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1)狛犬

 高校2年になる相模(さがみ)和都(かずと)は、昔からよく色んなモノを惹き寄せた。散歩中の犬、話したこともない上級生、そして、他人に視えない変なもの。

 新学期初日。今朝も学校に向かう途中、通り過ぎた電柱の影からするりと這い出てきた薄っぺらい人影が小声でブツブツと話しかけてくるのを、ずっと無視して歩いている。

 この他人には視えていない、所謂お化けと呼ばれるもの達には『いいもの』と『いやなもの』があって、『いやなもの』は近くにいるだけで気持ち悪くなる。

 ──……頭いたい。

 対処法は基本『離れる』こと。声に答えたり何かしら反応したりすると、向こうは調子に乗るので完全無視が鉄則だ。

 ただ前だけを見て歩いていると、ボソボソ聞こえていた声が不意に聞こえなくなった。代わりに、同じ高校の学ランを着た、見知った顔が背後から近寄ってくる。

「おはよう、和都」

「あ、ユースケ。おはよ」

 中学からの友人で、同じ学校に通う春日(かすが)祐介(ゆうすけ)だった。学ランの胸元には、和都と同じ2年生を表す白いネームプレートが付いていて、黒文字で『春日』と書かれている。中学の頃から周りより頭一つ背が高く、高校になってもやはり見上げるように話す相手で、背の低い和都には少し羨ましい高さだ。

「ちゃんと寝たか?」

「22時には寝ましたー」

「その割に顔色悪いけど」

「……そう?」

 家を出るまでは確かに元気だったのだが、途中で具合が悪くなった正確な理由は言えない。普通の人に視えないものが視えることは、中学から付き合いがある春日にすら言っていない事実の1つのだ。

「しかし、またユースケと同じクラスかぁ」

「そうだな」

 無表情に近い春日の生真面目な顔には、さして感情は見えない。

「……仕組んだ?」

「仕組んでない」

「本当にぃ?」

 中学の頃から見えないところで大人を遣うのが上手いヤツなので、和都はそこが少し気になっていた。辟易するほど頭よく、優秀すぎるこの友人は、生きていくのに困りごとの多い自分のために、何かと手助けしてくれている。それもあり、春日とはいつの間にか下の名前で呼び合うような間柄になった。

「仕組んだ覚えはいないが、『保健室の利用回数年間1位』の問題児のために、配慮はされたかもしれないな」

「……あっそ」

 無表情だった春日の口角が小さく上がっていたので、きっと『かも』ではないんだろう。1年生の時は保健委員をやっていた春日のことだ。充分あり得る。

 学校に着き、昇降口から校舎へ入ると、2年3組の下駄箱で1年の時から同じクラスの、菅原(すがわら)佳壱(けいいち)小坂(こさか)友紀(ともき)もちょうど上履きに履き替えているところだった。

「あ、おはよー」

「お、相模に春日、おはよ。また同じクラスだな」

「ああ」

「ちょうどいいじゃん。クラスの班、またこの4人で組もうぜ」

 授業では何かと4人1班で活動することが多く、菅原と小坂とは1年の時に同じ班で活動もしており、そこから仲良くなった2人だ。

 持ってきていた上履きに履き替え、履いてきた靴を入れようと『相模』と書かれた下駄箱の棚を開けると、丁寧に三つ折りされた紙がそっと置かれていた。

「……うわ」

 和都は嫌な予感がして小さく声を漏らす。それに気付いた菅原が後ろから覗き込んでいた。

「あらあら。新学期から『狛杜(こまもり)高校のお姫様』は大変ねー」

「菅原、今度ソレ言ったら殺すよ」

 ため息をついてそれを取り出し、紙の置かれていた場所に靴をしまう。

 畳まれた紙の内側は、思った通り、和都への愛を長々と綴った、所謂ラブレターであった。しかしここ、狛杜高校は男子校なので、差出人も当たり前に男子である。

「いやー、これまたビッシリと」

「手書き? 字ぃキレイじゃん」

「……見るなよ」

 後ろから菅原と小坂が面白半分に覗き込んでいた。

 上から下まで丁寧に書き綴られた文字に目を通した後、和都はまた三つ折りに戻す。そしてそのまま、表情を変えずにビリビリと縦横二重三重に破いて、下駄箱近くにあった購買部と自販機の間の『紙くず』とラベルの付いたゴミ箱に、紙切れとして捨てた。

「えー、相模。さすがにそれはちょっと……」

「『ご迷惑なら破いて捨ててください』って書いてあったし、迷惑だから破って捨てただけ」

 菅原が眉を顰めて諫めたが、和都は手紙を読んでいた時と変わらない表情でそう言うと、2年生の教室がある3階へ上がるため、西階段を上り始める。

「相変わらず、塩対応ねー」

「甘くしたところで、おれには何の得もない。つか、なんで男子校でもこんなに来るんだよ。意味わかんねぇ」

 小中高といつだって手紙や呼び出しが付き纏い、そしてそれは時折エスカレートした。基本的には女性からが多かったということもあり、その面倒さから逃げるべく、高校は男子校を選んだのだが、数は減れども残念ながらなくなることはない。

