別ではあるが。

「大丈夫なんですか?」

「まぁ、顔とか頭打った後って時間差できたりするからねぇ。ダメそうなら早退させるけど。多分、大丈夫。昼休み終わったら教室に返すよ」

「そう、ですか……」

 珍しく心配そうな顔をした春日から、和都の着替えを受け取る。

「じゃあ、失礼します」

「……あ。春日クンて、相模と一緒に帰るよね?」

 保健室を出ていこうとする春日を、仁科は少し思いついて呼び止めた。

「まぁ。委員活動がなければ、はい」

「さすがに今日はないよ。で、どこまで? 途中の道で別れたりとかしちゃう感じ?」

「そうですね。駅に向かう途中の道で別れますけど」

「うーん。できれば、家に入るとこまで見送ってあげて欲しいんだけど、可能かなぁ?」

「大丈夫、ですけど……」

 ますます深刻な顔をさせてしまった。が、一応手を打っておかないと、学校の外は守備範囲外だ。自分では手に余る。

「んじゃお願いできる? ほら、道の途中で具合悪いのぶり返して、また倒れちゃったりしたら、嫌でしょ?」

「……わかりました」

 まだ少し、何か言いたげなまま春日が去っていく。

 和都が伝えてこない事情を、自分からは聞けないということが、春日は分かっているようだった。それ以上踏み込まないよう、気を付けているのが見てとれる。

 ──もうちょい、甘えてもいいのにねぇ。

 クリーム色のベッドカーテンの方に視線を向けて、仁科は心の中で呟いた。

 春日の執着もなかなかなものだが、そんな彼に和都が妙な遠慮をしてしまうのはやはり気になる。自分を過剰に卑下する性格のせいなのか、春日を視えない世界の面倒事に巻き込みたくないだけか。もしくは、