「まー『姫』じゃ仕方なくね?」

「背が小さくて、華奢で、黒髪にパッチリ黒目、肌も白くて病弱な上に趣味は読書……なーんて、女子だったら役満よー?」

「マジで最初に『姫』とか言い出したヤツ誰なの? 殺したいんだけど」

 そう憤る姿すら、綺麗な顔のせいで台無しになってしまうのも困ったところである。

「残念ながら、性格もクチも悪りぃんだけどな」

「ふん。見た目だけで判断するようなヤツを好きになるかっての」

 ケラケラ笑う小坂に、和都はふんと鼻を鳴らしてみせ、2年3組の教室へ入っていった。





 遠くで、小さい子どもが自分を呼ぶ声が聞こえる。

 知らないけれど、どこか懐かしさを感じる声だ。

〔……気をつけて〕

 何に?

〔『鬼』が来たよ〕

 鬼?

〔そう、だから、気をつけて!〕



「……鬼って?」

 意識がゆっくり覚醒してきて、ハッと気付いた時には保健室のベッドの上だった。1年生の頃から見慣れた天井を見つめながら、和都はなぜここにいるのか、というのをぼんやりした頭で考える。

 今日は新学期初日で、先ほどまで始業式に参加していたはずだ。2年3組の列に出席番号順に並び、長ったらしい校長の話をきいて、その後の新任教師の紹介辺りで、いつもよりも酷い発作が出て、多分、倒れた。

 そこまで思い出した辺りで、チャイムの音が聞こえてくる。

 視界を横にずらすと、ベッド1台をぐるりと囲むクリーム色のベッドカーテンの、閉じていたところが少しだけ開き、ちょうど見知った顔がこちらを覗き込んだ。

「あ、起きた? もうお昼休みだよ」

 ピンストライプのワイシャツに紺のネクタイ、そこに白衣を着た眼鏡の青年──養護教諭の仁科(にしな)弘孝(ひろたか)が笑いながらベッドカーテンを半分だけ開けた。

「……うっそ、寝過ぎだぁ」

 和都は頭をかきながら上半身をゆっくり起こす。

 学ランの上着は身につけておらず、長袖シャツの襟元は一番上のボタンだけ外れていた。ベッドに運ばれた時に脱がされたのだろう。

「今日は一段と長かったねぇ。もしかして寝不足だった?」

「……22時には寝てました」

 仁科にはイベントで倒れる度にこうして迷惑をかけている。多分今回も、体育館の真ん中でぶっ倒れたのを、衆目の中運んでくれたに違いない。

「よく寝るわりに、伸びない子だねぇ」

「怒りますよ?」

 降ってきた軽口に、条件反射で返してしまう程度には、背の低さを気にしている。言ってきた本人は180cmもある長身の人間なので、見上げながら怒りを露わにするしかできないのが悔しいところ。

 仁科の言葉に眉を顰めていると、保健室のドアが開いて、同じクラスの春日と菅原が入ってきた。

「2年3組です。……和都、起きました?」

「ああ、ちょうど起きたとこだよ」

 仁科が答えながら、半分だけ開けていたベッドカーテンを全開していく。

「おっ、顔色よくなってる。よかったー」

「……ごめんね」

「気にすんな、気にすんな」

 菅原が駆け寄ってきて、笑いながら和都の頭を撫でた。

 始業式の最中、具合が悪くなってきたのに気付いてくれた菅原と、最後に会話していたのは覚えている。その後は完全にブラックアウトしたので、余計な心配を掛けたに違いない。

「ほれ、お迎えもきたし戻りなさい」

「はーい」

 仁科が椅子に掛けていた和都の学ランを寄越してきたので、和都はベッドから降りると、受け取った学ランを羽織ってボタンを留め始める。

「あ、仁科先生。これ、遅くなってすみません」

「おぉ、やっときたかー。はいはい」

 春日が思い出したように、『健康観察記録簿 2年3組』と書かれた黒い厚紙の表紙の記録簿を仁科に差し出した。

「なぁに、今年も春日クンが保健委員なの?」

 仁科は観察簿を受け取りながら、自分と同じくらいの目線の春日を見る。

「いえ。2年3組の保健委員は、和都になったんでよろしくお願いします」

「あらまぁ」

「えっ! うそ?!」

 和都には全く予想のしていなかった知らせだった。

 というのも、狛杜高校の保健委員は他の委員に比べて仕事が多く、大変な不人気なのである。

「委員会決めまでに戻ってこないからだろ」

「う──……」

 春日の呆れたような視線に見下ろされ、和都は何も言い返すことができなかった。

 普段であれば始業式後のホームルームまでに復帰できているはずだったが、今回ばかりは事情が違う。だがそれを説明することは、少しばかり難しい。

「担任の後藤先生が『普段からお世話になってるんだから、恩返しのつもりでやればいい』って言ってたよ」

「なーんか、俺が後藤先生に問題児を押し付けられた気がしなくもないんだけど」

 菅原のフォローに仁科は頭を掻いたが、和都の方を改めて見て、笑いながら言う。

「ま、1年間よろしくね」

「……はい」





 保健室を出てそのまま購買に向かうと、パンを代理で購入してくれていた小坂と合流できたので、その足で屋上へ向かう。

「相模はいつもの発作かー?」

「まぁ、そんなとこ」

 小坂に聞かれ、和都はいつも通りに振舞うが、正直な話、今回はいつもと少し違った。

 年齢が上がるにつれて多少は耐性がついているらしく、1年生の後半くらいからは中学の時より酷い倒れ方をしなくなっており、今回はいつもなら周辺に集まってくる『いやなもの』も視えなかったので、大丈夫だろうと思っていたのだ。

 しかし、新任教師の紹介に入った途端、辺りの空気が一際重苦しいものになった。

 正面のステージ上には、小豆色のジャージを着た堂島(どうじま)という体育教師と、紺色のスーツに青いネクタイを結んだ川野(かわの)という日本史担当の教師。その2人の男に、和都は違和感を覚えた。

 周りの人たちにもちゃんと同じように見えているようなので、人間に間違いはない。なのに、とてつもなく『いやなもの』に遭遇した時のような感覚を肌で感じ、心が妙にザワザワした。

 不意に、遠いステージの上に立つ堂島がこちらを見た、と思った次の瞬間、一気に身体中の血が凍ったようになって、倒れる直前の息苦しさが襲ってくる。

 その後は、様子がおかしいと気付いた菅原に声を掛けられ、その場になんとかしゃがみ込んだものの、それ以降の記憶はない。

 ──あれ、本当に人間だったのかな。

 目の色が人間のものとは違ったような気がする。

 和都が始業式のことを思い出しながら階段を上がっていると、

「今回も、結局倒れたな」

 隣を歩く春日に呆れたように言われ、和都はため息混じりにそちらを見上げる。

「……好きで倒れてるわけじゃないし」

 彼らには『お化けが視える』話をしていない。

 倒れてしまうのも、便宜上『発作』と言っているが、身体は健康そのものだ。

 ──変なこと言って、迷惑かけたくないしね。

 内心でため息をつきながら、和都は階段を上がる。

 校舎の4階まで上がり、そこからさらに階段を上ると、背の高い金網のフェンスで囲まれた、コンクリートの床の広々とした空間が広がる。ところどころに3〜4人掛けのベンチが配置されており、和都達はフェンス近くの空いていたベンチを1つ陣取って座った。

 狛杜高校では校内であれば自由に昼食を取れるのだが、和都達の場合は購買でパンやおにぎりを購入し、屋上で食べていることがほとんどである。

 空も青く天気の良いわりにまだ少し冷たい風が吹くためか、屋上に散らばる人影はそこまで多くない。新学期ゆえに教室で取る人間も多いのだろう。

「保健委員かぁ……」

 金網の向こうに広がる街並み、そしてその後ろにある小高い山を眺めながら、和都がぼやく。

「帰宅部は優先して委員やらされるからなー」

「毎朝保健室まで行かなきゃなんでしょー? マジで面倒なんだけど」

 保健委員が不人気である理由の1つに、朝のホームルーム時に担任が点呼と共に付ける健康観察記録簿を保健室まで毎日持っていく、というのがある。ホームルーム後から1時間目が始まるまでの時間は教員が授業準備の時間を確保するため、保健委員が持っていくことになっているそうだ。

「ちょうどいいじゃん。体調チェックしてもらえよ」

「ああ、もしかして後藤先生、それが狙いとか?」

「……まぁ、悪い先生じゃないから、まだいいけどね」

 和都のなかで、仁科はまだまともな大人という印象の人物だった。

 軽口も多く物言いが飄々としているのでたまに癪に障ることはあるが、イベントの度に倒れて散々迷惑をかけていても、邪険にされた記憶が一度もない。

「あ、飯食ったら昇降口でビラ配り手伝えってキャプテン言ってたぞ」

「げぇ、マジで」

 小坂と菅原がそんな話をしているのを聞きながら、和都は金網ごしに校舎の足元へ視線を向ける。昇降口付近では新しく入学した1年生達に3年生達が声を掛け、熱心な部活動勧誘が行われているようだった。

「あーあ、相模の身体がもうちょい丈夫で、もうちょい身長あったら、ぜひともバスケ部に勧誘するのになぁ」

 早々に食べ終わったらしい小坂が、持ち込んでいたバスケットボールをつきながら言う。小坂と菅原はバスケ部に所属しているので、この後はバスケ部の勧誘手伝いに行くのだろう。ちなみに、和都と春日はどこにも所属しておらず、いわゆる帰宅部だ。

 和都は食後の運動に勤しむ小坂にチラリと視線を向けて、

「……身長については小坂に言われたくなーい」

「うるせぇよ」

「どんぐり同士で何争ってんだか」

 身長158cmの和都と162cmの小坂の言い合いを、175cmの春日が見下ろしながら呆れていた。

「まー相模が部活やるってなった場合、バスケ部より陸上部が黙ってないでしょ」

「去年の体育祭の後、勧誘すごかったもんなー」

「部活はやらないって散々断ったけど、まだたまーにくるんだよねぇ」

 走るのが得意で運動もそこまで嫌いではなかったから、和都は中学の時に少しの間だけ陸上部だったことがある。ただ色々あって結局すぐ辞めてしまい、それ以降は部活動や習い事の一切を両親に禁じられ、全て断るようにしていた。