 ──『これ以上は』って線を引いてる、のかもな。

 去年までの彼らの苦労は知らないが、大変さを測れないわけではない。

 似たようなことを経験したから。

 だからこそ、もっとちゃんと助けや協力を求めて欲しいと願ってしまう。

 仁科は深く息をついて、保健室のドアを閉めた。





 放課後の帰り道。

 菅原と小坂は部活動でいないため、春日と和都の2人きりで帰るのは久々だった。

「……本当に、大丈夫か?」

「大丈夫だって」

 和都は昼休みが終わる頃に教室へ戻ってきたが、顔色はまだイマイチで。5限と6限が終わる頃には比較的普通に見える状態にはなったが、春日にはどうも空元気に見えていた。

「本当に?」

「……もー、しつこい。本当にちょっと気持ち悪くなっただけ。すぐよくなったから大丈夫だって」

 和都がすぐ隣を歩く春日を面倒臭そうに睨み上げる。

 振る舞いは普段通りに見える。ただ、どうしても気になるのには理由があった。

「仁科先生に言われたから」

「先生が心配しすぎなんだよ」

「……だからだろうが」

 のらりくらりと追求を避けていた仁科が、自分に和都を家まで送れと言ったのである。よほど状態が良くないか、心配する別の理由があるに違いない、というのが春日の考えだ。

「なにさ」

「別に」

 不毛な言い合いを続けていただけで、いつもの別れ道となる十字路まで来てしまった。

 すると、ピタリと立ち止まった和都がこちらを向いて。

「ほら、塾遅れるよ。すぐそこだし大丈夫だって」

「頼まれてるから」

 食い下がると、観念したように和都がため息をついた。

「……わかったよ」

 そう言うとくるりとこちらに背を向けて、自宅があるほうの道へ真っ直ぐ、大股で歩き始める。

 春日はその後を追いかけるようについていった。

「……困ってることは、全部言えって言ったろ」

「言ってる」

「何、隠してんの」

「……べつにない」

「嘘つけ」

「言えることは言ってる」

「どうかな」

「おれにもお前に言えないことくらいあるよ。お前だってあんだろ」

「それは、あるけど」

「……去年のみたいな、サイアクなことは起きてないから、大丈夫」

 こちらに背を向けたまま言うので、和都がどんな表情をしていたのか、春日には分からなかった。

「なら、いいけど」

 あっという間に和都の家に着いてしまう。

 まだ日が傾き始めて、青い空が少し白みを帯び始めた早い時間。

 黒い屋根に白い壁の一軒家は、相変わらず人の気配がない。

「さ、着いた。これで満足?」

 和都が不機嫌な顔のまま、玄関の前で腕組みをしてみせた。

「ああ」

「じゃーまた明日。塾、遅れるなよ」

 困ったように笑った和都が、鍵を開けて玄関の中に消える。

 きっちり玄関の戸が閉まったのを見届けてから、春日は来た道を戻っていった。





 デスクに置いていたスマホが振動したので確認すると、チャットアプリにメッセージが届いたという通知だった。

 和都からだ。

《ちゃんと無事に家に着いたよ》

《先生、ユースケに何言ったの?》

 眉を顰めながら文字を打ち込んでいる姿が目に浮かぶ。普段通りの文面に、仁科は少しだけホッとした。

 堂島の追撃があったらと思い、護衛のつもりで春日に送るよう頼んだのだが、和都にはその真意まで分かってもらえなかったらしい。

《時間差で具合悪くなる時あるからって言っただけ》

《無理しないで、今日は早く寝なさい》

 和都にそう返信すると、今度は別の人間からのメッセージ通知が届いた。

 内容は、古い小さなお社の写真が1枚のみ。

 あ、と思い見ていると、今度は着信が入る。画面には『安曇家』と出ていて、仁科は一呼吸だけ置くと『応答』を押した。

「……もしもし。どうもご無沙汰してます」

〈久しぶりだね、弘孝くん。凛子(りんこ)から話は聞いているよ〉

 電話の主は、安曇家の現当主、安曇(あずみ)竣介(しゅんすけ)その人であった。記憶の中にあるものより、声が少ししゃがれていて、それなりの年月が経ったのを感じる。

〈送ったのが今うちで祀ってる状態の白狛神社だ。その調べてるって言う生徒さんに見せてやるといい〉

「助かります。あの、白狛神社がそっちに移動された経緯とかってご存知ですか?」

 和都と図書館で調べても分からなかった、一番の理由を確認してみるが、電話の向こうの声はうーん、と困ったように唸っていた。

〈それが我々にもきちんと伝えられていなくてね。摂社や末社は普通、そういう記録がきちんと残っているもんなんだが、それだけは何故かないんだ〉

「白狛神社だけ?」

〈ああ。もともと神社があったっていう、教えてもらった住所の場所も、一応うちの土地のままではあるんだけど〉

「そうなんですね」

〈うん。しかしよく分からないとはいえ、お祀りしてる以上は粗末にはできないからね。参拝は欠かしていないよ。蔵の方の書物を調べれば、何か分かるかもしれないが〉

「そう、ですか……」

 不自然なまでに情報がない。過去の戦争や災害で消失した可能性を考えていたが、そうではなく、何者かによって意図的に隠されているのかもしれない。

 やはり安曇家の蔵を探さなければいけないようだ。

〈見たいなら、以前のように来てもらって構わないよ。離れは使えるようにしておくから〉

「ありがとうございます。では、夏休みに伺います」

 そう言って仁科は「それでは」と電話を終えようとしたのだが。

〈こっちに来るのは何年ぶりだい?〉

「……雅孝の五年祭で帰って以来、ですかね」

〈凛子もちょうど手伝いに来てる頃だし。そろそろ2人で話をまとめてもらえると助かるんだが〉

「またその話ですか。まだアイツ大学生ですよ。それに俺みたいなおっさんとじゃ凛子が可哀想でしょ」

 思った通りに厄介な話が始まってしまう。

 なるべく連絡しないようにしていたのは、この話から逃げるためでもあったのだ。

〈今いる適齢の中じゃ君が一番チカラが強い。年齢差は多少あるが、大した問題じゃないさ〉

「そうは言いますけど。きっと大学でいい人見つけてきますって。孝文が結婚したんで仁科の家督はそっちに譲りましたし、俺は今の仕事続けたいんで」