「おーい、2年の相模いるー?」

 東階段側の屋上扉が開いて、入ってきた生徒の呼びかけが耳に入る。

「いるよー」

 和都が大声で応えて手を振ると、

「あ、いたいた。陸上部の橋本先輩が呼んでるってー」

「わかったー、どこー?」

「保健室の裏! よろしく!」

「はーい」

 こちらの返事を聞くや、彼は踵を返して屋上扉の向こう側に消えてしまう。

「おーおー、ウワサをすれば……」

「新学期だしなぁ」

 有望な新入生は先輩たちから呼び出され、直々に部活動の勧誘を受けるというのが狛杜高校ではよくある光景だ。学年途中ではなく新学期ならば、と勧誘のしつこい陸上部も考えたのだろう。

 和都は食べかけのパンを全て口に放り込むと、牛乳で流し込んで終わりにしてしまう。

「……和都、俺も行こうか」

「大丈夫だよ。どうせ部活の勧誘でしょ。先に教室戻ってて」

 心配性の春日を制してそう言うと、和都は一人、東側の屋上扉から校内へ戻った。





 東階段をひたすら降って1階に着くと、第2体育館へ繋がる渡り廊下の通用口から外に出ることができた。本校舎と校庭の間には桜の木が植えられていて、その校舎側は保健室の裏側にあたる。ただちょうどその位置の窓は、ベッドの並ぶ関係で常にブラインドが下がっていて見えにくく、人目がない定番の呼び出しスポットになっていた。

 ──あぁ、失敗した。

 白とピンクの花の間に、緑の葉っぱがちらほら見えるピークを過ぎた桜の木を眺めながら、和都はその校舎側の壁に背中を預けた状態で、ただただ後悔する。

「なぁ相模、頼むよ!」

「……すみません」

 自分よりも背の高い男子生徒に肩を掴まれ、壁に押しつけられた状態。相手の学ランに付いたネームプレートは、3年生を意味する濃い緑色で、『橋本』と白文字で刻まれている。

 この時期の呼び出しならば、部活の勧誘だろうとタカを括ったのが失敗だった。部活の勧誘ならお断りします、と言って去るだけのつもりが、気付けば壁際に追いやられている。

 ──ユースケに来てもらうべきだった。

 先輩の主張は、ただ「好きだから付き合って欲しい」の一点張り。

 和都は昔から、お化けと同様に何故か異様なほど人間を惹き寄せ、過剰な好意を持たれてしまうことが多い。自分と少しでも関わりを持ってしまうと、時々異常な執着をする人がでるのだ。

 執着することに駆られた人間は、自分のことをどれだけ好きか、いつから好きでどこが好きかといった、独りよがりで自分を欲しがる言葉ばかりをただただ並べて、一方的に押し付ける。

「……ごめんなさい」

 どんな言葉も薄っぺらく聞こえなくて、それしか言えない。

「なぁ、頼むよ。今年受験で……。支えてほしいんだ、だから」

「無理です」

 きっぱり断っても聞き入れてもらえる雰囲気ではなかった。向こうは自分の要求を受け入れて貰えることしか考えていないらしい。

 嫌な記憶が頭の片隅に浮かび始めて、身体が竦む。

 なんとかこの場から離れようともがいてみたが、肩を掴まれた手の力が強くなるだけで逃げられない。

「……いった」

 大きな手の指が肩に食い込む。自分より背が高く体躯の立派な人間は、過剰を通り越し、こちらを見下ろして激昂し始めていた。

「なんでだよ、オレはこんなに!」

「いやだっ……!」

 なんとか両手を突き出して、自分より大きな身体を力一杯押し飛ばす。

 するとすぐ頭上の窓がガラガラッと勢いよく開く音がして、あっと気付いた時にはザバーッと冷たい水の塊が目の前に降ってきていた。

「うっわ! つめたっ」

 目の前の先輩は頭からまるっと濡れていた。和都自身にもそれなりに掛かりはしたが、頭と上半身が少し濡れた程度だ。

 驚いて水の落ちてきた方を見上げると、窓から身を乗り出して空のバケツを持った仁科がいた。

 下から見ているせいなのか、普段の飄々とした雰囲気とは違う、今まで見たことがないような、嫌悪感に満ちた鋭い表情に見えた。

保健室(ひとんち)の裏で盛ってんじゃねーよ。発情期の猫か」

「仁科、てめぇ!」

「先生をつけろぉ、橋本」

 そう言いながらも仁科は橋本に向かってタオルも投げていて。

「お前は自分で拭いて教室戻って着替えろ。風邪引くぞー」

「……くっそ!」

 新学期早々、頭から水を被った3年生は、悪態をつきながらタオルで頭を拭きつつ逃げるように去って行った。

 色々と思考が追いつかなくて、和都はただポカンと口を小さく開けてそれを見送っていた。

「相模」

 頭上から降ってくる声にそちらを見ると、いつもの飄々とした顔の先生がいる。

「お前にはタオルと着替えをくれてやるから、あがっておいで」

「……はい」

 言われるままに通用口から校舎に戻り、保健室に入ると「とりあえず拭きなさい」とタオルを渡された。幸い濡れたのは頭から首と腕まわりだけで、数十分前まで横になっていたベッドに腰を下ろして頭を拭く。

 仁科は備品のストック用の棚を開けて着替えになるTシャツを探しているようだった。

「……あっれ、Sサイズないなぁ。げ、Mサイズもないじゃん。こないだ見直ししたはずなのになぁ」

 学ランのボタンを外すと、隙間から入り込んだのか、中のシャツも割合濡れていて、和都は息をついてひたすら拭いた。

 ぶつぶつ言いながら替えのシャツを探していた仁科がようやくこちらにTシャツを差し出す。

「Lサイズしかなかったわ。これでいい?」

「……あ、はい」

 Tシャツを受け取ると、少し考えてからベッド用のカーテンを閉めて、学ランを脱いだ。

「すみません……」

「気にしなくていいよ。で、今日は? いつもの護衛の春日クンはどうしたの?」

「いつもの護衛って。……毎回見てたんですか?」

 学ランを脱ぎ、中に来ていたシャツも脱いで、内側に入り込んだ水を拭く。

「好きで見てるわけじゃないよ。下からは見えないから呼び出しの定番になってんだろうけど、何気に上からは丸見えなんだよねぇ」

「そーですか」

 この件について聞かれるのは、正直不愉快でしかない。ついいつものような、ぶっきらぼうな声が出てしまう。

「いつもは、春日クンが一緒だから放置してたんだけど。今日はいないみたいだったからね」

 仁科の言う通り、普段の呼び出しでは必ず春日と一緒に話を聞くようにしていた。彼が近くにいるだけで、今回のような腕力で捻じ伏せようとする人間への牽制になり、何かあった時に助けてもらえるからだ。

 しかし今回ばかりは、見誤ってしまった。

「新学期だし、部活の勧誘だと思って、大丈夫って一人で来たから。……違いましたけど」

「そりゃ残念。1年の時からよく呼び出されてたよねー。……お前、よく男子校なんかきたな」

 仁科の揶揄する言葉に、少しだけ声が迷う。

「……女の人、怖いから」

 苦手なヒトの顔が頭の隅に一瞬だけ燻って消えた。

「あら、そうだったの」

 カーテンの向こう側にいる大人の声が、普段とさして変わらなくて、ちょっとだけホッとする。

「中学の時は、女の子から言われるのが多くって。男子校なら大丈夫かなって、思ったんですけどね」

 いつも通りの雰囲気を装って話しながら、大きなTシャツを頭から被る。半袖なのに肘まで隠れてしまった。

「ふーん。アテが外れたわけか。残念だったね」

「今後は気をつけます。すみませんでした」

 普段と変わらない声色で、和都はそう言いながらカーテンを開けて出る。

 謝ってしまえば、自分が悪者になれば、このくだらない雑談はお仕舞いだ。なのに、

「お前さぁ」

 向こうの声が、少し低い。

「はい?」

「なんでお前が悪いわけじゃないのに、そんなに謝るの?」

 仁科の、眼鏡の奥の目がスゥッと細められていて、なんとなく怒っているような気配がする。

「……だって、迷惑かけたし」

 思っていた展開と違って、声色に迷う。

「お前は橋本に、迷惑かけられた側でしょうが」

「でも、」

 和都は視線を、仁科から逃げるように床に向けた。

「……おれが一人で来なかったら、先生には迷惑かかってない」

「助けてもらったら、『ありがとう』でいいんだよ」

 右手に掴んでいた、まだ濡れている学ランとシャツをギュッと握り込んで、視線は床を見つめたまま。

「……ありがとうございました」

「よろしい」

 そう言って、仁科が呆れたように笑う。

「ほれ、清掃の時間になるし、もう行きなさい」

「……失礼します」

 見透かされたような気がして、悔しくて、腹立たしくて、呟くようにそう言ってから、口を真横に引き結んで保健室を出た。





「ただいまぁ」

 自宅に帰り着いた和都は、玄関、キッチン、リビングと順番に家の中の灯りを点けていく。

 狛杜高校から徒歩十数分という近距離にある、コンクリートの塀に囲まれた小さな庭と1台分の車庫が付いた、2階建ての一軒家。ここが今の和都の自宅である。

 両親は共に働いており、帰宅する時は基本的に誰もいない。母親から稀に買い物を頼まれることもあるが、今日はそれもなく、帰り着いたのはまだまだ明るい時間だ。

 家中を回って誰もいないことを確認すると、和都は一番奥の部屋の入り口に鞄と手に持って帰ってきた学ランを置く。それから引き戸をそっと開けて、灯りは点けずに部屋の奥まで進んだ。