〈しかしなぁ。お前の叔父のところは、女の子ばかりだったし。羽柴さんとこもそうだったな。あとは神谷さんのところだが……〉

 この話になると、どうしたってこの世代は会話が切れない。

 親類の話になったところで、仁科はふと思い立って。

「ああ、そうだ。仁科の家系図って最新のそっちにあります?」

〈うん。孝文くんとこの2番目が生まれたときに作ったのが残ってるはずだよ〉

「それって傍系も書いてます? 直系だけ?」

〈仁科の傍系は数が少ないから入れてたと思うが。……お前、今度は何を調べてるんだ?〉

「ちょっと、気になることがありまして」

 電話の向こうの声が、少しだけ低くなる。

〈まだ、マサくんのこと納得してないのかい?〉

 言われて、少しだけ何も言えず。が、すぐに目を伏せて答えた。

「……それとはあまり関係ないんで、気にしないでください」

〈そうか、ならいいが。見つけたら送っておく。写真でいいかい?〉

「はい、助かります。それじゃ」

 長い電話がようやく終わる。

 やはり、頻繁に話をしたいと思えない相手だ。

「……納得なんて1ミリもしてねーよ。バーカ」

 真っ暗になったスマホの画面を睨みつけながら、仁科はそう吐き捨てた。



◇ ◇



「2年3組でーす。観察簿持ってきましたー」

 次の日、保健室のドアを開けて入ってきたのは、和都だった。

 昨日のこともあり、てっきり休むものだと思っていたので、仁科は座っていたデスク用の椅子から慌てて立ち上がる。

「相模。……具合は?」

「へーき。休んじゃおっかなーて思ったけど、ユースケがうるさそうだから」

 そう言う和都の顔は、やはりどこかいつもの明るさが足りない気がする。

 仁科は近づいて和都の頭を撫でると、そのまま唇で額に触れた。

「そっか。頑張ったな」

「もっと褒めていいですよ」

「……そうだね」

 まだ少し元気のない顔で、和都が笑ってみせるので、仁科は両手で頭をわしゃわしゃと、まるで大きな犬にするみたいに撫でた。

「ちょっともー、やりすぎ」

 すっかりボサボサになった髪を、和都は笑いながら手ぐしで直す。

「じゃあ、頑張って学校きた子にいいもの見せてやる」

 仁科は受け取った観察簿をデスクに置き、代わりに自分のスマホを持ってくると、そこになにやら画像を表示させ、その画面を和都に見せた。

「……あっ!」

 そこに映っていたのは、安曇家から送られてきた、末社として安曇神社内に現存する、白狛神社の写真だった。

 小さな白木の鳥居があり、その向こうにこぢんまりとした石造りのお社が見える。少し暗い場所にあるのか、御神体は影になって見えない。

「昨日、安曇家から届いた。今の白狛神社はそんな感じだってさ」

「……よかった」

 仁科からスマホを受け取り、じっと画面を見つめる和都の目が、一瞬だけ金色に光ったような気がした。

「ありがとう、先生」

「……後で送ってやるよ」

「うん!」

 スマホをこちらに渡しながら、元気に答える和都の顔色は、先ほどより心なしか良くなったように見える。

「神社が移動した理由とかは、聞けたんですか?」

「いんや。現当主もご存知ないそうだ」

「えぇ……。ますます謎なんだけど」

 和都が眉を顰めて腕組みをする。

 大きな図書館には由来も口伝されたものしかなかったうえ、移転先すら資料になかった。ただただ謎ばかりが深まる。

「まぁそっちも気になるけど、肝心の鬼どもをなんとかする方法、見つけないとね」

「……うん」

 昨日は仁科が近くに居たから助かったようなものだ。ハクが対抗できるようになるには、まだまだチカラが足りない。

 このままでは本当に食べられてしまう可能性が高い。

「でも、鬼を退治とか封印なんて、ファンタジーすぎない?」

「まぁ悪霊が憑いてて、それを払うってんなら、安曇神社に任せりゃいいんだけどね」

「え、そんなこと出来るの?」

「あっちはそういう家なんだ。それ系ってほぼインチキだけど……安曇は『本物』だよ」

 仁科が以前、自身が視える以外に、視える人が当たり前にいる環境だったと言っていたが、そういう家系と繋がりがあるからなのかもしれない。

「ただ、今回は『鬼』だからなぁ」

「うーん。祠を作り直す、とかじゃダメなのかな」

「まぁ、どちらにせよアレは作り直したほうがいいだろうね。倒木も危ないし。結局あそこの所有者もやっぱり安曇家だったから、そっちにお願いするさ」

「そうだったんだ」

「うん。あ、倒木の話し忘れたな。伝えとかないと」

 祠の状態も気になるが、跡地のあの状況はやはり危ない。小坂が小学生の頃に遊びに行っていたと言うように、子どもが遊び場にしていたら事故が起きかねない。

「こっちで探せるとこは探したし、これ以上は安曇の蔵に行って探さないとダメだね」

「蔵があるの? すごい!」

「うん。夏休みに向こうに行って探すつもり。……お前も行くか?」

「え、いいの? でも、なぁ……」

 ただでさえ、少し遠くに出掛ける時は春日がいないと許可が出ない。ましてや県外なんて、両親がいないタイミングを狙うにしても難しい距離だ。

「どっちかというと、お前の探し物だから、来てもらいたいんだけどね」

「そう、だよね。どうしよう」

「必要なら俺から親に話すよ。……つか、お前の親とは一度ちゃんと話がしたいんだけどね、教師側としては。面談に一度も来てないって聞いてるぞ」

「あはは……」

 両親の和都への扱いについては、担任の後藤とも度々話題にあがる。1年の頃から会えたことがないそうで、電話しても忙しいからと一方的に切られてしまうのだと言っていた。いい機会なので、少し踏み込んでしまうのも手かもしれない。

「まぁ、まだ時間はあるから、どうにかしてみよう」

「うんっ」

 和都がだいぶいつもの調子を取り戻してきた気がしたので、仁科はもう一度頭を撫でた。

「さ、1限始まるし教室戻りなさい」

「はーい」

 元気よく返して出ていった和都を見送って、仁科は保健室の戸を閉めた。

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