 その部屋は、シーズンオフの洋服や、普段使わないものをしまっていて物置に近い。部屋の一角にある小さなチェストの上にはこぢんまりと設けた空間があって、小さな遺影と位牌を置いてあった。

 その前で手を合わせると、小さな声で呟く。

「……ただいま、父さん」

 小学生の頃に亡くなった、実の父。位牌には『神谷清孝之霊位』とある。

「今日も結局始業式で倒れちゃったし、先輩に告白された挙げ句水掛けられるし、散々だった……」

 大好きだった父が病に伏せって亡くなると、その後すぐに母は今の父親と再婚した。新しい苗字に慣れないまま、中学生に上がるタイミングで今の家に越してきて、気付けばもう高校生だ。

「おれも早く、そっちに行けたらいいのにね」

 他人に迷惑ばかりかけていて、いつも自分の存在価値に悩んでしまう。今でこそ、春日たちのおかげでなんとか楽しいと思えることも多いが、ふとした瞬間に居なくなってしまえたら、と考えるのだけは変わらない。

 窓からの差し込む外の明るさで、室内は薄ぼんやりとしていて、小さな遺影に写った人の顔も、あまり判別は出来なかった。ただただ、一緒にいれば安心できたことだけが懐かしい。

「……なーんて、言ってたらまたユースケに怒られるから、卒業するまではがんばります」

 報告を終えると、和都は部屋を出て、そっと引き戸を閉めた。

 入り口に置いておいた学ランを広げてみると、多少乾いたもののまだしっとりとしている。

 今日は帰りながら春日たちに橋本先輩のことを愚痴っていたので、握り締めたり思い切り振り回したりしてしまった。これは汚れよりもシワの方が酷いかもしれない。

「……さ、母さん帰ってくる前に洗って綺麗にしとかないとな」

 新学期の初日から学ランがシワくちゃになった、なんて知られたら、なんと言われるか分からない。ただでさえ色々と疲弊しているのに、特に苦手な女の人の金切り声で刺されたら、堪ったもんじゃない。

 和都は息を吐いて、学ランを持ったまま風呂場へ向かった。





 時計が夜の深い時間を差す頃。階下からテレビの音が小さく聞こえるのに気付いて、読んでいた本から視線を外す。

 ──あ、帰ってきてたんだ。

 帰宅が遅いとこちらに声を掛けてくることもない両親の存在は、テレビの音の有無で把握していた。

 ──ちゃんと居るか、確認くらいすれば良いのに。

 どこにも行かず家に居なさい、と言うわりに両親が自分に近寄ることは少ない。高校に入ってからは、中学の時のように問題が起きないよう振る舞っているので、それが功を奏した結果なのだろう。

 2階の自室にあるのは、机と本棚とクローゼット、そしてベッドぐらい。ゲームもテレビも悪影響だと禁じられているけれど、和都としては本が読めればそれでいいので充分だった。

 そろそろ寝るかと本を閉じて灯りを消し、ベッドに深く沈み込む。朝から色々ありすぎて、今日は1日がすごく長く感じた。

 ──……そういえば、あの夢はなんだったんだろう。

 始業式で倒れた後に見た、不思議な夢。

 聞いたことのない声と、言われた『鬼』という単語が気になった。

 ──あれは、誰だったのかな。

 知らないのに、懐かしいと思ったのは何故だろう。

 ぼんやり考えながらウトウトしていると、不意に声が聞こえた。

〔ボクのことー?〕

「えっ」

 夢で聴いた声が、頭の中に突然響き、驚いて起き上がる。

 灯りを消したため暗いが、天井付近にある明り取りの窓のお陰で、ぼんやりとものの判別はできる。青闇の中、辺りを見回していると、部屋の入り口のほうになにか白いモヤのようなものが視えた。

「……だれ?」

〔ボクの名前は『ハク』だよー〕

 白いモヤだったものがゆっくりゆっくり、粘土をこねるようにして変わっていく。視えてきたのは、ピンと立った耳にシュッと長い鼻と口、金色の瞳をした、白っぽい毛並みの犬の頭部だった。そして通常ならば首輪をする辺りに赤と白が交互に捻られた太い紐が巻かれ、その下はぶっつりと切り取ったようにない。

 輪郭のぼやけてはっきりとしない半透明の姿をしたものが、宙に浮いていた。

「……ハク?」

〔そう! こんばんは!〕

 頭の中に響くように聞こえる声は、間違いなく夢で聞いたものだ。

〔ビックリしたよねー。でもちょっとタイミングなくってさぁ。夢でお告げ〜なんて形になっちゃったんだ。よくわかんなかったよね、ごめんねぇ〕

「いや、まぁ。……うん」

 その『ハク』と名乗ったそれは、自分よりも年齢の低い少年のような声で、異様な見た目のわりにやたら明朗快活な喋り方をするため、どこか拍子抜けしてしまう。

 こういったお化けの類は、いつもなら『いいもの』か『いやなもの』かくらいなら分かるのだが、このハクに至っては正直よく分からない。

「お前は、なんなの?」

〔んーとねぇ、ボクは元々神社にお仕えしてた狛犬でね。ずっとカズトをこっそり見守ってたんだよぉ〕

「背後霊、みたいな?」

〔そうそう!〕

 言われてみれば、白い犬のような獣で紅白の紐を巻いているなんて、狛犬と言われたら、そう見えなくはない。ただ、首だけしかないが。

「その元狛犬が、なんでおれの背後霊なんかやってるの?」

〔カズトの中にはボクの番だった狛犬の『バク』がいるんだ。ボクとバクは魂が繋がちゃってるから、バクのいるとこにボクもいくのぉ〕

 元狛犬の、ハクの片割れだった狛犬が、自分の中にいる。

 ということは?

「……えっと? つまり生まれ変わりとか、前世みたいな?」

〔そうそう、そんな感じ!〕

「マジか」

 転生とか生まれ変わりとか、そんな感じなのだろうか。しかし残念ながら狛犬だった頃の記憶なんてものは一切ないので、そんな物語の主人公でないことは確かである。

「ずっと見守ってるだけだったのに、なんで急に出てきたの? 夢で言ってた『鬼』のせい?」

〔そう! 新しくガッコーに来た、赤い目のヤツいたでしょ? それが『鬼』だよ! 人間に入り込んでるの。だから気をつけてって言いたくって〕

 やはり始業式で紹介された新任の教師たちがそうなのだろう。異様な気配といい、何かの間違いかと思ったが、人間とは違う色に視えたあの瞳は、そう言うことかと納得する。

「その『鬼』は何しにきたの? もしかして、おれを食べにでも来た?」

〔うん!〕

「えっ」

 冗談のつもりが全力の肯定をされてしまった。

 確かにこれまでも色々なものを惹き寄せてきたが、鬼に狙われるなんて、全く心当たりがない。

「なんで……?」

〔だって、カズトは『狛犬の目』を持ってるから!〕

「『狛犬の目』? 何それ?」

 そもそも狛犬とは、神社などにある神様を悪いものから守る一対の犬や獅子の石像だ。あれらはただの置き物ではなかったのか?

〔『狛犬の目』はね、神社にいる神様のために、なんでも招き寄せちゃうフシギなチカラだよ! 強いチカラがあるから、鬼にっとっちゃご馳走なんだぁ〕

「……ご馳走。え、招くだけ? それじゃあ悪いモノがきたら食べられちゃわない?」

〔そこは『狛犬の口』を持ってる番のボクが! 悪いモノを食べるんだ〕

 そう言ってハクが大きな口を開けて見せた。と言っても、ぼんやりとしたシルエットなので、そこまで迫力はない。

 ハクの説明よれば、『狛犬の目』で信仰する人間達を招きつつ、祀られている神様に悪いモノが近づかないようおびき寄せ、『狛犬の口』がそれを食べるのだそうだ。神社の入り口にある2体の狛犬には、そんな役割があるらしい。

「……そっか。その『狛犬の目』のせいで、おれには色んなモノが寄ってきてたのか」

 見知らぬ飼い犬も、恐ろしい姿のお化けも、話したことのない上級生も。きっと全て『狛犬の目』に惹き寄せられてきたものなのだろう。

〔特に人間の中でも『鬼』に近い心を持ってる人間は、より執着してくるかもねぇ〕

 長年の謎がまさかこんな形で判明することになるとは思わなかった。にわかには信じられないが、自分を欲してきた人たちを思い返すと、確かに『鬼』のようだった。自分勝手で恐ろしい、欲望の塊でぶつかってくる。

「……なんだ、やっぱり全部、おれのせいじゃん」

 妄想に浸って勝手に思い込んで、馬鹿みたいに近寄ってくるヤツらが悪いのだ、と、強く思うことで跳ね返してきたのに。

 人を惹き寄せ、色々なものを狂わせてしまったことの原因は、結局自分だったのかと思うと、泣きそうだ。

〔え?! 違う、違うよ、カズト。狛犬のチカラだよ。カズトはなんにも悪くないよ?〕

「ハクはずっとおれのこと見てたんでしょ?」

〔う、うん。そうだけど〕

「……おれがいなかったら、みんなあんなにおかしくなることはなかったわけじゃん。それならやっぱり、おれのせいだよ」

 壊れてしまった全部が、自分のせい。

 存在そのものが、人間の中にあってはいけないのだ。

 ハクは頑張って否定するが、事実、自分にそのチカラがなければ、生活も、家族も、人間関係も、現在のような状況には至っていないはずだ。

〔うーん、でも、みんな自分たちの中の『鬼』が膨れた結果のようなものだから、カズトに逢わなくてもそのうちそうなってた人たちだよ。早いか遅いかの違いさ〕

「そうなのかな……」

 自分と出会わなかったら、まともに生きていた人もいたのではないかと、どうしても考えてしまう。

「……おれ、いっそ鬼に食べてもらっちゃったほうが、いいんじゃないかなぁ」

 無意識とはいえ他人に迷惑をかけて狂わせてしまう存在なんて、いっそ綺麗に食われて、跡形もなくいなくなってしまったほうがいいんじゃないだろうか。

〔それはダメー! こまるぅぅ!!〕

 半透明の犬の首が上下に揺れていて、まるで駄々っ子のように叫ぶ。

「……どうして?」

〔カズトが鬼に食べられちゃったら、カズトの中のバクも、バクと繋がってるボクも消えちゃうよ! そんなのヤダー!〕

「消えたら、おしまいなの?」

〔そうだよ! 普通に人として死んだら次があるけど、鬼に食べられたら消滅して終わりなんだよ! だから気をつけてって言いたくってボク出てきたんだからぁ!〕

 確かに他人の行動のせいで、自分や自分の大切な存在まで消えてしまうというのは嫌かもしれない。だからこそ、この元狛犬だというお化けは必死なのだろう。

 ハクがあまりに必死なので、ちょっとだけ可哀想な気持ちになってきた。

「でも、気をつけろって言われてもさ。どうしたらいいの?」

〔なるべく関わらないのが一番いいんだけど、同じガッコーだと絶対会っちゃうよねぇ〕

「教科担当になったら、定期的に会うことになるよ。授業中に突然襲ってくる……とかはさすがにないと思いたいけど」

 和都は腕を組んで考える。まだ新任教師として始業式で紹介されただけである。初日の授業に体育も日本史もなかったので、教科担当かどうかはまだ分からない。

〔人間に紛れ込んでる以上、人前で何かはしてこないと思うよ。だからなるべく1人にならないようにする、とか?〕

「えぇ……」

 ファンタジーな相手に対して、対策がすごく現実的なストーカー対策でしかないのは、なんとも心許ない話だ。

〔あとは簡単に食べられないように、カズトの中の霊力(チカラ)を強くするしかないね!〕

「それが強くなれば、食べられないの?」

〔うん! カズトのチカラが強くなれば、悪いモノの影響を受けにくくなるし、カズトと魂が繋がってるボクのチカラも強くなって、守ってあげられるよ!〕

「なるほど」

 狛犬だった頃の役割を考えれば、確かにハクに守ってもらうのが一番良さそうに思える。

「でもどうやって強くすんの? よくある修行的なヤツだったら、おれはちょっと無理だよ」

 部活や塾すら制限し、ただ家にいろという保護者の元にいるのだ。霊験あらたかな山や滝での修行なんて、もってのほかだろう。

 そして一番の問題は、和都に通常の男子高校生のような体力がないこと。

〔いやいや、そういうのは要らないよ。チカラの強い人を探して、分けてもらえばいいんだよ〕

 ようやくそれらしい話かと思えば、なんとも地道な内容である。

「そういうチカラって、そんな簡単に分けてもらえるものなの?」

〔波長の合う人で強いチカラ持ってる人がいたら、一緒にいたり触れ合ったりしてれば分けてもらえるよ!〕

 今まではただ視えるだけで気にしたことはなかったが、こういったチカラにも強い弱いがあるらしい。

〔今のカズトは、下手したらその辺にいる小さな悪霊にも負けちゃうくらいチョー弱いからね! 本当ならお化けも視えないくらいなんだよ。でも『狛犬の目』があるから視えてるんだろうねぇ〕

「……もしかして、おれがすぐ倒れるのもそのせい?」

〔そうだよ! しかもカズトの波長はちょっと特殊だからね。波長の合う人はそれなりにいるんだけど、カズトにチカラを分けられるようなタイプの人が全然いなくって。でもでも、今日会った人の中にはね、いたよ!〕

「え、誰? ……橋本先輩だったらちょっと気まずいんだけど」

 今日会った中でも、一番最悪な別れ方をした人だ。その人にまた会うというのはなかなか難しい話だが。

〔ハシモトって、カズトと一緒に水かけられた人だよね。あの人は全然違う〕

「……よかった。え、じゃあ誰だ?」

 今日会った人と言えば、いつも一緒のメンバーとクラスメイト、担任の後藤先生と午後の授業で会った先生くらいだろうか。あとは、始業式と昼休みに助けてくれた、

〔白衣きてて、眼鏡掛けてた先生!〕

「……仁科先生?」

〔そうそう、ニシナー!〕

 半透明の犬の首が空中でクルクルと楽しそうに旋回する。見た目はアレだが、声の感じも相まって、幼い子供を相手にしてるような気持ちになってきた。

「全然そんなふうに見えなかったけどなぁ」

 そうは言うものの、自分以外にお化けの類が視える人物に出会ったことはないので、判断のしようがない。

 とはいえ幸か不幸か、保健委員になった以上、接点は今までより確実に増えるので、何かしら変化がある……といいなと思うことにした。

「まぁ、鬼に食べられるとかなんか嫌だし、ハクも困るっていうなら、頑張ってみるよ」

〔本当? ありがとーありがとー〕

 ハクがまたクルクルと空中を旋回する。それを見て小さく笑うと、和都はふたたび横になって布団をかぶった。

「さ、明日も学校だし寝なきゃ」

〔うん! おやすみ、カズト!〕

「……おやすみ、ハク」

 誰かに『おやすみ』を言うのは随分と久しぶりで、そんなことを言える相手ができたのは、その日唯一の良いことだった。


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